来歴不明の骨董はなぜ「怖い」のか? 謎の信仰物展示会「怖う」レポート

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    都内某所で開催されたふしぎな展示会。謎の石仏や神の絵など「怖い」モノがずらりと並べられたその背景には、人間の本質を問うメッセージがあった

    骨董として発見される「信仰物」

     8月末、東京都墨田区でふしぎな展示会が開催された。古民家一棟を改装したギャラリーのブースにずらりと並べられたのは、おどろおどろしい地獄の様子を描いた掛け軸や、奇妙な風景画、なにとも断定できない正体不明の仏像など。

     どこか恐ろしく、不気味なようでいて、しかしどうにも惹きつけられてしまう古びた物たち。これは昨今話題になっている「(いわゆる)呪物」を集めたものなのか……?

     この展示会「怖う」が行われたのは、墨田区のギャラリー「幾何(う)」。主催したのはギャラリー主で古物商の牛抱幾久真(うしだきいくま)さんと、おなじく古物商の岩橋直哉(いわはしなおや)さんのふたり。つまりこの奇妙な展示は、骨董品の展示即売会でもあったのだ。

     牛抱さんによると、ふたりは十年来信仰にまつわる古物・骨董に興味をもって収集と売買を続けていて、過去にもそれらを発表する展示会をおこなっていた。しかしこの数年間は新型コロナの影響で発表の機会をつくることができず、今回、数年分の成果を放出するような意味も込めての大規模展示となったのだそうだ。

     実は、人気の「呪物コレクター」も牛抱さん、岩橋さんからたびたび商品を買い入れているそう。知る人ぞ知る呪物ブームのキーパーソンとでもいった存在だが、しかしふたりは展示品を呪物ではなく「信仰物」と呼んでいる。最近のブームについても詳しくは知らず、人づてに話をきいて「そんなものかなあ……」と感じる程度だったとか。

     信仰物といっても、展示にはいわゆる“ふつう”の神仏などは少ない。ある種のまがまがしさを感じるような不気味なものがある一方で、あまりにも素朴な石仏なども。

     なぜこうした信仰物を集め、公開するのか。岩橋さんがそのコンセプトを説明してくれた。

    なぜか目を奪われる「信仰物」のもつ力

     岩橋さんは骨董の世界に身を置きながら、そこが「これ、いいよね」と感じる同好の士だけで成立しているクローズドな世界でもあることに閉塞感を感じることがあった。そんな閉じた評価に異議申し立てをすべく、あえて世間では忌避されるもの、つまり「怖いもの」ばかりを集めた展示をおこなったのだそうだ。それによって、美しいってなに? 怖いってなに? という問いを提示したいのだという。

     怖いから避けてしまう、怖いのに見てしまう、不気味なのに惹かれてしまう……いったいそれはなぜ? という問いかけは、近年の実話怪談ブームや呪物ブームにも通じる根本的なものともいえるかもしれない。

     実際におふたりは「怖さ」という情報そのものを発信する怪談業界の人とも交流をもちたいということで、展示ではオカルトコレクター・田中俊行さんを招いてのイベントも開催している。

     その趣旨をきいたうえであらためて展示品を見返すと、確かに、どれもが一瞬ぎょっとさせられる面を持っているものの、信仰や見えない世界をかたちにするとはどういうことなのか、を考えさせられるようなものばかりだ。

     “ふつう”の神仏が少ない、と書いたが、それは展示品がアーティストや仏師などのプロフェッショナルでない、一般の人たちが自らつくったものが多いためでもある。

     たとえばこれは単なる石だが、見ようによっては袋をかついだオオクニヌシのようにもみえる。ということで、神さまのように見える石が実際に神像として信仰されたというものだ。その証拠に、台座の裏には「大国主命」との文字が彫られている。

     こちらは3つの顔がついた神像と思しき像。三面というと国宝の阿修羅像などがあり、また四面の仏像もしられている。しかしこの像については、誰がつくり、どんな信仰の対象にしていたのかも一切不明だという。

     2階のブースにずらりと並べられているのは、筆で描かれた龍の絵。それも尻尾から筆を入れて頭まで一筆で描き切る「一筆龍」とよばれるものだ。縁起物として現在でも書かれているが、これも過去には僧侶よりも山伏、修験者、あるいは在野の宗教者などによって書かれた例が多いともいう。

    飛白体という特殊な書体で描かれた神仏の名が記されている。

     このふたつは「飛白体」とよばれる特殊な書。飛白体の起源は唐代中国で流行していた書体を弘法大師空海が持ち帰ったという古いもので、今も縁起物として書かれる中国の花文字や韓半島の文字絵とルーツを同じくする。
     これら掛け軸は在野の宗教者によって書かれてきたものと思われるが具体的な作者は不明だ。

     上はまたぐっとテイストが異なり、牧歌的な風景のなかに唐突にUFOが描かれ人間がアブダクションされている絵。

     床の間の壁面にびっしりと飾られた面も、古色を帯びたものから、どこかの土産物のような面までさまざまだ。

    「得体の知れないもの」は、わからなさゆえの怖さを生むことがある。それがどういう意図でつくられ、そこにどんな想いが込められていたのかも一切不明ならば、もしかしてこれはまがまがしい理由や歴史をもっているのではないか……と、ネガティブに想像させる圧のようなものが「怖さ」となる。

     だが、岩橋さんは「わからない=怖い、不気味」と一直線に考えることには不安も感じるという。「怖い」という気持ちは、未知のものへの恐怖心が根本にあるのではないか、と岩橋さんは考えている。その恐怖に目を閉じてふたをすることは、理解できないものの排斥という行動に容易に移行してしまう。その感情が多くの悲劇、惨劇を招いてきたことは歴史からも明らかだ。

    「怖い」ってなに? という根本的な問いに思いを致す機会を与えてくれる「信仰物」の展示。ギャラリー幾何(う)では、時期は未定ながら今後も開催予定とのことで、情報発信にも注目していきたい。

     余談ながら、展示の会計スペースになっていたこの一角はもともと古民家の仏壇があった場所。そこに貼られていたお札類もすべて剥がして改装したのち、剥がしたお札はすべて売れたそうだ。

    webムー編集部

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