酒呑童子、温羅、鬼女紅葉……日本人が恐れた魔の筆頭! 全国「鬼」スポット5選

    伝説の魔怪や幻想の妖怪も、実は出身地があり、ゆかりの場所もある。 実在する「鬼」ゆかりの場所を厳選紹介!

    鬼王の城にして鬼隠しの里「大江山」

    京都府福知山市大江町仏生寺

     かつての丹後国と丹波国の境をなす大江山は、日本でもっとも知られた鬼伝説の地だ。その代表格といえば酒呑童子。一条天皇の御代(平安時代半ば)、都の人々が次々と神隠しに遭う事件が発生し、安倍晴明が占うと、大江山の鬼(酒呑童子)の仕業だと判明。帝は源頼光に討伐を命じる。頼光らは山伏を装って鬼王に近づき、酒呑童子に毒酒を呑ませて自由を奪い、ついにその首を刎ねたという――。

     酒好きの巨怪として描かれる酒呑童子の物語はフィクションだが、大江山の鬼の系譜は崇神天皇の御世(古墳時代)の陸耳御笠(くがみみのみかさ)、6世紀頃の英胡・軽足・土熊の伝説にさかのぼる。いずれも朝廷が征伐に乗り出したといわれ、その存在感の大きさがわかる。

     そして大江山は、“鬼王の城”にして“鬼隠しの里”であった。
     大江山口内宮駅から車で約30分。大江山8合目には鬼おに嶽たけ稲荷神社と正一位鬼丸稲荷が鎮座している。いずれも頼光鬼退治ゆかりの地とされ、とくに後者は巨岩に囲まれた洞穴に祀られており、苔むした石段と相まってじつに“らしい”雰囲気。近辺には鬼の洞窟もある(急勾配の山道にてご注意)。なお、鬼嶽稲荷は紅葉や雲海の名所として知られた景勝地でもある。

     山麓で外せないのが、巨大な鬼瓦のモニュメントが目印の日本の鬼の交流博物館。日本はもとより世界から集めた鬼関連資料が充実しており、鬼モニュメントも楽しい。

    大江山の正一位鬼丸稲荷

    人々に親しまれ敬われた「古津軽」の鬼神

    青森県弘前市鬼沢菖蒲沢(鬼神社)ほか

     近年、岩木山を中心としたエリアは「古津軽」の名で観光キャンペーンが行われているが、そのアイコンが「鬼コ」だ。神社の鳥居に載るこの地域独特の鬼形像のことで、現在約40体確認されており、鬼コマップ」もつくられている。この地域にとって鬼は身近な存在なのだ。

     とくに注目すべきは、岩木山の北東麓エリア。弘前市鬼沢地区には、その名も鬼神社が鎮座している。その外観は拝殿の壁に鎌や鍬が奉納された特異なもので、神額の鬼の字の上には“ツノ”がない。当社の祭神(鬼神様)は干ばつで苦しむ住民のために一夜で水路をつくってくれたといい、「ツノがない優しい鬼」なのだと氏子はいう。近くのリンゴ畑には、里に下る途中で鬼が休んだという鬼神腰掛柏(鬼沢のカシワ)も残っている。

     もうひとつ注目したいのが、巌鬼山神社(弘前市十腰内)。
     鬼が棲まうといわれた岩木山北東峰(巌鬼山)の名を冠した古社で、境内で目を引く推定樹齢100
    0年のスギ2柱は「鬼神太夫の刀が飛来した」と伝わる御神木で、一見の価値あり。

     そこからさらに岩木山の北東ルートを登ると、鬼神の本拠とされる赤倉霊場がある。山の中腹一帯に28もの霊堂が点在するが、これらは山の神(鬼神)に霊感を受けたカミサマ(と呼ばれる宗教者)らの修行場兼祈禱所だ。そのなかのひとつ、十腰内堂の裏に鬼神(赤倉大権現)の石像が建っている。

    鬼神社。神額の文字と奉納物に注目。

    鬼女紅葉の由緒地「戸隠」

    長野県長野市鬼無里、同戸隠栃原ほか

     第六天魔王(仏教に仇なす天魔)の霊力を宿した女性がいた。長じて都に上り、紅葉と名を変え、その美貌で都の右大臣・源経基の寵愛を受けるも、経基の御台所(正妻)を呪殺したとの疑いを掛けられ、奥信濃(長野県)の戸隠に流された。その地で敬愛を受けた紅葉だったが、天魔の業ゆえか、や
    がて盗賊の頭をも配下に従えて悪行狼藉に手を染め、希代の鬼女として都にも知れるところとなる。朝廷は、将軍・平維茂にその討伐を命じ、妖術を駆使する紅葉勢と維茂軍の死闘へ……結果、北向観音の加護を受けた維茂の一太刀を浴びて紅葉は絶命する――。

     奥信濃で紅葉が暮らした場所には内裏屋敷跡(長野市鬼無里日影)が残されており、絵看板のほか紅葉の供養塔が建っている。内裏屋敷の称は、紅葉がこの地で内裏様と呼ばれ敬われていたことを物語るが、そんな鬼無里(きなさ=鬼女がいなくなった里)地区にある松巌寺は紅葉の菩提寺で、紅葉の墓のほか紅葉を斬ったという刀も伝わっている。
     そこから車で東に向かうと、紅葉討伐の由緒地が点在する。
     維茂が矢を放った場所に建つ矢本神社(長野市戸隠祖山)、その矢が刺さった場所に建つ柵神社(同戸隠栃原)、柵神社近くには維茂が紅葉の首を埋めたという鬼塚もある。そこから、紅葉と維茂を弔った大昌寺(同栃原)を経て荒倉山に登ると、龍虎隧道の脇に紅葉の岩屋の案内板がある。そこから鬼女紅葉の終の棲家に向かおう。

    鬼女紅葉が住んでいたという紅葉の岩屋(洞窟)。写真=武井智史

    鬼神・大嶽丸の首を封じる「善勝寺」の首塚

    滋賀県東近江市佐野町909

     善勝寺は、坂上田村麻呂がここで東夷征伐を祈り、「善く勝った」ことにちなんで命名したという。その墓地に2メートル四方はあろうかという四角い巨大な石が鎮座する異様な一画がある。一名「鬼の首塚」。日本最強とも恐れられた鬼神・大嶽丸の首を埋めた場所といわれる。

     大嶽丸は三重と滋賀の境にある鈴鹿山に棲んでいたといい、強力な神通力を使い、山を黒雲で覆い、暴風雨や雷鳴、火の雨をも降らせたという。このため田村麻呂(田村丸)は、鈴鹿山の女神・鈴鹿御前の助けを借りてようやく討ち取ったと伝わる。ともあれ、埋められた首をこの巨岩を蓋にして封じなければならないほど、大嶽丸の鬼神力は恐れられたのだ。

    鬼の首塚。巨岩の上に五輪塔を安置し、供養されている。

    温羅が居城した古代山城「鬼城山・鬼ノ城」

    岡山県総社市黒尾

     古代吉備地方(岡山県)に温羅(うら)という名の異国の鬼神がいた。身丈は1丈4尺(約4・2メートル)、頭髪は真っ赤で、眼は虎狼のごときであった。温羅は現在の鬼ノ城山に居城を構え、しばしば狼藉をはたらいたために、人々は鬼ノ城と恐れ、都に訴えた。こうして崇神天皇はのちに吉備津彦と呼ばれる皇子を派遣。ついに両者は相まみえる……。

     かの桃太郎・鬼退治のネタ元になったという温羅伝説である。
     その温羅の拠点と伝わるのが鬼ノ城で、鬼城山に復元されたその西門や角楼、土壁のような土塁は、まさに古代山城の風情。反対側(北東)に築かれた屏風折れの石垣は圧巻の光景だ。7世紀の後半に築造されたといわれるが、その北側にある「温羅舊跡(きゅうせき)」の石碑が、わずかに温羅の足跡を今に伝える。

    その他の「鬼」スポット

    鬼の手掛け石 宮城県柴田郡村田町小泉道端
    鬼神・三吉様 秋田県秋田市広面赤沼(太平山三吉神社総本宮)
    鬼鎮神社 埼玉県比企郡嵐山町川島1898
    元興寺の鬼 奈良県奈良市中院町11
    天満社鬼神社 大分県大分市神崎下白木

    「ムー」2023年11月号別冊付録から抜粋
    https://www.amazon.co.jp/dp/B0BYNFDY22/

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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