「平家物語」を鎮魂譚として描いた「耳なし芳一」の妙味解題/小泉八雲と明石覚一

文=田辺青蛙

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    小泉八雲の代表作のひとつ「耳なし芳一」。それは怪談という枠をこえた、鎮魂のための物語だった!

    ――怪談ではなく、「鎮魂の制度」としての物語

    「耳なし芳一」は、小泉八雲の作品のなかでも、とりわけ知られている話だろう。怪談といえばまず思い浮かぶ一篇、と言ってもいい。

     原型は『臥遊奇談』所収の「琵琶秘曲泣幽霊」とされているが、八雲はそれをほぼそのまま書き写したわけではない。構図を整理し、場面を研ぎ澄まし、読み手の視線が逸れないように物語を組み直している。いわゆる再話文学の仕事だが、読後に残る印象は、単なる翻案以上のものがある。

     とはいえ、長いあいだ私はこの作品を「怖い話」としてしか読んでいなかった。盲目の僧が幽霊に呼ばれ、経文を書き忘れた耳だけをもぎ取られる。そこだけが強く印象に残っていた。なぜ和尚は耳を書き忘れたのか。そこが妙に引っかかって、逆にそれ以上考えなくなっていた。

     ところが、ある日、知人の美大予備校講師から奇妙な話を聞いた。廃棄予定の石膏像に般若心経を書いていく実験をしたという。全身を書き終えたと思った瞬間、耳だけが白く残っていることに気づいた。ぞっとした、と彼は言った。

     さらに、耳なし芳一の格好でイベントに出た人が、偶然にも耳の部分だけを書き忘れたという話も耳にした。もちろん偶然だろう。だが、耳という部位がどうしても抜け落ちるという反復が、どこか気味悪く思えた。そこから改めて「耳なし芳一」を読み返してみた。

     読み直していて、ふと別の疑問が浮かんだ。芳一は、どの琵琶を弾いていたのか。

     琵琶奏者の中沢龍心氏にうかがうと、史料的にもっとも可能性が高いのは平家琵琶だということが分かった。その理由は、楽琵琶は雅楽用で語りを伴わないので平家物語を語る芳一が用いた筈がない。筑前琵琶は明治期に成立したので、時代が合わない。薩摩琵琶は武士教養の系譜で、僧侶が弾くものではなく、時代と用途を照らせば、平家琵琶が自然に残るからだそうだ。

     平家琵琶の語りは、鎮魂や供養、地鎮という宗教的機能を担うケースもあり、仏教経文に近い性質を持つ語り物芸能だという。

     ちなみに「耳なし芳一」では雨の中で鬼火に照らされながら琵琶を激しくかき鳴らす場面があるが、中沢氏の話によると琵琶は雨の中では音を鳴らすことが出来ない楽器だそうだ。

     そういうさり気ない違和感を何故か八雲は仕込んでいる。

     そんな、幽霊が現れ、琵琶を弾かせ、耳を奪うというあらすじの「耳無し芳一」の物語は、筋立てだけを追えば怪談に違いないだろう。だが、その中心にあるのは平家の怨霊の恐ろしさではなく、むしろ琵琶を弾くことによって生じる鎮魂行為がメインなのではないだろうかと思った。

     芳一は作中の殆どの場面で、ただひたすら弾き語っている。呼ばれれば行き、語れと言われれば語る。その姿は怪談の主人公というより、職能者に近いように感じた。耳が奪われる時も痛みに耐えて声一つ漏らさないし、その後ますます琵琶の音は冴えわたり名声を手にする。

     芳一のモデルとして語られる人物がいる。
     その名は明石覚一(あかしかくいち)。彼は、失明後に琵琶法師へと転じた人物だ。

    『太平記』には、覚一検校が語る「鵺退治」の段に武将たちが深く感じ入った場面が記されている。
     怪物を討ち、都の穢れを祓い、そこでも琵琶語りは秩序を回復する働きを担っている。
     語ることは、祓うことに通じていたのかも知れない。

     覚一が整えたとされる「覚一本」は、やがて当道座の内部で秘伝化され、検校・勾当・座頭という位階が制定され、語りは制度の中へ組み込まれた。だが、制度に入ったからといって、その根にある祈りまで消えたわけではない。

    「耳なし芳一」は怪談だけど同時に、敗者の声を消さないための物語なのかも知れない。

    明石覚一(画像=Wikipedia)
    「覚一本」は平家物語の語り本の正統とされた(画像=国立公文書館)。

    幽霊に招かれる盲僧に身を重ねて…

     幽霊に招かれる盲僧の話は各地にあり、とりわけ瀬戸内に類話が多く残っている。

     夜に身分の高そうな誰かに呼ばれ、無人の堂や墓場、人気の無い場所で琵琶語りをする法師。やがて、法師は自分を招いていたのが死者だと知り、そこから救いの手を回りの人に求める。そんな数多くの法師の物語の中で、八雲版の結末は少し異様だ。

     それは、耳を失いながらも芳一は生き残るうえに、名声を手にする点だ。

     多くの類話では、身体を損ねた語り手は没落し、無名のまま死んでしまうパターンが多い。
     その方が亡霊の理不尽さが読み手に伝わり、より怪談らしい物語になりそうなのに、何故八雲はそうせず結末に救いを残したのだろうか。

     ここからは私の推測にすぎないが、八雲自身の身体経験が影を落としている気がしてならない。 

     彼は幼少期に片目の光を失い、残ったもう片方の目の視力も弱かった。
     熊本から神戸に移った時八雲は失明しかけた。そこでは目から赤い血のような体液が伝って流れ続けたので、目に濡らした手ぬぐいを当ててじっと暗い部屋で横たわりながら、音だけを頼りに世界を感じたという。
     そしてどんどん視野も狭まり、八雲は失明寸前となったそうだが、運よく神戸にドイツから来ていた眼科の名医が来ていて診察と治療を頼んだことで視力を回復出来た。

     視覚が揺らいだとき、人は何に縋るのだろう。
     声だろうか、周りの微かな音から想像する光景だろうか。

     ちなみに失明しかけたこともあって、小泉セツは神戸の家は家相が悪いといってさっさと引っ越してしまった。先日その家の辺りに行ってみて、案内してくれた人の話によるとたまに何か感じる人がいるということだった。

    「耳なし芳一」のルーツのひとつ、琵琶法師団都の怪談(『宿直草』(富山大学附属図書館所蔵) 国書データベースより)
    当道座の屋敷跡
    平家蟹。平家の怨霊が甲羅に現れてこのような姿をしているという伝説がある(つやま自然のふしぎ館展示品)

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    「明石覚一」出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

    取材協力【中沢龍心】
    琵琶弾き語り、古典怪談の語りべ満茶乃との『尸童 (よりまし)』主宰
    ヘヴィメタル、ミクスチャーバンドでの活動、ゲーム/映画音楽の制作を経て、2013年錦心流琵琶 杭東詠水氏に師事、2023年薩摩琵琶正派 後藤幸浩氏(アニメ平家物語、映画犬王の琵琶演奏担当)に師事。
    『三井寺妖怪ナイト』、佐野史郎『小泉八雲の調べ』、山田玲司 個展『秘仏』、落合陽一『デジタル,古楽器、千利休』、関西・大阪万博2025での舞台など、法具、エフェクター、サンプラー等を使用し古典にとらわれない実験的な演奏/舞台を実施する

    田辺青蛙

    ホラー・怪談作家。怪談イベントなどにも出演するプレーヤーでもある。

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