ヴェルサイユ宮殿でタイムスリップしたらマリー・アントワネットに遭遇! 「モーバリー・ジョルダン事件」の謎

文=仲田しんじ

関連キーワード:

    観光名所の宮殿で予期せぬタイムスリップ現象が起きていたのだろうか。“女子旅”の最中に、生きて動く歴史的人物を目撃したという「モーバリー・ジョルダン事件」とは――!?

    英国人女性2人がヴェルサイユ宮殿でタイムスリップ

     フランス王ルイ14世が1682年に建てたヴェルサイユ宮殿はいうまでもなくフランス旅行の目玉となる観光名所だが、その一方で心霊現象が頻繁に起きるミステリースポットとしても有名である。ここに住んでいた貴族たちの霊が今も辺りを徘徊しているのだろうか。

     そして、ヴェルサイユ宮殿では心霊現象だけでなく、タイムスリップも発生しているとの言説がある。同宮殿を訪れ、幽霊ではない生身のマリー・アントワネットを見たとの報告もあるのだ。

     1901年8月10日、フランスで休暇中だった2人のイギリス人女性、オックスフォード大学の女子校であるセントヒューズカレッジの学長であるシャルロット・モーバリーと、その秘書のエレノア・ジョルダンがベルサイユ宮殿を訪れた。

    ヴェルサイユ宮殿 画像は「Wikipedia」より

    「私たちは電車に乗って行き、宮殿の部屋や展示室を興味深く見て回りました」と、彼女たちは後に回想している。しかし、それは女性たちが期待していたような楽しい一日にはならなかった。

     広大な敷地内の庭園に足を踏み入れた彼女たちは説明のできない憂鬱な気分になり、辺りは「夢のような霞」に包まれ、「不気味で不快」な雰囲気を醸し出していた。

     歩みを進めていくと、彼女たちは奇妙な服装をした人々に遭遇した。

     彼女たちは「灰緑色の長いコートを着て、小さな三角帽子をかぶった2人の男」を目撃し、それに続いて、顔の肌が荒れた不気味で忌まわしい表情の男を認めた。

    画像は「Wikimedia Commons」より

     庭園の橋を渡ると、女性が風景画を描いていた。

    「女性が座っていました。彼女はスケッチをしているようでしたが、振り返ると私たちを見つめました。彼女が着ていたドレスは時代遅れで、かなり珍しいものでした」

      やがて彼女たちは庭園から抜け出す道を見つけ、狐につままれたような釈然としない気分で宮殿の建物のエリアへと移動した。

     彼女たちの奇妙な体験は後を引くものであった。そこで、気になった彼女らはもう一度、先ほど通ってきた庭園の道に戻ってみた。

     なんとなく予想していたことであったが、そこには先ほどとはまったく異なる光景が広がっていた。建物も道も違っており、橋はなく、絵を描いていた女性の姿も、コートを羽織った男性たちの姿もなかった。彼女たちは束の間のタイムスリップをしたのだろうか。

     休暇を終えてからもこの時の体験が忘れられない2人は、仕事の傍ら検証と研究を続け、自分たちはあの日、18世紀後半にタイムトラベルをしたのだとの確信に到り、絵を描いていた女性は王妃マリー・アントワネットだったに違いないという理解に達したのだ。

    マリー・アントワネット 画像は「Wikimedia Commons」より

     そして彼女らは、この話を著書として文書化することに決め、 1911年に共著『An Adventure(冒険)』を出版した。同著は当時すぐに話題となり、版を重ねベストセラーとなったのだ。

    超常現象研究の先駆けとなった女性研究者

     実はこの『An Adventure』の初版本では、2人はペンネームを用いていたのだが、重版がかかる前に“身バレ”して著者名に本名が使われることになったという経緯がある。

     おそらく2人は超常現象を扱ったこの著書が、保守的な傾向が強いアカデミアの世界で物議を醸すのではないかという懸念から、自分たちの正体を秘密にしたかったと思われる。

     しかし2人のどちらも超常現象研究を長く続けており、生徒たちにヴェルサイユ宮殿の話をしていたことから“身バレ”は早かったという。

     では、女子校の指導者であった2人がどうして超常現象を研究していたのか。

     オンラインマガジン「Atlas Obscura」で本件について記事を執筆したオックスフォード大学のクリス・ウィートレイ氏によれば、当時のアカデミアの世界では女性は二流の研究者とみなされており、この2人も正式な学位は持っていなかったのだという。

     世の中のスピリチュアリズムへの関心が最高潮に達していたこの時期に、2人の女性が権威を獲得するためにこの分野の先駆者になろうと考えていたとしても不思議ではないということだ。

     批判に見舞われつつも2人の超常現象研究は続けられていたが、 1915年にモーバリーは学長を辞任し、秘書であったジョルダンがその職を引き継いだ。

     しかし、秘書による学長のポストの引き継ぎは学内で反発を招き、1923年には運営を不服とした教師の大量離職が起きる。辞任を求められた1924年、ジョルダンは心臓発作を起こし4月6日に亡くなった。モーバリーのほうはさらに13年長生きして、1937年に亡くなっている。

    シャルロット・モーバリー(左)、エレノア・ジョルダン(右) 画像は「Atlas Obscura」の記事より

     オックスフォード大学の研究員によると、2人の女性はオックスフォード大学セントヒューズカレッジの歴史において名誉ある人物であり続けているという。ちなみに同校の学生食堂には2人の巨大な肖像画が飾られている。

     モーバリーは創立理念の象徴として記憶されており、ジョルダンは大学の設立に多大な貢献をしたと学内で伝えられている。しかし、大学の伝記や歴史では『An Adventure』について言及されているのはほんの僅かであり、セントヒューズカレッジのウェブサイトにもこの著作への言及は見つからない。2人の超常現象研究の側面は、あまり高く評価されていないようである。

     ともあれモーバリーとジョルダンは生涯を通して親友であり続け、現在は2人共、オックスフォードのウルバーコート墓地に並んで埋葬されている。彼女たちは学校運営における女性リーダーの先駆けでもあり、その一方で人々を魅了する当時のベストセラー作家でもあったのだ。

     はたして2人は本当にタイムスリップを体験したのか。そして生前のマリー・アントワネットを生で目撃していたのか。タイムスリップの初期の体験談でもある「モーバリー・ジョルダン事件」は超常現象ファンにとって今なお色褪せないストーリーである。

    【参考】
    https://www.atlasobscura.com/articles/time-travel-oxford-versailles

    仲田しんじ

    場末の酒場の片隅を好む都会の孤独な思索者でフリーライター。興味本位で考察と執筆の範囲を拡大中。
    ツイッター https://twitter.com/nakata66shinji

    関連記事

    おすすめ記事