甲府UFO事件を終わらせない、コンタクティーたちの使命を問う! 「UFOKOFU1975 THE LIVE MOKUGEKI!」レポート

文=宇佐和通

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    甲府UFO事件50周年プレイベントのメイン対談の様子をレポート。終わった事件、終わらない考察。甲府という場所、当事者の体験、歴史的背景を踏まえた視点が提示された。

    発生50周年を前に現れた「マニア」

     2024年6月22日、甲府市の山日YBSホールで甲府UFO事件50周年プレイベント『UFOKOFU1975 THE LIVE MOKUGEKI!』が行われた。イベント全体のレポートは先日の記事で紹介したが、この原稿では甲府星人フィギュア作者/甲府UFO事件愛好家であるザクレスホビーさんと三上編集長のきわめて濃いトークライブの内容を紹介していく。

     “オカルトホビーメーカー”のザクレスホビーさんは、特に昭和時代の日本で起きたUFO事例を集中的に検証しているリサーチャーで、自他共に認める甲府事件マニアである。甲府事件を愛するあまり、自らプロデュースして甲府星人のソフビ人形まで作ってしまった。イベント当日も受付のすぐそばの特設ブースで、さまざまなバージョンの甲府星人がディスプレイされていた。甲府事件自体については当時の記事から最新のメディア展開までの情報をカバーして整理し、尽きることない情熱を原動力にさまざまな媒体で発信している。

    2024年2月の「49周年イベント」でお披露目された甲府星人はザクレスホビーさんのソフビに近い姿だ。

     事件発生当時はまだ生まれていなかった年齢のザクレスホビーさんが、そこまでハマるのはなぜか。そのあたりに、甲府事件の本質が見え隠れしているような気がする。

     三上編集長とのトークライブは、事件の時系列をまとめた概要の紹介から始まった。この段階ですでに、圧倒的な情報量が感じられる。事件関係者の反応から現場の状況までが詳細に語られるあたり、自分で現場に何回も足を運び、自分で話を聞いていなければ、ここまでリアルなプレゼンテーションはできないはずだ。

     甲府事件はビッグフットやネッシー、あるいは超能力といった話が雑誌媒体でかなり大きく扱われていた時代の真っただ中、1975年に起きた。オカルト現象に対する熱量は、筆者自身も皮膚感覚で記憶している。大人も子供も、オカルトをエンターテインメントの一分野としてとらえる時代だったのだ。

     ザクレスホビーさんによれば、甲府事件が世の中に広く知られるそもそものきっかけとなったのは、子ども向けの漫画だったという。宇宙人がコンテンツとして無類の強さを誇っていた時代に起きた不思議な事件に、彼自身も何ともいえない高揚感を覚えた。それが今も活動の根源であり続けている。

     ソフビ人形制作を思い立ったザクレスホビーさんは、目撃証言を取るためのヒントを得ようと、ムーの編集部に電話を入れた。その時の温かい対応は今でも忘れられないという。その時のパッションが、発生50周年に向けて甲府事件を盛り上げていく決意に昇華した。
     熱意が実って山梨のローカル局YBSのラジオ番組に出演した時、甲府事件を地域活性につなげていくというロードマップがはっきり見えた。地元の人たちの賛同も得て、記念日協会にかけあった結果、事件が起きた2月23日が甲府UFOの日として認定されることになった。来年、2025年に発生50周年を迎える甲府事件について語り、それをフックにして町おこしにつなげていくタイミングを逃すわけにはいかなかった。事件に直接関係した人々や第一世代の目撃者の高齢化が進んでいるからだ。これは、あのロズウェル事件についての検証に置き換えてもまったく同じことが言える。だからこそ、聞ける話はすべて聞いて記録に残し、文化的資源として後の世代に手渡したい。そんな熱量がザクレスホビーさんを動かしている。

    手掛けたソフビを手に甲府事件のアウトライン、メディアでの扱いを解説するザクレスホビーさん。

     ザクレスホビーさんをここまで夢中にさせ、駆り立てた甲府事件とは、UFO事件史においてどのような形で位置づけられている出来事なのだろうか。三上編集長が独自の解説を展開する。

    「終わっている事件」の向こう側を見る

     甲府事件は、事件としてはもう終わっている。ただ、わからないことの方が圧倒的に多い。いや、何ひとつ解決されていない。すべてが虚構であると決めつける人もいるけれど、伝えられている事実を客観的に見れば、何かが起きたことは間違いない。ならば、何が起きたのか。

     まず注目すべきは、目撃され、スケッチにも記されたUFOの形状、アダムスキー型についてだ。誰が見ても“ザ・UFO”と呼びたくなるような形をしている。ジョージ・アダムスキーが遭遇した機体のタイプだったためこう呼ばれるようになり、アダムスキー自身は金星人とコンタクトしてメッセージを受け取ったと言われている。アダムスキー型と表現されるタイプのUFOの目撃事例はその後も世界中で報告され、アダムスキーが本物のコンタクティーだったと信じる人たちは今もたくさんいる。

     アダムスキー型UFOには独特な形状の文字列が描かれていた。この文字列はいまだ解読されていない。甲府UFO事件の体験者である山畠氏も、機体に文字列が見えたと証言している。UFOの機体に書かれた文字という要素は、イギリスのレンデルシャムとアメリカのケックスバーグで起きた事件でも確認されている。

     こうしたタイプのUFOは、アメリカのリサーチャーの間ではナチスのUFOということでコンセンサスができている。ベル型の機体の“ディグロッケ”だ。このタイプの機体にはルーン文字が記されていた。つまり、ナチスドイツ内部でUFOのような形状の飛行体が開発されていて、その機体に奇妙な文字が描かれていたということなのだ。

     開発プロラムの中枢にいたハンス・カムラーは、ナチスドイツ崩壊後にディグロッケの1機と共に忽然と姿を消した。彼が手がけた“ハウニブ”というタイプの機体の第2世代機“ハウニブ2”は、見た目がまさにアダムスキー型UFOだった。こうした文脈の中で甲府事件を考えると、山畠氏が目撃した機体に記されていたのはルーン文字だったのかもしれないのだ。ナチスドイツがUFO型の航空機を開発していたとすれば、三国同盟を組んでいた関係上、日本軍が知らなかったはずがない……。

     スピリチュアル的な見地からの解説もあった。アダムスキーをはじめとして、コンタクティーと呼ばれる人たちは何かを伝えるという役割を与えられ、託されているものがあるように感じられる。事件の当事者である山畠氏も変わりはないだろう。何らかの使命を担わされた人なのかもしれない。その使命の具体的な内容が明らかになるのはいつなのか。

     事件のディテールを掘ることでなく、時代や場所を超えた視点では「甲府事件のこれから」にまだまだ気になる余白があるのだ。

     甲府事件をさかのぼると、編集長の解説通り、ルーツはナチスドイツのUFO型飛行体研究プロジェクトにあるのかもしれない。そして、体験者でありコンタクティーと思われる山畠氏が負う役割はどのような形で明らかにされていくのだろうか。

     実は、筆者は山畠氏に直接お会いしたことがある。その時、スマホに保管されている本当に不思議な画像を見せていただいている。その画像を思い出すと、やはり山畠氏は特別な任務を担わされている人物であるような気がしてならないのだ。

     甲府事件は、さまざまな方向に疑問と興味が広がっていく特異で特別な出来事だ。ザクレスホビーさんが語るように、地元の人々が中心になって守り、語り継いでいくべき文化的資源であることは間違いない。2025年2月の発生50周年イベントに向けての新しい展開に、心から期待している。知的好奇心をかき立て、ワクワク感をもたらし続けてくれる甲府事件の新しいチャプターは、発生50周年を機に、多くの人々の情熱とともに綴られ続けていくことだろう。  

    宇佐和通

    翻訳家、作家、都市伝説研究家。海外情報に通じ、並木伸一郎氏のバディとしてロズウェルをはじめ現地取材にも参加している。

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