気づかなければ、よかった…「恐怖心展」が暴いた、怪談作家に内在する自他の境界

文・写真=田辺青蛙

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    2025年に大きな話題をよんだ「恐怖心展」が新作も追加して大阪で開催中。ホラー・怪談作家が展示を取材し、わたしたちの誰もがもつ「恐怖心」の核心を考察した。

    悪夢の朝、「恐怖心展」へ

     その日の朝は、夢に殺されかけた。

     内容は思い出せない。ただ、目が覚めたとき、口の中に血の味があったので口内を無意識に噛んでいたようだ。それだけでなく、歯を食いしばっていたようで、奥歯に鈍い痛みもあった。身体は硬直の余韻で、首から肩にかけて動かなかった。ズキズキとした頭痛と眼圧、それに加えて吐き気まであり、夢の中で何が起きたのかはすでに消えているのに、怖かったという感覚だけが体に残っていた。

     なので私は朝一番で形成外科に行き、ブロック注射を打ってもらった。

     台の上に並んだ注射器を見たとき、思わず体がすくんだ。針が入るたびに、身体がわずかに拒絶する。意識はしていないのに、身体が先に怖がっていたのだろう。

     首に二本、肩甲骨の周りに二本。消毒液の冷たさのあと、医師の「チクっとしますよ」という声があったが、実際にはチクどころではなく、鈍い痛みが四度、きちんと繰り返された。処置のあと横になり、一時間ほどで苦痛がやわらいできたとき、ふと思い出した。

     今日は「恐怖心展」の取材がある!

     大阪環状線に乗って梅田で下車し、グランフロントへ向かいながら、苦笑した。ブロック注射の後に恐怖心展とは、われながら奇妙な巡り合わせだと思ったからだ。

     『恐怖心展 大阪』は、ホラー作家・梨、ホラーカンパニー・株式会社闇、テレビ東京プロデューサー・大森時生という、かつて約18万人を動員した『行方不明展』の制作チームが再集結した展覧会だ。東京・渋谷BEAMギャラリーでの開催(2025年7〜9月)では約13万人が来場し、大きな話題を呼んだ。

     大阪巡回版である本展は、2026年3月27日(金)から5月10日(日)まで、グランフロント大阪 北館地下1階 イベントラボで開催されている。大阪会場では東京会場の展示に加え、大阪限定の新作展示も追加されているため、既に東京会場を訪れた人でも新たに楽しめそうだ。

    「恐怖心」という感情そのものが展示品

     展覧会のコンセプトはシンプルかつ深い。「恐怖心」という感情そのものを展示する、というものだ。
     お化け屋敷のように何かが飛び出してくるわけではない。
     ディレクターの品田遊(ダ・ヴィンチ・恐山)も「念のためですが、お化け屋敷ではありません。お化け屋敷ではないので、出たら終わりとも限りません」とコメントしている通り、この展覧会が照らし出すのは外部からやってくる怖さではなく、観客自身の内側に潜む恐怖心だ。

     展示は「存在に対する恐怖」「社会に対する恐怖」「空間に対する恐怖」「概念に対する恐怖」という4つのカテゴリーに分けられており、それぞれに具体的なフォビア(恐怖心)の展示が並んでいる。

     エレベーターを下り、地下にある会場の入り口には、顔の部分を黒い●で塗りつぶされた写真が幾つも掲げられていた。写真の下部には、それぞれの人物が抱えるフォビアの名前が記されていた。「注射」「海」「先端」etc……匿名の恐怖の保有者たちがズラリと並ぶ光景は、不穏な空気をまとっていた。

     中に入ると、最初に目に入ったのが先端恐怖心(Aichmophobia)の展示だった。鍼や鉛筆、針など、さまざまな先端を持つ物体が銀色の鈍い光を放ちながら並んでいる。今朝の注射台の記憶がフラッシュバックし、思わず胸を押さえて立ち止まった。

     そのとき、横に春休み中とおぼしき小学生が立っていた。
     その子はこちらを見上げて言った。

    「おとななのにこわいの?」

     きっと子供にとって、大人にも怖いものがあるなんて想像が出来ないんだろう。自分も大人であることや大人の気持ちなんてイメージすることすら子供時代は出来なかった。

     「おとなでも怖いはあるよ」と答えると、その子は納得したのかしないのか分からない顔で去っていった。短いやり取りだったが、その言葉は展示を見ているあいだ、ずっと頭のどこかに残り続けた。

    展示1: 先端に対する恐怖心(Aichmophobia)  

     鉄、鉛筆、爪楊枝など、何らかの尖った物体に対して抱く恐怖心。

     展示には「様々な物体の先端」と題した作品が置かれており、先端への恐怖心を持つ人々が挙げた恐怖の対象物が台の上にずらりと並んでいた。

     パンフレットによれば、「机上のボールペンが自分の方を向いている」「ドラマの登場人物がカメラを指差している」といった状況でもこの恐怖心を抱く場合があるという。

     今朝、注射台に並んだ注射器を見たときのあの「すくみ」は、先端への恐怖心と注射への恐怖心の境界線上にあるものだったかもしれない。鼻孔の奥に今朝感じた消毒薬のにおいが蘇ってきたせいもあって、展示品の前にいると少し立ち眩みがあった。

    展示2:注射に対する恐怖心(Trypanophobia)  

     医療行為に用いられる注射や採血などに対して抱く恐怖心。動画や映画の注射シーンを意識的に避けているという人も少なくないという。私もその一人で、怖い。 

     ぞわぞわと肌の表面を見えない何かが撫でまわしているような不穏な気配がが広がっていく。

     展示には「自らの採血を撮影した動画」が紹介されていた。私は怖くて、画面越しの映像であるにも関わらず、その動画を撮影することが出来なかった。
     なので、この展示品に関する画像はここで掲載していない。
     レンズ越しでも、嫌なものは見たくなかった。

    展示3: 集合体に対する恐怖心(Trypophobia)  

     あらゆるものが集合・密集した状態に対して抱く恐怖心。蜂の巣や蓮の実といった自然物から、コンピューター基板などの人工物まで、その範囲は広い。

     この展示を見ながら、ふとインターネット黎明期のことを思い出した。「蓮コラ」という言葉を覚えているだろうか。知ってる!という人は多分40代以上じゃないだろうか。2000年代初頭にネット上で拡散した、蓮の実の画像を人体に合成した不気味な画像群で、当時、ダイヤルアップ接続でチャットやメールをやりとりしていた時代、受信トレイに届く「これ見た?」という一文とともに送られてくる謎のURLは、今より何倍も不安な感触を持っていた。

     90年代頃のネット世界はもっと暗くて訳のわからない場所だった。
     あの頃の匿名の誰かから届く意味の分からない画像一枚が精神に刻む傷は、今より深かったように思う。

     集合体への恐怖心はまさにその時代に、ネットを通じて「伝染」するように広がっていったもので、SNSもない時代に口コミとメールと掲示板だけで拡散していく不気味な恐怖の種には、今から見ると別種の凄みがあった。

     展示では、21歳の男子大学生、16歳の女子高校生、33歳のメーカー勤務女性という3名が「集合体への恐怖心」を自覚するきっかけになった画像の再現が並んでいた。

     3名全員、「SNSで何気なく見た画像」がそのきっかけだったという。雨粒の画像に関しては「集合体への恐怖を企図したもの」ですらなく、単に友人が雨の日に投稿しただけのものだったそうだ。

     恐怖心は、意図せず生まれる。SNS時代の現在、その「種」は誰でも、いつでも無差別に撒かれている。蓮コラが強い印象を与えたのは、インターネットがまだ見てはいけないものが存在する暗い場所として感じられていた時代だった。

     そしてあれから20年以上が経った今も形を変えながら、恐怖の種は拡散し続けている。

    展示4:微生物に対する恐怖心(Bacillophobia)  

     細菌や微生物、あるいはそれらが生じるものに対しての恐怖心。何度も手を洗ったりシャワーを浴びたりする、一日に何度も服を着替えるなど、日常のなかでさまざまな回避行動を伴う場合もある。

     展示で目を引いたのは「小学校のほけんだより」だった。ある小学校の保健室前に一定期間張り出されていた実際の掲示物で、そこに紹介されていた「手に繁殖する菌」を再現した一枚の広報ペーパー。当時その学校に通っていた女性は、「手洗いをしなかった手に繁殖する菌」として撮影されたその写真に強いショックを受け、微生物や細菌に対する強い恐怖心を抱くようになった。

     現在、彼女はどこへ行くにも業務用の除菌シートを持参し、ドアやエレベーターのボタンなどに触れるたびに手指の消毒を行うことが習慣化しているそうだ。

     子どもの頃に学校で見た何かが、大人になってもずっと身体の中に残っていることで生じる苦しみについて考えながら次の展示に向かった。

    展示6:幸せに対する恐怖心(Cherophobia)  

     自らが幸福を経験する、あるいは自らの幸福を表現することに対して、否定的な感情や恐怖を伴うもの。英語では「Aversion to happiness」とも称される。幸福はやがて失われる、自らの幸福を表明することが誰かを傷つけるなど、さまざまな要因が複雑に絡み合っており、近年特に関心が高まっているフォビアのひとつだ。

     展示では「最後の投稿」と題した作品が置かれていた。2019年から2021年にかけて活動していたインフルエンサーの、現状最後のSNS投稿を紹介したもので、日常の愚痴や不幸を面白おかしく書き連ねていた彼女は数十万人のフォロワーを持っていたが、「不幸を演じて金稼ぎをしていた」として炎上し、SNSは事実上の活動休止状態になったという。

    「幸せを恐れる」という感覚は、一見理解しにくい。しかしSNS社会の現代において、幸福を公言することへのリスクや、他者の幸福に対する嫉妬・攻撃を日々目にしていれば、このような恐怖心が生まれる土壌は十分にある。集合体への恐怖心がインターネット黎明期に伝染したように、幸せへの恐怖心はまさに今のSNS時代に静かに広がっていると感じた。今回の展示の中で、最も現代的な恐怖だと思った。

    恐怖とは、他者を知る窓口

     私は怪談を書く者として、恐怖は、他者を知る窓口だと思っている。怪談を書いていると、ずっと何が怖いかを常に考えることになる。恐怖の種類を分類し、どのように提示すれば読者に伝えられるだろうかと迷いながら毎日文章を綴っている。

     その経験から言えば、恐怖心は極めてプライベートなものだと感じている。

    「何が怖い?」という問いは、実は「あなたはどういう人間か?」という問いに近いのかもしれない。

     先端が怖い人、毛髪が怖い人、幸せが怖い人。それぞれの恐怖の形は、その人の生育歴、身体感覚、社会との関わり方から生まれているからだ。

     恐怖心は、他者との境界線を知る切っ掛けになる。Xに投稿された「恐怖心展」の来場者の体験談を読むと、「自分の恐怖心に気づかされた」「他人の恐怖を知ることで、その人が少し分かった気がした」という声が多く見られた。

     一緒に見に来た友人同士で「あなたこれ怖い?」「え、なんで怖いの?」というやりとりが生まれ、そこからまた新たな会話が生まれていくこともあったようで、恐怖心は、コミュニケーションを誘発するツールにもなり得る。

     今日、見知らぬ小学生に「おとななのにこわいの?」と問われたとき、私は大人と子どもの間にある見えない境界線を感じた。

     社会的な恐怖、喪失の恐怖、概念としての恐怖……子ども時代には存在しなかった種類の恐怖が、年齢とともにいつの間にか、積み重なってしまっていたことに気が付かされたからだろうか。悪夢で目が覚め、注射を4本打たれ、ふらふらしながら向かった会場で、私はいくつかの恐怖心と出会った。その多くは他者のものだったが、いくつかは確かに自分の中にもあるものだった。

     出口付近では、入り口で私に「おとななのにこわいの?」と問いかけてきたあの子が、展示品ではなく会場の「天井が怖い」と親に言っているのを耳にした。恐怖の種はそこら中にある。

     家に帰ってから自分の子どもに「何が怖い?」と聞いてみると、思いがけない答えが返ってきた。ずっと一緒にいた家族や友人でさえも、怖いと感じるものは必ずしも一致しない。恐怖心は、他者との境界線を教えてくれるものなのかもしれない。

    恐怖心展 大阪
    https://kyoufushin.com/
    会場:グランフロント大阪 北館地下1階 イベントラボ(大阪市北区大深町3-1)
    会期:2026年3月27日(金)〜5月10日(日)
    時間:11:00〜19:30(最終入場は閉館30分前まで)
    料金:2,300円(税込)※小学生以上有料
    体験所要時間:約90分

    主催:株式会社闇/株式会社テレビ東京/株式会社ローソンエンタテインメント/株式会社毎日放送/テレビ大阪株式会社/株式会社キョードー関西
    企画:梨、株式会社闇、大森時生(テレビ東京)
    ※展示物の一部はフィクションです。

    田辺青蛙

    ホラー・怪談作家。怪談イベントなどにも出演するプレーヤーでもある。

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