陰陽道「いざなぎ流」の驚くべき祭文世界と言霊の呪力
四国・高知の山奥に残る幻の民間陰陽道「いざなぎ流」の呪術世界を案内する。
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陰陽道といざなぎ流。いま熱い注目を集めるふたつの秘教体系に通底する「呪い」とは何か。ムー本誌でも全面協力をいただいた“その道”のオーソリティー、斎藤英喜教授のトークショーが行なわれた!
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去る8月3日と4日、高知県の2か所で行われた見逃せないトークショーに密着する機会を得た。
初日の話者は斎藤英喜氏(佛教大学教授)。斎藤氏といえば、月刊ムーの総力特集「陰陽師 安倍晴明と闇の系譜『術法ノ者』」(2024年5月号)、および特別企画「陰陽道『いざなぎ流』呪術祭祀の神秘」(2020年3月号)の記事(著者本田の執筆)に全面協力をいただいた”その道”のオーソリティーだ。
陰陽道といざなぎ流。いま熱い注目を集めるふたつの秘教体系に通底する「呪い」とは何だったか。禁断の内容にも踏み込んだ斎藤教授のトークを抄訳してお伝えしよう。
舞台は、高知県立歴史民俗資料館。斎藤教授の講演は、現在開催中の「秘められた神と祭り―高知県の不思議をたずねて―」( 2024年7月19日~9月23日)の関連企画として行われた(なお、本展では第2部に「いざなぎ流の源流を探る」として、斎藤教授の盟友・梅野光興学芸員の監修による、初公開を含む貴重ないざなぎ流アイテムが出陳されており、要注目である)。
演題は「陰陽師からいざなぎ流へ―異貌の日本宗教史―」。
冒頭、斎藤教授は「いざなぎ流の一番の特徴は祭文にあり」として、その意義を語っている。いわく、祭文〈神祭りのときに読みあげられる文〉には物語性があり、それを中世以後につくられた”神話”として読むことで見えてくるものがあるという。
「神話とは、ものごとの起源を語るもの。ではいざなぎ流の祭文には何の起源が語られているのか。それは『呪い』の起源なんですね。なぜ人間は『呪い』というものをはじめたのか。はじめてしまった呪いは、その後どうやって処理されたのか。それらの起源を語るのがいざなぎ流の祭文なのです」
いきなりのど真ん中直球にたじろぎつつ、ここでざっくりと「いざなぎ流」とは何かを確認しておこう。
いざなぎ流は、高知県の物部(ものべ、現在の高知県香美市物部町)に伝わる民間宗教。かつて全国各地にあった民俗信仰の伝統が失われていくなか、神道や仏教などの既成宗教によらず、独自の祭りや祈祷の体系がそっくり保たれていた稀有な例として知られている。ちなみに「いざなぎ」は記紀神話のイザナキ・イザナミとは関係なく、「モノゴトの始まりを象徴するワード」とのことだ。
「1987年からいざなぎ流の調査研究を始めてしばらくしたら、世間のほうで陰陽師がブームになった。そして安倍晴明が注目され、小説やマンガ、映画になったりして。そこで僕も、いざなぎ流を通して陰陽師、陰陽道の研究を始めたんですね。陰陽師も晴明も、もとは専門ではなかったのですが、だんだん面白くなってきまして……」
「僕にとっていざなぎ流が出発点」だったと斎藤教授。テーマこそ、歴史的経緯から「陰陽師からいざなぎ流へ」だが、教授にとっては「いざなぎ流から陰陽師へ」だったようだ。そこが、ほかの研究者にはない斎藤教授の独自の視点につながっている。
ちなみに著書には、こう述べられている。
「いざなぎ流の深奥に分け入ること。必要なのは、『(いざなぎ流の)太夫』の側に限りなく近づき、彼らの側からのみ見えてくる世界を記述していくことにある」(『いざなぎ流 祭文と儀礼』法蔵館文庫)
つまり、術者側の視点で陰陽道といざなぎ流にアプローチする。それが斎藤教授の手法なのだ。
「今年の大河ドラマ『光る君へ』では、これまでとはちがうダークな安倍晴明が登場しています。何かあるとすぐ『呪詛しますか?』みたいな(笑)。ああいった姿は、歴史的な晴明としてはあったんじゃないかと想像します」
「安倍晴明がなぜ有名なのか。それは藤原道長との関係があったから。晴明は道長の命の恩人でもある。どういう話かというと、道長が法成寺に参詣したおり、可愛がっている白い犬が無闇に吠えついた。不審に思った道長が晴明を呼び、占わせたところ、地中に道長を呪詛する呪物が埋められていた(『宇治拾遺物語』14-10)。
ポイントは、そのとき晴明が『この呪法は自分しか知らないものだ』と言ったこと。そして、自分以外に知っている者がいるとすれば、自分の弟子筋だった道摩法師(どうまほうし)しかいまい。そう察知し、使いをやったところ、隠れ住んでいた老法師(道摩)が見つかり、捕らえられたというんですね」
「自分しか知らない」ということは、晴明自身、その術を熟知し、駆使することもできた。だから”使える”弟子も特定できた。また、知っているからこそ、呪詛を取り除く(祓う)こともできた。一般には晴明は邪悪な呪詛を祓った人として知られているが、彼自身、密かに呪詛を仕掛けることもあっただろう。術者のセオリーでは当然そうなる。
「ただ、この話が歴史的事実かといえばそうでもない。法成寺が建立された年と晴明が亡くなる年に矛盾があり、史実ではありえないのです。しかし、この話の中には、当時の晴明や陰陽師を巡るさまざまな歴史が反映されているんですね」
「事実、道長が病弱だったこともあり、さまざまな形で呪詛を受けていたことは既成事実化していました。それと、ここに出てくる道摩法師。のちに蘆屋道満(あしやどうまん)の名で浄瑠璃や歌舞伎に登場することになる人物のモデルと言われていますが、ある研究者(繁田信一氏)が、当時の史料から、道長やその娘・中宮彰子に呪詛をした「陰陽法師」の中に「道摩」の名前を発見しました」
つまり、晴明のように陰陽寮に所属する官人の陰陽師とは別に、僧侶でありながらアルバイトで陰陽師をやっている陰陽法師(陰陽の業を駆使する僧侶、法師陰陽師とも)がいて、事実、呪詛を請け負っていたのだという。
「それが民間社会に広がっていく。道摩法師は播磨国に流されて、播磨国が民間陰陽師の拠点になっていくのですが、さらに室町時代の応仁の乱後、こうした貴族文化が地方に広がっていく。おそらく、こうした流れのひとつが土佐にたどり着き、いざなぎ流などのもとになったのではないかと想像できます」
いざなぎ流と出会うきっかけは、小松和彦氏の『憑霊信仰論』(1982年初刊、講談社学術文庫)にショックを受けたことだったと斎藤教授はいう。
「そこに『なぜ人間は呪いを始めるのか』という呪いの起源が書かれています。『すその祭文』というのがそれです」
「すその祭文」にはこう書かれている。
「釈迦の時代、子どもがいなかった釈迦は財産を養子の提婆王(だいばおう)に譲るとしていたが、実子の釈尊が生まれたため、その話はなしになった。それを恨んだ提婆王は釈迦と争うも敗れてしまう。そこで提婆王の妃が呪いの調伏を仕掛けるが、釈迦には効かない。そこで通りがかった唐土(とうど)じょもんの巫(みこ)に釈迦への呪詛を依頼する……」
結果、釈迦は呪いによって病になるが、今度は釈迦が同じ「唐土じょもんの巫」に調伏返しを依頼。すると提婆王の妃に呪いが返って病になる。妃はふたたび「巫」に調伏の一掃返しを依頼するが、「巫」はこれではきりがないと「呪詛の祝い直し」をして、日本、唐土、天竺の潮境に「南海とろくが島の呪詛の名所」を設け、呪詛神を送り鎮めた(意訳)。
釈迦の子どもが釈尊であったり、釈迦の弟子・ダイバダッタを思わせる提婆王が釈迦の養子であったりと、一読して荒唐無稽な話だが、ともあれ、注目すべきは、呪いを請け負う第三者すなわち「唐土じょもんの巫」の存在である。斎藤教授はいう。
「呪いの掛け合いはミサイルを打ち合うようなもので、これでは世界が滅んでしまうと。そこで、呪いを祝い直し(神として祀り直し)て、インド、中国、日本の境に『海とろくが島の呪詛の名所』を設け、最後は呪詛神をそこに送って呪いの力を鎮めるという。
ここでは、呪いをはじめたのも、鎮めたのも唐土じょもん。この唐土じょもんがいざなぎ流太夫の呪法(呪詛・鎮め)の起源で、いざなぎ流の祭祀では、太夫が唐土じょもんと一体化して呪詛(すそ)を鎮めるわけです」
一方、斎藤教授の師匠である中尾計佐清氏が所持していた覚書には、「すその祭文」の別バージョンと思しき「すその祭文 大ばりう(提婆流)」、「尺寸(釈尊)がえしの祭文」のほか、以下のような祭文が載っていたという。
「月よみの祭文」「日よみの祭文」/月・日ごとに仕掛けせられた呪詛に対処する祭文。
「女柳(女流)の祭文」/女性からの恨み、呪いが掛かったときに用いる祭文。
「西山の月読方祭文」/西山法という猟師の呪法による呪詛に対応する祭文。
「仏法の月読の祭文」/卒塔婆や墓などを使った呪詛に対処する祭文。
「七夕方月よみ」/七夕法という織物の技術に関わる呪法に対処する祭文。
「この多様な祭文が意味するのは、太夫さんたちはあらゆる呪いにも対処しますよということ。ただ、よく誤解されますが、これら祭文は呪いに使うのではなく、あくまで呪いに対する祓えに使うもの。呪い(呪詛)に使うためのテキストはまた別にあるんです」
今回の講演では、その呪詛の祓い(鎮め)を意味する「取り分け」祭祀の実際の映像が紹介された。太夫らが御幣を切り、祭文を唱え、印を結び、さまざまな所作を加えて「すそ」を「みてぐら」に集め、最終的にしかるべき場所に鎮める――そんな、きわめて貴重な映像資料だったのだが、そこに登場するさまざまなアイテムは、開催中の「秘められた神と祭り―高知県の不思議をたずねて―」に展示されているので、ぜひご覧いただきたい。
それにしても、興味深いのは太夫という存在だ。斎藤教授はいう。
「中尾太夫は、いつもこういわれる。『(呪詛は)やっちゃいけないけど、できるよ』と。どんな方法があるのかと聞くといろいろ答えてくれる。どう聞いても、自慢しているとしか思えない(会場笑)。聞いていると、現代のわれわれとは呪いに対する考え方や感覚とはちがうものがあると思える。
僕が聞いた話では、ある男性が、お金を持ってきて、自分の奥さんが浮気をしていると。その相手もわかっているから「やってください」と。普通に考えると、奥さんの浮気相手を呪うのかと思えば、いやそうじゃないと。自分を裏切った奥さんが憎いと。でも、死んじゃ困るので、死なない程度にやってほしいと(会場笑)。
でも、中尾太夫はそれはできないと。なぜかといえば、呪いをやったら返ってくる。しかも、太夫の家族に返ってくる。だから、家族がいる自分はからやれないと」
「ただ面白いのは、太夫らは、呪いたいとか、相手を害したいと思うのはいけないことだとか、反省させようとか、そういう人間の気持ちを問題にするのではなく、誰がどういう方法で呪いを仕掛けたのか、それをどう除去するのかというテクニックをもっぱら重視するんですね」
そこで問題になってくるのが、「式王子」の存在だ。「式」とは「用いる、使役する」の意味で、陰陽師はさまざまな場面で「式神」を使役するといわれるが、いざなぎ流の太夫もまた、場面場面でさまざまな「王子」を発動させ、使役するという。
〇大五の王子・五人五郎の王子/病人に取り憑いたものがさまざま絡まったときに使う。
〇用友姫の王子/悪い星運をほかの星運に移すときに使う。
〇火炎の王子・鬼つか鬼神王子・愛宕の王子/悪霊を焼き払うときに使う。
〇五体の王子/病人祈祷の基本として使う。
〇大鷹・小鷹の王子/式王子の手下として使う。
〇蛇はら王子・しゃじきの王子/蛇の餌として悪魔の魂を食べさせる。
「式王子がたくさん使えるのが、太夫たちのテクニックであり、力を示すことなんですね」と斎藤教授はいう。
「また、中尾計佐清太夫によれば、これ以外にもさらに裏の手があるという。何かといえば、自分が祀っている山の神や水神、地神、あと荒神や天神(鍛冶の神)をみずから使役する、つまり神々を式王子に変換させる呪法なんですね。そのときに用いるテキストを『法文』といいます」
「祭文」が神話だとすれば、「法文」とは秘法書といえるかもしれない。
中尾太夫に付いてさまざまな技術を教わり、学びを深めていった斎藤教授は、あるとき、太夫から切紙(秘伝のメモ)を渡された。そこにはこう書かれていたという。
「字文の。次第にわ。表の中に裏あり。裏の中に表わありません」
「この『表』とは『祭文』のことで、山の神なら山の神を祀った祭文の中に法文が隠されている。ただし、『裏』(『法文』)の中には表はない。つまり、一度『法文』の世界に行けば、それはもう表の祭文(神祀り)の世界じゃなくなる。ブラックのほうに行ったら、もうホワイトには戻れないよ――というわけです」
――話はさらに「法文」テキストの内容へとつづくのだが、詳しくは斎藤英喜氏のご著書『いざなぎ流 祭文と儀礼』(法蔵館文庫)をご参照されたい。ともあれ、抽選にて集まった熱心な聴衆のリアクションもあり、先だって入院先から退院されたばかりという斎藤教授のトークも最後まで熱を帯びたものになった。
こうして、さらに翌日の「ムー展」のゲストトークへと雪崩れこむのだが、ここでは何と、月刊「ムー」の三上編集長と対談が待ち受けていた。そのスリリングな化学反応は、ぜひ次の記事にてお楽しみいただきたい。
本田不二雄
ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。
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