「ヒバゴンの足跡」53年ぶりに故郷に帰還! かつての関係者や現場の徹底取材で見えてきた獣人の正体とは?
今年、53年ぶりに地元に帰ってきたヒバゴンの足跡。これを好機と捉え、現地を取材し、かつての騒動をもう一度検証した筆者。そこで見えてきたヒバゴンの正体とは?
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「勝五郎生まれ変わり物語」の転生元・藤蔵の墓に異変が起きていた。眠れる魂が再び器を求めだすのか?
2024年11月、私は小谷田勝五郎の生まれ変わりの物語について調べていた。
その取材中、「須崎藤蔵のお墓が破損している」という話が飛び込んできたのだ。なんという偶然だろうか。
話を進める前に、「勝五郎の生まれ変わり物語」について紹介しておこう。
江戸時代、文政5年(1822)の秋、中野村(現在の八王子市東中野)の農家・小谷田源蔵の息子である勝五郎が、不思議な話を語り出した。8歳になったある日「私は以前、程久保村の須崎藤蔵という子供で、6歳のときに疱瘡(天然痘)で亡くなった」と、生まれる前の記憶を口にするようになったのだ。
勝五郎の話によると、その藤蔵なる人物は現在の程久保村(現在の日野市程久保)に住んでいたが、6歳のときに天然痘にかかり、亡くなったという。お葬式で棺桶に入れられ、山の墓地に運ばれ、そして、地面に掘られた穴の中に棺桶が下ろされた瞬間、衝撃で魂が肉体から抜けたのだ……という。
魂になった藤蔵は、自分の家に帰り、泣いている母に話しかけたが、誰にも気づいてもらえなかった。
やがて、黒い着物を着た白いヒゲの老人が現れ、山や川を飛び回った後、こう言った。
「3年経ったから生まれ変わるのだ」
そして藤蔵の魂は、勝五郎の母親の体に入り、文化12年(1815)10月10日、新たな命、勝五郎として生まれ変わったのだという。藤蔵が亡くなってから6年目のことだった。
その記憶が蘇った勝五郎は、自分の前世の両親に会いたいと願い、祖母と共に程久保村へ向かった。
そこで、かつて住んでいた家を見つけ、部屋の間取りや近所の様子を正確に言い当てた。もちろん、勝五郎は藤蔵の家どころか程久保村を訪れたことなどない。
この不思議な話は領主にも伝わり、当時の学者・平田篤胤が興味を持ち、詳細な調査を行い、書籍にまとめている。その後、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)もこの話を英語で書き、アメリカやイギリスで紹介した。
冒頭で紹介した「破損したお墓」は、勝五郎の前世、須崎藤蔵の墓である。この破損が事故か事件かはさておき、私は東京都日野市にある高幡山明王院金剛寺(高幡不動尊)を訪れ、現地調査することにした。
藤蔵の墓を探し、案内の看板を頼りに寺の奥へと向かう。途中に記念碑があり、その先の墓地に藤蔵のお墓があるーーはずだった。
そこには、次のような掲示がされていた。
「藤蔵のお墓をお詣りくださった皆様へ 藤蔵の墓石は破損したため、修復中です。
修復にはしばらく時間がかかります。 せっかくお詣りいただいたのに申し訳ありませんが、ご了承くださいますようお願い申し上げます。 令和六年三月十七日」
お寺の関係者に詳しい事情を聞いたところ、2024年春に藤蔵のお墓がなくなっているのが発覚したという。周囲を探したところ、すぐ近くの草むらで墓石が割れた状態で投棄されているのを発見したとのことだった。
何者かによって破損され、移動された可能性が高いため、警察に報告し、現在はお寺で保管されているという。発見時には墓石に土がかぶっており、ある程度時間が経過していたことから、前年の年末頃に破壊されたのではないかと推測されている。
現在、復旧の目処は立っておらず、お寺では看板を掲示して対応しているとのことだった。
生まれ変わりの事例は、最近では中部大学の大門教授の研究で話題になっているが、勝五郎以外にも数多く「転生物語」が伝えられている。その中の一つが松太郎の生まれ変わりだ。
昭和初期、東京都杉並区堀ノ内の火葬場近くに、小さな掘っ立て小屋を建てて住んでいた松太郎という男がいた。彼は、杉並区一帯の清掃を請け負っていた山崎平三郎と親交があった。
昭和10年(1935年)、松太郎が亡くなると、山崎は仏壇に水で墨をすり、松太郎の内ももに「南無妙法蓮華経 松太郎」と住所を書いた。
それから3年後の昭和13年(1938年)、ある日、山崎のもとを警察官が訪れ、大阪から来たという人物を紹介した。その人物によると、前年に男児が生まれたが、内ももに「南無妙法蓮華経」と書かれたような痕があり、高僧や祈祷師に頼んでも消えなかったという。
ある晩、その男児の夢に「書いた人に頼めば消える」と松太郎が現れ、家族は東京へ向かい、山崎のもとへたどり着いたというのだ。
男児の「南無妙法蓮華経」は、松太郎との関連を示すものだろうか? 山崎は松太郎の墓の土を渡し、「これでこすれば消えるだろう」と伝えたが、後日「消えない」との電報が届いた。そこで山崎は大阪へ向かい、お題目を唱えながら脱脂綿に水を含ませて拭いたところ、文字は完全に消えたという。
また、島根県安濃郡刺鹿村(現在の大田市)にも生まれ変わりの話が伝えられている。
不妊だった夫婦は、幾太郎という少年を養子に迎え、大切に育てていた。
しかし、明治23年、幾太郎は誤って池に落ち、溺死してしまう。その後、母親の枕元に幾太郎が現れ、「近いうちに生まれ変わるから、身の回りのものは取っておいてほしい」と告げた。母親はその夢を何度も見たという。
一年ほど経ったある日、近所の女性が赤ん坊を出産したと聞き、見に行くと、その子は幾太郎にそっくりだった。
さらに、旅人につけてもらったという赤ん坊の名前を聞くと「柳太郎」とのこと。幾太郎の戒名は「柳流童子」だったため、両親は驚きと悲しみに包まれた。
柳太郎を仏壇の前へ連れて行くと、彼は幾太郎の位牌を指さし、「アッコ、アッコ」と言い、自分が生まれ変わったことを伝えたという。
幾太郎は、もう一度両親に会うため、自らの意思で霊力を発揮し生まれ変わったのではないだろうか。
転生、生まれ変わりは、現状や事例としては古くから確実にある。
その仕組みや因果はいまだ不明だが、幾太郎の事例を見ると、「転生するほど強い霊力」を備えた魂、その意思のようなものが作用しているとは考えられないだろうか。
私は、生まれ変わりの藤蔵の墓が破損したことにより、彼の魂が令和の時代に転生するのではないかと考えている。
藤蔵が亡くなった際、棺に納められ、埋葬された。その衝撃で魂が肉体を離れたという。その魂は記憶を持ったまま勝五郎の人生へと生まれ変わった。
今回の墓石の破損による衝撃は、生まれ変わるほど強い意思を備えた魂に、再び衝撃を与えたに違いない。藤蔵から勝五郎へ移ったその魂が、再び解き放たれることはないのだろうか?
藤蔵の魂が新たな宿主を見つけ、彼の記憶を持つ「令和の勝五郎」が誕生するかもしれない。
勝五郎の前世の父の名前は「藤五郎」だったという。これは単なる偶然ではないだろう。
新たな生まれ変わりにおいても、前世とつながる何らかのサインを持って生まれてくるに違いないのだ。
おかゆう
オカルトライター。現地取材が好き。一般社団法人 超常現象情報研究センター、つちのこ学会所属。
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