「石岡市の大蛇」怪談:700年前の伝説の大蛇は現代にもいた!/西浦和也・UMA怪談
無気味な姿形の正体不明の謎の生き物UMA。UMAと遭遇し、恐怖の体験をした人は多い。忘れようにも忘れられない、そんな恐怖体験の数々を紹介しよう。
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全国に残る、悪霊や疫病を封じた大蛇伝説。そこには奇妙な共通点が……。巳年の今年は大蛇に注目!
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2025年は巳年。今年の年始は神社やお寺、街なかをヘビたちが席巻していることだろう。
独特な形状や生態から、よくもわるくも人間に注目されてきたヘビ。日本では神の使いや神そのものとして神聖視されたいっぽうで、どこか得体の知れない不気味な生き物としておそれられてもきた。
とくに恐れられたヘビの代表が、大蛇だ。神話にあらわれるヤマタノオロチを別格としても、そこまでデカいのはいないだろう……というような巨大なヘビが登場する物語や民話は少なくない。昔の人たちは、実際見たことはなくとも、どこかの深い山中には本当に大蛇が息を潜めていると信じていたのだろう。それは現在でいう未確認生物、UMAの一種のようなポジションだったのかもしれない。
ところで、江戸時代、あるいはそれ以前に描かれた大蛇の絵を見ていると、ひとつ大きな違和感を持つところがあるはず。
ヘビなのに、耳があるのだ。爬虫類は全般的に耳(耳介とよばれる耳の飛び出した部分)は持たず、もちろんヘビにもない。ならなぜ大蛇に耳があるのか……?
じつは中国の古い本草書(百科事典)では大蛇は耳があるものとされている。日本にもそのイメージが伝わりそのまま定着していったものらしい。
そして、そんな耳つき大蛇をみられる場所が、いまも千葉県に存在している。
千葉県市川市の国府台地区。その林のなかの小道を歩いていると、木の上から妙な気配が。見上げるとそこには、
立派な耳を生やした大蛇が巻き付いている!
千葉県の一部には、わらでつくった大蛇を集落の境において疫病や魔物が入り込まないための結界にする「道切り」「辻切り」と呼ばれる風習がある。これはその辻切りの大蛇なのだ。
辻切りのための大蛇づくりは、毎年1月17日に地域の天満宮境内でおこなわれる。2メートルちかいヘビの胴体は三つ編みの要領でわらを編み上げてつくられ、別につくった頭部とドッキングされる。最終的にできあがった4体の大蛇に酒を飲ませて「魂入れ」をおこなったあと、大蛇はそれぞれ集落の境にある4本の木に巻き付けられる。
かつては現在の千葉県でひろく行われていた辻切りも、今日まで続けられているところはごくわずか。一説には室町時代にはじまった風習だともいわれていて、耳がついているのは古い大蛇イメージの名残り、生きた化石的な証だともいえるだろう。ちなみにここの大蛇の耳は昔からビワの葉っぱと決まっていて、目玉のなかには2年前の大蛇を焼いてつくった灰が入れられている。
場所は変わって、東京都世田谷区の奥沢神社にも、耳のある大蛇がいた。
この神社では毎年9月の第2土曜日、「大蛇お練り」という行事が行われる。当日、神社前のその名も「大蛇通り」の一角に鎮座するのが、こちらの大蛇。
国府台の大蛇をさらに巨大化させたような、全長9メートルほどにもなるというわらの大蛇だ。顔面の圧もすごいが、ここにもわかりやすく大きな耳がついている。「大蛇に耳? 当然でしょう」とでもいわんばかりの堂々とした主張だ。
奥沢神社の大蛇については、こんな言い伝えがあるそうだ。
江戸時代の中頃、このあたりに疫病が流行して多くの人が亡くなった。そんなとき名主の夢枕に神様が現れ「わらで大蛇をつくって村中を練り歩けば病気は退散する」とお告げをする。さっそくやってみるとその通りに流行は終息し、以来毎年新しくわらの大蛇をつくって練り歩くようになった。
奥沢から九品仏あたりを大々的に練り歩いたあと、大蛇は神社に一年間安置され、その後神社の鳥居に巻きつけられる。江戸時代からの伝統をもつ大蛇、やはり耳はマストでついているのだ。
ただ、奥沢神社の祭りは昭和14年から20年間ほど中断されていた時期があり、ある研究によれば大蛇が町内を練り歩くようになったのは再開された戦後以降のことだともいう。マツリにも時代の流れに影響された変遷があるが、そんななかでも大蛇の耳は連綿と受け継がれている……そう考えるとなんだかアツいものを感じないだろうか。
千葉、東京ときて、神奈川県にも耳つき大蛇が残されている。
「生麦事件」の現場としても有名な、神奈川県鶴見市の生麦地区。ここには奥沢神社にも負けないくらい巨大な大蛇が町内を練り歩く「蛇も蚊も」という祭りが伝えられている。
伝説によれば、「蛇も蚊も」は今から300年ほど前、江戸時代の前期にこのあたりで悪い病気が流行したとき、カヤでつくった大蛇に悪霊を封じ込めて海に流したことがはじまりだという。
もとは旧暦の端午の節句におこなわれた行事だったが、現在祭礼の日は6月の第1日曜日。生麦の原地区で2体、本宮地区で3体、計5体のカヤ製の大蛇がつくられ、町内を練り歩くのだ。もとは両地区の大蛇とも伝承のとおりに海に流したというが、現在は海ではなく境内で焚き上げされる。そんな変遷はあるが、ひとまずこの記事で注目したいのは大蛇の頭部。
やっぱり耳がある! 本宮地区の大蛇はざるのような大きな耳がふたつ、その内側は真っ赤にぬられていてなんともいえない迫力がある。
もういっぽうの原地区のものも、サイズこそいくらか小さいがちゃんと木の葉の耳がついている。そしてこちらも耳の色は真っ赤。やはりかなりインパクトだ。300年前に始まったというだけに、生麦の大蛇にもしっかりと古い大蛇イメージが保存されていたのだ。
奥沢神社のように、藁の大蛇を鳥居などに据える風習は全国にそれなりに残されている。こちらは東京都足立区に鎮座する高野胡録神社の鳥居。「じゃかざり」と呼ばれる立派なわらの大蛇が巻きついているのが、遠目にもよく目立つ。
だが、よく見るとこの大蛇、立派なヒゲをもっているものの、耳がない。横からみても、正面から眺めてもそれらしいものは確認できない。じつはこの「じゃかざり」が作られはじめたのは意外に最近で50年ほど前だという。50年前といえば昭和も中頃。そのころにはすでに「大蛇には耳がある」というイメージは薄れ、耳はつくられなかった……ということなのかもしれない。
かつては大蛇からしめ縄から草履まで、あらゆるものをわらで作ってきた日本の文化。しかし時代の変遷もあり、近年のわら細工をとりまく状況は厳しい。とくにコンバインなどの大型機械はわらをその場で裁断してしまうため、最近は稲わらの入手さえ難しくなっているところもあるのだとか。
そんな時代に脈々と継承される、しかも耳のある古のイメージを守り伝える各地のわら大蛇たち。その伝統がいつまでも残っていくことを願ってやまない。今年も各地で「大蛇お練り」や「辻切り」が行われるが、見学にいく機会のあるかたは、ぜひその大蛇の頭に耳がついているかどうか、チェックしてみていただきたい。
ところで冒頭にも書いたように、基本的にヘビには耳がない。耳のあるヘビは空想上の生き物である……はずなのだが、なんと明治時代、愛知県で耳のあるヘビが捕まえられ、新聞記事にもなったことがあるという。しかもそのヘビは「耳の神様」として今でも神社で大切に祀られているというのだ。
耳のある蛇を祀るのは、愛知県名古屋市にある猪子石神明社。その境内に建つ摂社「龍耳社」が、有耳のヘビを祀る神社だ。説明板によれば、明治23年、杉浦喜兵衛という男が池で干からびた八尺ほどの蛇を見つけ、その頭に六、七分ほどの耳がついていたので持ち帰ったところ大いに評判になったのだそう。それを貰い受けた男が「耳の神様」として祀っていたものが神社に遷され今に至るということだが、八尺といえば約2.4メートル。立派な大蛇だ。耳は2センチほどだからやや小ぶりだが、逆にリアルでもある。
神社ではそんな耳の神様である大蛇をデザインした御朱印も頒布されている。
かわいい。こんな大蛇なら遭遇しても怖くない……かも。
耳を持つ大蛇は、かつては本当に存在していたのだろうか? もしかしたら今もどこかで、人間の動静にひっそりと耳を澄ませているのかもしれない。
参考
『信濃 』42巻1号(信濃史学会編)
あだち観光ネット
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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