節分の夜は便所には行かぬこと……妖怪「カイナデ」が迫る赤青の選択/黒史郎・妖怪補遺々々
2月といえば節分! そこで季節感に合わせて今回は。節分の夜に現れる妖の話を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘す
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前回は、節分の夜に厠へいくと、手が伸びてきてお尻を撫でるという、京都で語られていた妖怪【カイナデ】をご紹介しましたが、トイレには、まだまだ撫でるものがいる! トイレに潜む怪異をさらに補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
節分の夜に尻を撫でる怪異は、他の地域にも見られます。
滋賀県高島郡剣熊村(合併後マキノ町に)では、節分の日は明るいうちに便所に行っておかねば【鬼】が尻を撫でるといわれていたので、イワシを食べて、その頭を便所にさしておいたそうです。すると鬼が来て骨に刺さり、「チクリアイタ」と逃げだすのだそうです。厠に出るのが鬼というのも実に節分らしいですし、「チクリアイタ」というセリフがなんとも可愛いです。厠でなくとも、節分の日にイワシの頭を魔除けとして門口などにさすことは日本各地で行われています。
「厠の怪」は、なにも節分の夜にだけ出てくるわけではありません。
先月紹介した【カイナデ】について、もう少し情報を補足します。大正10年発行『郷土趣味』には、【カイナデ】は、毛むくじゃらの大きな手が出てきて、尻をそっと撫でまわす怪異と記され、「かいなで」とは「掻き撫で」、「腕手(かいなで)」、「厠手」ではないかとあります。
『京都では、夜中に厠へ行くものではないと子供の頃からいっている』とあるので、夜便の禁忌は、節分の日に限らないようです。
どうも、夜中に便所へ行くのを「悪習慣」と考え、これを矯正するためとも考えられていたようなのです。生理現象なのでしかたがないことだと思いますし、寝小便をされるよりよっぽどマシだと思いますが、親は真夜中に起こされて便所に付き合わされることが嫌だったのでしょう。
また、厠には恐ろしい【厠神】というものがいるという迷信に基づくいい習わしではないかとも書かれています。どうしても夜中に我慢できなくなったら、この【厠神】に「今夜は来たけど、明日からは用事があるから来ません」といって、厠を出たといいます。変な強がりですね。
尻を撫でるだけなら、怖いけれど害はさほどありませんが、深刻な事態になった事件の記録がありました。
現場は、東京玉川村瀬田(東京都世田谷区または神奈川県川崎市)にあった、某小学校。付近にあった墓地を整理した敷地に建っている学校で、詳細は不明ですが、有名な人物のお墓もあったそうです。そのお墓があったあたりに、学校の便所が建設されました。
昭和5年の6月中旬ごろ、8歳くらいの女子児童3人が、この便所を利用しました。
まずひとりが入って、ふたりが待っていますと、ちょっと長いので待っていた友だちが「まだいるの?」と呼びかけます。すると、「ええ」と返ってくる。しかし、あまりに長いので、こっそり開けてみると、便所の中にはだれもいない。(自分は友だちに騙されたんだ)と、今度はその女子児童が便所に入りました。しかし、同じようにこの女子児童も消えてしまったので、残されたひとりはびっくりして、このことを校長に告げました。
「そんなことはあるわけがない」と校長は一緒にきて、「ひとつ試してみよう」と、報告にきた女子児童を便所に入れました。
「だれかいますか」と校長が呼び掛けると、細い声で「入っています」と返ってきます。しばらくして「まだですか」と呼び掛けると、「ええ、まだいますわ」と返ってきました。
そこで校長が急に扉を開けると、便所の中に「白い玉」があり、窓からは何者かの「手」が伸ばされておりました。
さっき入った女子児童は気絶していたので大騒ぎとなり、職員会議が開かれ、その後、その便所は使われなかった、ということです。
大事件ですが新聞にも載らなかったそうで事の顛末は不明なのですが、これはその小学校に通っている児童から聞き取りされた話のようで、実際に起こった事件ではなく、「学校の怪談」の一種だったのかもしれません。
昔の夜の便所は異様に暗く心細く、不安な妄想ばかりが膨らむ場所でした。何をお化けだと錯覚しても不思議ではありません。江戸前期の怪談集『諸国百物語』に、「近江の国 笠鞠と云ふ所せっちんの化け物の事」という話があります。
近江国の、こんせというところに笠鞠という場所があり、この村のある家の雪隠には化け物が出るので、だれも行きませんでした。それは、風が吹くときに毛の生えた手に尻を撫でられるという怪異でした。
ある人がこの噂を聞いて、問題の雪隠に入って待ち構えていたところ、確かに風が吹くと、毛の生えた手が頻りに尻を撫でてきます。
すかさずその手をつかまえると、なんとお化けの正体は「ススキの穂」でした。雪隠の下にススキが伸びており、風でなびいて尻に触れていたのです。ススキを刈ると恐ろしい化け物は出なくなったといいます。
さらに、ひどい間違いになるとーー。
これは明治のころ、満州でのお話。ある軍人が排泄していると、冷たいものが、たびたび尻に触れてきます。これは「お化けの手」にちがいないと、その「手」を掴んでへし折ってやったところ、それは冷気で凍った「糞尿の棒」でした。以来、この人物は「糞握り某」という不名誉な名で呼ばれたそうです。
その場所で排泄した人たちが、糞尿で築きあげた「棒」ーーそんなものがお尻に触れていたのだと思うと、別の意味でゾッとします。
この哀話が載っていた昭和7年発行『厠考』には、「厠の怪」の正体について「人であることがある」と書いています。これを「変態性欲者」と名づけ、異性の肌衣、腰巻、便所紙、下駄、リボン、手袋、靴下など、むやみやたらに集めて、これによって性的満足をしているものなのだといいます……。なんだか身も蓋もないお化けの正体ですね。
【参考資料】
『郷土趣味』十六号
太刀川清『百物語怪談集成』
『民俗採訪』48年度
李家正文『厠考』
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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