小泉八雲は怪談作家ではない? 大阪歴史博物館「小泉八雲展」で見えた民俗学者=小泉八雲

文=田辺青蛙

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    日本という国を観察し、妻セツとともに「怪談」を書きあげたラフカディオ・ハーン=小泉八雲。彼の視線は、怪談作家よりも民俗学者のそれだった。

    日本の民間伝承を記録したフォークロリスト

     日本人にとって小泉八雲の作品と言えば「耳なし芳一」「雪女」「貉(むじな)」じゃないだろうか。
     明治時代に来日したギリシャ生まれのアイルランド育ちの小泉八雲は文人であり、記者・教育者でもあった。そんな八雲が書いたこれらの怪談作品は、100年以上たった今も読み継がれ、演劇や絵本、アニメ、映画、ドラマ等にもなっている。

     ところが、大阪歴史博物館で開催中の特別展「小泉八雲―怪談とフォークロリストのまなざし」は、その「怪談作家・小泉八雲」というイメージをあえて正面から問い直してくる展覧会となっていた。

     展示を担当した学芸員の俵和馬氏は、開幕前の内覧会でこう語った。

    「私の中では、民俗学の大大大大先輩から民俗学を教わっているというイメージで展示を組みました」

     怪談を書いた作家としてだけでなく、日本の民間伝承を丹念に記録したフォークロリスト(民俗学者)として八雲を読み直す――この展覧会はそういう試みだという。

     約150件の資料を通じ、八雲が「自身の目と耳をとおして触れた日本の民俗・文化」に迫る展覧会に行った私が感じたことをそのまま書いてみた。

    小泉清(八雲の三男)による、ヘルンの肖像。大阪歴史博物館提供

    「縦軸と横軸」で読む八雲

     過去に開催された小泉八雲に纏わる展覧会は、彼の生涯を時系列で追う「年譜型」の構成を取っていることが多かった。ギリシャで生まれ、アイルランドで育ち、アメリカで新聞記者をして、日本に来て「怪談」を執筆した――そういう人生の流れを軸に作品を紹介していくのはわかりやすいが、どうしても「作家の伝記」という雰囲気になりがちだ。

     だが今回の展示は、その構造を意識的に変えている。

     展示企画者の俵氏が、内覧会で使った新しい眼差しとしての展示のキーワードが「縦軸と横軸」だ。
     縦軸は八雲の人生と著作の時間的な流れ。そこに横軸として「フォークロリストのまなざし」が加わり、縦横の交差によって、展示は立体的になる。「いつ、どの作品を書いたか」だけでなく、「なぜ八雲はこれを書いたのか」「日本のどんな文化がこの物語を生んだのか」が見えてくる設計となるからだ。

     さらに特徴的なのが資料の選び方で、原稿や遺品だけでなく、八雲が見たかもしれない同時代・同質の民俗資料も積極的に展示されていた。
     原稿の横に民俗儀礼の道具が置かれ、文章の中で描かれた文化が実物として目の前に現れる。俵氏が「民俗学の先輩」と呼んだ理由が、会場を歩くとよくわかる。

    大阪歴史博物館提供

    怪談が生まれる「四つの章」を歩く

    第一章:異界の旅人――来日前夜
     19歳で単身渡米し、シンシナティで赤貧から這い上がりジャーナリストとなった八雲は、ニューオーリンズでクレオール文化やブードゥー教を取材した。そして、世界初のクレオール料理レシピ集『クレオール料理』(1885年)やクレオール文化圏のことわざ辞典『ゴンボ・ゼーブ』(1885年)を刊行した。
    『ゴンボ・ゼーブ』はルイジアナ、ハイチ、マルティニークなどクレオール文化圏のことわざを収めた書で、その序文には「いま、伝承を書き留めておかなければ」という民俗研究への強い意志が語られている。民俗収集の実践は、来日前からすでに始まっており、その後、カリブ海のフランス領マルティニーク島に約2年間滞在し、島の民俗を観察した紀行文『仏領西インドの二年間』(1890年)を残している。
     展示では、幼少期の神秘体験を記した草稿「私の守護天使」(明治時代)も公開されていた。顔のない少女ジェーン(のっぺらぼう)の幻視体験がつづられたこの草稿は、後の怪談文学につながる原点として紹介されている。

    草稿「私の守護天使」(明治時代)。大阪歴史博物館提供
    小泉八雲は、日本の風俗や民間伝承に関する著作も多い。大阪歴史博物館提供

    第二章:神々の国へ――松江・出雲での転生
     1890年(明治23年)、40歳で来日したハーンは、ハーパーズ誌(出版社)の通信員契約を来日直後に、不正を許さない性格と瞬間湯沸かし器と揶揄されるほどの怒りっぽさゆえか破棄してしまった。そのことから記者として日本で活動するのではなく、文部省官僚・服部一三の斡旋によって島根県尋常中学校の英語教師として松江に赴任することが決まった。この章では、代表作『知られぬ日本の面影』(1894年)をはじめ、松江・出雲での体験から生まれた著作が、当時の民俗資料とともに展示される。
     松江赴任の翌1891年1月、身の回りの世話のために小泉湊(士族)の娘・セツ(節子)が雇われ、八雲はセツと出会った。日本の伝承や風習を体の中に持つセツの存在は、八雲の作家活動を根底から支えることになった。
     展示の注目資料のひとつが「実盛人形」だ。実盛送り(虫送り)という民俗儀礼に使われた大型の立体資料で、こうした実物が置かれているのがこの展示の面白さだ。日常で虫送りの人形を目にする人はほとんどいない現代、八雲が異形の存在として肌で感じたことを追体験できる。
     この章ではまた、八雲の思想的な変化も追える。「日本にはこんな不思議な文化がある」という記述的な民俗誌から、「日本人はなぜこう考えるのか」という深層の分析へと向かう変容が見えてくる。第2章は会場では「神々の国へ―小泉八雲への転生―」と題されており、松江での英語教師時代と出雲の民俗文化への没入をあわせて紹介する構成となっている。

    実盛人形。大阪歴史博物館提供

    第三章:幻想の筆記者――怪談の世界
     この展示で俵氏が強調したのは、八雲の怪談は口承の再話文学のスタイルで執筆されたという点だ。
    「私の中では、八雲の「怪談」は小泉八雲と小泉セツの共著と言っていいと思っています」
     興味深い具体例がある。「耳なし芳一」の直筆原稿に、英語の本文の中に突然「開門(KWAIMON)」という日本語が登場する箇所がある。「Open the door(ドアを開けよ)」という意味だが、八雲はそれを英語ではなく日本語で記した。セツが話を語るとき、「開門!」とたけだけしく言ったところが記憶に強く残り、英語に変換してその迫力を薄めたくなかったのだという。原稿の中に、セツの声が封じ込められている。

    「耳なし芳一」と、周囲に古典を配した展示。大阪歴史博物館提供

     なお、「怪談」の英題が「KWAIDAN」と表記されるのは、セツの出雲訛りの音に寄せたからだという。フォークロリストとしての誠実さが、英語の表記にまで及んでいる。
     また、没後30年を記念して長男の一雄が遺稿をもとに500部限定で刊行した『小泉八雲秘稿画本 妖魔詩話』(1934年)も展示される。雪女や船幽霊などが洋風の表現の混じる幻想的なタッチで描かれており、視覚的にも見どころの多い資料だ。序文によると、セツが購入した『狂歌百物語』を目にした八雲が「コウ面白イ!貴女忙シ無イノ時、是非読ム下サレ、私翻訳シマセウ」と喜んだというエピソードも伝わっている。なお、展示は前後期に分かれており、雪女(前期:4月11日〜5月11日)、船幽霊(後期:5月13日〜6月8日)の2バージョンが別々に公開される。

    「怪談」=KWAIDAN。大阪歴史博物館提供

    第四章:受け継がれるゴースト――没後から現代へ
     最終章は八雲の死後の話。資料は少ないが、一つひとつが重い。圧巻なのが「日本の子守唄」の装幀だ。八雲がローマ字で書き留めた子守唄の原稿に、周囲を布で表装したものが展示されているが、この布は八雲が亡くなったときに使っていた布団の生地なのだという。息子の一雄が、父が書いた子守唄を、父が最後に眠った布団の布で包んだ。子供のために書かれた歌と、父の最期の眠りが、一つの表装の中に重なっている展示品となっていて、見ている人の中には何か胸に来るものがあったのか、目頭を押さえている人もいた。
     終章では、三男で画家の小泉清(1899〜1962年)が描いた八雲の肖像画も公開されている。清は東京美術学校(現・東京藝術大学)でフォービズム(野獣派)を学んだ画家だ。少年時代の事故で左目を失明していた八雲は、写真では頑なに左横顔を隠し続けたが、清は父が隠し続けた左横顔も描いており、本展ではその両作品が並べて展示される。
     映画やドラマへの影響も紹介され、2025年後期のNHK連続テレビ小説「ばけばけ」(八雲とセツ夫妻がモデルのフィクション作品)から昭和40年代の映画『怪談』まで、八雲の怪談が死後120年以上を経てなお形を変えながら生き続けていることが示される。

    ドラマ「ばけばけ」の台本も展示されている。八雲の著作にもとづくデザインだった! 大阪歴史博物館提供

    「怪談作家」から「フォークロリスト」へ

     会場を一周して出てきたとき、八雲という人物の輪郭が変わっていた。

    「怪談」を書いた作家、ではなく。クレオール文化からブードゥー教、そして日本の民話まで、生涯にわたって「周縁の声」を記録し続けた観察者であり民俗学者であったこと、妻の声の記憶を原稿に封じ込めた聴き手で、最後の本の出版を待ちわびながら逝った書き手。息子に布団の布で包まれた父でもあり、サモアやアメリカへの思いを実は強く抱いていたこと、日本だけでない幅広く世界を見ていた教育者でもあったこと……。

     幽霊や妖怪の話を書いた人が、実は誰よりも「生きている文化」に向き合っていた人だった。怪談好きの人はもちろん、民俗学や日本文化史に興味のある人にもおすすめできる展覧会だと思う。

    大阪歴史博物館提供

    舌でも楽しむ八雲の世界

     また、大阪歴史博物館1階のレストラン「ZIPANG」では、本展開催期間中(4月11日〜6月8日)、小泉八雲にちなんだコラボメニューを提供している。展示で知った八雲の素顔やゆかりのエピソードを思い浮かべながら食事を楽しめるという、展覧会ならではの趣向だ。

    小泉八雲御膳 2,480円
    八雲の大好物のビフテキ、ドラマ「ばけばけ」の朝ごはんシーンでもおなじみのしじみ汁、そして虫に似ていて苦手だったという糸こんにゃくなど、八雲ゆかりの食材で構成された全7品の御膳。〈内容〉黒毛和牛のビフテキ、しじみ汁、卵焼き、小鉢(日替わり)、糸こんにゃくのきんぴら、まぜごはん、香の物。同メニューを注文した先着100名にオリジナルポストカードをプレゼントする特典もある。
    ジャンバラヤ 1,800円
    第一章でも紹介したように、八雲は世界で初めてクレオール料理のレシピブックを刊行した人物だ。クレオール料理の定番であるジャンバラヤを食べながら、ニューオーリンズで民俗の記録に情熱を傾けた若き日の八雲に思いをはせてみたい。
    日本の“心”セット 800円
    展覧会の余韻を静かに締めくくりたい人向けの一品。甘党だった八雲に思いをはせながら、優しい甘さの羊羹と香り高い日本茶でひと息つく。展示を見終えた後の、ちょうどよい時間の使い方になりそうだ。

     ちなみに私は、折角なので展覧会の会期中に何度か通ってこれらのメニューをそれぞれ試してみる予定でいる。

    ※価格は全て税込み

    【展覧会情報】
    展覧会名:特別展「小泉八雲―怪談とフォークロリストのまなざし」
    https://www.osakamushis.jp/news/2026/koizumiyakumo.html
    会  期:2026年4月11日(土)〜6月8日(月) ※火曜休館、5月5日は開館
    開館時間:9:30〜17:00(入館は閉館の30分前まで)
    会  場:大阪歴史博物館 6階特別展示室(大阪市中央区大手前4-1-32)
    入 館 料:一般1,600円/高校生・大学生1,000円/中学生以下・大阪市内在住65歳以上 無料(全て税込み)
    主  催:NHKエンタープライズ、産経新聞社、大阪歴史博物館
    共  催:NHK大阪放送局
    後  援:小泉八雲記念館、公益財団法人 大阪観光局

    大阪歴史博物館提供

    田辺青蛙

    ホラー・怪談作家。怪談イベントなどにも出演するプレーヤーでもある。

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