君は「落ち武者の霊」に救われたことはあるか?/医者にオカルトを止められた男(5)
目次1 実話怪談ラスト・オチムシャ2 怖い話を求められる理由 実話怪談ラスト・オチムシャ 「……きっと、オーケンの見たのはラスト・オチムシャやな。ラスト・サムライでなしに」 と北野誠さんは言ったのであ
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地名には、その土地で起きた出来事と紐づいたものがあります。しかもそれは災害だったり事故だったり事件だったりと、ゾクリとするものが由来の場合も! ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
猛暑が確実と予測される今夏、みなさんはどのような暑気払いをお考えでしょうか。
古くから庶民の暑さを打ち払ってくれたものといえば、やはり「こわいもの」。怪談イベントや怪奇スポット探訪を計画している方もいらっしゃるのではないでしょうか。ただ、人気イベントはなかなか席が取れませんし、旅行をしたくてもお財布事情が厳しいという方もおられるはず。そこで私がおすすめしたいのは「ちょっと怖い地名巡り」です。
郷土資料を読んでいますと、古い記録の中でしか確認できない地名が見つかります。「死」「病」「心中」といった、あからさまに不吉な意味を持つ字や言葉が入る、今では絶対につけないような地名もあります。多くは町村の合併や行政の区画整理時に変更され、地図から消されていますが、それを免れて現存しているものも僅かながらあります。バス停や標識などで辛うじて残っていることもあります。
こういった土地には当然、そんな地名を名づけられる理由と歴史があります。不吉な地名の背景にあるのはゾクリとするような怪談かもしれませんし、辛く残酷な実話や悲話かもしれません。今回はそんな「ちょっと怖い地名」を集めてみました。
神奈川県横浜市港北区の日吉本町が駒林村と呼ばれていたころ。そこには「ドブ田」と呼ばれる水田がありました。この付近一帯はかつて海で、長い時間をかけて海が引いた後にできたドブ沼を田んぼとして開墾したのです。
もとが海だけあって泥が深く、みんな丸太を組んでその上で作業をしていたのですが、「おこん」という女性が仕事中、足を滑らせ、この泥に落ちてしまいました。
おそらく、一気に頭まですっぽり泥に埋没したのでしょう。彼女は叫ぶこともできず、
仕事を手伝っていた人が異変に気づいたときには泥から両手の先だけが出て、弱々しく動いていたといいます。おこんはそのまま泥に沈んでいき、溺れ死んでしまいました。
可哀そうな死に方をした彼女を偲んで、この田は【おこんどぶ】と呼ばれたのです。
同県の横須賀市に、同名の女性の溺死悲話が残っています。
走水漁港の南に、伊勢山崎と呼ばれるところがあります。傾斜しながら海に入り込んでいる小さな岬で、この近くに「おこん」という女性が住んでいました。
ある日の夕方、彼女は夕餉の汁に入れる具材のアサリを採りにこの岬へ向かったのですが、暗くなっても戻ってきません。
波にさらわれたのではないかと心配になった家族が松明を持って捜しに出たのですが、おこんは見つからず。そこは傾斜した地面が洗濯板のように海に入り込んでいる場所。夕闇で視界の悪い中、アサリ採りに夢中になっていた彼女は海が満ちてきたことに気づかず、岬とともに飲み込まれてしまったのかもしれません。家族はとても悲しみました。
それから数年後のことです。おこんの姿を見たという人が現れました。
その村人が岬のそばを通った時、夕暮れ空の下、磯辺に姿を現したというのです。しかし、その人が近づくと彼女は静かに夕闇の中へと消えたのだそうです。
おこんの亡霊が現れたという噂は広まり、この岬は【オコンドバッコ】と呼ばれるようになりました。
三浦地方の方言で「バッコ」は波の浸食でできた岩の窪みのことです。この磯には窪みが多く大変危険な難所で、よくダイバーが海難に遭うといいます。この辺りは現在、防衛大学の敷地となっており、おこんの名も忘れ去られようとしています。
また、地名ではありませんが、溺死した「おこん」という女性にまつわる話が他にも見つかったのでご紹介します。
【オコンジョ】という魚がおります。
これは愛媛県上浮穴郡小田町の方言でアカザという淡水魚のことで、8本の口髭を持った長さ2寸ばかりの赤褐色の小魚。触ると、毒のある棘で刺すといいます。この魚は、男に捨てられて入水自殺をした「おこん」という女性の怨霊が化したものだといわれています。
おこんは、溺れ死ぬのです。
古くから交通の拠点として重要な役割を担ってきた東京の品川。その地名の由来にはいくつか説があります。この地を流れる目黒川や立会川で、鎧に用いる品革の染色が行われていたからというのが、そのひとつ。品革とは、藍色の地に羊歯(シダ)の葉形を白く染め抜いた革のことです。立会川の名の由来も諸説あります。とくに知られているのは江戸に攻め入った北条と上杉の軍勢がこの川を挟んで合戦をしたからであるという説です。
この川の付近には、かつて大井鎧町という地名がありました。時代をさらに遡ると、その一帯は【鎧ヶ淵】と呼ばれていました。
先の合戦によって、夥しい武士たちの屍と武具甲冑が、川を埋め尽くすほど散乱していたというのが由来とされています。壮絶な光景です。
この鎧ヶ淵では、幾日も雨が降り続く時期、鎧武者の影が現れたといわれています。
無念の死を迎えた武者たちの亡霊です。
これは、決して見てはいけないものでした。また、この話を人から聞いても、だれかに喋ってもいけません。
なぜなら、祟るからです。
それゆえ人々は恐れ、このことをだれにも語りませんでした。この話がほとんど知られておらず、記録も極めて少ないのは、そういう理由からなのでしょう。
福島県岩瀬郡長沼町(現・須賀川市)の下江花地区にある高土山。この山の小松沢という場所の奥には、【死人沢】と呼ばれる小さな沢があります。なんとも恐ろしげな名称ですが、この沢の西南にある丘の陰には【面剥沢】という、これまた物騒な名前の沢があります。この地名には次のような由来譚があります。
久保屋敷というところに、怠け者で性悪なために人づきあいがまったくない、貧しい農家がありました。ある年の秋、托鉢していたひとりの僧が、その家に一夜の宿を求めました。しかしその後、僧が村から出ていった姿を見た者がなく、村では噂になりました。
そんなころ、山の沢で死体が見つかりました。役人から遺体の片づけを命じられた村の当番たちが死体を調べると、焼け火箸で刺し殺されており、しかも、顔面の皮を剥がれていました。死んだ者がだれかわからぬように面皮を?ぎ取り、隣の沢に死体を捨てたのだろうといわれ、顔の皮を?いだ場所を面剥沢、死体を捨てた場所を死人沢と呼ぶようになったそうです。
遺体の片づけを命じられた当番の中には、例の農家の百姓がおりました。彼は作業中、「また俺の手にかかるか」と呟き、それを聞いた他の者たちは、「責めるに(問うに?)落ちず、語るに落ちる」という諺どおりだと語り伝えたそうです。
凄惨な舞台となった高土山ですが、それも遠い昔のこと。今は2021年に刊行された「新うつくしま百名山」でも紹介されている、県を代表する山のひとつです。
また、同町の滝という土地の山に【死人窪】と呼ばれている場所がありました。その名のとおり窪地で、凶作が続いて食糧難のころは親が60歳になるとここへ連れていったといいます。この窪に小屋を造り、その中に入った親は松虫鐘を鳴らしながら死の時を待ったそうですが、一説では無縁仏が捨てられた場所だともいわれています。
面剥沢のように殺害遺体の無残な状態が地名につけられるというのは、現代日本では考えられないことです。しかし、昔の人たちは「死体から顔の皮を剥ぐ」という、このおぞましい蛮行をそのまま土地の名に残しました。そこで起きてしまった出来事を決して忘れることなく、後世に残していこうという想いがあったのか。あるいは、ただ忌避すべき場所として呼んでいたのでしょうか。
【死人沢】【死人窪】【面剥沢】——いずれの地名も物騒な言葉が使われていますが、私の調べた限りでは、これらに訪れた者に祟りなどの害をなしたといういい伝えは見つかりませんでした。ですが、先述したような由来譚が時の経過とともに薄れ、この不吉な名称のみが残ることによって、奇怪な逸話が生まれていた可能性もなくはありません。
たとえば、次のような話とか。
奈良県山辺郡都介野村(現・奈良市)に、こんな恐怖譚が伝わっています。
ある家の娘が大病に罹ってしまいました。医者も匙を投げる不治の病です。
この病は重度になっていくにしたがって顔にむごたらしい病変が起こり、それゆえ偏見や差別の対象となっていました。この家の社会的立場を揺るがしかねないと考えた家族は、娘に巡礼に出てもらうことに決めたのです。
当時は病の苦しみから救われんがため、四国巡礼に行く人もたくさんおりました。ただ残念なことに、その多くは旅先で亡くなりました。
その人たちのように他所の土地で死ぬのは嫌だったのでしょう。娘は巡礼には行きたがりませんでしたが、家族がそれは許しません。
そして、とうとうその日が来てしまいます……。
まず、母親が村はずれの峠まで娘を送り出しました。
ところが翌日、娘は家に戻ってきてしまいます。
次の晩は父親が娘を峠まで送りますが、娘はまたすぐに戻ってきてしまう。ならば、と今度は兄が峠まで送ることになりました。
しかし、道中で妹が文句をたれだしたので兄は激高し、妹を殺害してしまいました。
事の発覚を恐れた兄は、身元がわからぬように妹の顔の皮を剥ぎ、遺体を雪の下に埋めてしまいます。
実の妹を殺害するだけでなく、その遺体を無残に損壊して隠蔽するという大罪を犯した兄——彼は峠から戻って家へ入るなり卒倒し、そのまま二度と目覚めませんでした。
殺して顔を剥がしたはずの妹が、先に帰っていたのです。
これは『大和の伝説』に収録されている「皮むき峠」というお話です。
この峠の名が実際に使われていたのか、私の調査ではわかりませんでした。ただ、長沼町の面剥沢のように、世間を騒がしたショッキングな事件がその土地の呼称に影響することは大いに考えられます。
死体の顔から皮を剥がす光景は、どのようなものだったのか。ご興味のある方は月岡芳年の描く「英名二十八衆句 直助権兵衛」をご覧になってみて下さい。
坂は異界との境ともいわれるからでしょうか。怪しいものと出遭い、奇妙なこと起こるという俗信が日本各地に見られます。そういった坂は【やかん坂】【三年坂】【ムジナ坂】のような怪しい名がついていることが多いので見つけやすいでしょう。
本稿執筆のために横浜市内に面白い坂はないかと捜していますと、緑区に【泣坂】と呼ばれていた場所があるというので見てきました。
目的の坂を目指して環状4号線の十日市場交差点を同区いぶき野方面に進んでいる時、ふと気づきました。ネット情報ではこのあたりに緑交通安全協会の設置した「無事カエルの神」なるカエル像があるそうなのですが、見つかりません。SNSで検索すると、どうも近年に撤去されていたとのこと。無事に帰ることができるのか不安になってまいりました。
東名高速道路の橋梁をくぐって右折すると細い旧神奈川道がありました。緩やかな坂になっており、カーブのところに「なきざか」「泣坂」と書かれた標識が立っていました。
これは昭和53年に横浜市が立てたものだそうです。それにしてもなぜ、「泣」く「坂」なのでしょうか。
このあたりは北門(ボッカド)と呼ばれ、坂を上がった先には、かつて処刑場があったのです。縛られた罪人がこの坂を上って連行される時、自分が処刑されるのだとわかって泣いたため、この名がついたといわれています。
また、この坂を上っていると竹槍で突かれる罪人の泣き叫ぶ声が聞こえたともいわれており、そういう謂れもあるからでしょう、十日市場へ嫁入りする時はこの坂を忌み嫌って通らず、別の道を通ったといいます。この坂を通ってしまうことで、そのお嫁さんが一生泣くことになるからだそうです。
北門をのぼった先の頂きは【餅塚】と呼ばれていました。そこは処刑された人を葬った場所です。餅塚と呼ばれているのは、ここで死者を弔いながら茶屋で餅を売っていた老婆がいたからだといわれています。
その餅塚を求めて泣坂をしばらく歩いていますと別の道が交差し、奥に団地が見えてきました。その奥にある大きな公園の端に高台があり、そこに石碑が立っています。
石碑には、このように彫られていました。
『爲 餅塚関係鎮霊一切菩提也』『太古以来土地関係 敵味方無縁 一切之霊』『十日市場地区 土地関係萬霊大供養』
碑文によると、この石碑は昭和60年9月20日、有志によって立てられたもので、現在もお祓い行事をしているそうです。
緑区のホームページによると、昔はこのあたりで祟りの噂もあったそうです。そういう理由もあって、人が近づかないような場所だったといいます。
この「餅塚の祟り」の詳細を知りたくて現地の図書館で調べましたが、祟りについての具体的な記録は見つけられませんでした。
【参考資料】
『長沼町の伝説』長沼町教育委員会〈1976〉
高田十郎『大和の傳説』大和史蹟研究所〈1933〉
『十日市場の歴史』横浜市立十日市場小学校〈1978〉
相澤雅雄『ハマ線地名あれこれ』230クラブ新聞社〈1996〉
相澤雅雄『横浜緑区 今むかし』〈2023〉
萩坂昇『神奈川ふるさと風土図 横浜編』有峰書店新社〈1985〉
辻井善彌『ときめき探訪 三浦半島』〈1994〉
『伊予の民俗』38号 伊予民俗の会〈1985〉
『港北百話 —古老の話から—』港北区老人クラブ連合会〈1976〉
菊池幸彦編著『三浦半島の民話と伝説』神奈川新聞社〈1986〉
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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