木根緋郷怪談「おじさん」/吉田悠軌・怪談連鎖

監修・解説=吉田悠軌 原話=木根緋郷 挿絵=Ken Kurahashi

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    ふとしたことがきっかけで、忘れていた凄惨な記憶が呼び起こされることがある。それもひとつの恐怖の「連鎖」のかたち、かもしれない。

    集合住宅で何かを捜しつづける男

    「今年24歳になる、ユマさんという女性から聞いた話です」
     木根緋郷さんが怪談を語りだす。

     ユマさんが高校生だったころの、とある夜。母親と兄とともに、3人で住む集合住宅へと戻ってきた際のことだ。
     裏の駐車場に車を停めてから、正面エントランスへ回ってなかに入る。エントランスといっても立派なものではなく、60戸ある各部屋のポストが並んでいるだけ。あとは人がすれ違えるほどの幅の通路が、エレベーターへと続いている。
     その通路をゆこうとした3人の足が止まった。
     蛍光灯のちらつく光の下に、不審な男がいる。上下グレーのスウェットを着ており、足元は簡素なサンダル。うつむいているので顔はよく見えない。
     そんな男が、次から次へと郵便受けに手を突っ込んでいるのだ。捜し物があるかのようにポストの中身をごそごそ漁ると、また次の部屋の郵便受けへ……。目当てのものが見つからないのか、延々と同じ作業を繰り返している。
     異様な光景に、ユマさんたちの顔がこわばった。それでも男の後ろを通らないわけにはいかない。母親を先頭に、兄、自分と3人並んで通路をゆっくり歩いていく。
     幸い、男はこちらを気にせず一心不乱にポストを漁っている。ようやくエレベーターに辿りついた母親がボタンを押す。扉が開いて3人が乗り込もうとしたところで。
    「俺、郵便とってくるよ」
     兄が集合ポストのほうへ引き返していった。母子家庭の唯一の男子として育ったためか、兄はいつも損な役回りを進んで引き受けてくれる。
     まっすぐ近づいてくる兄にも、男は無反応だ。兄は男の顔をちらりと覗くと、そのまま自宅である六〇×号室のポストに手を突っ込んだ。まとめて郵便物を引き抜き、こちらに踵を返す。その顔は、やけに青ざめているように見える。
     と、兄は驚くほどの駆け足でツカツカと戻ってきた。
    「早く、早く上がろう」
     声が震えている。いや全身がガタガタと小刻みに揺れているのだ。
     兄に促された母親は、6階のボタンを押す。続けて閉ボタンに指をかけるかと思いきや。
    「……乗りますか?」
     男に、そう声をかけたのである。
     ユマさんは啞然とした。兄の様子もおかしいが、それ以上に母はなんてことをいいだすのか。
     母の人差し指は開ボタンを押しており、その視線はじっと男に注がれている。
    「乗りますか?」
     兄も驚いたような顔で母を凝
    視している。ちょっとやめてよ、といいかけたユマさんだったが、母の顔を見て言葉が詰まった。
     その両目に、うっすらと涙が滲んでいたからだ。
    「……僕はいいです」
     郵便受けに手を突っ込んだまま、男がつぶやいた。
     頷いた母は、人差し指の位置を隣のボタンへ移した。
     扉が閉まり、函が上昇しかけたそのとき。
     くるり、と男が体ごとこちらに振り向いた。そしてガラス越しに、頭を下げる様子が窺えた。
     沈黙した3人を乗せ、エレベータは6階に到着する。無言のまま廊下を歩き、自分たちの部屋の前へきたところで、母がポツリと呟いた。
    「おじさんのことは、忘れましょう」
     そう、あれは近所に住んでいた親戚のおじさんだった。母の兄にあたる、病気を患ってずっと入院していた伯父さんだった。
     あの上下グレーのスウェットは、伯父さんが病室でいつも着ていた服だ。こちらを振り向いたときに見えたスリッパ。あれは兄がバイトして買ってあげたクロックスで間違いない。そのつま先に「はやく元気になってね」とユマさんが書いたマジックの文字があったから。
     しかしまた、伯父さんがあそこにいるはずがない。
     自分たちはたった今、伯父さんの葬儀から戻ってきたところなのだ。
     部屋に戻ったユマさんと兄は、ほんの少しだけ母のいいつけを破った。伯父さんはなぜ、郵便ポストを漁っていたのだろうと推理したのだ。
    「たぶん、ピザのチラシを捜していたんじゃないかな」
     まだ伯父さんが元気だったころ、自宅から徒歩圏内にある彼の家に、よく兄妹で遊びにいっていたものだ。
    「よし、俺が奢ってやるよ」
     そんなとき、伯父さんはよくピザの出前を注文してくれた。いつも必ず郵便受けからピザのチラシを捜し当て、そのクーポンを使って。
    「おじさん、うちらが見送ってあげたお礼に、ピザでも奢ってくれようとしていたのかね」
     兄と妹は、そんなことを話し合ったのだという。

    記念のスクショに写り込んでいたもの

    「次はコロナが蔓延しはじめた、4年前のことですね」

     自粛により友人たちと遊べない日々が続いていた。せめてリモートでおしゃべりしようと、ユマさんはInstagramのライブ配信機能にて計4人の女子会を開いた。家族の邪魔にならないよう、自宅前の公園のベンチに座ってインスタライブを繋げる。
     夜10時を過ぎているので、あたりに人気けはない。街灯の下、自分の顔を映しながら会話を重ねる。
    「一応このライブ、スクショ撮っておこうよ」
     会話したログを残すため、4人それぞれがライブ画面を何度も保存していく。特に意味はない、ただの記念撮影といったノリである。
     そんな女子会も終わり、久しぶりに気分転換したユマさんが自室に戻りくつろいでいたところ。
    「なんか変なの写ってるんだけど」
     先ほどの3人から、メッセージと画像データが立てつづけに送信されてきた。
    「ユマちゃんの画面、これなんなの?」
     見ると確かに自分の右肩が、黒い円形のかたちに潰れている。まるでブラックホールの穴が肩のすぐ手前に浮かんでいるような感じだ。
    「街灯の光で影になってるんじゃ……」
     いやそうではない、と3人は口々に返答する。
    「ちょっとこの丸、大きくアップにしてみてよ」 
     いわれた通り、スマホ上で2本の指を広げてみると。
     黒い円の中心に、黒い人の顔があった。輪郭が見え、鼻筋があり、目の部分だけが白くなっている。男だ。真っ黒い男が、右肩から自分の顔を覗きこんでいる。
    「お兄ちゃん!」
     慌てて兄に相談した。妹想いの兄は、翌日同じ時間帯に同じ公園に出向き、同じベンチで自撮りしたりインスタライブを再現する実験に付き合ってくれた。しかし条件は同じはずなのに、あの黒い丸はいっさい写らない。
     おかしいなあ……と、ふたりでベンチに座りながら、スマホをじっと見つめたその時である。
    「おまえら帰れ!」
     男性の叫び声が耳元で響いた。
    とっさに振り向いたが、ベンチの後ろは花壇である。その向こうの道路にも人影ひとつない。
     幻聴だったのだろうか。しかし今の声はどこか聞き覚えがある。そうだ、あれは子供のときの……。
     そこでユマさんの記憶の扉が開いた。
     小学3年生のときである。下校後の夕方前、自分はこの公園で友だち10人ほどと遊んでいた。
     確かドッジボールをしていた最中だ。ふとエンジン音が聞こえたかと思うと、黒いバイクがゆっくりと園内に入ってきた。ドライバーは雲梯の下に停車すると、シートに腰かけてタバコを吸いはじめた。くたびれた様子の中年男に見えたが、今にして思えば30代前半だったろうか。
     当時から愛想のよかったユマさんは、その男に近づいて「なにしてるの?」と訊ねてみた。「ああ……おじさんは仕事が終わったんだけど、もう疲れちゃってさ、休んでるんだよ」
     そこから多少のやりとりをしたが、男の会話はどこか奇妙だった。
     学校でいじめられてない? 
    嫌いな子はいない? そうかいないのか、じゃあ嫌いな先生はいるでしょう? うんそうだよね嫌いな先生いるよね。でも、おじさんぐらいの歳になると嫌いな奴とかいーっぱいいるんだよ、大変なんだよ。
     男は暗い言葉を延々と吐いた後「おじさんも遊んでやるよ」と子供たちの輪に入ってきた。そしてしばらく鬼ごっこの鬼をしたり、ボールで遊んだりした後。
    「ぜんぜん体動かしてないから疲れちゃった。タバコ吸うから、おじさんから離れてなさい」
     男は子供たちから遠ざかり、バイクのほうに戻っていく。そしてやけに膨らんだリュックからポリタンクと、片側が輪になったロープを取りだしたのである。
     なにをしているんだろう……。
    ユマさんが横目で窺っていると、男はタンク内の液体を頭から全身にぶちまけた。子供たちが呆気にとられるなか、男はバイクシートに登り、雲梯にロープをくくりつけ、輪のほうを自分のクを蹴って宙に浮いたかと思うと、ライターで自分の体に火を点けたのである。
     液体は灯油かガソリンだったのだろう。男の全身はあっというまに火だるまとなり、引火したバイクが爆発音をたてる。子どもたちは半狂乱で悲鳴をあげる。
     ……綺麗だなあ。
     しかしユマさんだけは、うっとりとこの光景を眺めていたのだという。
    「もちろん消防や警察の人たちが駆けつけましたが、他の子たちはひと言も話せないのに、ユマさんだけは冷静に事情聴取をこなしていったそうです」
     もしかしたら、とユマさんは思う。あのおじさん、まだこの公園にいるんじゃないかな。真っ黒く焼け焦げた姿のままで。
    「そのおじさんが『遅くまで遊んでちゃダメだぞ』と自分を見守ってくれているんじゃないか……っていうんです。……ちょっと変なんですけど」
     ユマさん、これをすごく「いい話」として僕に語ってくれたんですよね。

    木根緋郷(きねひさと)
    北海道生まれ岐阜育ち、現在は関東在住。アパレル勤めのモード系怪談師・怪談作家。エンタメ~テレ「怪談のシーハナ聞かせてよ」などに出演。共著書に『なにか、いる』(大洋図書)。YouTube チャンネル「怪談の根っ子」を主宰。

    取材時に発生したさらに奇妙なできごと

     木根さんの案内にて、千葉県市川市を訪れた。埋立地特有のひたすら平坦な道を進んでいった先に、今回の怪談現場がある。
     1話目の集合住宅のすぐ目の前が、2話目の公園だ。現在はユマさんも家族も引っ越しているものの、彼女が少女期の大半を過ごした場所となる。
    「自分の取材時、当時ここに住んでいたユマさんと一緒に6階から公園を見下ろしたら」
     ふと気づくと、奇妙な老人が道路にいた。真っ白い長髪、真っ白い浴衣の着流しで、その胸元をはだけさせたまま、ふらふらとこちらに歩いてくる。変な人だなと目で追ううち、老人は公園の物置の陰に隠れたのだが。
    「いつまでたっても出てこないんです。『そんなはずないですよね!?』と、ふたりしていろんな角度から確認したんですが」
     老人は煙のように消えてしまったそうだ。近くに総合病院がふたつあるので、入院患者がうろついていただけかもしれない。しかしちょうど「黒い男」の怪談を取材している最中、不審な「白い男」が現れ消えたという偶然はなかなか空恐ろしい。

     そんな話を聞いているうち、うっすらと潮風が匂ってきた。江戸時代に埋め立てた新田を1970年代に区割りしたため、このあたりの地名はすべて新しい。誕生順に並べれば「福栄」「末広」「住吉」「富浜」「宝」「幸」……めでたい言葉の、いわゆる佳名ばかりである。
     そのような地名にもかかわらず、焼身自殺を目の当たりにしたというエピソードは凄まじい。それほどの事件なら地元紙で報じられていないかと「千葉日報」や「読売新聞」地域版を漁ってみたが記事は見当たらなかった。近年、自殺の報道が控えられているからだろう。

     ただ「ネット掲示板『まちBBS』ならだれかが話題にしているかも」と木根さんに伝えたところ、その日のうちに該当する書き込みを発見してくれた。

    「公園で何があった?ブルーシート&立ち入り規制なんだけど」「焼身自殺があったらしい」「現場を見ちゃった子どもたちたくさんいたらしいです。」

     やはり事件は本当にあったのだ。こうした体験や伯父さんの死を、ユマさんはある意味でうまく飲み込み、人生を続けている。それもまた「怪談」の機能のひとつなのだろう。

    (右)埋立地特有の平坦な道を進んだ先に、現場となった公園がある。(左)男がロープをかけた雲梯は撤去されているものの、その痕跡は今も公園に残されていた。

    (月刊ムー2024年4月号より)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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