昭和オカルトとしての「秘境」「人外魔境」へようこそ!/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

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    アマゾンの奥地、絶海の孤島、巨大洞窟の内部……昭和の時代、世界に残された「秘境」はオカルトテーマだった!

    「秘境だらけ」だった「昭和こどもオカルト」

     本連載では、これまでにもさまざまな形で「秘境」というテーマについて語ってきた。
     オカルトとしての「秘境」は今ではすっかり消滅しかかっているが、70年までの「こどもオカルト」の世界では主要ジャンルのひとつであり、そもそも「70年代オカルトブーム」が立ちあがってくる根底には「秘境ブーム」の巨大な地平が広がっていた。特に70年代初頭から急増する「オカルト特番」などの怪しげなテレビ番組は、60年代に定着した「秘境ドキュメント番組」から派生した部分が大きい。

     ……こうした話はすでに本連載のあちこちでしてきたが、先ごろ、仕事の関係で1950~70年代にかけての児童雑誌・児童書の内容を網羅的にリサーチする機会があり、その過程で「秘境」関連のコンテンツのあまりの多さにあらためて驚いてしまったのである。いや、僕の幼少期の「こどもオカルト」が「秘境だらけ」だったのは肌感覚で知ってはいたが、整理してみると「昭和のガキはどんだけ『秘境』が好きだったんだよ!」と呆れ返ってしまうほどだったのだ。

     というわけで、今回と次回はオカルトジャンルとしての「秘境」をテーマに据えて、できる限りその全域を「探検」してみようと思う。若い世代には「秘境」と「オカルト」というふたつの言葉のイメージには曖昧なズレがあるように思えて、あまりピンと来ないかも知れないが、そのあたりのズレを多少なりとも埋めてみたいのである。

    「秘境ブーム」に至る道筋はいくつもあって、さらに長い歴史のなかでいくつもの段階を踏んでいる。ひとまず前編の今回は時代をかなり遡って、欧米における「秘境冒険小説」の台頭、そしてその影響で日本でも流行した同種の読み物の概要、さらにはそれらの影響が連綿と続き、我々世代の幼少期の「子ども文化」にも及んでいたことなどを回顧していきたい。

    「おそろしいあくまの川」(『なぜなに ぼうけんと探検』小学館/1971年)。石原豪人による典型的な「秘境画」。この絵は比較的マトモというか、荒唐無稽感は控えめだが、この時期の児童雑誌には後述するようにオカルト感満点の「トンデモ秘境」のイメージが急増していく。

    「発掘ブーム」と「未開への憧れ」

     本連載の『超古代文明』の回でも少し触れたが、19世紀のなかごろから後半にかけて、西洋世界は空前の「発掘ブーム」に沸いていた。直接的なきっかけは1870年代のシュリーマンによる「トロイの遺跡」の発見だが、神話のなかの空想の産物だと思われていたものが「現実に存在した!」という衝撃が当時の人々を熱狂させたらしい。しかし、19世紀はそれ以前から「古代文明と知られざる辺境」の話題が世界中を騒がせた時代だった。30年代から40年代はジョン・ロイド・スティーブンスらによるマヤの古代遺跡の研究が人々を驚愕させたし、1840年代から60年代にかけては、デイヴィッド・リヴィングストンによるヨーロッパ人初の「暗黒大陸・アフリカ」の探検が大きな話題になっていた。

    「暗黒大陸」とはなんとも失礼極まりない蔑称だが、当時のヨーロッパにとってサハラ砂漠以南の地域は「人跡未踏の地」であり、「知られざる未開の地」だった。こうした感覚、当時の自称「文明国」が高みから世界を「見おろす」ような傲慢な感覚は、実は「秘境」というテーマに最後の最後までついてまわることになる。残念ながら「秘境」という概念は民族主義的な差別意識と密接に関連しており、このテキストにも度々不快な文言が出てくると思うが、その都度、できるだけフォローしていくつもりだ。想像力の愉しみとしての「秘境」という娯楽ジャンルには逆の側面、「差別」や偏狭な価値観を打ち破る強力なダイナミズムが確かにあると僕は思う。

     話を戻そう。リヴィングストンによる「暗黒大陸」初横断は、西欧の人々の「未開」への好奇心を激しく駆り立てた。それにさらに拍車をかけたのが、1851年に初めてロンドンで開催された「世界万国博覧会」である。これについての詳細は別の機会に書いてみたいが、当時の「万博」とは要するに超巨大規模の「見世物小屋」で、「珍しいモノとヒト」を「展示」するイベントだ。ロンドン、ニューヨーク、パリなどで立て続けに開催されるようになる19世紀の万博では、台頭する帝国主義的・植民地主義的な価値観がむき出しになっていたことは言うまでもない。最新のテクノロジーを見せる一方で、世にも珍しい「未開」を「見世物」にするのが定番であり、さまざまな地域の「先住民族」を「生きたまま展示」する「人間動物園」(Human Zoo)の出し物が流行していたことは、国家主導の「巨大見世物小屋」でしかない「万博」の歴史の暗黒面である。こうした風潮のなかで、西欧の人々は「知られざる世界」への憧れを抱いた。この非常に危うい憧れをエネルギーにして増殖していったのが、「秘境」をテーマにしたさまざまな娯楽コンテンツである。

    「大怪蛇の沼」(1969年の『少年マガジン』より)。小栗虫太郎の小説をモチーフに、水気隆義が描くアマゾン側上流の「アナコンダの沼」。記録では世界最大のアナコンダの体長は8メートルほどとされるが、ここに描かれているのは30メートル級!

    「秘境冒険小説」の誕生

     上記のような時代の空気のなかで「秘境冒険小説」が続々と刊行されるようになるのだが、まずその道を拓いたのは、おなじみヴェルヌやポーなどによる「空想科学的冒険小説」ということになるだろう。

     1863年にはジュール・ヴェルヌがアフリカの奥地への探検をテーマに『気球に乗って五週間』を発表し、その翌年には現実に存在する「秘境」をはるかに飛び越えて、古代の生物が闊歩する「知られざる地下世界」を描く『地底旅行』を刊行する。こうした「地球空洞説」ネタのフィクションは、エドガー・アラン・ポーが1830年代にすでに手がけていた。1870年になるとヴェルヌはご存知『海底二万理』で知られざる深海の世界を活写したが、ここで描かれるのが海底に沈んだ「アトランティス」である。

     話が少し逸れるが、1882年にはイグネイシャス・ロヨーラ・ドネリーが『アトランティス 大洪水前の世界』を発表し、一大「アトランティス」ブームが勃発する。同じく「アトランティス実在説」を提唱したヘレナ・ブラヴァツキーなどの影響もあり、オカルティストの間でも盛んに「アトランティス研究」が行われるようになった。これについても「古代文明」の回で触れたが、こうした傾向も「秘境憧れ」の時代の空気を多大に受けたものだったのだろう。ヴェルヌやポーの「空想科学的冒険小説」に続いて、コナン・ドイルも「アマゾンの奥地には恐竜と猿人が支配する古代世界がある!」という内容の『失われた世界』(1912年)などを書くわけで、こうして見るとそもそも「秘境」という概念は、その誕生の瞬間から「モロにオカルト」だったということなのかも知れない。

    1969年の『少年マガジン』より。モチーフは香山滋の「人見十吉」が活躍する「秘境冒険小説」シリーズの『エル・ドラドオ』。ベネズエラの密林の奥に生息するという「軟体人間」(?)を柳柊二がグロテスクに描いている。

     1885年には、僕ら世代の多くが幼少期に読んだスティーブンソンの『宝島』が大きな話題になったが、これに多大な影響を受けたといわれているのがイギリスの作家であるヘンリー・ライダー・ハガードだ。彼は1885年に『ソロモン王の洞窟』、2年後には『洞窟の女王』を刊行する。「暗黒大陸」を舞台に波乱万丈の冒険が繰り広げられる一連のハガード作品こそが「秘境冒険小説」の起源であり、世界的な「秘境冒険小説」ブームを巻き起こしたとされている。

     彼の作品は日本でも長らく創元推理文庫の定番タイトルだったし、僕が子どもの頃は短くアレンジした「児童書版」なども出版されていた。国や世代を越えて読み継がれ、刊行から150年以上も経過した現在も影響力は絶大で、文学や映画だけでなく、さまざまなポップカルチャーにおける、いわゆる「アドベンチャーもの」の多くが今もなおその影響下にある。ハガードは実際に若い頃を混乱期のアフリカで過ごしており、その経験に基づくリアルで緻密なアフリカ描写と、思いっきり荒唐無稽な「暗黒大陸の妖術的世界」といった奇想が作品の中で混然一体となり、独特の魅力を醸しだしている。

     今の感覚で読み返すと現地の人々の描き方などでギョッとさせられるところも多々あるのだが、これは「秘境冒険小説」全般に共通する傾向だ。「秘境冒険小説」の根底にある感覚が19世紀から20世紀初頭にかけての帝国主義、コロニアリズムの台頭に直結しているわけで、当時の主要「文明国」が「未開の植民地を文明化する」という詭弁的お題目で二つの大戦に突き進もうとしていた時代の産物であったことには留意しておこう。

    ヘンリー・ライダー・ハガードによる『ソロモン王の洞窟』(1885年)と『洞窟の女王』(1887年)。写真はいずれも70年代に創元推理文庫から刊行されたもの。当時のカバー絵・挿絵は僕ら世代にはおなじみの山本耀也が手がけており、かなりエグいカラー口絵なども収録されていた。

    日本の「秘境冒険小説」

     日本においても「秘境冒険小説」の流行のプロセスは西欧と同じようなルートを辿る。

     政治家であり、作家・ジャーナリストでもあった矢野龍渓は1890年に『浮城物語』を刊行。最新鋭の軍艦に乗った日本人が東南アジアの小国の独立運動に手を貸し、アジアを支配する大国の軍隊と戦う「空想科学的冒険小説」だが、「日本の冒険小説」のルーツとして語られることが多い。これに多大な影響を受けたのが日本のSF作家の草分けとして知られる押川春浪。日露戦争の直前に、ロシアと戦う超未来兵器『海底軍艦』(1900年)の活躍を描く一連のシリーズを書いている。実在しない「空想化学兵器」の魅力が炸裂する「海島冐險奇譚」で、若い世代を中心に多くの人々を魅了した。1963年の東宝特撮映画『海底軍艦』の原作としても知られているので(映画と原作ではまったく内容が違うが)、僕ら世代の特撮マニアの間でも語り草になる作品だ。「空想科学兵器」といえば小松崎茂の独壇場だが、彼は1950年代初頭に本作を題材にした絵物語『長篇科学絵物語 海底軍艦』を『少年ブック』に連載している。

     こうした作品が当時の人々に熱烈に歓迎された根底には、明治以降の「北進論」「南進論」の対立を経てのブーム化、民衆への定着があった。朝鮮半島、満州、シベリアへ進出すべきという「北進論」と、台湾、東南アジア、太平洋の島々などを目指し、最終的には「大東亜共栄圏」という発想に繋がる「南進論」は当初は論争の題材であったが、結局は「南北併進」という形で両方を選択し、大戦へと邁進することになる。欧米同様、日本でも「秘境冒険小説」のルーツをたどれば、どうしてもキナ臭い話になってしまうわけだ。

     より典型的な「秘境冒険小説」が日本で刊行されはじめるのは1930年代からだが、その皮切りとなったのが1923年の国枝史郎『砂漠の古都』だろう。要約不能なくらいにとっちらかった荒唐無稽な作品で、ゴビ砂漠やボルネオを舞台に、地下世界の獣人や謎の秘密結社などが入り乱れる目まぐるしい作品である。続いて登場するのが、『地底獣国』の久生十蘭、『人外魔境』シリーズの小栗虫太郎、『地底大陸』の蘭郁二郎、そして『怪人シプリアノ』や『令嬢エミーラの日記』の橘外男、敗戦直後から「人見十吉」シリーズを発表しはじめた香山滋など、僕ら世代にとっても「これぞ秘境冒険小説!」という作品を書いた定番の作家たちである。

    1969年の『少年マガジン』より。60年代後半から70年代初頭にかけて、古典的な「秘境冒険小説」からショックシーンを抜き出してイラスト化する絵物語風「秘境特集」が人気を博していた。この「大秘境」特集は香山滋作品を題材にしている。扉絵は柳柊二。

     僕ら70年代っ子にとっては、「秘境」のイメージの大きな源泉がこのあたりにある。もちろん幼い子ども時代にこれらの作家の名を知っていたわけではないのだが、当時の児童書・児童雑誌を支えていた編集者や挿絵画家は、こうした作品をネタにしたイメージを大量に子ども向けコンテンツにブチ込みまくっていたのだ。80年代になって、夢野久作などの戦前の「異端的探偵小説」や「幻想小説」の再評価ブームが起こり、その流れでこの時代の怪奇とロマンあふれる「秘境冒険小説」も手軽に読めるようになった。僕もその頃に初めて原典に触れ、「うわ、これはガキの頃にさんざん見せられたあの世界ではないか!」と驚いたのを覚えている。そんな形で育ってしまったせいか、僕はコケ脅し的で荒唐無稽な「秘境」を描く絵や文章を目にすると、どこかで変なスイッチが入るらしく、この歳になっても「血沸き肉躍る!」というような奇妙な高揚感に支配されてしまうのである。

     さて、次回の後編では60~70年代の子ども文化、特にテレビなどにおける「秘境」の扱われ方を語りつつ、「秘境冒険小説」以外の「秘境」ブームに至るいくつかの道筋を辿ってみたい。

    1969年の『少年マガジン』より。こちらも小栗虫太郎の「人外魔境」シリーズを題材にした「大魔境特集」。扉絵は小松崎茂が担当している。

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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