沖縄の霊石「ビジュル」信仰と怪奇/吉田悠軌の怪談解題・呪物編

文=吉田悠軌

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    沖縄に伝わる、「ビジュル」と呼ばれる霊石への信仰にまつわる怪談を現地で取材した筆者。それは「触ると祟る」という単純なタブーにはとどまらない呪石だった。沖縄の文化や歴史的背景さえ垣間見えてくるモノの真相とは……。

    沖縄の男性を突如襲った原因不明の心身不調

     新城さんが私に連絡してきたのは昨年10月のこと。「石の怪談と裏山の怪談を集めている」という私のSNSでの告知を見かけたからだ。

    「父方の実家の裏山は、もともとジャングルみたいな場所だったんです」
     沖縄県うるま市、本島でも都会とは呼べないエリアに、その公園は位置している。岩と木々に覆われたなか、拝所という祈禱場と鳥居だけがあった、というのが彼の当時の記憶である。
    「そこは僕が小学生のころ、児童公園として整備されました」
     当時、大城さん一家は両親の仕事のため那覇に住んでおり、うるまの家へはたまにしか帰っていなかった。その後、両親は退職後に実家へとUターンしたが、社会人となった新城さんは那覇市内に留まりつづけた。
     この土地に本格的に関わったのは2年半前、彼が40代になってからのこととなる。 またそこに、「ビジュル」とおぼしき奇妙な石があると知ったのもそのころのことだ。

     2023年の1月1日未明。実家に帰省していた新城さんは、まだ薄暗い公園へと向かった。東の海を望む展望台から、初日の出を拝むためだ。展望台は公園最奥にあるため、家から行くのであれば正面入り口が遠回りになってしまう。
     鳥居のある正門ではなく、裏手の散歩道から公園に入る。そして展望台にて太陽が昇るのを見届けた後、また裏手側から家へと戻った。
    「それがいけなかったと気づいたのは、後々のことです」
     翌日、新城さんは激しい腹痛を感じ、トイレに駆けこむと大量に下血した。血は止まらず、病院にて胃カメラと大腸カメラを処置してもらったが異常なし。さらに別の病院にて2度の胃・大腸検査を経て、最終的には痔の手術を行うことになった。
     確かに痔の持病はあったが大量出血する類いのものではなく、胃腸に問題がないからという消極的な診断だった。しかし手術後、症状はさらに悪化し、トイレのたび激痛にのたうちまわるようになってしまった。
     同時期、人間関係も大きな破綻を迎えたそうだが、この詳細については聞けていない。
     体だけでなく精神をも病み、とても那覇に戻って働ける状態ではなくなった。実家に留まり、仕事を失い、心身ともに病魔に苦しめられる。そんな日々が半年も続いた。

     新城さんが陥ったのは、沖縄・奄美でいうところの「カミダーリ」に近い。前触れもなく原因不明の体調不良、精神の混乱が続き、それまでの人生が大きく変化してしまう。カミダーリを乗り越えるため、そのまま民間霊能者のユタになる人が多く、「巫病」とも呼ばれる所以だ。

    (上・下)新城さんを悩ませた「霊石」。一時撤去され、いつのまにか再び置かれていたという。
    公園の入り口に立つ鳥居。

    見えてしまった老人と転々とする「石」の真相

    「自分のおじーと同じになってしまった、と思いました」

     新城さんの祖父は「ウガミサー(拝み屋)」だった。とはいえユタや大和(本土)の拝み屋とはずいぶん異なる。職業的霊能者として依頼人の相談を受けてアドバイスをする、ということはできなかった。祖父はずっと「あちら側」とばかり交信しつづけており、現実の日常社会には半分しか身を置いていなかったのだ。農作業の仕事に就いていたが、突然「マジムン(化け物)が来た!」と叫び、道具を放り出して帰ってしまうこともよくあった。

     そんな祖父の気質が隔世遺伝していると、新城さんも自覚していた。だが久しぶりに実家近くの公園を出入りしただけで、なぜこのような苦難に見舞われてしまったのか。

     同じころ、母親が地元の郷土史を巡るガイドツアーに参加した。兵庫出身の母としては、この機会に近隣の歴史を学んでおきたかったようだ。そこで裏手の公園が、もともとは琉球王朝の地方役人(地頭)の御殿跡地だったと教えられる。
     園内には3つの石が安置された拝所がある。「地頭火ヌ神」と呼ばれ、沖縄各地の地頭の住居跡にて祀られているものだ。この祠自体は母も見知っていたが、そこから少し離れた、まるで捨て置かれているような岩に注意を払ったことはなかった。
     黒々とした大きな奇岩である。サンゴが固まった琉球石灰岩と思われるが、大きな穴がいくつもあいているのは海食によるものだろうか。となれば、海のほうから運んできたことになる。
    「これは役人が馬に乗るとき、足をかけるための石だったそうです」
     ガイドの解説を珍しがった母が、なにげなく岩を覗きこんだとたん、「触らないで!」と怒号が飛んだ。
    「触ったり腰かけたりすると障りがあります。絶対にやめてください」
     驚くほどの剣幕で、ガイドからそう叱責されたのだという。

     母からこの話を聞いた新城さんは、はたと思い当たった。
     あそこにはビジュルがあったのか。

     沖縄では霊性を宿す石が信仰の対象となっており、それら霊石をビジュルと呼ぶ。福をもたらす一方で、触れれば祟る恐しい対象と見られることも多い。最近では沖縄怪談の名手・小原猛の『霊石』(竹書房)が、そうしたエピソード群を紹介している。
    「そのせいだ、と思いました。ビジュルに正面から礼拝せず出入りしたから、自分は大変な目に遭ってしまったのか、と」
     新城さんは急いで公園の鳥居に出向き、必死に謝りつづけた。悪いことをしました、もう勘弁してください……。すると半年も続いた心身の不調が、嘘のようにぴたりと収まったのである。

     彼自身の問題は解決したものの、話はここで終わらない。
     それから少したって、実家で飼っている猫が家出してしまった。裏手の公園が怪しいと、今度はきちんと正面から礼をして入り、園内を捜し回った。
     休憩所の東家に来たところで、おやと思った。いつのまにかパイロンやロープが設置され、立ち入り禁止となっていたのだ。不可解だが、猫にとっては関係なかろうと中を確認してみると。
    「あい、にーさん、どうしたの」
     いきなり声をかけられた。気づけば東屋に老人数名が座って、ゆんたくひんたく(おしゃべり)しているではないか。猫を捜していますと答えると、おじーおばーたちは口々に「見てないさあ」と呟いた。
     新城さんは礼を述べてそそくさと立ち去り、後ろを振り向かないよう公園を後にした。
     老人たちの体が、すべて霞のように透けていたからだ。やはり自分は、もうこの土地のいろいろなものを感じ取るようになってしまったらしい。

     猫はその夜、なにごともなかったかのように家に帰ってきた。
    「老人たちはともかく、休憩所がいきなり立ち入り禁止になったことのほうが無気味でした」
     事態はどんどん急転していく。続けて、公園そのものが閉鎖されたのだ。隣の公民館が新設された防災センターへ移転するためらしいが、だからといって児童公園を閉じる理由がわからない。
     さらに、あの岩石までもがいつのまにか見当たらなくなった。触れば祟るはずなのに、どこかへ撤去されてしまったのだろうか。

     不安に思い、もともと面識のある小原氏へと一連の出来事を伝えた。
    「やばいでしょう、そんな石を動かしたら」
     ともかく確認してもらおうと、小原氏を現地へと案内する。そこでまた、ふたつの驚愕すべき事態に出くわしたのだ。
     撤去されたはずの岩が、また祠の前に置かれているではないか。ただし以前とは少し離れた位置に。まるでだれかが、慌てふためいて戻したかのように。
     混乱しつつも、自身の体験のキッカケとなった展望台へと小原氏を連れていく。建物が目に入ったとたん、さらなる驚きに声をあげた。
     正面を封鎖するかたちでテープが延び、立ち入り禁止になっている。公園の管理とは関係ない。貼られているのは沖縄警察署の黄色いテープだ。
     数日前、近隣住民がここで首を吊っていたのである。

    解題――沖縄に伝わる霊石信仰「ビジュル」とは何か

     ビジュル信仰は、沖縄各地に伝わる習俗である。吉凶占いや子宝祈願、豊作祈願などその形態はさまざまだが、未加工の自然石である点はどこも共通している。また多くの場合、海に浮かんでいた石を拝所まで持ってきたと伝えられている。海の向こうからやってくるニライカナイ信仰とも結びついているのだろう。

    「ビジュル」の名については十六羅漢の「賓頭盧」が訛ったものとされるが、仏教の影響から生じたとは考え難い。自然石へのアニミズム、現世利益を期待する古代からの霊石信仰に、この名称が代入されただけだろう。

     沖縄本島には約100か所のビジュルがあるらしい。私も偶然、今帰仁村の運天展望台でそれらしきものを発見している。「海の石を山頂に持っていく」という点が、先述の話と似ている気がした。

     件の現場については、先日、新城さんに案内してもらってきたばかりだ。
     公園は現代的に整備されていて人の気配もなく、無機質な緑地といった光景だ。なにも知らなければ、ここが霊場とも、過疎に悩む集落の裏山とも思わないだろう。

     さて、問題の霊石である。祠に祀られた「地頭火ヌ神」と違い、草むらへと雑に放置されたようにしか見えない。そもそも地頭の踏み台にされてきた(と伝えられている)のだから、一般的な意味でのビジュルとは異なるのではないか。しかし地元ガイドによれば、それは触れれば障る石なのだという。
     先述どおり、小原氏の近著『霊石』では、恐ろしいビジュルにまつわる実話怪談が紹介されている。ビジュルが祟りをもたらしたとの噂は、現在も各地で囁かれているようだ。新城さんが見舞われた災難も、その類話となるだろう。
     休憩所の立ち入り禁止化・公園全体の閉鎖は、集落の過疎化に伴い管理ができなくなったから、との説明をつけられるかもしれない。とはいえ、それに伴い石が撤去されたがすぐに戻されたこと、石を動かしたタイミングで園内にて自死事件が起こってしまったことは、少なくとも事実ではある。
     実際に霊障を及ぼすかどうかはともかく、昔からの地元民は、そして今では新城さんも、確かにこの石を恐れているのだ。

    戦前に撮影された、ノロ(右)と阿応理恵(左)の写真。阿応理恵(阿応理屋恵)は琉球トップクラスの神女で、今帰仁の祭祀を司った(国立国会図書館デジタルコレクション)。
    琉球時代のノロを描いた図。「神子(ノロコモヒ)」と添え書きされている(国立国会図書館デジタルコレクション)。
    筆者が運天展望台でみかけたビジュル。
    公園の地頭火ヌ神。沖縄の竃神の拝所には3つの石を置くが、これは伝統的な三石竃を表しており、ビジュルとは別もの。
    柳田國男が残したビジュルの写真。3つの石が確認できる(国立国会図書館デジタルコレクション)。

    怪の背景に折り重なる琉球、沖縄の歴史

     しかし外野の私からは、疑問も感じてしまう。なぜ「触れれば祟る」と「琉球王朝の地頭が踏み台にしていた」伝承が両立してしまうのか? 後者は触れるどころか、霊石に対してあまりに粗雑な扱いをしている。

     この矛盾点を説明するには、以下の推察が成り立つだろう。
     おそらくこの石には、近世琉球王朝とその役人への反発心が込められているのではないか。
     まず古より現地人に信仰されていた霊石が、そこにはあった。
    しかし王朝からの地頭がやってきて御殿を建て、新たな支配層として同地に君臨する。現地の生活が搾取され、信仰が踏みにじられることもあっただろう。
     霊石を馬に乗るための踏み台としたとは、この状況を端的に示す伝承だ。地頭の竃神・屋敷神「地頭火ヌ神」の祠と、傍らに捨て置かれた霊石という対比も、同じような意味合いを持つ。
     また背景として、1609年の琉球への「島津侵入」も関わっているのではないか。これ以降、琉球王国は実質的に薩摩の属藩となり、多くの利益を吸い上げられることとなる。地頭が民衆からとりたてる年貢は、間接的に薩摩と結びついているのだ。

     新城さんは、鳥居のある正面入り口を礼拝しなかったから祟られたと信じている。私を案内した際も、鳥居前での礼と挨拶を非常に丁重に行っていた。しかしまたこの鳥居については「土着の祈禱場ですが、薩摩侵略の後に鳥居が建てられました」とも私に説明している。
     沖縄の御嶽・拝所の鳥居設置は、薩摩よりも明治以降の皇民化政策が大きいと思われるが、ともかく彼はそう認識しているのだ。このアンビバレントな信仰心は、例の石の一見矛盾する伝承とも通じている。
     この土地に太古から伝わる霊石は、外からきた侵略者によって侵されてしまった。しかしだからこそ、それは今もなお強い力を持つ。侵略者たちへの反発心とともに、そう信じられている。この石は普通の意味でのビジュルではなくても、沖縄の歴史を象徴している呪物なのかもしれない。

    (月刊ムー 2026年08月号)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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