悲劇の霊能者・高橋貞子/MUTube&特集紹介
「貞子」と聞いて、ホラー映画『リング』を思い浮かべる人は多いだろう。 「貞子」にはモデルとなった人物がいる――それが本稿における主人公・高橋貞子である。 明治・大正期に「千里眼」として名を馳せた彼女だ
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コロナ禍のいまだからこそ行ってみたい、「神々のおわす場所」がこの国にはある。そんな、とっておきの「ニッポンの奥宮」のひとつが、山梨県上野原市の軍刀利(ぐんだり)神社である。
このコロナ禍のなかで、筆者は『神木探偵』、『異界神社』と題する本をつづけて上梓した。前者は昨年4月、はじめての非常事態宣言が発出されたタイミングで、後者は、オリンピック開催から感染爆発へと雪崩れこむ今年の8月上旬のことだった。
この間、「不要不急」の外出自粛が呼びかけられるなか、「宣言」や「まんえん防止」の間隙を縫う形で、これはと思う聖地・神域への取材を敢行した。
そのたびに、「いまそこへ行くべきか」とみずからに問わざるをえなかった。〝異界神社〟とは、この世ならざる奥宮や最果てのお社を指す神域であり、もとより〝密〟になりようがない場所なのだが、不要不急の外出にはちがいない。
じりじりと状況を眺めながらも、結果として「いま行っておかなければならない場所」のいくつかが残った。こんな、漠然とした将来に対する不安が覆うときだからこそ、ニッポンの原点ともいうべき「カミがおわす場所」を、この目で、五感で確認しておかなければ──そんな強い思いに背中を押されたのである。
そのなかのひとつが、山梨県上野原市棡原に鎮座する軍刀利神社だった。
JR中央本線に乗り、上野原駅で下車。そこからバスで終点の「井戸」に向かう。到着した井戸集落の奥はかつて門前町だった風情をわずかに遺しているが、いまはひっそりと参拝者と登山者を山の奥へと誘っていた。
まず気になるのは、「グンダリ」という聞き慣れない社名だ。
地名に由来するものではない。その音韻にピンと来た人もいるかもしれないが、密教でいう五大明王の一・軍荼利明王に由来するもので、明治以前は社名も軍荼利夜叉明王社と呼ばれていたという。
一般にはなじみが薄いかもしれないが、軍荼利明王は房総半島や奥武蔵(埼玉や東京の西部)の山寺にも独尊で祀られており、在地の守護神として知る人ぞ知る存在である。
当社の創建は永承3年(1049)。筋に鎮座していた(現在も元社がある)が、室町時代に西麓の現在地に遷り、武田信玄の奉献を受けるなど、広く信仰を集めていたという。
もとより山岳修験の霊場だったのだが、明治初年の廃仏運動を受け、仏尊由来のグンダリの社号を「軍刀利」に改称。主祭神は日本武尊に改められた。
唐突な改変にも思えるが、関東のグンダリ信仰は多く日本武尊と結びついており(このあたりの謎は興味深いがここでは割愛)、日本武尊は東征の帰途この地で足を休めたという伝説も残っている。まったく故なしではないようだ。
さて、参道は途中から急坂となり、やがて軍刀利神社の本殿に向かう長い長い石段に迎えられる。思わず呆然と見上げる。その先が見えないほどのアプローチは、鬱蒼とした木立も相まって、まさに異界への参入を思わせる。
長い石段は俗世界の雑念を忘れさせ、心身のモードを神域のそれへとチェンジさせてくれる。そしてようやく本殿前に到着。参拝者の目に入ってくるのは、拝殿脇に据えられた剣のモニュメントと、脇殿に奉納された巨大な木刀群である。
「軍刀利」と名を変えた当社は、戦前、東国征伐の神話で知られる武神ヤマトタケルゆかりの神として出征兵士らに崇められた。奉納の刀は、武運長久を祈った兵士やその家族らの祈願の証なのである。
ともあれ、神域・霊場としての醍醐味は、実はこの奥にある。
登山家で民族研究家の岩科小一郎が書いた「軍荼利山縁起」と題する小論(『山麓滞在』所収)に、こんな古老のいい伝えが記されていた。
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「これ(軍刀利神社の元社)より下方、約二丁(約220メートル)に休み石と称する方形の奇石あり、傍らに泉湧き出る処あり。清澄なるひとつの水溜まりがあり、地廻り(根回り)三丈五尺(約10・5メートル)、目通り(人の目の高さの幹回り)二丈三尺(約7メートル)位の大桂の樹あり。一見荘厳霊地の処たるを感ぜしむ。すなわち日本武尊が長途の疲れを癒し、渇きを凌ぐため自ら汲みて用いたる処なりと伝う」
補足すると、山梨(上野原市)と東京(檜原村)、神奈川(相模原市)との境をなす山の尾根筋に軍刀利神社の元宮があり、そこから二百数十メートル下ったところに、泉が湧き、大カツラの木が繁る「荘厳霊地の処」があるという。そこが日本武尊ゆかりの場所でもあるというのだ。
その場所こそ、軍刀利神社の奥之院である。
本殿脇から延びる急坂の舗装道路は、途中から完全な山道になる。息を切らしながら歩を進めると、やがて木の鳥居が遠くに見えてきた。そのシルエットが近づき、額束に書かれた手書きの「奥之院」という文字を確認するとほどなく、柱の間から萌えあがる針山のような特異な樹相が目に飛び込んできた。
せせらぎの音が聞こえる。向かって右奥から清水が流れ下り、彼岸と此岸を分けるように参道を横切っている。それを渡す鉄製の赤橋の奥に大カツラが聳え立ち、その脇に伸びた古びた石段が折り重なってお社に通じていた。
夢に出てきそうな光景である。
ふいに〝仙境〟というワードが衝いて出た。
人跡の及ばない深山幽谷、清冽な泉が湧き、精気に満ちた霞が流れる龍穴の地。天地陰陽の術に通じた不老長寿の仙人が、霊樹のたもとで永遠の境地に心を遊ばせる……。そんな、筆者が妄想する〝仙境〟にもっとも近しい場所がここにあった。
カツラの巨木は、多く谷間の清冽な水辺に孤立している。主幹部の周囲には大小無数のヒコバエ(若木)が群生するのが特徴で、それらを束ねた幹周りが20メートルを超える木もあると聞く。
この木の場合、幹周りは前述の数字よりやや大きい9メートルほどだが、2本に分岐した主幹が天高く伸び(樹高33メートル)、際立った威容を見せつけている。とくにこの場合、「日照りにも涸れることがない」水源の清水とともにあることが重要である。
しかるべき場所の湧水ポイントは、その地域の生命の根源であり、古来カミ祀りのポイントでもあった。そんな場所に立つ大カツラは、もはやただの木ではない。
事実、「水木様」とも呼ばれていたといい、次のような伝説もある。
「(山頂の)平地に小さな祠(元社)があり、願いごとは何でも叶えると人気だったが、祠の扉を開けてご神体を見れば目がつぶれるといい伝えられていた。
あるとき無茶な男がいて、こっそり扉を開けて中を覗いた。するとさっと白光がほとばしり、ひとつの黒影が飛び去って数百メートル下の大カツラに降り立った。その瞬間、元社前の大ケヤキが根元から折れ、同時に沛然と豪雨が来た。
村人らが神主を押し立てカツラのもとに行くと、そこに黒光りする荒彫りの木像があった。村人らはその像を神社本殿に祀り籠めると、豪雨もぴたりとやんだ。
その後、同じような怪異があり、そのつど村人らは豪雨のなか木像を捜す事態となり、ついには木像を鎖で搦めてしまった。ところがのち、村人はこの像を雨乞いに用いることを思いつき、干天になれば扉を開けて雨を得た。『この雨乞いの当たらなかったためしはない』といわれている」(前掲書より要約)
右はいわば、「雨をもたらす御神体」の伝説であり、大カツラはその依り代である。
そしてその御神体は、「黒光りする荒彫りの木像」であった。
この木像の正体は明かされていないが、当社本来の御神体であったとされる軍荼利明王像と考えるのが自然だろう。つまり、この伝説は軍荼利明王の霊験譚なのである。
先述したように、この明王は密教が奉じる五大明王のひとつである。図像として知られるその姿は、一面八臂、3つ目の忿怒相で、正面2本の手指を3本立てて(三鈷印)胸前で交差するというもの。印象的なのは、10の手足それぞれに巻きついたヘビである。その姿から想起されるのは、蛇神の権化であり、龍蛇神のエネルギーを体現するものとしての明王像である。
ちなみに、龍もヘビも水のちからをシンボライズする水神である。伝説の文脈に沿っていえば、龍蛇の王として解き放たれ、エネルギーを全解放させた軍荼利明王が、水神の御座所である「水木様」(大カツラ)のたもとに降り立ち、権能をふるって思うがままに雨を降らせたというストーリーである。
ちなみに、「軍荼利」の語源であるインド・サンスクリットの「クンダリニー」「クンダリン」は、「水瓶」、あるいは「とぐろを巻いた蛇」または「螺旋を有するもの」の意であるという。
やはり「水」と「蛇」に由来するモチーフである。
また、インド・ヒンドゥーの伝統では、「クンダリニー」は人体に存在するとされる根源的な生命エネルギーを意味するという。そのエネルギーを覚醒させるのがクンダリニー・ヨーガと呼ばれる身体技法で、通常は脊柱の下部( 会陰)に眠っているエネルギーをこの技法によって目覚めさせ、体内を縦に連なるチャクラを螺旋状に経由しながら上昇し、神秘的な体験にいたるという。
取材時には気づかなかったが、軍刀利神社の本殿から奥之院、山頂の元社にいたる垂直軸に、谷川が螺旋状に流れていることを指摘するブログの記事を拝見した(ブログ「おすすめパワースポット」。事実、軍刀利山は「クンダリニー・エネルギー」というべき神秘的な回路で結ばれたパワースポットだったというべきかもしれない。
このほか、「龍脈」と「穴」という風水の脈絡でこの地を秘密を解き明かす説もあり、いま、軍刀利神社およびその神域はさまざまな角度から注目を集めている。
なお、先に筆者はその奥之院の風情を〝仙境〟にたとえたが、それもあながちまちがってはいなかったようだ。
後で知ったことだが、井戸集落のある旧棡原村は、事実、かつて日本一の長寿村として名を馳せていたらしい。
村の入り口にある記念碑にはこう書かれていた。
「古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣粗食、耕雲種月の日々を楽しんできた…(中略)…女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を全うしまさに、身士不二の桃源郷である」
帰途、一の鳥居のある集落まで下り、南西に開けた斜面を見下ろすと、山々の先に富士山が悠然と稜線を結んでいた。再びはっとして立ちつくす。
バスの終点の先には、この世ならざる異界神社と、ささやかな桃源郷があった。
本田不二雄
ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。
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