チビル松村「深川の地霊巡り」/吉田悠軌・怪談連鎖

文/監修・解説=吉田悠軌 原話=チビル松村 挿絵=Ken kurahashi

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    今なお戦争の記憶が語りつづけられる場所、東京の下町深川。そこではどんな怪談がつむがれているのか。土地柄を強く感じさせる、ふたつの怪異が連鎖していく。

    下町に残る戦争の記憶と怪異

    「自分は深川に住んでいるので、そのあたりで怪談を収集することが多いのですが……」
     チビル松村さんが怪談を語りだす。

     東京下町、特に戦後まで深川区だったエリアは現在もなお「深川」と呼ばれる。
    「深川は昔ながらの人がたくさん住んでいますが、やけに人の移り変わりが多いところがありまして」
     そこには戦後、いくつかの町工場が建ったのだが必ず短期間で潰れてしまう。それどころか建設前に被害が及ぶことまであった。前の工場がなくなり更地になった後、また買い手がついたのか工事が始まった。しかしショベルカーが土を掘り返す作業を始めた、まさにその瞬間。
     すぐ脇に停めていた車の下から謎の出火。危うく大火事になるところだった。
    「これ、つい最近に起きた出来事なんですよ」
     火事が原因となって工事が中止されたかどうかは不明だ。しかし結局、当該地ではそれ以上の開発が行われず、今も駐車場として「塩漬け」にされたままだ。

     ここにはなにか土地の因縁があるのではないか。そう思ったチビルさんは、火事になった箇所とは反対隣の家を訪れ、話を伺ってみたのだという。
    「ちゃんと供養されてないままだからなのよ」
     老婦人のOさんは、そう語った。戦前からここに住んでいるOさんは、深川における太平洋戦争や戦後復興を生き字引として体験している。ただ地方へ疎開していたため、深川を襲った大空襲については直接見知っているわけではない。
    「この家に残っていた父から聞いた話なんですけどね」
     空襲時、深川の人々は畳の下の防空壕に身を潜めていた。しかし焼夷弾の猛攻が激しさを増すうち、もはや家を捨てて逃げざるをえなくなる。一帯の住人は、近くの清澄庭園へと避難することにしたのだという。
     消防団員であるOさんの父は、火の雨が降りしきるなか、近隣住民たちを次々に庭園へと誘導していた。
    「でも、隣の家の人たちだけはいうことを聞かなかったんです」
     当時そこに住んでいたのは女性ふたり。母親と娘なのか、歳の離れた姉妹だったのか。とにかく「おばさんと、少し歳のいった女の人」だと、幼いOさんの目には映っていた。

     ――逃げろ! 今すぐ逃げろ!

     父の必死の呼びかけも、女性たちには通じない。仕方なく父自らも庭園へと避難。ようやく空襲が止み、ふたたび自分たちの町並みへと戻ったところ、焦げた隣家のなかで、女性ふたりが抱きあったまま焼け死んでいたのだという。

     ほかに身寄りがなかったのだろうか、もしくは戦後のどさくさもあったのだろうか。ふたりの供養がいっさいなされないまま、隣家跡地には新しい建物がつくられた。
     しかしそこは、だれも長く居つかない。どんな町工場ができてもうまくいかない。
    「最近も工場が潰れて、代わりにだれかが下見にきてましたけどねえ」
     件の火事が起こってしまったという次第だ。
     その後、もはやだれもこの土地に触れなくなってしまったのだろうか。今はただアスファルトが流し込まれた駐車場が、そこに広がっているだけ。

    長屋の2階から聞こえる足音

     またこんな話も聞いている。
     清澄白河駅近くには通称「清澄長屋」が連なっている。100年以上前に建てられ、東京大空襲も耐え抜いた2階建ての建造物だ。
     長屋に沿って歩いていくと、現在は閉業した居酒屋が一軒、かすれた看板を掲げたままになっているのが見つかるだろう。その店の2階にまつわる話だ。

     当の居酒屋が営業していたころ、店舗は1階のみで、2階は住居スペースとして使われていた。若い男性従業員、U男がそこに住んでいたのだが。
     彼いわく、「2階には、自分の他にもやけに謙虚な家族が住んでいる」そうだ。 
     両親と子供がふたりの家族。もちろん生きた人間たちではない。U男が2階にいるとき、彼らはずっと押入れに引っ込んでいる。押し入れの戸の向こう、ボロボロの古い服を着た4人が身を寄せ合って座りながら、怯えた顔でこちらを見ているのだという。
     しかし店の仕込みなどでU男が1階に降りたとたん、押し入れから出ていく様子が聞こえてくる。おそらくふたりの子供たちがのびのび動きだしているのだろう。1階の天井つまり2階の床を、ドタドタドタドタ走り回る足音が響くのだ。
    「ああ、生活しているんだなあ」
     U男は彼らに恐怖を感じていなかった。
     だからある日、押し入れで怯える家族たちに次のように声をかけてみたこともある。
    「どうぞ、僕に気にせず部屋を使ってくださいね」
     しかし家族はさらに怯えてしまい、押し入れの奥に引っ込んだ。それ以降、U男は彼らに声をかけることはなかったそうだ。

     ……と、ここまでが取材当日にチビルさんが語ってくれた内容なのだが。
     実はこの日、さらに詳しい内容を聞き及ぶことができたのである。
     チビルさんに清澄エリアを案内してもらった後、私たちは門前仲町の飲み屋街へと向かった。彼がいつも人を連れていくという小料理屋で一杯呑むためだ。そこで奇妙な偶然が起こった。この日この時間、カウンターだけの小さな店にて、たまたまチビルさんの知り合いと出くわしたのだ。
     その女性こそ、上記の怪談を彼に伝えた情報提供者、A子さんだった。
    「私はその居酒屋に通っているうちに、U男君から話を聞いたんですね」
     これまでチビルさんにも話してなかったんですけど……とA子さんは言葉を継いで。
    「U男くん、まだ19歳だったんですけど奥さんと子どもがいて。でも当時は離ればなれに暮らしていて……」
     とある事件を起こし、刑務所に入ったのがその原因らしい。
    U男は犯行内容について口をつぐんでいたので、たぶん傷害事件なのかな、とA子さんは推測していた。
    「でも彼自身はすごくいい子でしたよ」
     出所後のU男には仕事どころか住む場所すらなかった。そこで件の居酒屋オーナーが彼を店員として雇い、さらに2階を住居として提供したのだという。
     A子さんが店に通ううち、U男はこうしたいきさつをぽつぽつと語るようになった。さらにまた「2階の押し入れに謙虚な家族がいるんですよ」という話も。

    「確かに、私も一度聞いているんです。お店で飲んでいたら、ドタドタドタドタすごいんですよ。もう本当に、子供が走り回るような音でした」
     これまでにU男から話を聞いていたA子さんが「あ、これって!」と声をかけると。
    「そうそう、これ。よかった……のびのび遊んでくれているなあ」
     U男は天井を見上げながら、優しく微笑んでいた。
     自分が2階に上がると、家族はすぐ押し入れに隠れてしまうので、基本的には顔を合わせないそうだ。ただ一度だけ、そうっと押し入れを開け、なるべく穏やかな声でこういったことがある。
    「この部屋もっと使ってもらっていいですよ。僕、ぜんぜん気にしないんで」
     しかしこの行動に、親も子供たちも怯えてしまったのは上記の通り。もしかしたら、ばっちり決めたU男のリーゼント頭を怖がってしまったのかもしれない。
     ああ、これ、話しかけないほうがいいんだなあ。
     U男は押し入れの戸をそっと閉めた。そして心に決めたのだという。
     ――なるべく早く、自分がここから出ていってあげなくてはいけない――と。

    怪談と隣りあう「未解決の小さな歴史」

     2話ともに、実に「深川」らしい怪談ではないだろうか。
     まず1話目について。江東区という土地柄、小さな町工場が頻繁に移り変わることは、おそらくそう珍しい事態ではないはずだ。しかし地元民はそこに、空襲という負の歴史を代入し、因果関係を読み解いてしまう。
     ここで重要なのは、「東京大空襲の数えきれない人々の死」という大規模なスケールではなく、わずかふたりの「自分たちが見知った個人の死」が未解決のまま残されている、という感覚だ。自分たちが顔を知っている人物の、助けられたかもしれないのに助けられなかった死。それがOさんいわく「ちゃんと供養されてないままだから」、不具合を起こしている。建物ひとつぶんの土地に、80年ものあいだ祟りを及ぼしている。
    「原爆にまつわる怪談はない」
    とは、よく指摘される言説だ。あまりに大きなスケールの死になると、われわれは怪談を語れなくなってしまう。大きな歴史語りという役割も大切なのだが、こと怪談については、個々人の具体的な体験談でなければ成立しえない。

     チビルさんの案内で、私も老婦人Oさんの家を訪問し、直接お話を伺うことができた。そのうちに近所のご友人も取材に混ざってきて、戦中戦後のさまざまなエピソードを矢継ぎ早に語ってくれた。どうやら当地の老人たちにとって、空襲など戦争の記憶について語り継ぐことは公式(講演や学校教育など)・非公式(われわれの取材など)かかわらず日常的に行われていることのようだ。
     そのような街だからこそ、「未解決の小さな歴史」もいまだ生々しく現存し、そこにまつわる怪談が語り継がれているのだろう。

     そして2話目である。
     偶然にも情報提供者A子さんに出会い、チビルさんには伝えられていなかった情報を聞くに及び、やはりこれぞ「深川の怪談」だと確信した。
     体験者U男は刑務所帰りで、妻子と離ればなれになったまま行き場を失っていた。そして幸いにも居酒屋オーナーに助けられ、店の2階で幽霊の家族と出会う。特にU男が子どもの霊に寄せる視線は優しく温かい。それはそのまま、離れた家族への想いと重なっているはずだ。
     かつての深川エリア、特に森下あたりには、貧困層や寄る辺なき人々を受け入れる土壌があった。
     それは治安の悪さも招いたが、社会の辺縁を生きるものたちの避難所・緩衝地帯として機能していたことも確かだろう。怪談とは、そうした状況からも生まれやすいのだ。
     今や若者たちが集うお洒落エリアとなった深川だが、その底流を覗き込めば、まだまだ多くの怪談がたゆたっているはずだ。

    「清澄長屋」の一帯を調査する吉田悠軌、チビル松村両氏。
    まばらにしか建物のない空襲直後の下町の様子。写真中央を流れるのが隅田川、右奥側が深川方面になる。

    チビル松村(ちびるまつむら)
    怪談師。オカルトエンタメ大学怪談ニュージェネレーション初代王者。YouTube チャンネルは深津さくらさんらと4人で運営する「おばけ座」。著書に『なにか、いる』(大洋図書、共著)ほか。

    (月刊「ムー」2023年8月号より)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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