ぺらぺらのものがひらひらする怪異/黒史郎・妖怪補遺々々
ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々(ようかいほいほい)」! 今回は、有名な一反木綿のような、ひらひらした怪
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令和6年6月6日、「666」の不吉な日がある今月は、余計に不安を募らせるような短いお話を補遺々々しましたーー ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、記録には残されながらも人々から“忘れ去られた妖怪”を発掘する、それが「妖怪補遺々々」だ!
気象庁は今年の夏も全国的に高温となる見込みであると発表しました。観測史上もっとも暑い夏だった去年に匹敵する気温になる可能性もあるそうです。熱中症対策、必須ですね。
さて、暑い夏には冷たい飲み物とエアコン、そしてなんといっても「怖い話」です。
本格的な夏はもう少し先ですが、令和6年6月6日は「恐怖の日」——映画『オーメン』で知られる不吉の数字とされる「666」から作られた記念日(?)です。
ということで今回のテーマは「恐怖」。絶叫系ではなく、「これはなんだろう……」と不安を覚える、なんとも薄気味の悪いお話を昔話から奇妙な事件の記録まで集めてみました。
昔むかし、あるところに、たいへん貧しいおじいさんと、おばあさんがおりました。
ある日、おばあさんはおじいさんに、こういいました。
「こんな辛い貧乏暮らしをしていても、良いことなんてなんにもない。だから、ここでふたり、死んでしまったほうがよいだろう」
おじいさんは頷いて、
「それじゃあ、オレは山からアケビヅルを取ってくるよ」といって出ていきました。
アケビの蔓は、篭細工などに使われるくらい丈夫な蔓です。
おじいさんが山からアケビヅルを採って帰ってくると、さっそくふたりはそれを首に掛け合って、ぐっと引っ張ります。するとふたりの首はブチリと切れてしまいます。
すると、突然、暴風が吹きます。
その大風に乗って、ふたりの生首は山の方へと飛んでいってしまいました。
——だからアケビの花をとった翌日は、大風が吹いて天候が悪くなる……そういわれたそうです。
これは、岐阜県丹生川の昔話です。
文化7年庚午年の10月末。
吉原遊郭の「中万字屋」という店がひとりの遊女を葬りました。
彼女の死には、次のような経緯がありました。
この遊女は病気になって寝込んでおりましたが、遊女たちを厳しく取り締まる「遣り手」と呼ばれる老婆はこれに怒り、彼女に折檻を加えてしまいました。
また、ある日にその遊女が小さな鍋で煮たものを食べていたところ、例の遣り手ババアがこれを咎め、煮ていた小鍋を遊女の首に掛けさせ、柱に縛りつけて放置しました。
その遊女は死んでしまいました——。
それから中万字屋の廊下には、この遊女の幽霊が出るようになりました。
彼女は、首から小鍋を掛けた姿で現れたそうです。
明和9年の7月ごろです。
神奈川の海で、【鯨の片身】が打ち上がりました。
崩れたか食われたかで半分になった、鯨の腐った肉で、ひどい臭いを放っていました。
これを見物にきた人たちは皆、熱病を患ったそうです。
小林イツさんが郷土雑誌『高志路』に自身の思い出として書いています。
小学生のころ、何個か年上の「ヤー」と呼ばれる男の子がいました。
イツさんの家の下男・仙次さんの友人で、とても乱暴者であり、よくイツさんたちを虐めていました。
そんな「ヤー」は、【河童】に殺されてしまったそうなのです。
イツさんの住んでいた村は水湿地で、大雨が降ると阿賀野川の水が氾濫し、川の入り江はもちろん、道路の敷地まで水があがってきました。
——その日も、そういう日でした。
「ヤー」は仙次さんたちと一緒に、道に溜まった水を渡って畑の方へ行きました。
しかしその途中、足を止めた「ヤー」は少し考えだし、こんなことをいいだしました。
「どうも今日は妙だ。稲架(収穫した稲をほしているもの)に沿って浅瀬を渡るつもりだったのに、入り江のほうに引っ張られる」
と、いっている間に、「ヤー」は何かに引き込まれるように、ぶくぶくと水に沈みました。
「おいおい、冗談はやめろ」
周りの友だちは「ヤー」がふざけていると思ったのです。
彼は水からザバッと半身を出したかと思うと、またぶくぶく沈んで、これを二度繰り返し、三度目に半身を出した時、笑っていました。
その笑い顔もまた水にぶくぶく沈むと、もう出てこなくなりました。
数日後、「ヤー」は村はずれの湿地で見つかりました。
肛門が開いた、逆立ち状態の死体となって。
歩いて渡れるような水量で「ヤー」が死ぬはずもなく、彼があまりに不良な少年だったから氏神様が見放しになられて、その命を【河童】に呉れられたのだろうという噂が広まりました。
彼が見せた死に際の笑い顔——それは物凄い顔だったそうです。
文化7年、4月23日の朝のことでした。
東京神田を流れていた藍染川の近くに一匹の犬がいて、何かの箱を食い破っていました。
何が入っているのだろうと箱の中を見ますと、一体の藁人形。
しかも、藁人形には蛇が絡まっており、その蛇の頭よりも大きな針が打ち付けられていたそうです。
新潟県の糸魚川町を中心に集められた話にあります。
海の沖に出ていると、「オーイ」と人の呼ぶ声がすることがあります。
これは【ヘイケ】と呼ばれる鳥の鳴き声なのだそうです。
昔、壇ノ浦で海に沈んだ平氏の魂が鳥になったもので、陸には上がれず、沖で人恋しく「オーイ」と呼んでいるのだといいます。
文化13年の7月下旬、紀州家の御屋敷へ通る喰違門(くいちがいもん)でのこと。
ふと喉が渇いた門番は、次之間(従者の控室)へ足を運びました。
その部屋で湯を飲んでいたところ、どこからか女が現れ、門番は肩を喰いつかれます。
門番の叫び声を聞いて、驚いて駆けつけた者がいましたが、彼も女に襲われ——。
この日、屋敷ではふたりの人間が謎の女に喰い殺されてしまいました。
その後、今度は御長屋で事件が起きました。
蚊帳に入れて寝かせていた子どもが、突然、行方を眩ましたのです。
蚊帳には破れなどもなく、驚いた夫婦はすぐに子どもを捜しました。
子どもが見つかったのは、翌朝でした。
隣家の縁の下で、死体となっていたのです。
新潟県北蒲原郡笹岡村の山間の集落であったという、気味の悪い「死の兆し」です。
その家では、誰かが死ぬ時に決まって真夜中、屋根の棟に赤い長柄の傘が立つといいます。
死ぬのが子どもなら、小さい傘が立ったそうです。
この家が別の土地に家を建てると、そこでは何も起こらなかったそうです。
【参考資料】
澤田四郎『うつしばな』(1941)
「半日閑話」『日本随筆大成』第一期八巻(吉川弘文館)
波多野傳八郎「家屋敷に絡まる怪異」『高志路』第一巻第三号(1935)
小林イツ「親しく觸れた怪談(二)」『高志路』第三巻第五号(1937)
渡邉行一「西濱の聞書(五)」『高志路』第三巻第十二号(1937)
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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