「呪いを請け負う人が…」今ここにある呪詛を高知で語った! 斎藤英喜・三上丈晴トークレポート

文=本田 不二雄

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    この夏、高知県で開催された、いざなぎ流・呪術研究の第一人者斎藤英喜教授と、ムー三上編集長の特別対談。いざなぎ流の本場である高知を熱く盛り上げたディープなトークの様子を完全再現!

    高知・いざなぎ流の熱い夏vol.2 @ムー展

     去る8月4日、前日の高知県立歴史民俗資料館につづいて、高知県立文学館に姿を現した斎藤英喜(さいとうひでき)佛教大学教授。こちらで開催中の、「創刊45周年記念 ムー展~謎と不思議に挑む夏~」の関連イベントにゲストで登壇いただいた。イベント名は、「三上編集長トーク+斎藤英喜先生飛び入り対談!」。抽選に当たった500名のムー民の前で、陰陽道・いざなぎ流・呪術のディープなクロストークが繰り広げられた。そのスリリングなやりとりをここで再現してみたい。

    斎藤教授、「ムー展」への不満をぶちまける!?

    「日本一怪しい雑誌『月刊ムー』の編集長をやっております三上と申します」
     ――まずは三上丈晴編集長が登壇。話題は、高知と編集長個人の因縁から、高知と「ムー」といえばこの話題ということで、今から50年ほど前の「介良(けら)事件」へ。そこから最新のUFO問題について話題が進んだ。

     ちなみに、「介良事件」とは、1972年(昭和47年)9月、高知県高知市東部の介良地区で、当時の中学生数人が両手に乗る大きさの小型未確認飛行物体を捕獲したとされる事件。くわしくは、webムーのふたつの記事、
    介良UFO事件の当事者が語る『50年目の新情報』!小型UFOにはアンテナが生えていた!(文=中沢健)
    子どもたちが『小型UFO』を捕獲?『介良UFO事件』の奇妙な魅力/昭和こどもオカルト回顧録(文=初見健一)
     をぜひご参照いただきたい。

     開始40分後、三上編集長の唐突なトイレ休憩の申し出を挟み、いよいよ斎藤英喜教授が壇上に招き入れられた。ムーのロゴ入りトートバックを持ってのご登場に、気付いた聴衆から小さなどよめきが起こる。

    斎藤「ご紹介いただきました斎藤です。白熱した話が盛り上がったところで割り込んでしまって申し訳ないのですが、たまたま、昨日、高知県歴史民俗資料館でいざなぎ流の講演をしていまして、たまたま人を介して本日、三上編集長のトークイベントがあるとうかがって、だったらふたりでトークができればいいなあという話をしていたのですが、まさか実現するとは思わず(笑)、実現してしまいました。まことに光栄です。

    斎藤教授による高知県歴史民俗資料館での「いざなぎ流」講演のようすはこちらで。

     今日、せっかくの機会ですが、時間も限られていますので、僕がぜひこのことがいいたいことをお伝えしたいなと。
     会場の皆さんはもう「ムー展」のほうはご覧だとは思いますが、すごいですね。今日、展示を拝見した限りでも、高知ゆかりのムー案件についてもパネルで触れられていて、感心した次第なのですが、ひとつだけ! 月刊「ムー」のある号が抜けている。高知と「ムー」をつなぐ大切な号があるんですけど、それが展示に入ってないと強く申し上げたい! それが何かがわかっている方がおられたら、僕の仲間なんですけど(笑)」

    斎藤教授が私物の本誌1993年6月号を掲げる。

    1993年の「ムー」6月号からはじまる因縁とは

     ――そこで斎藤教授が「ムー・バッグ」から私物の月刊「ムー」を取り出した。

    三上「うわっ、何という年季の入った……」

    斎藤「1993年の月刊「ムー」6月号。総力特集は、「安倍晴明と陰陽道の謎」これを持っている方はいらっしゃいますか?」

    三上「いやいやいやそれは……おっ、いる!(会場拍手)」

    斎藤「これは『ムー』の歴史上、はじめて陰陽道を採り上げた。それだけじゃなくて、高知といえばいざなぎ流ですが(笑)、この記事(総力特集)の中で、『ムー』の編集部がいざなぎ流の取材をやっているんですね。
     あと、この号のほかに(ムーと同じ)学研発行の赤い表紙の『陰陽道の本』(現在は絶版)というのがあってですね……それを持っている人がこの中にいますか? おお!(手を挙げた人がいて拍手が沸く)まさに仲間ですね(笑)」

    三上「『陰陽道の本』。これ、ブックスエソテリカという宗教書のシリーズで、これを立ち上げた編集長は元『ムー』編集部員。コードネームがM2(笑)。実は、エソテリカの編集部が『ムー』の隣にあって、そのM2が今度『陰陽道の本』をつくるといってきて。じゃあぜひ記事もつくってくださいと。で、いざなぎ流は現代の陰陽道だということで、総力特集の中で物部(現在の高知県香美市物部町)での取材現場でのやりとりや、秘祭の作法を紹介している。これはもう、『別冊太陽』(平凡社)なみの内容というか……」

    斎藤「いや、『別冊太陽』よりもこっちのほうがすごいです(どよめき)。このとき三上さんも編集部に?」

    三上「いましたいました。3年目ぐらいかな。このとき取材に同行してなかったので、羨ましく見ていましたね」

    斎藤「誌面に、いざなぎ流の太夫さんが円をなして神楽をしている場面の写真があって、実はこのなかに僕もいる(笑)。僕がいざなぎ流の調査に入ったのが1987年で、記事が1993年ですから、かなり経ってからのことですが、現地で『ムーが取材に来るらしい』と話を聞いて、えーっと思って。ぜひこれは売り込もうとか思ったりして(笑)」

    斎藤「ちなみにこのときは、いざなぎ流のお祭りのなかでも、もうちょっと二度とできないという機会だったんです。なぜかというと、いざなぎ流の太夫さんで、中尾計佐清(けさきよ)さんという長老の方が(もう亡くなってしまいましたが)最後に関わった大きなお祭りで、その非常に記念すべき祭りを『ムー』が取材していたという。
     今だからいえるんですけど、このとき『ムー』の方と太夫さんが議論になったりしてですね」

    三上「それは『ムー』ではなく、エソテリカの問題です!」

    斎藤「まあ、そんなわけで、僕はちょっと困って『まあまあ』と。そういう思い出もあったので、高知で『ムー』といえばと期待していたのですが、(当時の誌面を紹介するパネル展示が)なかったので、なくていいんですか! と(笑)、ぜひいいたかったんです。
     このときのお祭りもそうだし、『ムー』も熱気があって、先のいざなぎ流の記事についても、(僕も調査して論文を書くんですが)やっぱり『ムー』の文体なんですよね。で、いざなぎ流が『ムー』にかかるとこうなるんだなと(感心した)」

    左が「ムー」1993年6月号、右が『ブックスエソテリカ6 陰陽道の本』(学研、現在は絶版)

    呪いが存在することを学問的に研究する

    三上「どうしても学術的な論文では、たとえば幽霊が実在するという前提では論文は書けないんですよね。幽霊の実在を信じている人たちを書くことはあっても、幽霊そのものは書かない。でも、『ムー』はやっちゃうからね(会場笑)。『ムー』は幽霊前提ですから。そこは書き方は全然ちがっていて。だから先生方が書く場合、『ムーにヘンなこと書いただろう』と怒られたり揶揄されたりするから、『ペンネームでもいいですか?』ということになる(笑)」

    斎藤「そう、まさにちがう。ただ、今の話のように、僕はいちおう大学の教員で、研究者なんですけど、僕のポリシーはですね、ムーが読める研究者になりたいなということなんです」

    三上「かっこいい!」

    斎藤「で、『ムー』のことがちゃんと理解できて、『ムー』がわかる研究者。
     研究者のなかには、『ムーなんかあれはオカルトで』という見方はもちろんあるんだけど、僕の場合は、幽霊は存在する。呪いは存在する。そのことをちゃんと学問的にいえるような研究がしたい。
     学問でいいますと、構造主義とかそういう方法をもって論証したりするんですけど、僕の立場は、いざなぎ流の太夫の立場に近づいて、たとえば呪いというものを学問的に論じられるようにしたい。それがいちばんの希望なんですけど、同時に、『ムー』も理解できる、そういうことは拒否しないという。これは自慢じゃないですけど、僕のいちばん最初のゼミ生に『ムー』の創刊号から全部持っているという学生がいました(会場笑)」

    三上「それはすごい。『ムー』原理主義者ですね」

    斎藤「そういう学生がゼミに入ってきて、僕は僕で『いいね』なんていって(笑)。そういう立場で研究もできるようにしたい。そこで今回三上編集長がいらっしゃるので、そういう研究者もいますよと(いいたい)」

    *斎藤教授に取材した「ムー」2020年3月号の特別企画「陰陽道『いざなぎ流』呪術祭祀の神秘」の記事(文=本田不二雄)。その内容は、webムー「陰陽道「いざなぎ流」の驚くべき祭文世界と言霊の呪力」を参照されたい。

    三上「今でこそ、陰陽師・安倍晴明といえばあれですけど、当時はまだ、仏教、道教、儒教は知っているけど、陰陽道って何? という時代。そこに、エソテリカの『陰陽道の本』。当時は箱入りの専門書はあったとはいえ、陰陽道で一冊という一般向けの本なんてなくて、いざなぎ流の祭りなどは地方の神楽? みたいな認識で、それを陰陽道の枠組みで紹介するなんて、ほぼほぼなかったんですね。
     旧物部村が注目されたのは、『ムー』やエソテリカの前に80年代に小松和彦先生の『日本の呪い』(光文社)という本が話題になって、物議を醸したのがきっかけ。そこにいざなぎ流のことが紹介されていて、呪いって今もあるんだという(驚きがあった)。日本的な呪いといえば、呪いのわら人形で、それは古典の演劇の中で語られるものという一般のイメージがあるなかで、実際にやっている人いる! みたいな」

    現代の「リアル呪いのわら人形」の実際

    斎藤「そういえば、高知文学館の『ムー展』で、三上さんのデスクの上にわら人形が置いてありました(笑)」

    高知文学館「ムー展」に展示された三上編集長とそのデスク再現。デスクの右側にわら人形が! だれの仕業なのか?


    三上「いやあ、あれは……(苦笑)。でもリアルな話、丑の刻参りという、丑三つ時に五徳のローソクを頭に巻いて一本下駄で女の人が御神木にわら人形を打ち付けるとか、そういうシーンがありますけど、その発祥地ってあるんですよ。鞍馬の貴船神社の奥宮の……。そこで今もやっている人がいる。
     ただ、さすがに神社としてもマズいと思われたのか、パッと見でわからないようになっている。でも、(自分ら)プロはちがいますから(笑)。監視カメラの死角に……あった。3つ見つけた。わら人形ではなくて、白いロープでつくられたそれを、5寸釘で打ったやつ(おお、と会場どよめき)」

    斎藤「僕が見つけたのは、その神社の奥宮の手水場。そこに屋根がついていて、その内側を覗いたら、紙に鬼という字がぐるりと書いてあって、真ん中に女性の名前が入っていた(どよめき)」

    三上「まるで霊符みたいですね」

    斎藤「で、それがバーっと貼ってある(ざわつく)。あれは怖かったですね。さらに探したら、縁の下にもあった」

    三上「そういえば、わら(ロープ)人形の中には写真か何かあって。よく見ると『たけし』とか書いてある(笑)。生きてますか、たけし!?(爆笑) 
     でも皆さん、貴船神社のご利益は、縁結びですからね。間違えないように。
     ですので、境内には『誰々と結ばれますように』などと書かれた絵馬が掛けられている。問題は、絵馬掛けには、表だけではなく裏もあること。この裏の絵馬が強烈で、なかには『息子があの女と別れますように』とか、『◎◎が△△と別れますように、そのためなら自分の命を差し出します』とか。で、取材終わって暗くなった帰り道、すれ違うのはだいたい女性なんですよ(会場どよめき)」

    斎藤「話を戻しますと、先の小松先生の本の影響で、いざなぎ流は呪いをやっているという話が流れてしまって、僕がずっと密着して話を伺っていた中尾計佐清さんという太夫さんのもとにも、結構呪いの依頼がくるんですね。で、依頼者になぜ知ったの? と聞いたら、『日本の呪い』を読んだと」

    三上「そりゃあ、行くでしょう。あれ読んだら!」

    斎藤「で、どんな依頼があったのかと太夫に聞くと、浮気をして自分を裏切った奥さんを、『死なない程度に』(呪いを)やってほしいというものでした(笑)」

    三上「呪ってほしいけど、手加減しろと(笑)。ところで、『ムー』で、ある呪いの本を書いている先生に記事を書いてもらったときの話で、旧物部村ではない四国のとある神社で、呪殺を請け負いますというのがあったらしい。で、一応は諭して、いいんですか? と聞くけれども、(依頼者は)それでも、ということで……。で、その請け負った方は結果にコミットするらしい(会場どよめき)。
     本当かどうかわからないですよ、『ムー』なんですから(爆笑)。まちがっても、物部じゃないですからね」

    いざなぎ流太夫が所持していた秘伝書(左)と祭具(右)(高知県歴史民俗資料館「秘められた神と祭り―高知県の不思議をたずねて―」展より)。

    いざなぎ流も「ムー」も、知ることが力になる

    斎藤「でも、やってないというのは”公式”見解ですから(笑)」

    三上「それ、先生がいっちゃまずいでしょう! そこは『ムー』にしとかないと(笑)。都市伝説なんですから」

    斎藤「でも、そういう話って、難しい点があるんですけどね。ただ僕は1987年から物部に行って、いざなぎ流の調査をもはや何度やったかも忘れましたけど、最初の頃はそういう呪いの話なんかは聞いちゃいけないかなと思っていた。ところが、太夫さんのほうからいってくるんです。どういうことかといえば(呪いは絶対やってはいけない、誰もやってないというのが前提なんですけど)、では呪いはどうやるんですか? と聞くと、こうやってやる、ああやってやるんだと、自慢するんですよ(笑)」

    斎藤「この、自慢することが、呪術の本質だとわかったんですね。つまり、良し悪しという判断よりも、どうやってやるのかというテクニックを競い合う(のが優先)。そのテクニックを自分が持っていて、できるという。で、やったことはないけれども、一回ぐらいはやってみたいとはいう(笑)。テクニックを持っていることが、太夫としての誇り。つまり、それがあれば、どんな呪いを掛けられても祓うことができる。祓うためには、どういうテクニックがあるかを全部マスターしておかないといけない。それが、どんな手を使われても自分は対応できます、という自負につながる。
     つまり、すべてを知っていることが自分の力になる。そういう世界がいざなぎ流であり、そこにいちばん近いのが、僕は『ムー』だと思っています」

    三上「いやぁそれは……。日本でこそ話題になることは少ないけれど、呪いで人を殺すなんてのは、たとえば東南アジア、インドネシアやタイではふつうにあるらしい。呪われたらしいという人が病院に行って、レントゲン写真を撮ったら、クギ100本写っていたとか(どよめき)」

    斎藤「その手の話、テレビのニュースでもあるらしいですね」

    三上「広くいえば魔術なんですけど、知り合いの方で、東南アジアでそういう黒魔術を実際に勉強した人によると、そういう呪術者・魔術者同士でやっかみというのが発生して、呪いをかけられるというんですね」

    斎藤「いざなぎ流もまさにそうです。実際のところ人数も少ないですし、仲良くしといたらいいんですけど……これいっちゃマズいかもですけど、仲悪いんですよ(笑)。つまり自分が一番だと思っているから」

    三上「で、その黒魔術の方によれば、呪いを跳ね返すひとつの方法は入れ墨を入れることだと。確かに、よくよく見ると全身に文字がいっぱい入っている。これでバリアするんだと。でも、これって『耳なし芳一』ですよね(笑)」

    こうして、トークイベントは盛況のうちに幕。ムー民らのテンションの高さに驚かされた。

     ――以下、話がいろいろな意味でヤバさを増してきた絶妙のタイミングで、司会進行から「どうもありがとうございました~」の声が入り、クロストークは強制終了。
     ともあれ、おふたりを知る立場にあり、当初、初対面で話が噛み合うのかどうかと危惧していた筆者の心配をよそに、会場からはどよめきと感嘆と笑いが絶えないトークショーとなったことをお伝えしておきたい。これもひとえに、抽選500名の方たちの「ムーリテラシー」の高さと、企画・運営に携わった高知県立文学館のスタッフ(揃いのムーTシャツ!)のご尽力の賜物である。

    高知県立文学館「創刊45周年記念 ムー展~謎と不思議に挑む夏~」ポスターと、期間中の同館エントランス。

    追記ーー

     去る9月4日、斎藤英喜先生(佛教大学歴史学部教授)がお亡くなりになりました。上記トークイベントのちょうど1か月後のことでした。
     先生はかねてより病気療養中でしたが、高知のイベント参加を目標にリハビリに励まれ、高知で再会した折は、周囲の心配をよそに2日間の講演およびゲストトークを完遂し、万雷の拍手を浴びたばかりでした。
     筆者は、先生が最後に倒れられる前日まで上記記事のチェックのためにメールをやり取りしており、 「リポート記事、拝読しました。当日の異様な興奮と緊張感が甦ってくる文章です」 「それにしても、この記事が無料で読めちゃうのは、太っ腹ですね(笑)」
     そんなご返信をいただき、安堵した直後の悲報でした。
     記事にもあるように、先生は「『ムー』が読める研究者」を自認され、本誌の記事取材に快くご協力いただきました。本年5月号の総力特集も、先生の協力なしにはできなかったものです。
     いうまでもなく、陰陽道やいざなぎ流のほか、古代・中世の神話伝承、大嘗祭、折口信夫や平田篤胤研究など、多岐にわたる先生の研究実績はめざましく、多くの方々に惜しまれ、追悼の声が寄せられています。
     斎藤先生のご冥福を祈りますとともに、これまでのご協力に深く感謝申し上げます。(本田不二雄)

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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