今も血は立ったまま眠っている。寺山生誕90年に向けた「寺山修司展」が10月5日から開催
かつて寺山修司が住み、演劇実験室「天井桟敷」が生まれた地・世田谷で開催される展覧会、その名も「寺山修司展」。生誕90周年に向けたイベントの見どころを紹介する。
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文=大槻ケンヂ
挿絵=チビル松村
それは愛か、依存か、執着だったのか? 医者によって「オカルトという病」を宣告された男・大槻ケンヂが、その半生を、反省交じりに振り返る。まさかの連載コラム、始動。
僕は医者にオカルトを止められた男である。
そしてまた、後にUFOに関してはドクター・ストップを解除された経歴を持っている。
オウム事件の起こる数年前だったと思うから、まだ20代の頃だ。突然嵐のごとく、僕はオカルトにのめり込んだ。きっかけはUFOだ。たまたま読んだ志水一夫著『UFOの嘘』(データハウス)、稲生平太郎『何かが空を飛んでいる』(国書刊行会)という二冊のUFO本に衝撃を受けたのだ。
前者は、矢追純一さんの番組を中心に、メディアにおけるUFOの扱いに疑問を投げかけた、オカルト懐疑派の本だった。後者は、UFOは宇宙人の乗った円盤、という前提を一度うっちゃって、たとえUFO事件が都市伝説やウソだったとしても、では、なぜそんなフォークロアが生まれるに至ったか、その人類の摩訶不思議な想像の共有について考えてみよう、とのUFO民俗学とでも呼ぶべき一冊だった。
それまでの僕はオカルト全般に関して通説を受け入れるノンキなビリーバーであったので、この、当時としては斬新な着眼点に、大袈裟ではなくカルチャーショックを受けた。そこからUFOに関する本をむさぼり読み、宇宙人に会ったという人がいたら会いにいき、逆にUFO遭遇者のノー・アポ訪問を受けたり、新宿の町中でUFOマニアにいきなり胸ぐらをつかまれたりするまでになるのだが、そこらの話は長くなるのでまた今度……。
とにかくハマった。意中の可愛い子ちゃんとやっと食事に行けたときでさえ、僕の口から出る話題といったらUFOのことであったのだ。
「『パプア島の円盤事件』というのがあってね、ギル神父とボイアナイ村の住民が長時間UFOと宇宙人を目撃したのに、否定派はまつ毛を見誤っただけだと言うんだ。わかる? オカルト否定派の意見こそがいつも荒唐無稽なんだよ! 宇宙人は人類の無意識共同幻想として……」
「……あのさ、オーケン」
「何?」
「宇宙人はアナタよ。何しゃべってんだか、全然っ、わかんない」
初デートでUFO話はしてはいけない。特に「パプア島事件」については。苦い教訓である。
今にして思えばあののめり込みは一種のノイローゼの症状だったと思う。
当時、僕は筋肉少女帯をやりながら小説執筆にタレント活動、役者のまねごとまで、ありとあらゆることをやっていた。何でも請け負っていた理由は不安感だ。キチンと音楽を学んだことも学歴もない自分が、世の中にそれなりに出てしまったことにとまどい、本当に自分に合う生き方とは何なのか? 模索しているうちに安請け合いしすぎて心がキャパ・オーバーになっていたのだ。“未確認自分自身”だ。
そんな時に未確認飛行物体の懐疑的、民俗学的アプローチというものに出会い「なるほど同じ世界でも視点を変えたら全く違う世界が見えてくるのか!」ならばオカルト的視点から別の大槻ケンヂを、自分探しを始めてみよう、と、オカルトに救いを求めたわけだ。
でもダメだった。仕事の請けすぎ、ストレスと過労で僕は20代の後半、うつとパニック発作を患ってしまった。精神科や心療内科をいくつかまわったが、どの医師もマニュアル通りな言葉と薬の処方だけで、症状の改善はなかった。苦しく、つらく、もういっそ死んでしまおうかとさえ何度か思った。オカルトへの興味だけが心の支えであった。
そんなある日、訪れた心療内科で、心療医師ではなく内科の先生が、テレビで僕を知っていたのだろう、声をかけてくださったのだ。
「大槻さん、私でよければ、相談に乗りましょうか?」
僕より25歳くらい年長であろうか、ニコッと笑ってくださった。なんとも優しい笑顔の医師であった。そうして、専門外であるというのに、僕の心のトラブルをじっくり聞いてくださった。
「……そうですか。でも、大槻さんはそれでも、人前に出て活動していますよね。つまり、できているじゃないですか。人は皆それぞれ葛藤がありますよ。でもね、できているならいいじゃないですか。もっと、自分に自信を持っていいと思いますよ。大丈夫です」
この先生についていこう! と僕は心に誓ったのだ。不意に現れたUFOのように先生はさりげない言葉で一筋の光明を与えてくれた。先生ありがとうございます。貴方は命の恩人です。感謝した。泣きそうになった。だが、しかし、続けて我が命の恩人は、こう言ったのだ。
「それと大槻さん、テレビで観てましたけど、オカルト、ああいうのはあまり悩んでるときによくないですよ。オカルト、やめましょう」
ガーン‼
まさかの、オカルト・ドクターストップ、である。
「いや、それはあの……」と言いかけたものの、何せ直前に『ついていこう!』と決心したばかりのヤクザ用語で言えば「吐いたツバ飲まんとけよ!」の状態であるからして、僕はついつい
「……はい」と、うなずいた。
こうしてしばらくの間「オカルト断ち」した僕であったが……無理だった。やっぱりオカルトが大好きで「ムー」も読めない日々はつらかった。
で、かなり体調も回復してきた頃合いを見はからって、先生に「あの、そろそろまたオカルト始めてよろしいでしょうか?」オズオズと質ねたものだ。すると先生はちょっとあきれた顔になったあと、またニコッと笑って「仕方ないですねぇ、じゃ、UFOくらいからなら、夢があって、いいんじゃないですか?」
UFO解禁! である。うれしかった。そしてそれから心の調子がさらに良好になっていくうちに、オカルト全般への興味がOKと診断、お墨つきをいただき、世界でも類を見ない「医者にオカルトを止められた男」は「医者にオカルトを認められた男」になったわけである。先生ありがとうございます。
調子が良くなってからも、先生の笑顔が見たくて風邪でも引く度にその病院にはよく行っていた。
しかしある時、行ってみると病院は無くなっていた。別の新しい病院ができていて、あの先生は、もういらっしゃらなかった。驚きで声も出なかった。いつだったか先生に「UFOなんて何が面白いんですか」と質ねられたときのことを思い出した。
「……そうですね。ある日不意に現れて、遭遇した人の人生を大きく変えてしまう。そしてまた不意にどこかへ消えてしまう。運命チェンジのタイミングである存在として面白いんですよ。人を変える。悪い方にも……」
逆に、いい方にも。UFOのように不意に現れ僕の人生をいい方にチェンジしてまた不意に去っていった先生、お元気だろうか? 検索したなら現在の状況もわかるかもしれないけれど、お元気でまた別の人の運命をいい方へチェンジしている姿を僕は想像する。だって、その方が、リアルにわかるより、夢があっていいじゃないですか。
(続く)*毎月3~4日ごろに更新です。
大槻ケンヂ
1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。
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