共時性シンクロニシティの量子力学/MUTube&特集紹介 2023年7月号
「量子もつれ」の存在が証明された!科学と心理学が示した意外な共通点とは!? 三上編集長がMUTubeで解説。
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あらゆる出来事は、その時々の原因と結果によって起こるものだが、なかには時間や空間に隔たりがあるにもかかわらず、奇妙な関連性が見られる出来事も少なくない。 それらは通常、「偶然の一致」として説明されるが、本当に単なる「偶然」なのか?
「因果律」という法則がある。いっさいの事象(結果)は原因があって生起し、原因がなくては何も生じない、というものだ。ところが、その法則を破る事象や現象が時として起こることがある。いくつかの実例をあげよう。
まずはアメリカ大統領にまつわる”0(ゼロ)の呪い”。末尾に0がつく年に当選した大統領は任期をまっとうできない、というジンクスがあるのだ。
1840年当選の第9代ウィリアム・ハリソン=就任後、わずか30日後に肺炎で急死。

1860年当選の第16代エイブラハム・リンカーン=1期目は無事4年間の務めを果たしたが、2期目の1865年4月14日、観劇中に狙撃されて死亡。
1880年当選の第20代ジェームズ・ガーフィールド=就任してから4か月後、母校の同窓会に出席した際、政治的に対立していた弁護士が放った凶弾に倒れた。
1900年当選の第25代ウィリアム・マッキンリー=1896年の大統領選で初当選を果たしたが、2期目の1901年9月6日、博覧会会場で暗殺。


1920年当選の第29代ウォーレン・ハーディング=23年夏、西部地方を遊説中に心臓発作を起こして急死。
1940年当選の第32代フランクリン・ルーズベルト=1932年の初当選以後、36年、40年、44年と4期連続当選したが、4期目の45年4月に脳溢血で急逝。
1960年当選の第35代ジョン・F・ケネディ=63年6月6日、遊説先のテキサス州ダラスで暗殺。
1980年当選の第40代ロナルド・レーガン=2期8年の任期を務めあげたが、81年に暗殺未遂事件に遭遇。盾になって頭部に被弾した補佐官は下半身不随になり、車椅子生活を余儀なくされた。


2000年当選の第43代ジョージ・W・ブッシュ=2期8年の任期をまっとうしたものの、何度か危機にさらされている。
当選からわずか3日後、ブッシュが所有するヨットが放火されて全焼した。01年9月11日には、世界中に衝撃を与えたアメリカ中枢同時多発テロが起こった。そのおり、テロリストたちはホワイトハウスや大統領の保養地キャンプ・デービッドも標的にしていたという。02年1月には、プロフットボールをテレビ観戦中、菓子を喉につまらせて呼吸困難に陥り、意識不明状態になった。
末尾に0がつく年に選出された大統領は軒並み、暗殺されたり病死したりしており、レーガンとブッシュもまた危機一髪だったのである。
このように、因果律に反する奇妙な符合を「偶然の一致」という。
同じくアメリカ大統領にまつわる偶然の一致をもう一例。第16代大統領リンカーンと第35代大統領ケネディの間には摩訶不思議な共通点がある。


▼リンカーンが大統領に就任したのは1861年で、ケネディはちょうど100年後の1961年に大統領の座に就いた。
▼リンカーンが暗殺されたのはフォード劇場で、ケネディが暗殺されたとき乗っていた車はフォード社製。
▼ふたりとも妻の前で暗殺された。
▼ふたりとも頭部を狙撃された。



▼ふたりとも金曜日に暗殺された。
▼ふたりとも子どもは4人。
▼ふたりとも20代で亡くなった姉妹がいる。
▼ふたりとも大統領在任中に息子を亡くしている。
▼ふたりとも40歳まで生きた子どもはひとりしかいない。
▼リンカーンの息子ロバートは1889~93年、ケネディの父ジョセフは1938~40年に駐英大使を務めた。
▼リンカーンの秘書の名はケネディで、ケネディの秘書の名はリンカーン。ふたりの秘書はともに、暗殺されることになる場所に行かないようにと大統領に進言していた。
▼リンカーンを暗殺したブースは1839年生まれ、ケネディを暗殺したとされるオズワルドは1939年生まれで、ちょうど100年の差がある。


▼ブースは劇場でリンカーンを狙撃したあと倉庫に逃げ込み、オズワルドは倉庫からケネディを狙撃したあと劇場へ逃げ込んだ。
▼リンカーンの死後に大統領になったのは南部出身のアンドリュー・ジョンソンで、ケネディの死後に大統領の座に就いたのは同じく南部出身のリンドン・B・ジョンソン。前者は1808年生まれ、後者は1908年生まれで、ふたりの生年にもちょうど100年の差がある。
このように、リンカーンとケネディの間には、偶然とはいえないような恐ろしいまでの偶然の一致が見られるのだ。この世界にはわれわれには不可知の法則性があるのだろうか……。
小説に描かれた虚構の世界が、のちに現実化するという偶然の一致もある。有名なのはタイタニック号の海難事故だ。
アメリカの作家、モーガン・ロバートソンは1898年、『タイタン号の遭難』というタイトルの小説を発表した。巨大な豪華客船「タイタン号」が処女航海で氷山に衝突して沈没する、というストーリーである。
それから14年を経た1912年4月10日、「タイタニック号」と名づけられた豪華客船が、イギリスのサウサンプトン港からニューヨークへの処女航海に出た。だが、4日後の14日の夜、北大西洋上のニューファンドランド島沖を航行中、氷山に衝突して沈没。乗員・乗客2223名のうち1517名が死亡するという史上最大の海難事故が起こった。

このタイタニック号の遭難の模様と、『タイタン号の遭難』の内容には信じられないほどの共通点があるのだ。
▼船の名称が似ている。
▼ともに4月に処女航海に出た。
▼乗客はともにヨーロッパおよびアメリカの著名人。
▼航路はともに北大西洋北方航路。
▼両船ともに沈没するはずはない”不沈船”と呼ばれていた。
▼両船ともに巨大な豪華客船で、タイタン号の排水トン数は7万5000トン、タイタニック号は6万6000トン。全長はタイタン号が800フィート、タイタニック号は882.5フィート。プロペラ数はともに3。救命ボート数はタイタン号が24、タイタニック号は20。
▼乗員・乗客数はタイタン号が3000人、タイタニック号は2223名。
▼両船ともに氷山に衝突して沈没。
▼氷山に衝突したときの速度はタイタン号が25ノット、タイタニック号が23ノット。
船名はおろか、事故原因、船のデータもほぼ一致している。あたかも小説の内容を現実化したかのような事故が発生したのだ。
この偶然の一致にはつづきがある。W・T・スティードという新聞記者が、死者多数を出した某客船の遭難について、「救命ボートが不足していたからだ」という主旨の原稿を書いた。タイタニック号も十分な数の救命ボートを装備していなかったために大惨事になったのだが、なんとその遭難者リストにW・T・スティードの名も載っていたのである。

所有者に災難をもたらす偶然の一致もある。オーストリアのフランツ・フェルディナント皇太子が特注してつくらせた高級車ベンツ540にまつわる戦慄の話──。
1914年6月28日、セルビアのサラエボ。皇太子夫妻は完成したばかりの真紅のベンツでドライブ中だった。夫妻は後部座席、ナビ・シートにはオーストリア軍のポティオレック将軍が坐っていた。
そのドライブの途中、突然街角から飛びだしてきた男が銃を乱射し、夫妻は暗殺された。第1次世界大戦の引き金になったとされる事件だ。そしてこの事件は血塗られた偶然の一致の発端にもなるのである。



その後、ベンツはポティオレック将軍が所有した。数週間後、将軍はバリェボ戦線の作戦に失敗し、3個師団を潰滅(かいめつ)させるという大敗北を喫した。その不名誉に耐えきれなかったのか、将軍はウィーンに召喚されたあと狂死した。

次のベンツの所有者はポティオレック将軍の参謀だったスメリア大尉。彼は譲り受けてから9日後、走行中にふたりの農夫を轢き殺し、自らも木に激突して即死した。
4番目の所有者はユーゴスラビアの知事。知事は1か月に一度の割合で交通事故を起こし、6回目の事故で、命は取り止めたものの、右腕と右足を失う重傷を負った。
5番目の所有者は医師のコクレット。半年後、ベンツは側溝に転落し、コクレットは死体で発見された。
6番目の所有者はオランダの宝石商。ベンツを入手後、毎晩悪夢に悩まされるようになり、1年後に自殺した。
7番目の所有者はサミレスというスイス人レーサー。アルプスで行われたレースに参加し、レース中、車から投げだされて死んだ。
8番目の所有者はドイツの実業家。入手した当日、石の門に激突して即死した。
9番目の所有者はユーゴスラビアのゴルシュという農場主。ある日のドライブ中、エンストしたので、通りかかった荷馬車に牽引してもらった。ところが、ベンツのエンジンが突然かかり、暴走しはじめたベンツは崖下に転落、ゴルシュと同乗者ふたりが即死した。
最後の所有者になったのは、自動車修理工場を経営していたハースフィールド。彼はベンツを修理し、祟(たた)りを除こうとボディを青色に塗り替えた。そして、6人の友人を同乗させて結婚式から帰る途中、前を行く車を追い越そうとアクセルを踏み込んだ瞬間、ベンツが暴走して壁に激突。ハースフィールドと4人の友人が死亡した。
以後、このベンツに乗る者はなく、ウィーンの博物館に引き取られて保管されることになった。
次に紹介するのは、数字にまつわる偶然の一致。単独の航空機事故としては世界最多の死者520名を出す大惨事になった日航ジャンボ機墜落事故が起こったのは、1985年8月12日だった。この事故にはなぜか、「9」という数字が絡んでいるのだ。
羽田発伊丹行きのJAL123便の墜落事故で死亡したタレントの坂本九(「9」)の遺体発見は、墜落の「99」時間後だった。
彼の棺番号は333(3+3+3=「9」)で、彼のマネジャーの遺体確認番号も333(同)。彼が司会をしていた番組『ふれあい広場サンデー九』は「9」月8日で満「9」年を迎えるはずだった。彼が『クロスファイブ』という番組に最後に出演したのは「99」回目の放送時だった。
彼の本葬が行われたのは「9」月「9」日で、彼の元マネジャーが立候補した市議選の開票日も同日の「9」月「9」日だった。彼はその応援に行く途中で事故に遭ったのである。
JAL123便が墜落したのは群馬県上野村で、同村の黒沢村長は日航機内誌『ウインズ』の「9」月号に登場していた。全国の47都道府県が順番に登場するのだが、それにしてもなぜ群馬県のなかで、よりによって上野村が選ばれたのだろうか。むろん、取材が行われたのは事故以前のことである。
イギリスのチャールズ皇太子の元妃で、恋人とともに交通事故死したダイアナにも、キリスト教圏では不吉な数字とされる「13」がつきまとっている。

1997年8月31日、恋人の大富豪ドディ・アルファイドと一緒に乗っていた車がパパラッチに追跡された果て、パリはセーヌ川右岸の自動車専用道路のトンネル内で事故を起こし、コンクリート柱に激突してふたりは死亡した。
その激突したコンクリート柱は、トンネルの入口から数えて「13」番目の柱だった。
大破した車の床には、アルファイドがダイアナに贈った婚約指輪が転がっていた。その指輪の値段は「13」万ポンドだった。
ダイアナの葬儀は9月6日にウェストミンスター寺院で行われ、ブレア首相が聖書の一節を引用して弔辞を述べた。引用したのは「コリントの信徒への手紙一」のうちの第「13」章第「13」節だったのである。
それにしても、因果律に反する偶然の一致はなぜ起こるのか。そのメカニズムはいったいどうなっているのだろうか。
進化生物学者パウル・カメラーは偶然の一致に興味を抱き、20年間にわたって事例を収集。1919年に『連続性の法則』という本を著し、”連続性”という概念を打ちだした。
「意味としてはつながるが、因果的にはつながらない事柄や事件が、空間的に同時に起こったり時間的に繰り返し起こったりする」として、因果律が支配する物理的世界にも非因果的な原理が作用する、と主張したのである。
つまり、偶然の一致のように見える事象も自然の法則の一環であり、実際には至るところで起こっていて、われわれが気づくのは氷山の一角にすぎない、ということだ。
それからおよそ30年後、心理学者のカール・G・ユングはカメラーのいう連続性に刺激され、偶然の一致を「同一あるいは類似した意味を持つ、ふたつ以上の因果的にはつながっていない出来事が同時に起こること」と定義し、「シンクロニシティ」という言葉を使った。
カメラーが時間的に連続する事象に興味を持ったのに対し、ユングは空間的に同時に発生する事象に注目したのである。
またハンガリーのジャーナリストで小説家であるアーサー・ケストラーは、カメラーやユングの説を踏まえながら、非因果的な事象は、秩序へと向かう宇宙がより高次の段階へ移行する表れととらえている。
●参考資料=『科学では説明できない奇妙な話』(運命の謎を探る会編/河出書房新社)、『世界の謎雑学事典』(藤島啓章著/日本文芸社)、「世にも不思議な『偶然の一致』」(武内孝夫/「ムー」80号所収)ほか
(月刊ムー 2011年3月号初出)
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