カバラの奥義により命を吹き込まれた「人造人間ゴーレム」/ムーペディア
毎回、「ムー」的な視点から、世界中にあふれる不可思議な事象や謎めいた事件を振り返っていくムーペディア。今回は、迫害されていたユダヤ人たちを守るために、土の塊から生みだされたゴーレムの伝説を取りあげる。
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世界三大宗教のひとつ、キリスト教。救世主イエスを信仰する信者たちにとっては、イエスの母であるマリアも祈りの対象となっている。その聖母が世界各地で出現し、病気の治癒をはじめ、さまざまな奇跡を起こしつづけている。聖母マリアの出現は何を意味しているのか?
「教皇はポルトガル・ファティマのコヴァ・ダ・イリアにおける聖母出現100周年を記念して、2017年5月12~13日の2日間、ファティマを訪問し、聖母出現祭でミサを行うとともに、フランシスコおよびヤシンタ・マルト兄弟の列聖式を挙行する」
2016年12月20日、世界の信者数12億7000万人を数えるローマ・カトリック教会の総本山ヴァチカンの広報局は大略、右のように発表した。
今からちょうど100年前の1917年5月13日、当時はポルトガル中部の一寒村にすぎなかったファティマで、奇跡は起こった。コヴァ・ダ・イリア渓谷で羊の番をしていたフランシスコ(当時9歳)とヤシタ(7歳)・マルコ兄弟とその従妹ルシア・ドス・サントス(10歳)が、眩光(げんこう)とともに突如として出現した「聖母マリア」を目撃したのだ。
聖母は子どもたちに、毎月13日の同時刻にこの場所に来るようにといい残して忽然と姿を消した。子どもたちは家族や地域の住民の妨害に遭いながらも、約束どおり、地方行政に監禁されていた8月13日以外の6~10月の13日に聖母に会い、7月13日には3つの予言を授けられた。
その間に集まる群衆は増えつづけ、最後の出現となった10月13日にはじつに7万人に膨れ上がり、しかも驚くべき超常現象が起こった。雨を降らせていた黒雲が大きく割れて姿を現した太陽は急降下や回転を繰り返し、赤、黄、青、緑、紫などあらゆる色の光線を四方八方へ放射した。およそ10分間にもおよんだ太陽の乱舞は群衆全員によって目撃され、翌日のポルトガルの全新聞で大々的に報道されたのだった。
ただし、聖母と会話を交わすことができたのはルシアだけで、ヤシンタは声を聞くことはできたが会話はできず、フランシスコは見ることができるだけであり、群衆は聖母の姿を見ることはできなかったという。
その後、ルシアは修道女になって予言の内容をローマ教皇庁に伝え、2005年に死去し、現在列福調査中。フランシスコは聖母出現から2年後の1919年、ヤシンタは3年後の1920年に夭折(ようせつ)。2000年にともに列福されて福者となり、今回、列聖に列せられることになったのである。
なお、気になる3つの予言については、本稿の主テーマとは少々かけ離れているので検証は別の機会に譲るが、ファティマで起こった一連の超常現象は、後年、カトリック教会およびローマ教皇庁によって聖母マリア出現の奇跡と公認された。
聖母マリアとは、いうまでもなく処女懐胎によってイエス・キリストを出産した女性・イエスが磔刑に処せられたあとの生涯は分明ではないが、伝説ではトルコのエフェソスで昇天したとされる。
カトリック教会の教義では、聖母マリアは受胎時から原罪の汚れと科(とが)をいっさい受けてなかったとする。いわゆる「無原罪の御宿(おんやど)り」という教えだ。
したがって、罪と科の結果である老いと死を免れ、生涯の終わりに肉体と霊魂を持って天国に上げられたとされ、これを持って天国に上げられたとされ、これを「聖母被昇天」という。つまり、聖母マリアは現在も不老不死のまま天国で生きつづけているという教義であり、それが聖母出現の根拠とされているのだ。
聖母マリアが出現した、という報告は有史以来、世界各地でなされている。ちなみに、アイルランドの研究家ジョアン・アシュトンによると、過去1000年間の報告例は2万1000件におよぶという。ただしカトリック教会や教皇庁が公認した聖母出現の事例はさして多くはない。
教皇庁が聖母出現という超常現象を体系的に調査・記録するようになるのは、1545~1563年に25回にわたって開かれたトリエント公会議以後のことで、各地の司教とヴァチカンの担当者らの認定作業を経て、公認するかどうかが決定されるのである。
現在、公認されているのは25例で、最古は「ピラール(柱)の聖母出現」だ。西暦40年、当時はローマ帝国領だったスペインのサラゴザで布教活動をしていた聖大ヤコブが、幼いイエスと天使を伴ってピラールの上に出現した聖母マリアを目撃したというもので、伝説的な聖母出現ではあるが、教皇庁は公認している。
残る24例のすべてを紹介する紙幅はないので、以下、代表的なものをいくつか挙げる。
●グアダルーペの聖母出現
1531年12月9日。メキシコシティ郊外のグアダルーペに住む先住民のファン・ディエゴはミサに出席しようと教会へ向かう途中、テペヤクと呼ばれる丘で、光り輝く雲のなかに立っている若いネイティブ・アメリカンを目撃した。彼女は自分が聖母マリアであると名乗り、自分が立っている場所への教会建立を望んだ。
そこで、ディエゴはメキシコの司祭に会って聖母の願いを伝えたものの、司祭は聖母出現の証拠を求めた。失望したディエゴがテペヤクの丘に戻ると聖母が再び出現。丘の頂に咲いている薔薇の花を司祭に届けるようにといった。
聖母の言葉どおり、真冬にもかかわらず、丘の頂には薔薇の花が咲いていた。それを切り取ってマントに包んで運び、司祭の前で広げると、マントには聖母の姿が描かれていた。かくして司祭も聖母の出現を信じ、テペヤクの丘にグアダルーペ寺院が建立されたのだった。なお、ディエゴは2002年に列聖されている。
●ルールドの聖母出現
1858年2月11日、南フランスのピレーネ山脈中腹にあるルールド郊外、マッサビエル洞窟のそばで薪拾いをしていた14歳の少女ベルナデッタ・スビル―の前に突然姿を現した聖母マリアは、以後、18回の出現を繰り返した。教区司祭をはじめ大多数の人々は否定的もしくは懐疑的だったが、3月25日の16回目の出現時に「無原罪の御宿り」と自称したことから、ようやく聖母マリアの出現と信じるようになった。
ちなみに「無原罪の御宿り」がカトリック教会の教義として公認されたのはその4年前の1854年であり、学校教育を受けておらず読み書きができなかった少女が専門的教会用語を口にしたことも、信憑性を高める一因になった。
難病の奇跡的な治癒で知られる「ルールドの泉」が湧出したのは2月25日の9回目の出現時だった。ただし、カトリック教会が奇跡と認定するには、①治療不可能な難病であること、②加療せずに突然完全治癒すること、③再発しないこと、④医学による説明が不能なこと、などの厳格な基準をクリアしなければならない。
したがって、これまでに700件を超す説明不能な治癒例が報告されているが、真の奇跡と公式に認定された治癒例は、死に瀕した赤子の蘇生、失明の快癒などの69件にとどまっている。
ローマ教皇庁がルールドの聖母出現を公認したのは、1862年。4年後の1866年。洞窟前広場の地下に大聖堂が建造され、1876年には洞窟の上にゴシック式の大聖堂が建立されてカトリック最大の巡礼地になり、現在に至っている。ベルナデッタは後に修道院に入り、1879年に歿。1933年に列聖された。
●リバの聖母出現
1948年8月18日、フィリピン・バタンガス州リバにあるカルメル修道会の入会志願者テレシタ・カスティージョが自室に入ると、香気が漂うなにか美しい貴婦人が立っており、修道院長の足を洗ってキスをし、その水を飲むようにといった。それが最初の出現で、9月12日に同じ声を聞き、翌13日に再出現があった。
夕刻、ブドウ畑で祈りを捧げていると、一陣の風とともに同じ婦人が表れた。純白のドレスを着し、祈るように手を組み、右手に金色のロザリオを持ち、司祭と修道女のために祈るように促した。
明くる14日には修道院の内外に薔薇の花びらがまき散らされるという超常現象が起こり、聖母出現があった。直後、テレシタは失明するが、テレシタの目にキスをすれば視力は戻る、という聖母の声を聞いた修道院長が指示どおりにすると、視力は回復した。
それらの奇跡を受けて修道院長らは聖母出現を教皇庁へ報告したものの、1951年、フィリピンの大司教が再調査を宣言。教皇庁が未解決事項として調査を継続している最中の2015年、リバ市の大司教ラモン・C・アルグエレスが、リパの聖母出現は真正のものだったと布告し、ローマ教皇庁もこれを追認した。
●キベボの聖母出現
1981年11月28日~1989年11月28日のおよそ8年間にわたり、ルワンダ南東部のキベホで起こった聖母出現である。
最初に出現を受けたのはアルフォンシータという若い女性で、聖母マリアは「私の娘よ」と話しかけ「世界の母である」と名乗った。
1982年からは、アナタリーが訳2年間、出現した聖母を幻視した。その後を継いだのはマリー・クレールで、出現を受けた期間は約6か月。最後の出現を受けたのはアルフォンシータである。
聖母は祈りだけでなく苦行と償い、邪悪な行為の拒否を求め、さまざまな映像を幻視させた。その映像は当初は楽しく喜びに満ちたものだったが、1984年から一変、破壊行為や血の海に沈む大量の死体など凄惨なものになり。回心しないと大量虐殺が起こるだろう、と警告を発した。
それらの映像やメッセージは、1990~1993年のルワンダ内戦、和平協定締結後もつづいたツチ族とフツ族の対立・虐殺の預言だった、と解釈されている。教皇庁がキベホの聖母出現を公認したのは2001年である。
ここまで見てきた聖母マリアの出現現象のほかに、聖母像が奇跡を起こす事例も報告されており、教皇庁が公認したものもある。なかでも有名なのは、1953年にイタリアのシチリア島シラクサで起こった聖母像の落涙現象とそれに伴う奇跡的な病気治癒だ。
その年に結婚したアンジェロとアントニーナ・ジャヌッソ夫妻は、結婚祝いに贈られた壁掛け用の聖母マリア像を寝室に飾った。アントニーナはすぐに妊娠したものの、毒血病に侵されて頻繁な痙攣の発作に苦しめられ、視力も失った。ところが、8月29日に視力が突然回復。直後に視線を聖母マリア像に向けたところ、眼の部分から涙を流しているではないか。
病気による幻覚かと疑ったが、義理の姉妹と叔母、隣人をはじめ、多数の訪問者が頬を伝って流れ落ちる涙を確認した。しかも落涙現象は断続的につづき、多くの目撃者の病気が快癒したのだ。
涙を流した聖母マリア像は特製品ではない。イタリア・トスカーナの工場で大量生産された、ごくありきたりの石膏像であり、聖職者による専門委員会が調査したが、何の仕掛けもなかった。涙の科学的調査もなされ、塩化ナトリウムの水溶液で、人間の涙の成分と同じ蛋白質化合物を含有していることが判明している。
病気治癒に関して付け加えておくなら、アントニーナの毒血病は完全治癒し、年末に健康な男児を出産した。また、290の説明不能な治癒例を医学的に調査した専門委員会は、3分の1強の105例が奇跡もしくは奇跡に近い治癒である、と報告している。
シラクサの聖母マリア像と同様の奇跡は日本でも起こった。涙を流したのは秋田市湯沢台にあるカトリック教会の在俗修道会「聖体奉仕会」が奉安する聖母像で、1975年1月4日にはじまった落涙現象は1981年9月15日まで101回つづいた。
落涙のほか、芳香現象、3つの預言(啓示)、脳腫瘍の消滅などの病気治癒の奇跡もあったとされる。
1984年、当時の教区司教が奇跡と認めて公式声明を出し、1988年、教理聖省長官ヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿(後の教皇ベネディクト16世)によって正式受理されたが、教皇庁の最終結論はまだ出されていない。
このように、教区司祭や地元司教に認可されながら、教皇庁が判断を保留している聖母マリア出現現象は20例ほど報告されている。第2次世界大戦終結以後の事例を列挙すると――。
1945~1959年=オランダのアムステルダムに出現。
1947~1983年=イタリアのモンティキアーリで看護師のピエリーナ・ジリに出現。
1961~1965年=スペインのサン・セバスチャン・デ・ガラバンダルで4人の少女に出現。
1968~1971年=エジプトのカイロで約100回出現。
1976~1990年=ベネズエラのベタニアに出現。目撃者は100人以上。
1980年=ニカラグアのクアバで農民のベルナルド・マルティネスに出現。
1983~1990年=アルゼンチンのサン・ニコラス(ブエノスアイレス)で主婦に出現。
出現した聖母マリアは、病気を治癒し、心の平安をもたらす。その一方で、預言を通じて人類に警告を発し、平和を訴え、回心を求め、信仰と祈りの重要性を説くことが多い。
だが、聖母出現とそれに伴う超常現象のメカニズムは謎に包まれている。
前記したように、聖母出現の根拠は「無原罪の御宿り」と「聖母被昇天」という教義にある。日本人には馴染みの薄い教えたが、聖母マリアの奇跡の謎に迫るには、その教義へのアプローチを第一歩としなければならないようだ。
(月刊ムー2017年7月号掲載)
藤島啓章
ライター。ムーにて基礎知識連載「世界ミステリー入門」などを担当
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