警視庁の呪われ係、容疑者は怨霊! ミステリーすぎる小説「怪談刑事」
時代はいよいよここまできた!?
記事を読む
1970年代に巻き起こったオカルトブームのパイオニア、南山宏の肖像に迫る!
翌年、1959(昭和34)年12月25日には、早川書房から商業SF雑誌「SFマガジン」が創刊された。初代編集長を務めたのは福島正実であった。
しかし当時、社内で「SFマガジン」の創刊を強く主張したのは、「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン(EQMM)」の編集長だった都筑道夫だという。福島本人は、単行本のシリーズならともかく、雑誌形式では自分の考えるSFが世に受け入れられる素地はまだ熟していないのではないかと危惧していた。しかし1959年春の会議で雑誌の企画が通ると、福島が編集長に任命された。
当時日本には専門のSF作家はほとんどいなかったから、当初はアメリカのSF雑誌「ファンタジー&サイエンスフィクション」の日本語版としてスタートした。そこで「SFマガジン」第1号は、日本人作家が書いたのはいくつかの科学読み物だけで、掲載されたSF作品はすべてが翻訳物であった。しかし大学生であった南山氏は、SF雑誌の発刊に感激し、夢中になってなんどもむさぼるように読み返した。そして、早川書房に入社してSFを仕事にできないかと考えた。
相談したのは、福島編集長とも交流のある柴野拓美だった。
柴野は、早川書房が零細企業であること、SFを出した出版社は潰れるというジンクスがあることなどを挙げてやめたほうがよいとアドバイスしたようだが、南山氏の決意は固く、結局柴野の口利きで早川書房でアルバイトをすることになった。
じつをいうと「SFマガジン」編集部のほうも人が足りない状況だった。
編集部でSFについて知識のあるのは福島だけだが、彼は編集の細かい作業が得意ではなかった。編集を手伝っていたのは、福島自身が口説き落として期限つきで編集部にいた翻訳家・三田村裕(本名三戸森毅)だけで、彼の任期が終われば編集のできる人間がいなくなるような状態だった。そこで福島も、SFをやれる若い者がいないか、と内々の柴野に相談していたようだ。
こうして1960(昭和35)年秋にアルバイトとして入社した南山氏は、三田村から編集の基礎を学んで、すぐにレイアウトなどもまかされるようになった。原稿取りも主に南山氏の仕事だったが、有名な作家に直に会えるということでむしろ喜んで仕事に励んだ。「鬼の福島」として多くの作家に恐れられた福島であったが、南山氏のSFに対する情熱と知識は認めていた模様で、すぐに翻訳もまかされるようになり、南山氏が提案した企画もしばしば採用された。
採用当初はアルバイトを続けながら、留年していた大学も卒業するつもりだったが、1961(昭和36)年の3月になると、当時の早川書房社長・早川清が、南山氏を大卒扱いで正式採用すると申し出た。なにしろ就職難の時代でもあったから、氏も喜んでこれを受け入れ、大学は中退した。
そして1969(昭和44)年、日本のSF史に残る「覆面座談会事件」を受けて福島正美が退社すると、後任として2代目編集長に就任する。
南山氏は、「SFマガジン」編集長としても数々の華々しい実績を残している。
「剛の福島」に対し「柔の森(南山)」とも称される氏の編集長就任により、「覆面座談会事件」で福島に反発していた作家たちも戻ってきてくれた。
福島が企画していた『世界SF全集』の企画も引き継いで完結させ、1970(昭和45)年にはハヤカワSF文庫(現在はハヤカワ文庫SF)を創刊した。このとき社内はこぞって反対したが、社長の判断で企画が通った。しかし今度は取次会社が難色を示した。
そこで南山氏は、自ら東販(現・トーハン)や日販に出向いて重役を説得した。こうして始まったSF文庫は、大人気となって注文が殺到し、毎回5万部ずつ発行するようになった。さらに挿絵には石ノ森章太郎や松本零士、永井豪、さらには手塚治虫などの人気漫画家も採用した。
だが、なんといっても特筆すべきことは、半村良を世に出したことであろう。
半村良は1962(昭和37)年の第2回SFコンテストで、小松左京とともに第三席で入選し、入選作『収穫』が1963(昭和33)年3月号に掲載されてデビューした。しかしその後9年間でわずか7本の作品しか発表できていなかった。
1970年、その半村が『赤い酒場を訪れたまえ』と題する短編を南山編集長の許に持参した。
この作品を読んだ南山氏は、この作品の背後に壮大なスケールの物語があると直感し、それを指摘した。すると半村は、「自分は作家としてはうだつがあがらないので、以前の水商売に戻ろうと決めていたんだが、編集長になった森優へのはなむけに、これが最後のつもりで書いた」と述べた。
温厚な南山氏であったが、このときは思わず、「こんな凄い構想があるのに、なぜ書かないんだ」と怒鳴った。
こうして半村良の出世作『石の血脈』が、新しく始まった「日本SFノヴェルズ」の第2作として出版されることになった。南山氏の慧眼がなければ、半村良が後に直木賞を受賞することもなかったかもしれない。
(月刊ムー 2024年11月号)
羽仁 礼
ノンフィクション作家。中東、魔術、占星術などを中心に幅広く執筆。
ASIOS(超常現象の懐疑的調査のための会)創設会員、一般社団法人 超常現象情報研究センター主任研究員。
関連記事
警視庁の呪われ係、容疑者は怨霊! ミステリーすぎる小説「怪談刑事」
時代はいよいよここまできた!?
記事を読む
呼吸困難の犬を獣医に診せたら… ディープすぎる米国の都市伝説の世界! 驚異の陳列室「書肆ゲンシシャ」の奇妙なコレクション
密かに話題の古書店「書肆ゲンシシャ」の店主・藤井慎二氏が、同店の所蔵する珍奇で奇妙なコレクションの数々を紹介!
記事を読む
脂汗を垂らす戦慄の肝試しホラー『UNWELCOME』/藤川Q・ムー通
ゲーム雑誌「ファミ通」とのコラボでムー的ゲームをお届け!
記事を読む
君は人から「だって地球は平たいんだもん!」と熱弁されたことはあるか?/医者にオカルトを止められた男(6)
球体の地球を目視した人数は限られている。”やつら”の手にかかれば、平面の地球を隠蔽することなど容易いのだ……! 異説をフラットに受け止め、その場を丸く収めよう。ハァッ!
記事を読む
おすすめ記事