「怖い女」から「少女の神話」へ! ジブリ作品やラノベから女性と物語の関係を読み解く/神話学者・沖田瑞穂

構成=高野勝久

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    神話にも、ジブリ作品にもあらわれる「怖い女」とは? 神話学者がその怖さの正体を読み解く。

    神話学で読み解く「怖い女」

     神話や現代のホラーを研究する、神話学者の沖田瑞穂さん。前回は、なぜ家は怖い場所になってしまうのか、神話学的にみた「家」とはなんなのか、スタジオジブリの作品などを例に教えてもらった。

     沖田さんは『怖い家』のほか、同様に神話やホラーに登場する女神、女性の「怖さ」を考察した『怖い女』という著書も執筆されている。
     なぜ「女」は恐ろしい存在として描かれるのか。ふたたび、神話やジブリ作品を例に解説してもらおう。

    前回の記事はこちら。

    与えた命を回収する「怖い女神」たち

    ——前回は神話学で読み解く「家」をテーマに、家がもつ働きや、ジブリ作品でみる家の象徴性、現代の創作にも神話的な意味があらわれることなどを教えていただきました。神話には「怖い家」ばかりでなく「怖い女」もたくさん登場します。神話学的な視点からみた「女」の怖さの正体とはなんなのでしょう?

    (沖田)家が持つ「生み出す」「育む」「生命を呑み込む」という3つの機能は、実はどれもが女性的な機能です。前回『千と千尋の神隠し』の話をしましたが、湯婆婆は神話や民話に描かれる「怖いおばあさん」的なキャラクターです。

     グリム童話のトゥルーデおばさんや日本の山姥のような「怖いおばあさん」の系譜にあるのが湯婆婆で、その城である湯屋は、入ったものの命を奪う「命を呑み込む家」です。しかし湯婆婆は千尋をおびやかすだけではなく、彼女を育てて、最後には現世に送り返すことになる。家の機能としては「育む家」になっています。

    『千と千尋の神隠し』の湯婆婆。画像はスタジオジブリ公式サイトより。

     神話や民話では、「怖いおばあさん」の家に入ってしまったら、命を呑み込まれるか、育まれて無事に帰れるかは物語次第、主人公の行動次第です。これは「怖い女」も同様で、女の怖さとは女性の両面性の象徴です。それは子を産み育てる母であると同時に、支配する毒親、産み育てた生命を呑み込む女という二面性なんですね。

     神話的にいうと、女性つまり女神は世界にさまざまなものを生み出すのですが、生み出すだけだと世界に生命があふれかえり、秩序が成り立たなくなってしまう。だから、生み出したものは回収しないといけない。つまり死を与えるのです。

     女神は、生み出すと同時に、命を呑み込む。これは世界的に女神の普遍的な性格になっています。日本の神話では、それはイザナミに特に強くあらわれていますね。神々や国土を生んだ女神でありながら、最後は黄泉の国の女神となります。

     豊かになった現代社会の価値観だと想像しにくいところがあるのですが、古代の人々は人口が増えすぎることをとても恐れていました。インドの神話には「カリ・ユガ」という終末の描写があるのですが、そこには終末の兆候として「人間が増える」と書いてあるんです。人口増加は食糧不足や貧困に直結していくので、よほど怖かったんでしょう。

     ヒンドゥー神話である『マハーバーラタ』では、大地の女神が「人間が増えすぎて重くて仕方ない、人間を減らしてくれ」と神々に頼み、そこで「人間を殺す役割の女神」がつくられるという場面があります。死の女神は、はじめは人間を殺すなんていやだと抵抗するんだけど、結局その役割を受け入れることになります。死の罪悪感を女に負わせる、男たちはなにやってるんだと思うところもありますよね。

    ヒンドゥー神話の大地の女神。画像=wikipediaより

    ナウシカは命を呑み込む「怖い母」だった!

     ジブリ作品でみてみると、湯婆婆のほかにもジブリには「怖い女」がたくさん描かれています。

    『天空の城ラピュタ』の空賊団のボス、ドーラは、怖いけれど育む母という両面があります。パズーもシータも実の親がいない環境で育った子どもたちですが、ふたりはドーラの空賊団に入り、ドーラに育まれ、ラピュタという家で成長し、巣立っていく。ドーラはふたりの育ての母、育む母という役割を担うのです。ドーラのあの体型も、豊穣の女神のようですよね。

    『天空の城ラピュタ』の空賊団船長、ドーラ。スタジオジブリ公式サイトより。

     命を生み出し、同時に命を呑み込む怖い女、「怖い母」ということだと、ジブリ作品ではまさに『風の谷のナウシカ』のナウシカがそれにあたります。特に、アニメ版ではなく原作の方にその性格が顕著にでています。原作の漫画版では、前時代の強力な兵器である巨神兵がナウシカを母として認識し、ナウシカのほうも巨神兵にオーマと名前をつけて行動をともにします。そして最後は、その子を看取ることになっている。

     ナウシカは自分自身の行動で巨神兵オーマを復活させることになり、最後はオーマに過酷なミッションを課して、殺したとまではいいませんが、自らの手で死に導いています。明らかに「怖い女」的な、少女であり母、生み出すものでありかつ呑み込むものという神話的な存在です。

     原作版ナウシカの物語は、ナウシカの「生きねば……」というセリフで終わるのですが、このメッセージも神秘的ですね。また、前回『天空の城ラピュタ』のシータの名前がインド神話のシーターからとられているだろうとお話ししましたが、ナウシカの名前のもとになっているのもギリシャの叙事詩「オデュッセイ」に登場する聖なる女王ナウシカアです。

    『風の谷のナウシカ』の主人公ナウシカ。スタジオジブリ公式サイトより。

    人間が世界を認識するには「物語」が不可欠だった

    ——現代の作品にも多くの「神話」があるんですね。人間は神話を求めてしまうものなんでしょうか?

     神話に限らず、人間はなにごとも「物語」という形式で認識していると思うんです。つまり人間は物語なくしては生きていくことができない。物語という形式をとらないと思考することができない、ということです。
     裏を返せば、物語にすると人間の脳には受け入れやすいんです。だからこそ、近年問題になっている陰謀論なども、ものごとをストーリーに仕立てて、人々に受け入れられるようにしていくわけです。

     では神話と物語のなにが違うかというと、神話には「聖性」があるということです。聖性のある物語が神話である、ともいいかえられます。
     じゃあ聖性ってなに? 現代における聖性とは? となるとこれもとても難しい問題なんですが、しかし聖なるものは人間の心のなかに必ずあるもので、だからこそ聖なる物語、神話が現代においても再生産されつづけているんだと思います。

     私は、創作であっても、通過儀礼的な物語、少年少女の心のなかで特別な意味をもち「聖なるもの」として捉えられるのであれば、それは現代における神話だといっていいのではないかと考えています。自分の人生ではないけれど、人生の過渡期を物語によって体験させる、体験したような気持ちにさせるものも、それによって変化や進化を擬似体験させる、ロールモデルとなるものです。

     ロールモデルという意味でいうと、これまでも、また現代でも「少年の神話」はたくさんあるんですね。ヒーローもの、英雄の物語、少年の成長を語る物語というのはとてもたくさんあり、それが現実の少年たちのロールモデル、心のなかのモデルになっていると思うんです。

    日本神話のヤマトタケルの物語など、世界の神話には「少年の神話」がたくさんある。画像=国立国会図書館デジタルコレクション。

     しかし、少女についてはそういうものがあまりない。先ほど死の女神についての話で「男たちはなにをやっているんだ」と言いましたが、神話って基本的に男性のものなんですよね。伝承したのは巫女のような立場の人だったということはあると思いますが、ギリシャ神話のようなメジャーな神話体系は基本的に男性のものだったと思います。

     そこで私はいま、「現代の少女の神話ってなんだろうか」ということを考えています。伝統的な神話には少女の成長という観点が欠けているともいえます。しかし神話が現代にも必要なものであるとすれば、現代においては少女のための神話も求められているはずです。

    現代の「少女の神話」は意外なところにあった!?

     たとえば映画の『スター・ウォーズ』は、ジョセフ・キャンベルという神話学者の学説をもとに現代の英雄神話を創造するんだという意図で制作されたといわれます。ダース・ベイダーとルーク・スカイウォーカーの父子の戦い、父殺しというのはいうまでもなく神話的であり、フロイト的なモチーフです。しかしやはりこれも少年のための神話です。

     そこで、やや意外かもしれませんが、私がいま注目しているのはライトノベルなんです。今すごく売れているラノベに、少女の神話といえるものがあるんじゃないかと思うのです。その面でひとつ注目しているのが、『わたしの幸せな結婚』という作品です。出版物はシリーズ累計が500万部を超えるヒットになっていて、アニメ化され、実写映画も公開されています。

     また『鬼の花嫁』という作品もシリーズ累計100万部を突破したといいますが、これらの作品の共通点は、いわゆるシンデレラ型の物語だということです。

    『わたしの幸せな結婚』(顎木あくみ著、月岡月穂イラスト、KADOKAWA)

     今シンデレラなのか、という感想もありそうですが、今でも生まれ育った家で幸せでない少女が少なくないということかもしれません。そういった少女たちが、家から連れ出されて幸せになるという物語は救いですよね。シンデレラ型の神話が受容されている、需要があるというのはそんな背景があるのかもしれません。

     もちろん救われるばかりでなく、女性も戦うんです。神話でいえば、インド神話のドゥルガーという女神はインド神話最強の戦いの神ですからね。

     現代でも、セーラームーンのように戦う少女の話もあります。セーラームーンの主人公、月野うさぎは少女でありながら、未来からきた娘ちびうさの面倒を見る母としての顔もある。少女にして母というのは、巨神兵の母となったナウシカにも共通する性格です。ロールモデルにはなかなかできないですが、ナウシカは戦う女としてやはりメッセージを発しているのかなと思います。

    ヒンドゥー神話最強の神、女神ドゥルガー。

    ・・・

    神話の女神は、命を生み出し、呑み込む「怖い女」だった! そして神話学で読み解くと、ジブリ作品にはさまざまなタイプの魅力的な「怖い女」が描かれていることがわかった。

    次回は、インド神話に描かれた超古代テクノロジーについて、そして人間が神話を求めてしまう心の本質についてさらにうかがっていく(つづく)

    沖田瑞穂(おきたみずほ)
    神話学者。専門はインド神話と比較神話。 著書『怖い家』『怖い女』『マハーバーラタ入門』『世界の神話』『インド神話』『すごい神話』など多数。

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