本物の「呪(しゅ)」を描いてはいけない! 映画「陰陽師0」が視覚化した平安呪術世界の驚異

文=本田不二雄

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    若き頃の安倍晴明を主人公に、「呪」に満ちた平安の都を描く映画「陰陽師0」。作品が視覚化した霊的な世界の描写と、織り込まれた呪術の真意についてインタビューした。

    安倍晴明の知られざる前半生

     今年2024年は、陰陽師・安倍晴明の当たり年だ。

     すでに、NHK大河ドラマ「光る君へ」にて、老長けた不気味な存在感で物語に異彩を放つ「はるあきら(晴明)」として登場しているが、この4月にはついに映画「陰陽師0」が公開。一転して山﨑賢人演じる若き日の「セイメイ(晴明)」がスクリーンにお目見えする。

    以下、「陰陽師0」公式サイトより

    (ストーリー)呪いや祟りから都を守る陰陽師の学校であり省庁――《陰陽寮》が政治の中心だった平安時代。呪術の天才と呼ばれる若き安倍晴明は陰陽師を目指す学生とは真逆で、陰陽師になる意欲や興味が全くない人嫌いの変わり者。
     ある日晴明は、貴族の源博雅から皇族の徽子女王を襲う怪奇現象の解決を頼まれる。衝突しながらも共に真相を追うが、ある学生の変死をきっかけに、平安京をも巻き込む凶悪な陰謀と呪いが動き出す――。

     タイトルの「0」とは、”陰陽師以前”の意味だろう。
     事実、安倍晴明の名は、史料のうえでは40歳時に「天文得業生」としてあらわれるのが最初である。その肩書は、陰陽寮という国家機関で学ぶ学生(がくしょう)のうち、より高度な知識と技術が求められた特待生のことをいう。

     ちなみに、天文道(天文を観測し占う方技)の”博士(天文博士)”になったのは52歳のとき。さらに、天皇や高級貴族の御用達として暗躍したのは60も半ばを過ぎてからだった。したがって、われわれが知る希代の陰陽師・晴明のイメージも、ほとんどが晩年の逸話にもとづいている。

     では、40歳以前の晴明はどうだったのか。その知られざる前半生(夢枕獏氏の原作の設定をさらにさかのぼる20代後半)を描いたのが「陰陽師0」なのだ。

    霊体を映画で視覚化する

     試写を観たうえでざっくりと映画の印象を述べれば、美しい映画だった。
     つけ加えて言えば、見たことのない平安京がそこにあった。

     とりわけ、「平安京版ホグワーツ(魔術学校)」というべき陰陽寮のシーンは出色で、高く積み上げられた典籍類に埋もれるように文書を読みふける晴明の画は、書庫の埃臭さは微塵もなく、その美貌も相まって芳しい空気感すら醸し出している。

     もとより本作は、リアルと架空の映像を違和感なく合成するVFX(視覚効果)が特色で、それがもっとも効果的だったのが「龍」の表現だろう。

    「海外の龍ってみんなトカゲとか蛇みたいな物体としてあらわれるんですけど、本来はエネルギー体ですので、(非物質の)エレメントとして表現するのが正しいだろうと。今回はVFXを使ってそれを表現しています」(佐藤嗣麻子監督)

     本来見えないものをどう視覚化するか。神霊の存在や呪術の作用、さらには重苦しい空気や不穏な気配といった見えざる現象を観る者に感じさせるVFXは、本作のひとつの注目ポイントだろう。

    脚本・監督を務めた佐藤嗣麻子氏。

    現代人もみんな「呪」にかかっている

     さて、「史上最強の呪術エンターテイメントが幕を開ける!」と謳われる本作だが、観終わった感想としては、意外にも派手な呪術戦というより、「呪(しゅ)」がもたらす人間の内面(怒りや不安、恐れなど)によりフォーカスしている印象を受ける。

    「呪」とは、「①いのる。②のろう。③まじなう(病気や悪魔を追い払うよう神仏に祈る)。④うらなう。⑤のろい。いのり。まじない。また、そのことば」(『漢語林』)をいう。
     人が思いをこめ、言葉にすることで「呪」が発生する。さらに象徴的なモノを介し、特定の身体作法をともなえば、それは「呪術」になる。
     それは決して特別なことではなく、過去の遺物でもない。令和に生きるわれわれも、日常のなかで「呪」に”呪縛”されていると脚本と監督を務めた佐藤氏はいう。

    「SNS、Xとか見ていると、みんな事実なんかどうでも良くて、思い込みだけでみんな語り合っているというか、論争しあっていて……。これはもう全員が『呪』にかかっていて、凄いことになっている。『呪』が渦巻いている。(だから)これをパッと祓ってくれる陰陽師・安倍晴明があらわれるといいなと思ったんです」(佐藤監督)

     筆者は試写後のトークイベントでこの言葉を聞き、はっとさせられた。
     実はこのとき、本田は「月刊ムー」2024年5月号の総力特集(「陰陽師・安倍晴明と闇の系譜『術法ノ者』」)執筆の大詰めで、エピローグで何を書くべきかに思い悩んでいた。そんな折りに聞いたこの言葉に気づきを得て、筆者はこう書いた。

    「そう、誰もが時代の「呪」に取り憑かれている。平安時代は怨霊や呪詛への不安、戦国時代なら裏切りや寝返り、敵への不安。さしずめ現代は、某の陰謀やカタストロフィ(破滅)への不安だろうか。ともあれ、不安や恐れ、怒りにもとづく『思い込み』は人の視野を極端に狭くする。そこにくさびを打つモノが介在すれば、人の心身はとたんに平衡を失うだろう。それはある意味、呪詛の本質かもしれない」(月刊ムー 2024年5月号原稿より)

     作中で晴明は、亡き父の教えと思しき「(物事を)正しく見よ」という言葉を反芻している。怒りや恐れの感情を捨て、正しく見ることで、「呪」に惑わされることなく物事の正体を知ることができる……それは今日の陰謀論やフェイクニュースなどの「呪」に右往左往するわれわれに向けられた言葉でもあるのだ。

    「本当の呪法」はタブー

     さて、本作の特色のひとつは、呪術監修に作家の加門七海氏を起用していることだろう。
     加門氏は、陰陽師の手印や呪文、符にいたるまで、監督が求める呪術アイテムを一手に引き受けたという。本作の基軸となる呪術世界を視覚化するうえでは、きわめて重要な役割を担ったようだ。

    「今回、(密教由来の)印は採用しましたけど、呪文はなるべく仏教系と神道系のものは排除して、本当に数は少ないんですけど、陰陽道の文献に残っているもの、またはその淵源になる道教系のものを使っています」(加門七海氏)

     というのも、現在知られている映画やアニメ、ゲーム作品などで、陰陽師の技法やアイテム、あるいはその思想とされているものが、実は陰陽道由来のものではなく、密教や修験道や神道、または各種占術の”いいとこ取り”になっているという現状がある。
     これらは「エンターテイメントだから」というエクスキューズで許されている部分もあるが、結果、そのことが陰陽道への誤解を生んでいる側面もなくはないのだ。
     一方で、「一番気をつけたのは、本当の本物を出さない」ことだったと加門氏はいう。

    「印とかは本来袖の中で結んで表に出してはいけないもの。呪文も、あれは神仏に聞かせるものなので、私たちは聞かなくてもいいもの。符(書符、お札)にしても、書き順を含めて非常に厳密な作法があるんですね」(加門氏)

     それを知ったうえで「出さない」のはなぜか。

    「私はそういう世界を信じる方向で生きていますので。万が一”本物”を出したらどうなるか。よくあるじゃないですか、怪談シーンの撮影で、カメラが壊れちゃったとか、音声が録れなかったとか。映画製作の現場で不都合が生じたら、それこそエライことになる。ですから、そういうのは出さないし、出せない」(加門氏)

     そこで注目したいのが、本作で山﨑賢人演じる晴明の”決めポーズ”になっている手印だ。加門氏によれば、「晴明手印」といい、「帝釈天印をもとにつくったオリジナルの印」であるという。具体的には、〈左手でチョキをつくり、中指に人差し指を第一関節のあたりにキュッと添える〉というものだ。

    「帝釈天というのは仏教では梵天とならんで二大守護神のひとつです。インドではインドラと呼ばれる雷をつかさどる強力な神様なんですね。その武器はインドラの矢といって、世界を破壊するぐらいの強い力を持っています」(加門氏)

     手印には、そんな神仏のはたらきが凝縮されているといわれる。

    「印を結ぶ場合、手のそれぞれの指や関節のすべてに神仏が宿っていますし、そこに五行だったり十二支だったりと、さまざまな役割があります。それをどう組み合わせるかによって効果があらわれるのですが、それを(正しいやり方で)本当にやってしまうと……」(加門氏)

     そういうわけで、「(あくまで)帝釈天印を参考にして創案された晴明手印」ということで理解されたし、ということのようだ。

    呪術監修として「本物」の知見を提供した加門七海氏。撮影=富永智子

    「反・反閇」というべき呪いの舞い

     さて、筆者がどうしても呪術監修の加門氏に直接問うてみたい、気になる場面があった。雅楽の舞曲「安摩」に用いられる雑面(ぞうめん)、図案化された表情の紙の面をつけた人物が、舞台で舞うシーンだ。
     そのシーンは「凶悪な陰謀と呪い」が京を巻き込むなかでたびたび挿入され、空恐ろしい不吉な予感をかき立てる象徴的な場面となっているのだが、あれは「反閇(へんばい)」だという。
     反閇とは、地霊を鎮め、邪気を祓うために行う陰陽道の呪術で、呪文を唱えながら独特の足運びで地面を踏む作法をいう。その作法はのちに神楽や舞楽にも取り込まれており、作中では舞楽のそれとして演じられている。

    鎌倉時代の文書に残された、陰陽道の呪術のひとつ反閇の歩法を描いた図。(若杉家文書「小反閇作法」より、禹歩
    「京の記憶アーカイブ」より)

    「反閇は地鎮、つまり地霊を鎮める足法ですが、それを”逆に再生したもの”を演者に舞ってもらっています。どういうことかといえば、邪気を鎮めるの逆、地霊が荒ぶるほうに作用する呪術になっているんですね」(加門氏)

     聞いて思わず声が出た。そういう仕掛けだったのか。

    「月刊ムー」2024年5月号総力特集の取材のなかで、筆者は陰陽道関係の著作で知られる斎藤英喜氏(佛教大学教授)からこんな話を伺った。

    「たとえば、『反閇』(邪気祓いのマジカルステップ)。1000年(長保2年)、一条天皇が新造の内裏に入るにあたり、当初引っ越しの好日とされた日が、晴明の占いでは最悪の日だとわかった。そこで反閇を奉仕した。反閇の「閇」は〈閉じられている〉の意です。いわば、方角も日時も閉じられている状態をひっくり返(反)す呪法だったわけです」(斎藤氏)

     斎藤教授の説では、長保2年に晴明が一条天皇に奉仕した反閇呪法は、方角も日時も閉じられた(天地の災いをこうむるべき)大凶の忌日を、吉日へと逆転させる呪術だった。一方で、映画「陰陽師0」のそれは、いわば”反反閇”の呪法であり、世界を閉じさせる「凶悪な呪い」そのものだったのである。

     こうして、呪いによって閉じられた平安京を、晴明はいかにして”開く”のか、圧倒的なVFXで描かれる映画のクライマックスにぜひご注目いただきたい。

     最後に、呪術監修・加門七海氏のコメントを引いておこう。

    「呪術のアイデアは素材は全部ホンモノから取っていますので、探せばこれがもとになっているというのが確実に見えてきます。ですので、呪術世界が好きな人ほど何度でも見て研究していただいて、深堀りしていただければと思います」(加門氏)

    公開情報
    『陰陽師0』
    公開日:2024年4月19日(金)
    出演者:山﨑賢人、染谷将太、奈緒、安藤政信、村上虹郎、板垣李光人、國村隼/北村一輝、小林薫
    原作:夢枕獏「陰陽師」シリーズ(文藝春秋) 
    脚本・監督:佐藤嗣麻子(『K-20 怪人二十面相・伝』『アンフェア』シリーズ)
    音楽:佐藤直紀
    呪術監修:加門七海
    配給:ワーナー・ブラザース映画
    ©2024映画「陰陽師0」製作委員会

    公式サイト https://wwws.warnerbros.co.jp/onmyoji0/

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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