古史古伝「上記」を裏付ける遺物か!? 国東半島の神代文字岩/猿田彦TV

文・写真=猿田彦TV

関連キーワード:
地域:

    大分県のとある山中に眠る巨石。そこに刻された謎の神代文字じんだいもじは、神武天皇以前に存在したウガヤフキアエズ王朝の秘史を伝え、超古代文献ともリンクしていた!

    巨石に刻まれた神代文字

    画像1
    国東(くにさき)半島の某里山の山中にある神代文字岩(南面)。高さ1.5メートほどの巨石の表面に神代文字とおぼしきものが刻まれている。岩全体は鳥の頭のような形状をしており、これも何か意味があるのかもしれない。

     大分県国東(くにさき)半島の某里山の山中に、神代文字(じんだいもじ)が刻まれた巨石がある。周囲約3.5メートル、高さ約1.5メートルの巨石で、その全体は鳥の頭のような形にも見える。巨石の北面には、神代文字のひとつである豊国(とよくに)文字によって、「トミアキタラシナカオキテンノウ」と刻まれている。
     神代文字とは漢字が渡来する以前、もちろん仮名文字も存在しない、上古の昔の日本で使われたといわれている文字のことである。漢字渡来以前には日本には固有の文字はなかったとする説が一般的だが、その一方で、神代文字存在説は、古史古伝(こしこでん)や古神道(こしんとう)の関係者を中心に現在も支持されている。

    「トミアキタラシナカオキテンノウ」とは、いわゆる古史古伝のひとつである『上記(うえつふみ)』に記載されているウガヤフキアエズ王朝第25代富秋足中置天皇のことである。
     南面には35文字が彫られていて、「アヒル草文字」「豊国文字」「出雲(いずも)文字」という3種の神代文字が組み合わされている。

    画像2
    巨石の北面。中央部の上には豊国文字で「トミアキタラシナカオキテンノウ」と記されている。

    その内容を「稲荷⾔靈解読」

     その内容をそのまま読むと、「この場所を焼き、大地を耕せ。霜害に遭わぬよう太陽神を祀れ。これはフキアエズ25 代天皇の言葉である」と解読されている。
     だが、ここでは言靈(ことだま)解読法と文字の配置から、次のように独自の解読を行ってみた。

    「フトマニ シヨソ」=布刀麻爾(フトマニ)とは惟神(かんながら)の代表的なもので、布刀は美稱(びしょう)、麻爾は麻々(まま)と同語で神の御心に任せ神の慮に随う意味になる。
     天岩戸の變に、天児屋根命、太玉命、天の香山の眞男鹿(まおじか)の肩骨を内抜きて、天香山の波々迦を採り、灼き卜合(ぼくあい)て云々とある、布刀麻爾は神事の大本として取扱かわれていた。眞男鹿とは、常の鹿ではなく、角がまっすぐで枝分かれしていない雄鹿をいう。

     さらに稲荷古伝の奥伝にはフトマニノミタマという図象が伝承されており、それは安房国長狭郡寺門村(現在の鴨川市寺門)の国学者・山口志道(山口杉庵/1765年~1842年)の家の祠に祀られていた。伏見大社所蔵の『稲荷古伝』を荷田訓之(かだののりゆき)が志道にもたらし、志道が30年模索し続けた布刀麻爾の御灵(みたま)を解読することに成功したという。

     その内容を要約すると、
    フ・・・天之御中主神の御灵
    ト・・・高御産巣日神、神産巣日神 両神合躰の御灵
    マニ・・・伊邪那岐神の御灵、伊邪那美神の御灵

     古事記神代伝の本義は『虚空から始まる万物の創造の原理、そして万物の現象化』までを現している。国東の神代文字の上段に刻まれている『フトマニ』とは創造神の慮を読み解きそれに
    従うということが記されており、『シヨソ』を稲荷古伝言靈一言法則で読み解いてみると『形なき神がこの世の天地人を司どる』となる。

    画像3
    巨石の南面より。月読(つくよみ)・天照(あまてらす)・須佐之男(すさのお)の3部族が結集したことが、3種の神代文字によって記されている。

     フトマニシヨソとは、万物の創造神がこの世に御神託を降すということになる。
    「二五ダイ フキアエス」=ウガヤフキアエズ王朝第25 代の時代に「ヒノカミノリヨ」=ヒノカミとは、日の神と解釈すると天照大御神となるが、言靈では空躰たる真の火、万物を興し、動かす無にして有、有にして無である造化三神を現し、ノリヨとは現象の因果が回り出し神世と現世が照応するとなる。

    「月 日 地」=根源からさきわかれた氏族たち
    「モトク」=天の意の下に睦みくみ、一より百千に広がった大和民族は一処にまろかれ協力せよ
    「キチホレ」=遠き彼方より来れ、神器の宝剣の如く主上の徳で国を和平し、再び日の出んとして輝き芽くむために、天の真の火を大和民族の心にくみて参上せよ
    「コヲヤキ」=この地に集結し国の乱れたるを治めかどを立てずまろかに和らぎ日輪太神の出玉う処ゆえに、今までの雲霞も霧も晴れるなり

     まとめると、

    「ウガヤフキアエズ王朝第25 代の時代に、万物の創造神がこの世に御神託を降す
    天の真の火(神)より現象の因果が回り出し神世と現世が照応する根源からさきわかれた氏族たちへ
    天の意の下に睦みくみ、一より百千に広がった大和民族は一処にまろかれ協力せよ
    遠き彼方より来れ、神器の宝剣の如く主上の徳で国を和平し、再び日の出んとして輝き芽くむために、天の真の火を大和民族の心にくみて参上せよ
    この地に集結し国の乱れたるを治めかどを立てずまろかに和らぎ日輪太神の出玉う処ゆえに、今までの雲霞も霧も晴れるなり」

    と読み解くことができる。

    『上記』との一致

     ところで、大分県には、豊国文字で書かれた古文書『上記』が伝えられている(大分県立図書館蔵)。天保2年(1831)、豊後国の国学者・幸松葉枝尺(さちまつはえさか)によって、旧家から発見されたもので、鎌倉時代に豊後大友(ぶんごおおとも)家初代能直(よしなお)によって編纂されたとされている。

    『上記』によれば、大和王朝が成立する以前、大分県を中心にウガヤフキアエズ王朝と呼ばれる古代国家が存在していたというが、『上記』は公的には偽書とされている。
     しかし、『上記』に書かれている内容と巨石の碑文の内容は一致する点がある。『古事記』では神武天皇が初代天皇ということになっているが、『上記』によると、神武天皇以前に72 代にものぼるウガヤフキアエズ王朝があり、その25 代にはたしかに「富秋足中置」の名がある。

     この神代文字岩については、今からおよそ半世紀前、謎の僧侶が地主の家に立ち寄り、1週間かけて風化していた文字を彫り直し、去っていった、という話が伝えられている。
     神武天皇以前の歴史をめぐっては、その痕跡を破壊しようとする一派も存在したという。
     日の神からの啓示を刻んだ巨石と、国東の奥深くに秘められた歴史は、謎を深めるばかりだ。

    画像4
    北面の碑文を拡大。「トミアキタラシナカオキテンノウ」とは、古史古伝『上記』に登場する、ウガヤフキアエズ王朝第25代富秋足中置天皇のことである。

    猿田彦TV

    縄文、カタカムナ、磐座、ストーンサークル、地底国など日本に点在する超古代文明の痕跡を巡り、古代の叡智の解明に挑む。言霊研究家。

    関連記事

    おすすめ記事