巨樹・怪樹・妖樹にまつわる謎と伝説!全国「御神木」9選/本田不二雄

文・写真=本田不二雄

    この国にはたくさんの〝ヌシ〟がいる──。 全国の巨樹を訪ね、拝していく旅で出会ったのは、偉大にして恐ろしく、想像を超えた「ちから」に満ち、存在の奇跡を思わせる驚異の御神木群だった。

    巨樹はなぜ日本人の魂を震わせるのか?

     日本的な霊性のあり方を探る旅のなかで、筆者がたどりついたのが「木」だった。それも、尋常ではない存在感を放ち、われわれの精神の深いところを震わす「御神木」である。

    来宮神社の大楠(静岡県熱海市)

     今、巨樹が静かに、ときに熱烈に人人を惹きつけている。
     そのことをまさに実感したのは、来宮きのみや神社(静岡県熱海市)の「大楠」を詣でたときだ。
     当社は古来、「木の宮」とも呼ばれ、祭神イソタケルは、父神スサノオとともに樹木の種を手に天降り、各地に木を植えた神である。
     社伝によれば、熱海の海で漁師の網に木像がかかり、童子の口を借りて「この地に波の音の聞こえない7体の楠の洞があるから、われをそこで祀れ」と命じたいう。
     そんな由緒を伝える高台に鎮座する来宮神社は、近年、熱海の人気スポットの筆頭である。モダンなデザインの参集殿には、シティーホテルのフロントのような授与所があり、カフェも併設。そんななか、次々と引き寄せられた人々が本殿参拝もそこそこに向かう先は、境内奥の「大楠」である。

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    来宮神社の大楠(静岡県熱海市)
    接近して拝すれば、一瞬これが木だとわからないかもしれないほどの現実離れした大きさ。岩塊を思わせるその幹周りは23.9メートル。分岐する主幹のひとつが1974年の台風によって倒壊し、地上5メートルほどで切断されているが、もう一本の主幹は途中で分岐しながら高々と天を突いている。日本一の座こそ「蒲生の大クス」に譲ったが、唯一無比の存在感はいささかも揺るがない。

     江戸・幕末の嘉永年間(1848~55年)、熱海村では漁業権をめぐる隣村との訴訟費用の捻出のために、境内7本のクスを伐ることになった。すでに5本が伐られ、残された大楠に 大鋸おおのこを当てようとしたところ、白髪の老人が忽然とあらわれ、両手を広げてこれを遮るや、大鋸が手元から折れてしまった。結果、いまある「大楠」と「第二大楠」が残されたという。「大楠」の参拝は、そのまわりに巡らされた歩道を一周するのが作法である。
    「古くからそのまわりを一周廻る毎に一年間生き延びると伝えられ、廻った人は医者いらずといい、一名不老の楠とも呼ばれている」という。今日では、それが転じて「心に願いを秘めながら1周すると願い事が叶う」(公式HP)ともいわれている。
     これを受け、ネットでは「大楠パワーでご利益倍増」、「 縁結びのパワースポット」といった言葉が躍っている。
     類い稀な存在に秘めたるパワーを見出し、ご利益に結びつける信仰が発生するのはこの国特有の現象だが、巨樹がわれわれを惹きつける理由は、それ(ご利益)だけだっただろうか。
     そうではあるまい。もとより日本人にとって、気の遠くなる時間をその身に刻みつつ、なおも生命を更新しつづけている〝存在の物凄さ〟を眼前で拝し、思わず手を合わせてしまうのは、ごく当たり前の反応なのである。

    蒲生の大クス(鹿児島県姶良市)

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    蒲生の大クス(鹿児島県姶良市)
    蒲生(かもう)八幡神社の境内にそびえる正真正銘「日本一の巨樹」(幹周り24.2メートル)。根周りは33.57メートルもあり、大地からせり上がるように上昇する樹形が特徴。大きなウロには木製のドアが設置されており、内部は畳8畳分の空間が広がっているという。さながら生ける家のごときである。伝説によれば、かつてそこには大蛇がすまい、そのウロは境内地近くの水源地の底に通じていたという。

    薫蓋樟(大阪府門真市)

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    薫蓋樟(大阪府門真市)
    大阪の郊外、住宅街にこんもりとした森を見つけ、近づくと、それは一本のクスノキだった。三島神社の社殿を取り囲む瑞垣の内にあって、そこに納まらず、大枝を四方八方にはみ出させている。薫蓋樟(くんがいしょう)と呼ばれ、巨大に過ぎる幹、力強く分岐する枝は、さなからのたうつ大蛇のよう。樹齢は1000年以上。古より未開の低湿地だったこの地のヌシとして君臨してきた。

    十二本ヤス(青森県五所川原市)

     かつて国学の大人・本居宣長は、「カミ」についてこう述べている。
    「尋常ならずすぐれたる徳(こと)のありて、可畏(かしこ)き物を迦微(かみ)とは云なり」
     本居大人によれば、「すぐれたる」とは、尊き善きものばかりではなく、悪しき奇しきものも、世にすぐれて「可畏き(畏れ多い)」ものはすべてカミ(神)なのだという。

     その大きさのみならず、尋常ではない容貌ゆえに畏れられ、崇められた樹木がある。その代表例が、「十二本ヤス」である。
     その木は、青森県五所川原市のJR金木駅からクルマで20分ほどの場所にある。もし独りだったら、途中で不安になり引き返しただろう。そんな山道を進むと、道端に崩れかけた鳥居があり、〝参道〟を進むとほどなくして怪物がその姿をあらわした――。
    「十二本ヤス」のヤスとは魚を突く漁具のことで、分岐した枝がそれに似ていることから名づけられたらしい。
     確かに、幹の途中から突然変異に見舞われたように枝を多数分岐させ、それぞれ天を突いている。鳥居の裏側にまわってみると、ゴツゴツとした突起は地上から生えた神の手の関節のようでもあり、根元の洞(うろ)は化け物が大口を開けているようにも見える。

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    十二本ヤス(青森県五所川原市)
    根元から赤い鳥居が立てかけられているヒバの巨樹は、いったん鳥居上部の笠木のあたりですぼまり、人の背丈を超える高さになったところでいったんエネルギーを蓄え、爆発的に多数の枝を放出している。幹周りは7.23メートルとあるが、その数字は目通り(目の高さに相当する部分の木の幹の太さ)のもので、もっとも太い分岐部分の周りは12メートルにも及ぶ。

     こんな話が伝わっている。

    「その昔、弥七郎という臆病者の若者がいた。山に入るたびに怖気づいていたため、山の魔物まで彼の名前を覚えてしまった。腹を立てた弥七郎は、魔物にひと泡吹かせようとマサカリを手に山に入った。すると夜も更けたころ『弥七郎、弥七郎』と呼ぶ声がした。弥七郎は声のするほうへマサカリを一撃すると、『ギャーッ』という悲鳴が聞こえ、魔物が転げ落ちてきた。それは白い毛の大きな老猿だった。村人らは大猿の祟りを恐れ、ヒバの若木を植えて供養した」
    「その木は生長すると12本の枝を直立させる異様な姿となった。新しい枝が出ても代わりに古い枝が枯れて、12本以上になることがないという」

     12の数字は、12か月や十二支といった暦のサイクルを想起させるが、実は山の神のキーナンバーでもある。その祭礼は12にまつわる日が選ばれ(12月12日や1月12日など)、この日に山にはいるのはタブーとされる。
     このため、ぴったり12本の枝をキープする「十二本ヤス」は、山の神そのものとして祀られた。その異形はすなわち畏るべき神の神威のあらわれとして認識され、崇められたのである。

    楽法寺の宿椎(茨城県桜川市)

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    楽法寺の宿椎(茨城県桜川市)
    雨引観音を祀る楽法寺の本堂に向かう参道・石段の脇にぐいと巨躯をねじらせ、参詣者を出迎えるスダジイ。「宿椎(やどしい)」と呼ばれ、寺では樹齢1000年とも伝えている。その名は戦乱で本堂に火が放たれたとき、秘仏の観音がみずからこの木に飛び移って難を逃れたとされる故事に由来している。「大木から漂う霊気には、観世音菩薩の神通力が感じられます」(楽法寺パンフより)。

    波崎の大タブ(茨城県神栖市)

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    波崎の大タブ(茨城県神栖市)
    「虚舟(うつろぶね)」も漂着した波崎の舎利浜(しゃりはま)からつづく参道の先、神善寺の境内にそびえる異形の巨樹(幹周り8.1メートル)。太鼓腹のように突き出た幹と蛸足(たこあし)のような根、異様に伸びた太枝、そしてそれを取り囲む弘法大師像。古来マレビトを招き入れたこの木は、火伏せの霊験で知られ、太平洋戦争の兵火からも地域を守ったという。お大師さんの奉納はその信仰の証とされる。

    岩倉神社の乳房杉(島根県隠岐の島町)

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    岩倉神社の乳房杉(島根県隠岐の島町)
    隠岐諸島の最高峰・大満寺山の北東麓、ゴロゴロとした溶岩に覆われたガレ場に唯一無比の奇観を呈する巨大スギがあった。その"乳房"は、溶岩のガレ場にあって根を伸ばしにくく、霧が発生しやすいこの地特有の環境に適応した結果という。この木は現在岩倉神社として祀られているが、100年ほど前、「消えたスギの御神木」を捜索していくなかで発見されたものという。

    高照寺ノ乳公孫樹(千葉県勝浦市)

     その存在そのものが奇跡であると思しき木もある。たとえば、千葉県勝浦市の高照寺こうしょうじの「乳公孫樹ちちいちょうである。
     敷地の大部分が墓石で占められている境内の奥に、まるで巨大なモップのような木の塊が墓地を覆っていた。樹高は10メートルほどといい、V字形に分岐した主幹らしきものも確認できるが、それより何より、北東側と西側、横に横に伸びている大枝の存在感が尋常ではないのだ。
     墓石の間を抜けて木に近づいてみると、大枝のひとつは大人の背丈を超えない高さに横たわり、石の柱に支えられていた。それを潜りながら奥へ進み、無数の「乳」が垂れ下がっているさまを拝観する。
     大小の乳房状、あるいは巨大なつらら状……その数は100以上という。まるで鍾乳洞の内部の中に入りこんでしまったような景観だ。

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    高照寺ノ乳公孫樹(千葉県勝浦市)
    勝浦の港町の中心地に鎮座。日本植物学の父・牧野富太郎氏に一千年のイチョウとのお墨付きを得た老樹だが、浜風と塩害にさらされた結果、大幹がふたつに分かれ、おびただしく垂れ下がった乳根ごと大枝を水平に伸ばしている。さながら、林立する墓石に授乳するかのような奇観だが、かつては境内の墓所の大半を覆うほど旺盛だったという。

    こんな伝説がある。
    「何度も台風に遭い、洪水にも襲われ、ひと粒の米も採れなかったある年、乳も出なくなったおよねは、乳飲み子を抱えて海に身投げしようと歩いていた。それが高照寺の和尚の目に留まり、和尚はおよねを本堂に上げ、お経をあげると、およねのおっぱいが重く膨らみ
    だした……」
     その和尚の墓のそばに植えられたのがこのイチョウで、やがて「この〝乳〟に触ると、母乳の出がよくなると噂されるようになった」という。
     実は、イチョウの乳根に由来する〝乳イチョウ信仰〟は全国で見られるのだが、この木は別格の存在感である。

    水源の大ケヤキ、玉祖神社のクスノキ

     存在の奇跡を思わせる木はほかにもある。大阪府八尾市・玉祖たまおや神社のクスノキは、その根元から石棒が〝成り出た〟ような奇態であり、熊本県小国町の「水源の大ケヤキ」は、末広がりの幹の真下から清らかな水をこんこんと湧き出している。
     もちろん、自然現象としてはそれなりの合理的科学的な説明が可能かもしれない。しかし、その場にそのような木が存在することに、何らかの意味を見出したくなるのがわれわれ日本人の思考回路である。
     その結果、奇跡の場は聖別され、信仰的景観が生まれた。
     われわれは神木と呼ばれる木に、究極の生命のありようを見、内に潜む「ちから」を発見し、過去と未来をつなぐ証を見出してきた。そして、カミもホトケもその内に見てきた。
     そのような存在がこの国にはたくさん残されている。それはとても素敵なことだと筆者は思う。

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    玉祖神社の大クス(大阪府八尾市)
    古来、難波と奈良を結ぶ要衝である金剛山地の西側、大阪湾を一望する高台に、玉祖(たまおや)神社があり、参道石段脇に大クスがある。裏に廻ってみると、クスの幹から石棒(石柱)が生え出るように屹立しており、その様態から夫婦和合の神として信仰されている。もともと石棒はここに祀られていたものと思われ、奇しくも石神と神木が合体した形である。

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    水源の大ケヤキ(熊本県小国町)
    阿蘇外輪山と久住山に挟まれた谷間、豊かな水が潤す川のほとりに、大木の根元からこんこんと水が湧き出る不思議な場所があった。稚魚が無数に泳ぎ回る水源池には恵比寿神が祀られ、水神に願い事をして富クジに当たった、鉱脈を発見したといった伝説が語り伝えられている。末広がりの幹をもつ大ケヤキは、奇跡と幸運をもたらすシンボル樹なのだ。

    <引用>
    「神木探偵 神宿る木の秘密」 本田不二雄 著 https://komakusa-pub.shop-pro.jp/?pid=149613889

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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