あの世から抜けだす「幽霊画」の女たち/吉田悠軌の怪談解題・呪物編

文=吉田悠軌

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    幽霊を描く。円山応挙をはじめ、これまでに数多の絵師たちが挑んできた「この世ならざる存在を〝リアル〟に描く」という取り組みは、見るものを圧倒する迫力とともに、2次元の世界に収まらず現実に飛びでてこようとさえする、おどろおどろしい幽霊画を生みだしてきた。そして、そこには当然、奇怪な話もつきまとうわけで――。

    怪異物蒐集家が語る--幽霊画が招いた女児の霊

     その幽霊画の女は、見るも無残な顔をしていた。
     髪の抜け落ちた描写にくわえ、劣化により白色顔料の胡粉が剥げてしまっている。美術品としては悲惨な状態だが、幽霊画としてならむしろ凄味が増しているだろうか。ただ顔全体の異様さと対照的に、女の表情には優しさと慈しみが感じられる。その視線の先に抱いているのは赤ん坊。肌の暖かな色合いからして、こちらはまだ生きているようだ。
     つまり母親の霊が生きた赤子を抱いている、ウブメもしくは子育て幽霊の図なのだろう。

     この掛け軸を見せてくれたのは、役者でありコレクターでもある渡辺シヴヲ氏。
     彼いわく、これにまつわる「うっすらとした怪談」も体験しているのだとか。

    「10年前、ライブイベントでこの絵を披露したんですよね。仲間の女優が音響スタッフとして手伝ってくれたんですが」

     数日後、彼女からあることを打ち明けられた。イベント中にはいえなかったが、舞台上に妙なものがいたというのだ。
     天井のフックに掛軸を吊るし、客席に向かって拡げたときである。音響席の彼女からは、ほんの一瞬、その前に人影が立ったように見えた。

    「子供だと思った。女の子だったんじゃないかな、といわれてしまい……」

     自分は美術品としての幽霊画がほしかったのであり、呪物を求めていたわけではない。お化けが憑いているなんて勘弁してくれ、と思ったのだが。

    「彼女によれば、こちらに背を向けてじっと絵を見つめていた感じだったと。ということは掛け軸に憑いてるんじゃなく、どこかから見にきただけかな、と少し安心しました」

     どうだろうか。確かにその子は絵を「見にきた」のだろう。ただそれは、絵のなかの赤ん坊本人だったのではないか。生きて成長した女の子が、自分を抱く亡き母親を眺めようと現れたのではないか。この話を聞いたとき、私はそんなふうに思った。

    怪異物蒐集家・渡辺シブヲ氏所蔵の赤子を抱く幽霊の掛け軸。

    幽霊画の代名詞円山応挙

     さて、幽霊画といえば円山応挙である。写生画の大家である応挙は、幽霊までをもまるで「見てきた」かのようにリアルに描写した。その影響はすさまじく、全国各地に応挙作と伝えられる(=伝応挙)幽霊画が存在する。ただし応挙の真筆と公式認定された幽霊画は、カリフォルニア大学バークレー校と青森県の久渡寺が所蔵する2幅の幽霊画『返魂香之図』のみ。
     ここに描かれている女性は、若くして亡くなった応挙の妾「お雪」だといわれている。霊魂という不可視のものをどう写生すればよいのか。悩み苦しむ応挙のため、お雪が幽霊となって現れ、その姿を目の当たりにさせたのだとか。また久渡寺では年に一度、お雪の命日である旧暦5月18日に1時間だけ『返魂香之図』を公開するのだが、その当日や前後の日にはたいてい雨が降るともいう。
     他の伝応挙幽霊画も、枕元に立った妾(または妻)の霊を描いた、あるいは女性の死体を参考にしたなどと伝えられている。
     いずれにせよ空想ではなく写生、「実物を見た」ことが重要だ。なので当然、モデルを見た際のエピソードもまた怪談のような話になってくる。
     伝応挙幽霊画のなかで最も謎めいているのが、静岡県島田市の白岩寺に残された掛け軸だ。沼のほとりの葦の茂みに、下半身のない女幽霊が佇む情景……らしいのだが詳細は不明。なにしろ門外不出・撮影厳禁のため、寺で拝観させてもらうしか手段がない。掛け軸の箱書きには慶應3年の筆で「他出禁」と記されており、みだりに関わることが禁じられている。インターネットには画像どころか訪問記すらなく、いくつかの書籍で閲覧者たちの記述が読めるだけ。恐縮ながら私もまだ白岩寺に伺えていない。ここまで非公開を貫く理由は、おそらくこの絵の「祟り」に起因している。

    久渡寺に伝わる「反魂香之図」。応挙の真筆と認められた貴重な一幅だ(久渡寺所蔵)。

    江戸・明治の大絵師たちにまつわる怪談

     まだ若者だった円山応挙が、東海道へ修行の旅に出ていたときのこと。
     島田宿に着いたところで川の増水に遭い、応挙はしばらく足止めを食らってしまう。せっかく旅はたごや籠屋にて長逗留するのだから絵を描こうとするが、どうにもピンとくる画題が見つからない。
     そんなある日のこと。深夜、厠へいこうと廊下に出たところで、応挙は怪しい光を目撃する。闇の向こうから灯りがひとつ、ゆっくりと近づいてくる。やがて若い女の、青白くやつれた顔が浮かびあがった。
     幽霊ではない。病床に伏せっている、この宿の娘だ。ロウソクを片手に乱れ髪を揺らし、もつれ足を引きずりながら、娘は目の前を通り過ぎていった。
     応挙は尿意も忘れ、勢いよく自室へと駆け戻った。ようやく描くべきテーマを摑んだからだ。たった今目の当たりにした、あの女の凄惨で哀れで恐ろしい姿を、そのまま写し取らなければならない。
     それはまことに玄妙なる幽霊画として完成した。応挙はこの絵を宿の主人に渡すと、また次の画題を求めて旅立ったのである。
     しかしその後、旅籠屋では不幸や怪事が続出。祈禱師に易をたてさせると、例の掛け軸の祟りだとの卦が下る。そこから所有者を転々としたが、いずれの場所でも祟りを起こす。ついには白岩寺へと納められ、門外不出の「公開すれば祟る幽霊画」として秘蔵されることとなったそうだ。

     幕末から明治に活躍した月岡芳年にも、似た話がある。
     明治41(1908)年に泉鏡花らが催した怪談会が、翌年『怪談会』(柏舎書楼)に書き起こされ出版された。そこで画家・鏑木清方が語ったのは、師匠である月岡芳年の体験談。
     大磯へと旅行していた芳年は、その夜、弟子とともに女郎屋へと繰りだした。2階へ続く梯子段のすぐそばの部屋に通されたものの、奇妙なことにいくら待っても遊女が来ない。
     そこで「はーい」と声が響いた。遠くから禿(見習いの少女)がばたばたと向かってきたようだ。はて、だれも呼んでいないのに、と芳年が障子の隙間から覗いてみると。
     梯子段の上に、女が立っていた。店の女郎なのだろうが、異様なほどにやせ細っている。病み衰えた顔も、着物からはだけた肩も、服に隠れたシルエットまでもが骸骨そのもののようだ。女は下を向き、枯れ木のような腕で手招きをしている。ただそれだけなのに、全身の毛が逆立つほどにおぞましい。
     芳年は思わず障子をぴしゃりと閉めた。梯子段を忙しなく昇る音が聞こえ、ややあって、また段のきしむ音が鳴る。ふたたび障子を開けると、禿の少女が不思議そうな顔で降りてくるところだった。尋ねてみれば、2階で声をかけたものなどだれもいなかったのだという。
     後日聞いたところでは、芳年が通されたのは「因縁つきの部屋」だったのだとか。いくら待っても女郎が来なかったのは、それが理由であったようだ。 芳年は自らが見た女の姿を『宿場女郎図』として描いた。そのため鏑木清方のこの怪談には、「幽霊の写生」との題がつけられている。

    月岡芳年画「宿場女郎図」。芳年が実体験に基づいて描いたという(全生庵所蔵)。

    解題――あの世とこの世のあわいを描く「幽霊画」という営為

     今年の久渡寺での『返魂香之図』公開日は7月2日。その3日後、私は同寺での怪談イベントに参加し、ご住職による幽霊画の解説などをうかがうことができた。

    久渡寺で開催された怪談イベントの様子。筆者のうしろにみえるのが実写化された「反魂香之図」の掛け軸。

     われわれが怪談を語っている後ろに展示されていたのは、『返魂香之図』を実写版に仕立てた掛け軸。地元歌手のジョナゴールドが幽霊に扮した写真画像である。まさに現代における幽霊の「写生」ともいうべき作品だ。ご住職によれば、今の時代に合わせた幽霊画を表現してもらいたかったのだという。

     では写真以前のリアリズムとはいかなるものだったのか。
     本邦の幽霊画の基礎となった円山応挙は、日本美術における「写生」の価値を確立した人物でもある。対象たる実物を観察し、リアルなあり様を描出していく。西洋画とも通じる、科学と客観による近代的精神が、幽霊画にも応用されたのだ。しかしあの世のものをこの世のものとして現前させるとは--それこそ心霊写真のように--一見すれば矛盾めいた所業ともとれるではないか。

     応挙や芳年の作品成立にまつわる伝説は、まさにこの矛盾を説明するためのナラティブだった。それが幽霊であろうと、まだ生きている病人であろうと、絵師たちは彼岸と此岸の隙間にいるものを確かに実際に「見た」。そしてその実見の「写生」だからこそ、生々しい幽霊という離れ業が成立したのだろう、と人々は想像した。

    掛け軸の次元を飛びだし現実に迫りくる幽霊たち

     そこに描かれている幽霊たちは、こちら側とあちら側にまたがる存在に他ならない。だから絵や掛け軸という2次元に収まりきれず、常に現実世界へ飛びだそうとする運動法則を持っている。近代に入ると、そうした幽霊画のメカニズムに自覚的な作品が次々と登場したのだ。月岡芳年『応挙之幽霊』(『芳年略画』船津版)では、描かれている最中の幽霊が飛び出し、それに見つめられた絵師が驚く瞬間が描かれている。

     また幽霊画には「描表装」という掛け軸の表装(西洋画の額縁にあたる装飾部)を描く手法が少なくないが、これをさらに推し進めた3D的な奇想も登場してくる。河鍋暁斎『幽霊図』(ライデン国立民族学博物館蔵)では、幽霊の頭部や肩が掛け軸の表装にまではみ出している。またよく見れば、その掛け軸自体が画中画であり、「幽霊画から幽霊が飛びだしている場面を描いている絵」だと察せられる。

     清水節堂『幽霊画』(清瀧寺徳源院蔵)はさらに明確な画中画だ。風帯という細い布がなびいているので、掛け軸内部で風が吹いていることがわかる。幽霊はもはや本紙を大きく飛びだし、こちらに迫ろうとしている。鑑賞者たちは絵ではなく、そこから迫りくる幽霊を見ているのであり、さらにその幽霊もまた鑑賞者を見つめている。

     冒頭で紹介したシブヲ氏所蔵の掛け軸は、応挙や芳年と比ぶべくもなく、お世辞にも達者とはいいがたい作品だ。だがそれでも、絵の内部からなにかがこちらへ抜けでてくるのが幽霊画なのである。
     またその幽霊が、自らを見つめる母親の絵を見つめているのも面白い。もちろんその霊を見てしまった体験者もいるのだから、幾重にもわたる視線の交錯が発生している。幽霊画はいつも「見る」ことの不可思議さを突きつけてくるのだ。

    月岡芳年「応挙之幽霊」(国立国会図書館デジタルコレクション)。
    これも幽霊の頭部が表装にまで飛びでた意匠の幽霊画(柴田是真画、ロサンゼルス・カウンティ美術館蔵)。
    清水節堂「幽霊画」(徳源院所蔵)。掛け軸の表装から大きく飛びだした姿が見るものを圧倒する。

    ※参考文献:堤邦彦『日本幽霊画紀行―死者図像の物語と民俗』(三弥井書店)/榊原悟『日本絵画のあそび』(岩波書店)

    (月刊ムー 2026年9月号)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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