創造論と進化論を両立させる最終仮説!「古代宇宙飛行士説」という奥の手/新ID理論
創造論において”科学”と”神”を共存させる試行錯誤が育まれている。進化論と創造論をまたぐ「神の存在」——“古代の宇宙飛行士説”に踏み込むシリーズ最終回!
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数十年前、未知の東北王国の神として大きく注目を集めた謎の神・アラハバキ。その正体は現在も未解明だが、東北に謎を解くカギとなる神社があった!
青森市の住宅街に、松尾神社という神社が鎮座する。京都の松尾大社を勧請した神社だが、小さな「村の鎮守様」であり、周囲は住宅街ということもあって、パッと見、特段目を引くようなところはない。
だが、この神社、何とあの「アラハバキ」を祀った神社だというのだ。
アラハバキといえば「東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)」だ。神武天皇に追われた長髄彦(ながすねひこ)が津軽に落ち延び、土着の人々や渡来人と合同して、アラハバキ神を奉じ東北に「アラハバキ王国」を樹立、その後長くヤマトに抗したと主張する同書を含む「和田家文書群」は、昭和末期、史学界やメディアに一大センセーションを巻き起こした。
その後、学術的には偽書であるという指摘があったが、アラハバキという名の神や、それを祀る、またはその名を冠した神社は「東日流外三郡誌」が世に出る前から存在しており、古い記録にも残っていて、日本民俗学の父・柳田國男も考察している。
しかし、謎の多い神で、はっきりしたことは分かっていない。
青森、津軽は、まさに「東日流外三郡誌」の舞台であり、そこにあるアラハバキの神社ということになると、その関連を疑いたくなる。だが、ここ松尾神社は、江戸時代の記録に、しっかりとアラハバキを祀った神社とあるのだ。その記録が菅江真澄の紀行文「すみかの山」だ。菅江真澄は、三河出身の学者で、東北や北海道を旅し、沢山の紀行文を残した。その詳細な記録と綿密な考証は、それこそ柳田國男をして「日本民俗学の開祖」といわしめた程である。
その菅江真澄が松尾神社を訪ねたのは、寛政8(1796)年のこと。そして「今は松尾の神を勧請しているが、一般にはアラハバキ明神という」と書いているのだ。しかも、地元の人間が「源義経の『はばき』を御神体として、『あらはばきの杜』または『しりべつの杜』という」と語ったと記録している。
「はばき」というのは、古くは植物の繊維を脛に巻いた衣類や防具の一種であり、脚絆や脛当てと同類のもの、または別名である。その為、アラハバキは足の神として信仰されることが多い。
さて、この由緒だけを見れば、端的にいって、アラハバキとは義経のことになる。
確かに義経には(学術的には否定されているけれども)、平泉で討たれず、もっと北へと逃れたという北行伝説があり、北海道の義経神社など、実際に神として祀られている例もある。
だが、話はそう簡単ではない。そこは後世に柳田國男も絶賛した菅江真澄、様々な考察を行っている。
菅江真澄は、青森のアラハバキ明神を前にして、宮城県多賀城市のアラハバキ神社や、故郷三河の一宮、愛知県豊川市の砥鹿(とが)神社の摂社アラハバキ神社を挙げて、それと同じ神だといっている。いずれも現在も足の神として信仰されている。そして、蝦夷地の松前の西の浜辺にある小山権現が、小山判官の「はばき」を祀っているのと同じだ、というのである。
北海道の小山権現は、今も岩城神社という名で、江差町に鎮座している。菅江真澄の紀行文「えみしのさえき」に詳しく記されており、小山判官がアイヌと戦った時、そのあまりの武勇の凄まじさから、アイヌが小山判官の「はばき」をカムイとして祀ったことに由来するという。
小山判官というのは、現在の栃木県小山市を根拠地とした小山氏の武将・小山隆政のことであり、室町時代、鎌倉公方との間で発生した「小山氏の乱」で敗北し、蝦夷地まで逃れて来たという。敗北、逃亡したとはいえ、長い年月の間に逃亡と挙兵を繰り返して鎌倉公方を翻弄しており、武勇の誉れの高い人物である。
そして、アイヌにも判官=義経を神とする信仰があるが、義経が蝦夷地に来たとは考えられず、それは九郎判官と小山判官との混同であろう、と菅江真澄は考察している。アイヌが祀ったにしては、「権現」という名など、奇妙なところもあるが、和人の信仰とアイヌの信仰が習合したと思われる事例が北海道にはいくつかあるため、小山権現もその一つと見ることも出来る。
特に、江差を含む渡島半島西部は、北海道の中でも最も和人の定住が早かった地域で、室町時代にはいくつも城館が築かれているので、そのような習合も早くから発生したであろう。そうした城館の遺跡の中には、和人とアイヌが混住していた形跡のあるものもある。
本州の東北地方においても、アイヌあるいは「プレアイヌ」ともいうべき人々が住んでいたことが知られている。彼らは、中世以降のアイヌそのものではないにしろ、ほとんど同一の言葉を話し、どこかで分岐したにしても、かなり近い共通の祖先を持っていたと思われる。
東北地方の中でも、北にいけばいくほど、その度合いは増していく傾向がある。それを示す最も有名なものが、アイヌ語で解釈できる地名の存在だ。菅江真澄も、青森の松尾神社に、アラハバキ明神とともに「しりべつの杜」という別名があると書いており、それが北海道にもあって、アイヌ語であることを考察している。実際、現在の北海道にも、「尻別」という地名は存在する。
このような松尾神社の由緒を考えるなら、義経が実際に平泉より北へ逃れたかどうかは別として、本州で既に、義経信仰とアイヌまたは「プレアイヌ」の信仰との、習合が起こっていたという事ではないだろうか。それが津軽海峡を越えて伝わったのではないか。津軽海峡を挟んだ人の往来は、縄文時代から盛んだったことが分かっている。青森の陸奥湾に臨むような場所に、義経とアイヌ語がセットになった信仰があるなら、それが伝わらない方がおかしい。
その義経のアイヌによる神格化は、先述のように菅江真澄も言及しており、アイヌ神話の英雄「オキクルミ」が、義経と同一視されていると書かれている。その義経の神格化を、「判官違い」による、小山隆政との混同だというのだが、義経・小山隆政・オキクルミの三者には、共通項がある。それは武勇に優れた英雄だということだ。義経についてはいうまでもなく、小山隆政についても先述の通りだが、オキクルミも、魔神達と戦って滅ぼした、武勇並びなき英雄である。
そして、和人とアイヌの狭間にあって習合したと思われる英雄の信仰に、「はばき」が関わっている。菅江真澄の記録によれば、和人もアイヌも、神懸った武勇を誇る英雄のシンボルとして「はばき」を祀っているのだ。「はばき」は、武勇の象徴なのである。
(つづく)
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