ブータンの人食い魔女「シム」と怪僧の伝説を追う!/松本祐貴・現地レポート

文=松本祐貴

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    秘境の国ブータンには、忌まわしき魔女「シム」が語り伝えられている。その脅威は過去のものではなく、現在も畏怖の対象だ。ブータン現地を訪れ、その実態を探った。

    今もブータンに出没する「魔女」

     チベット仏教の影響が色濃く残るブータン。人口はわずか75万人と熊本市程度。のんびりとした雰囲気が漂う国だが、今でも日常のそこかしこに「シム」と呼ばれる魔女を恐れる民間信仰が残っている。
     典型的な魔女の昔話としては、峠を越えるときに暗くなってしまい、絶世の美女が男に迫ってくるというものだ。そして、恐ろしい顔に変身した魔女が男を殺し、食べてしまうという。日本でいえば山姥だろうか。
     しかし、それは昔話にとどまらず、近現代でも魔女との遭遇譚はある――。いかにも手つかずの自然があるブータンらしい話である。

    著者はブータンの魔女の実態を探るために現地調査に挑んだ。

     まず、比較的最近の逸話をブータン中部在住の40代男性・クンブ氏が語ってくれた。

    ――20世紀初頭、ブータン北西のガサ城の大名に民衆はヤクの肉を献上していた。ある日、役人が肉の倉庫を見てみると骨だけになっていた。犯人は肉食のハチだった。怒った役人の男は6人の軍人に「ハチの巣を獲ってこい」と命じた。
     獲りにいった彼らは逆にハチに追いかけられ、シウラという場所にまで追いつめられた。そこには全長2メートルを超す、信じられないほど大きなハチの巣があった。5人は帰ろうといったが、1人は命令なので獲って帰るといってきかない。彼は1人で巣に向かっていった。そこには、蛇に変身した魔女がいた。男は格闘の末、蛇の首を切り、ハチの巣を手に入れた。
     城に帰る途中、バラナという村に軍人たちは泊まった。翌日、城にたどりついたのだが、退治した蛇の頭をバラナ村に忘れてしまったことに気づいた。
     あわてて村に戻ると、すでに村の人は全員死んでいた。首を切られた魔女が怒り、たたりを起こしたのだという。バラナ村は廃村となり、現在では廃墟の家が残るばかりだという――

    ブータン取材で目にした廃墟。シムに滅ぼされたものなのか、それともただの空き家なのか……?

     シムを日本の妖怪・山姥に例えたが、現地人たちを取材していると、とても妖怪どころの恐れ方ではない。

    「車がある現代でも夜中に峠を越すのは、よほどの急用がないと行かない。絶対に辞めておいた方がいい。シムが出るからね。廃墟を見ただろう。お前の一族もあんな風になるぞ」

    「本当はシム(魔女)という言葉を口に出すのも忌まわしい」といった表情でクンブ氏は魔女の恐ろしさを繰り返し語るのであった。

    ”魔女の手”のミイラ

     ブータンの魔女の起源は、仏教の地獄にいきあたる。閻魔大王に裁かれた後、釜茹でや針の山に追い立てる鬼の一種に魔女がいる。日本人には鬼の女(メス)をイメージしてもらうとわかりやすい。
     髪と爪は長く、鬼のような牙がある。「下の牙は空まで届き、上の牙は地面に突き刺さる」ほどと伝わっている。

    「羅剎女仰臥風水相譜」より。
    現地ガイドが描いた「魔女」の顔。額に第3の目がある。

     こんな逸話もある。

    ――チベットのある高貴な人の結婚式でさまざまな人々が、お土産を持って集まっていた。参列者にはチベットを初めて統一した王・ソンツェン・ガンポもいた。ある少年は、手のひらほどの大きさの仏像を持ってきたが、床に落としてしまった。小さく軽いはずなのに、床に刺さった仏像は誰が抜こうとしても抜けない。
     そこでソンツェン・ガンポがこう言った。

    「これは大地に魔女がいて仏像を掴んで離さないのだ。魔女の力を封じるため108の関節に寺院を建て、魔女の体を釘付けにするべきだ」

     人々は彼の言葉通り、多数の寺を建立したという――

     ガンポはブータンにおけるチベット仏教の父と呼べる存在で、ブータン最古の寺院キチュ・ラカンも彼が建立した。また、この絵はチベット地方の地図になっており、キチュ・ラカンは108の関節のうちの1つ、魔女の左脚の部分に当たっている。

     ブータンの古い寺には仏像のほかに宝物が伝わっていることが多い。実際に著者はポプジカという田舎町の寺で“魔女の手”のミイラを見せてもらった。

    ガンテサンガチョリンという寺で見せてもらった”魔女の手”のミイラ。撮影厳禁だったのでスケッチにて。

     実物を見ると、伝え聞いていた魔女が目の前に現れたような感覚であった。乾燥した手は小さくしわくちゃで、本物の老婆の手のようだ。手首のところで切り落とされ、寺の鴨居にぶら下げられていた。お寺の小増さんが、“魔女の手”の解説をしてくれた。

    「この手は約300年前のものですが、最近でもウチの住職が魔女退治に出かけることがあります。人々の病気の原因になることもあるので、魔女の居場所や変身した姿を特定して、スピリチュアルなパワーでやっつけるのです。時にはお寺ではなく、人里離れた洞窟に住職が籠り、何日間もお経をあげつづけることがあります。ブータンでは魔女のほか、悪霊や雪男もいて、住職は非常に忙しいのです」

     小僧さんの夢も将来は魔女を退治できるような立派なお坊さんになることだという。ブータンでは、魔女とはそれほど身近な存在なのだ。

    魔女を退治した聖人ドゥクパ・キンレイ

     ブータンで畏れられる魔女を退治した伝説の聖人がいる。1455年生まれの僧侶でブータン西部の30箇所を超える峠で魔女を封じたという、ドゥクパ・キンレイだ。
     キンレイは聖職にありながら大酒を飲み、好色だったという。ブータンの国教であるチベット仏教ドゥク派では、飲酒と結婚はNGなので、いわば破戒僧だったといえる。
     キンレイは位の高い僧侶の家系に生まれたものの、家族の争いで父を殺され、失意のまま修行の旅に出た。そのとき、彼は一匹の犬を従え、弓矢を手にしていたという。その修行の中でブータン西部の魔女を蛇や蛙に変えて退治していったのだ。
     彼は全裸で放浪し、男性器にパワーを漲らせて魔女に襲われている村を救った。猥雑なヒーロー像はブータン庶民の間で絶大な人気がある。

    キンレイは女に飽きない。
    僧侶は富に飽きない。
    女な性行為に飽きない。
    これら3つは揺るぎない教えである。

    ーーこんなキンレイの詩が残されているほどだ。

    キンレイを祀った古都プナカにある。この寺の石塔の下には、犬に姿を変えた魔女が埋められているという。

    現代にも”魔女”が出現していた!

     日本に住むブータン人、ノルブ氏からも、魔女についての証言が得られた。

    「ブータンの首都ティンブーと空港のある町の間に、川が合流するところがあります。そこにある廃墟は、魔女によって村人全員が食べられてしまったというんです。滅ぼされた村は今は開発されて大学や研究機関が集まっていて、欧米の学術機関も承知する予定だと聞きましたが……」

     村人まるごとが消えてしまった恐ろしい話は、1950年代のことだという。この逸話における”魔女”は、感染症や風土病なのか、真相はまったくわからない。

     魔女を退治すべく祈祷を続け修行を重ねる寺院と、近代的なエデュケーションシティとしての開発現場が隣接する。ブータンの霊性文化の両側面を魔女を通じて見た気がした。

    (ムー 2017年3月号掲載)

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