北欧3か国の名品が一挙70点! 「北欧の神秘 ノルウェー・スウェーデン・フィンランドの絵画」(2024.3.23-6.9)
貴重な北欧美術に触れる展覧会、開催!
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江戸時代は、じつに多くの絵が描かれた時代だった。そうした史料にはUMAなのか妖怪なのか、何を描いたものなのか判別しがたい「奇妙な絵」がある。それら「大江戸怪獣」をひろいあげ、令和の世に送り出そう。
江戸時代の日記や雑記のなかに埋もれた「奇妙な絵」をみていきたいという本記事。第1回では土佐に出現した「奇獣」を取りあげたが、今回は「異獣」事件を追いかけてみたい。奇獣も異獣も同じようなものではないかとも思えるが、どうもいくつかの例を比べてみると、奇獣に対して異獣のほうが動物的、肉体的なポテンシャルが高い、つまり物理的に危険な獣である場合が多いようだ。なかには、なんと60人ちかい武士が武装して駆除に繰り出したモンスター級の異獣もいたというから衝撃である。
「異獣」はめずらしい獣、あやしい獣というような意味で特定の動物をさす固有名詞ではなく、いくつかの種類が確認されている。
なかでももっとも知名度の高いのは越後に出没したという異獣だろう。江戸時代の越後(現在の新潟県)魚沼近辺の風俗を記した『北越雪譜』によれば、それは魚沼の山中で目撃された猿に似た獣だったという。
『北越雪譜』に記された異獣遭遇事件の顛末は以下の通り。越後の布問屋で働くある男が、客先に反物をとどける道中、けわしい山道で一休みして握り飯を食べていた。するとそこに突然、大きな猿に似た見たこともない獣があらわれる。その背丈は人間よりも高く、頭の毛が背中まで垂れるほど長い。用心しながら観察していると、どうも獣は握り飯を指さして求めるようなそぶりをする。そこで試しに投げ与えてみると獣は嬉しそうに食い、危害を加えなさそうだとわかって男も安心してもうひとつ握り飯を食べさせてやった。
やがて休憩を終えて出発しようとすると、獣は一飯の礼とでもいわんばかりに男の代わりに重い荷物を背負い、先立って歩きだしたのだという。そのまま急な山道を一里半(約6km)ほども進んで村が近づくと、異獣は荷物を置いて山中に消えていった。
男が得意先でこの話をすると、それは4、50年も前に山で働く男たちが見たという異獣であろう、といわれたのだという。
その話に添えられた挿絵がこの「山中異獣の図」だが、異獣を拡大してみると手足の爪は鋭く、顔つきも決してかわいいものではない。たまたま握り飯で手懐けられたからよかったようなものの、もしも獣が空腹の状態でなかったら、あるいは何か別のものに興味を持っていたら、男はどんな目にあっていたのだろうか。
そうはいっても、この挿絵はあくまで想像図であり、話にもどこか昔話めいたところがある。しかし次の異獣は、人間を殺害したという凶暴な種類で、しかもその姿を描き残したものという図まで伝えられているものだ。それは江戸時代の中頃、正徳4年(1715)に伊豆に出現したという。
正徳4年(1715)、伊豆国(現在の静岡県西部)豊川村でのこと。当時この地は大名牧野成央の領地だったため、牧野家から家臣が送られ管理が行われていたのだが、同年夏のある夜、家臣の家に何者かが侵入し妻が惨殺されるという怪事が勃発する。妻は顔の皮をはぎとられて死んでいたという無残なありさまだったのだが、その犯人は味をしめたのか数日後にふたたび同じ家に忍び込んできた。妻を殺された家臣が刀で切りつけると、そのものは血を流しながら逃走していった。
さて、血の跡を追ってみると、現場から四里(約16km)ほども離れた山中の洞穴に続いており、なかから牛の吠えるような声が聞こえてくる。牧野家では武装した家臣団を大動員してこの洞を包囲、まずは穴をめがけて鉄砲の一斉掃射を浴びせかけ、弾にあたり逃げ出してきたところを取り囲んで槍で突き刺し、この怪物にトドメをさしたという。対異獣作戦を指揮した主な家臣は8人、足軽は50人を数えたというから、もはや害獣駆除のレベルを超えた軍事出動の様相だ。
その異獣の姿を写したというのが、この図である。
ふたつの図はそれぞれ別の資料に描かれていたものだが、おなじ異獣の図とみて間違いない。どちらかが模写したか、あるいは個別に同じ図から写したものだろう。細かく記された寸法などには微妙な違いもあるが、総合すると異獣の体高は7尺8寸余、2m超の巨体であり、その姿は熊のようで顔は人、指には鷲のような爪が生えていた。頭の周囲が4尺(約120cm)ほどもあり、鼻は4寸(12cm)、胸には毛がなく、手は猫のようで指が4本。足は後ろ向きで鎌のような爪が生え、水かきもあったという。
さらに特異な特徴として記されているのが、異獣が「重瞳」だったということだ。右図では「かさねひとみ」と読ませているが、重瞳とはひとつの眼球に瞳、黒目がふたつ存在している症例のこと。古代中国では王者の相ともいわれた異相だが、想像で思いつくような特徴でもないだろうというあたりに、実際に観察した上での記録だったのではないかと思わせる真実味がある。
2m超の巨体で人家に忍び込み、生皮をはぐほどの怪力を持ち、武士が60人がかりで仕留める異獣。これこそまさにモンスターと呼ぶにふさわしい獣といえるのではないだろうか。
さて、伊豆の凶悪異獣事件が発生した正徳4年から100年以上ものち、天保10年(1839)の三河国に新たな異獣が出現している。その第三の異獣の図がこちらだ。
伊豆の異獣にくらべるとどこかのんびりした顔立ちにみえるが、話としてもこの異獣には少々哀れさがある。『天保雑記』によれば、異獣が出現したのは三河国の要衝、岡崎城の城域内。城の櫓から飛び降りてきたところを生け捕られ、その後も城内を荒らしまわるようなことをするヒマもなく居合わせた者によって切り捨てられてしまったのだという。その姿は猫のような尾があり毛は赤く、手足は猿のようで5本の指が備わっていたという。
大きさは「犬程」とあるので1m前後だろうか。あるいは犬ではなく「丈」のくずし字だったとすれば約3mというところだが、人と組み合って生け捕られるくらいだからそこまで大きくはなかっただろうとも思える。図をみるかぎりではヒヒ系のサルのようにもみえるが、それほどの凶暴さはなかったようだ。
また図こそ残されていないが、伊豆の異獣を記録した資料には、信州(現在の長野県)にも異獣が出現したことがあったとの一文がある。その異獣も武士の家に夜な夜な忍び込んでいたが、ある晩ついに刀で切りつけられ窓から飛びだして逃げ去ったのだとか。その姿は老人のようで背が高く、逃げたあとにはおびただしい毛が散乱していたという。わざわざ「すさまじき毛」だったと書かれているから、よほどの剛毛だったのだろう。
越後、伊豆、松本の異獣はどれも直立歩行であり、とくに越後、伊豆の異獣は容貌からしてビッグフット、イエティ、ヒバゴンといった類人猿系のUMAをも思わせる。よっつの遠く離れた地域と時代にそれぞれ別種の異獣出現情報が残されていることを考えると、江戸時代頃まで日本の山中には未知の大型獣が生存していたのではないか……とも想像してしまう。
図版出典一覧
・越後の異獣:『北越雪譜』(国立公文書館デジタルアーカイブ )
・伊豆の異獣:『鶯宿雑記』『連城叢書』(国立国会図書館デジタルコレクション)
・岡崎の異獣:『天保雑記「本多上総介家来討取候異獣之図」』(国立公文書館デジタルアーカイブ)
鹿角崇彦
古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。
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