奈良・平尾水分神社のオンダ祭りに登場する強烈な呪(まじない)物「若宮さん」に衝撃!
珍スポ巡って25年の古参マニアによる全国屈指の“奇祭”紹介! 今回は奈良県のオンダ祭りをレポート! 見た目は怖いが幸せをもたらす呪(まじない)物とは――!?
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大阪の京橋駅周辺でささやかれる、いくつもの不思議な話。それは個別に存在しながらも、どれもが土地にひもづき、連鎖しあっているようでもある。
「大阪の京橋駅周辺の怪談を、以前からずっと集めているんです」
田辺青蛙さんが怪談を語りだす。
京橋駅が位置するのは大阪城から見て北東。市内でも屈指の乗降客数を誇るターミナル駅だ。しかし駅前は大規模な再開発が行われることもなく、昔ながらの街並みのまま。低湿地帯ならではの高低差の強い地形もあいまって、迷路さながらの奇妙な風景を残している。
私も経験上知っている。このような土地柄は、とかく怪談が囁かれることが多い。
「この立ち飲みマグロ居酒屋の『とよ』っていう店、開いてるときはいつも外国人が行列しているんですけど。そのすぐ裏に、お墓が見えますよね」
まず訪れたのは駅から徒歩1分の、小さな墓地だ。この細長い谷底のような場所が、江戸時代から続く大阪七墓のひとつ「蒲生墓地」なのだという。
「『とよ』でマグロの頬肉炙りなんか食べていると、あの墓地に幽霊いるよなって話をよく聞くんです。ほら、あの反対側の居酒屋でも」
墓地の向こう側には戦後のバラック街のような小さな飲み屋たちが並んでいる。その一店のスタッフによれば、食器を洗っている最中ふと顔を上げると、少し離れたところに髪の長い女が立っていたのだという。明らかに生きた人間ではない。気にせず皿を洗っていると、女はこちらに近づき、なにをしているのか確かめるように覗き込んできたのだとか。
「たぶん墓場の女だろうね~って、まるで普通の出来事みたいに話してましたね」
これと似た話を、蒲生墓地を案内してくれた管理者の男性からも聞くことができた。その男性が墓地内で作業していたところ、ふいに背後からだれかが覗き込む気配を感じたのだという。
「目で見たわけじゃないけど、長い髪の女だとわかった」と男性はいっていた。「悪いものじゃないですよ。ただこちらがなにしているのか気になっただけでしょう」と。
似ているのはその内容だけではない。この程度の怪異なら出くわすのが当たり前といった気負いのなさもまた共通しているのだ。
「京橋の人たちは、本当に普通の感じで怪談を語ってくれるんですよね」
そしてこの街の怪談といえば、必ず大空襲にまつわる話が立ちあがる。
1945年8月14日、終戦前日の昼過ぎに、京橋一帯をB29の編隊が襲った。本土空襲の最終攻撃目標として、アジア最大の軍需工場「大阪砲兵工廠」が狙われたのだ。
すぐ近くの京橋駅ホームでは3台の満員電車が停止していたが、そこに1トン爆弾が炸裂。車両は駅外へ吹き飛び、犠牲者の数は三日三晩かけても火葬できないほどだった。
「当時は皆さん、氏名が記載されたワッペンを身につけていたのに、それでも多くの身元が不明だった。それだけ遺体の損傷が激しかったということですね」
この死者たちを思わせる幽霊譚が、京橋のあちこちで語られている。
まず戦後すぐ、妙見閣寺の住職に京橋駅長からとある依頼がきた。深夜の駅に幽霊が出て困っているので犠牲者たちを鎮魂してほしい、と申し入れたのだ。そこで建てられたのが、今も南口に残る被災者慰霊碑である。
「ただ現代でもずっと、幽霊を目撃する人が絶えないんですよね」
駅員や駅前の売店の店員など、京橋駅で働いていた人々から田辺さんは多くの証言を取材している。
ボロボロの防空ずきんをかぶった女の子を見た、焼け焦げた顔の女性が階段に座り込んでいた、モヤモヤとした煤の塊が次第に人の形をなしていった……。
「なぜか皆さん、きまって8月の第1週目の夜にそういうのを見るんですよ」
なぜ空襲の日より1週間早いのだろうか。それはともかく、ここでもやはり多くの人は「怖くはなかった」と口を揃えるのだという。
駅南口の慰霊碑にたどり着く。昭和22年に建立された南無阿弥陀仏碑だが、その脇には昭和59年にライオンズクラブが寄贈した釈迦牟尼像、そして少年少女の平和祈念像も佇んでいる。
「京橋で怪談会をやった後、参加者の人がよくここで変なものを見るらしいです」
あたりに街灯もなく、線路と寝屋川に挟まれているため建物の明かりもない。夜ともなれば高架下は暗闇に沈むだろう。遠目からは仏像と少年少女像3つの人影のように見えるが、だんだん近づくにつれ、また別の人影が立っていることがある。怪談会の参加者たちはそういっているそうだ。
「また別の話で、このすぐ近くの寝屋川沿いでクラフト系の教室をやっている先生から聞いたんですけど」
教室が終わってひとりになると、水音が聞こえるときがある。ドボン、ドボーン、と大きな石かなにかが川に投げつけられるような音だ。それがひっきりなしに続く。ボボボボボボ、と連続して聞こえることもある。建物のなかまでしっかり響くのだから、そうとう大きな物体が川に落ちているのだろう。こんな夜中になぜ。
水音がするのは夏の暑い時期だけだ。また先生の母親も同じ音を聞いている。
「先生は余所から越してきた人なので、あまりこの地域の歴史を知らなかったんですが」
空襲の際、焼夷弾の炎が服に燃え移った人々がいた。彼らは次々に寝屋川に飛び込んだのだが、焼夷弾のゼリー状燃料は水中でも消えることなく燃えつづける。赤ん坊に移った火を消すため飛び込んだ母親が、そのままふたりして川のなかで焼け死んだという悲惨な話も伝えられている。
「いつからか大きな水音を毎年聞くようになったけど、それは必ず真夏らしいんです。でも先生はただ変な音がするというだけで、空襲と結びつけていないんです」
川沿いの他の店でも、火の玉が川に浮かぶことがあると証言された。やはり真夏だけなのだが、その店員も同じように、8月14日の空襲を意識しているわけではなかったという。
「空襲と結びつけない人は多いんですよね。近くの小学校でも、グラウンドに大勢の血まみれの死体が横たわっている、という学校の怪談があります。朝早くきた子がそれを見たとか、触ろうとすると消えてしまったとか……。建物のなかじゃなくて外の校庭というのが珍しいパターンですけども」
かつてそこは空襲における遺体の仮安置所だった。しかしその事実を小学生たちが知っているわけではない。ただ校庭に死体が並ぶという珍しい怪談として語られているだけだ。
京橋の人々は、ただ普通の出来事として怪談を語る。それは明らかに8月14日の空襲と結びつけられそうなのに、特に関連づけたりはしない。田辺さんが彼らの怪談を拾い集め、まとめることでようやく「空襲の怪談」という輪郭が見えてくるのだ。
最後に案内されたのは、変わった由来を持つ「二人地蔵」だった。
昭和44年春、この付近で車の衝突事故が発生。双方の車とも川に向かって二転三転したが、いずれの運転手も奇跡的にかすり傷ひとつ負わず、車から火の手が上がることもなかった。そこでふと気づくと、見知らぬ地蔵が路上に転がっていたのだという。それからは霊験あらたかな身代わり地蔵として、特にドライバーから信仰されているのだとか。
地蔵堂は京橋駅沿いの道路、不自然に三角州のようになった位置にあった。名前どおり2体の地蔵が安置されている。しかし地蔵堂によって道路が二股に分断されているので、むしろ事故の危険を増やしていると思えなくもない。なにしろこの地蔵はまた、移動させようとすれば祟るといった恐ろしげな謂われも囁かれているらしい。
「大阪はそういう祟るお地蔵さんが多いんですけど。もう一体の地蔵が祀られた理由も変わってまして」
交通安全の地蔵とはまた別の、もう一体の地蔵。それは例の8月14日の空襲の際、どこからともなく現れた地蔵だったのだという。現実的に考えれば爆風によって飛ばされてきたのかもしれないが、地元民がその地蔵を祀ったのは、火の災厄を鎮めてくれる加護を期待してのことだろう。そして24年後、やはりどこからともなくもう一体の地蔵が現れ、2台の車の炎上を止めた。
災害の規模は違えども、その地蔵を祀った理由は、やはり空襲の記憶が無意識下に隠されていたからではないだろうか。
田辺青蛙(たなべせいあ)
ホラー・怪談作家。近著に『紀州怪談』(竹書房文庫)、『全国小学生おばけ手帖 とぼけた幽霊編』(企画・原案。静山社)など。YouTube「最恐激コワちゃんねる」では怪談師とのコラボなどを、ポッドキャスト番組「田辺青蛙の奇妙探求」では多彩なゲストとのトークを配信中。
今回、田辺さんと歩いたのは京橋駅の周囲のみ。駅から遠ざかったのは10メートルほどという範囲内だった。
京橋駅ホームから見える線路沿いには、いまだに古いレンガ壁が残されており、それは大阪砲兵工廠時代の名残そのままなのだという。また複数路線が乗り入れる構内は上下が複雑に入り乱れ、高低差の強い京橋の地形をそのまま表している。だからこそ1トン爆弾が落ちたとき、上の環状線から下の片町線まで貫通し、計3台の車両に被害が及んだのだともいえる。レンガ壁のようなわかりやすい箇所だけでなく、この駅は構造面でも往時の面影を残している。田辺さんが収集した京橋駅での体験談を聞くと、やはり人々は階段や高架など「立体的」な場所で怪異に出会っているようだ。
この「立体的」なありようは、京橋駅の人々の意識にも窺える。表では驚くほどあっけらかんと怪談を語りながらも、裏に潜む土地の悲劇はほとんど意識されていない。
どうやら当地では戦争体験者の語り継ぎ運動があまり盛んではないらしく、大っぴらに空襲の体験談を語る空気が薄いようなのだ。
大阪砲兵工廠が重要な軍事施設だったため、戦後もなお被害の詳細を部外秘にせんとする忖度が働いたことも一要素だろうか。当時の証言集『大阪砲兵工廠の発月十四日』(大阪砲兵工廠慰霊祭世話人会、1983年)を読んでも、空襲を間近に見た人の述懐は思いのほか少ない。もちろん生存者への取材なのだから、現場近くにいた人の証言が少ないのは当然だろう。しかし空襲時に工廠内にいた人であっても「記憶は、いまだ混沌の中にあり、詳しく語るにはいましばし整理の時間が必要なようである」と口をつぐんでしまう。
土地のネガティブな歴史が隠されると、それは怪談となって噴出する。京橋の人々は、はっきりと意識しないまま、空襲の記憶を怪談として語り継いでいる。その立体的で複雑なありようは、まさに当地の迷路のごときロケーションと似通っている。
(月刊ムー2024年5月号より)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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