崖に向かって、押しつづける者とは…… ヤースー「喜屋武岬の霊史継承」/吉田悠軌・怪談連鎖

文/監修・解説=吉田悠軌 原話=ヤースー 挿絵=Ken kurahashi

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    今もなお戦争の傷跡を色濃く残す島、沖縄。激戦地跡で、ユタの血を引く霊感芸人が体験した怪異とは。その記憶は世代を超えて受け継がれ、連鎖していく——。

    霊感芸人が慰霊の崖で見たもの

    「沖縄の若者って18歳になるとだいたい自動車免許を取るんですよ。僕のときは、友人と島の最南端までドライブしようという話になって。そこが喜屋武岬きゃんみさきだったんですね」
     ヤースーさんが怪談を語りだす。

    「向かっている途中で、喜屋武岬が心霊スポット扱いされていると教えられました。『でもヤースーは霊感あるから幽霊いても安心だな』『いや幽霊いたら車降りないから』なんて話しながら到着したんですが、そのころにはもう夜も更けていて」
     駐車場からは黒い海が一望に見渡せた。ふと気づくと「平和の塔」と書かれた慰霊碑も設置されている。

     沖縄戦末期、本土上陸を遅らせる持久戦へと方針転換した日本軍は、首里城から南部へ撤退。それに巻き込まれた一般人もひたすら南へ避難していく。そして米軍に追い詰められた先がこの喜屋武岬だった。ほどなく日本軍は壊滅し、組織的な沖縄戦は終結。残された多数の一般人、ひめゆり学徒隊たちも手りゅう弾や崖からの投身によって悲惨な最期を遂げる。死者1万柱余りの遺骨を収集し建立されたのが「平和の塔」の慰霊碑だ(現在のものは改修された2代目)。

    「幽霊いるかなあ、このあたりかなあ」
     気楽な声をあげながら、友人は周囲をうろつきだした。〝視える人〟であるヤースーさんは恐る恐る車を降りたのだが、意外にも霊的存在は見当たらない。
     ……大勢が亡くなった場所なのに、いないものなんだな……。
     そう思っていると、友人が「トイレの裏に回れ」といいだした。そこから崖沿いに細い道が延びていたのだ。
    「なんかあるぞ!」
     友人はぐんぐん道を進む。
    「危ないぞ、お前」
     ヤースーさんが追いかけながら灯りを照らす。といっても当時のこと、手元にあるのはガラケーの頼りないライトだけ。
     ……昔の人たち、ここから飛び降りたのかな……。
     脇には断崖絶壁が切りたっており、思わず足がすくむ。しかし友人は暗闇も転落もいっさい意に介さず、あっというまに崖の際へ辿りついてしまった。

    「うわあ、やばいな!」
     下を覗きながら笑う友人を見て、ヤースーさんは「あっ」と息を呑んだ。彼の背後に、男が立っていたからだ。こうした存在を見慣れているのでわかる。明らかに生きた人間ではない。
    「ここから落ちたら絶対に死ぬわ!」
     友人が立ち上がった瞬間、男はその背中に向かって、強く両手を突き出した。もちろん友人の体は一ミリも動かないし、そもそも後ろの男が見えていないので驚きすらしない。
     それでも男は、両手を引いては突き出し、引いては突き出し、ひたすら崖の上から友人を落とそうとする仕草を繰り返す……。

    「自殺者の霊かな、とそのときは思いました」
     喜屋武岬は投身自殺が多い場所でもある。そこで亡くなったものが生きた人間を道連れにせんとしているのだろうか。
    「いくら物理的に押せなくても、僕の友人が視えるやつだったら驚いた勢いで後ろに下がってたかもしれない。たとえば自殺しようと悩みながらそこにきた人なら、あの霊の姿も視えてしまうんじゃないか……と」

     今回は友人の鈍感さが幸いし、なにごともなくすんだ。ヤースーさんは帰宅後、自分の「ばあちゃん」にこの体験談を報告する。祖母は強い力を持ったユタであり、ヤースーさんの霊的指導者でもあった。
    「違うね、それは戦争のときの人よ」
     ばあちゃんは、自殺者の霊だという考えをキッパリ否定した。
    「あの岬からはたくさんの人が飛び降りたし、飛び降りさせられたから」
     沖縄戦にて崖の先へと追い詰められた島民たち。しかしなかには、どうしてもあと一歩を踏み出せないものもいた。そんな人々の背中を次々に押し、海へと突き落とす役割を担った人がいたのではないか。
     おそらく、その人物も最後には自ら投身して亡くなったのだろう。しかしひどく重い後悔の念が残ったのだろう。他の死者すべてがいなくなった今も、彼ひとりだけが、あの崖っぷちに留まっているのだろう……。ばあちゃんはそう伝えてきた。

     それから10年以上たった先日のこと、ヤースーさんはテレビのロケで再び喜屋武岬を訪れた。平和の塔の裏側に回ったところ、小さな地蔵が2体、海を見ながら佇んでいることに初めて気づいたのだという。

    喜屋武岬に建つ慰霊碑「平和の塔」。喜屋武集落周辺で全滅した旧日本軍や住民の遺骨1万柱を収集、納骨した場所に建てられたのが初代で、2代目は昭和44年に現在の場所に移転し改修されたもの(画像=ウィキペディア「喜屋武岬」より)。
    挿絵= Ken Kurahashi

    夕暮れのかくれんぼで迷い込んだ場所は

    「似たような体験がもうひとつありまして……」

     うるま市の東海岸、宇堅うけんビーチでのこと。今でこそ開発が進み賑わっている浜辺だが、ヤースーさんが小学生のころは仮設トイレしかなく閑散としていた。
    「だから逆に、うちの親戚40人ほどでビーチパーティーができたんですよね。周りに建物もなかったので、軽トラに乗せた発電機で照明つけたりして。子供はもう大はしゃぎでした」
     泳ぐには暗すぎるが、花火にはまだ早い夕暮れどき。子どもたち10人でかくれんぼをしようとの話になった。鬼が100数えるあいだに逃げていくヤースーさん。しかし鬼役の子もまだ幼かったので30をカウントした時点で「もういいかーい!」としびれを切らす。慌てたヤースーさんが周囲を見渡したところ、岸壁の一部にぽっかりと空いた横穴を発見。
     空洞はずっと先まで続いており、数メートル先では岩が横から突き出ている。身を隠すには絶好のポイントだと、喜び勇んで岩の裏へ回り込んだ。

     しかし完璧に隠れ過ぎたせいだろうか。10分、20分と経っても、鬼が近づいてくる気配が感じられない。
     いや違う。いつのまにか外の音がいっさい聞こえなくなっている。あまりの静寂に心細くなったヤースーさんは、かくれんぼを諦めて出口へと歩き出したのだが。
    「……あれ?」
     なぜだろう。いくら歩こうと距離感が縮まらない。さっきは20秒ほどで岩の裏に辿り着いたはずなのに。恐怖と焦りから歩を速める。だが走っても走っても、外へ通じる出口の輪郭が大きくならない。
    「助けて!」
     そう叫ぶと同時に、なにかにつまずいて転倒。思わず目をつむり、またすぐ瞼を開くと。
    「お前なにやってるか」
     ばあちゃんの膝の上で寝転んでいる自分がいた。
     気づけばそこは岸壁の外の浜辺である。穴から出られなくて……と今しがたの状況を説明すると。
    「穴? どこの穴よ」
     岸壁には多少の窪みがあるだけで、洞窟状の穴などどこにも見当たらなかった。
    「変なもの見させられたね。それ、昔の防空壕よ」
     かつてこの岸壁には防空壕として使われた横穴があった。しかし数十年かけて波に削られ、今は突き当りだった窪みしか残っていない。もはや存在しないはずの空間に迷い込んでしまったようだ。

    「ばあちゃんが胸騒ぎを感じて捜しにきてくれたからよかったですけど。あのまま潮が満ちて呑み込まれていたら」
     ――たぶん僕、二度とあの穴から出られなかったと思うんですよ。

    挿絵= Ken Kurahashi

    語られ、継承されてゆく沖縄の歴史と記憶

     ユタである祖母の血を色濃く継ぎ、視えすぎるほど「視える人」であるヤースーさん。彼が視るのは「幽霊」ともいえるが、「その場所に残された死者の記憶」とも呼び換えられるだろう。またそれが沖縄戦のような歴史と結びついたとき、さらに特別な意味を帯びてくる。
     2017年9月、沖縄県読谷村のチビチリガマが10代少年グループの「肝試し」によって荒らされる事件が発生。戦跡であり慰霊の地であるこの場所にて、千羽鶴や骨壺を破壊してしまったのだ。心ない行動が起こった要因のひとつとして、戦争体験世代の「おじーとおばー」が高齢化し、若者世代へと記憶の継承が途絶えたことが挙げられている(※1)。

    米軍指定地域に移動する沖縄本島の人々。一方では戦火に巻き込まれ多くの人が命を落とした。
    沖縄本島島南西部で、日本兵が潜む可能性のある海岸に手榴弾を投下する米軍(米国立公文書館所蔵写真)。
    喜屋武岬は沖縄本島の西南端に位置する。追い詰められた軍人、民間人の多くがこの一帯で命を落とした(©︎Google Inc.)。

     先のヤースーさん怪談と照らし合せてみれば、この意味がよくわかる。「ばあちゃん」は彼の霊能力についての指導者であると同時に、土地の歴史――それもふだんは隠されている歴史――を教える伝承者の役も担っていた。
     喜屋武岬で視た男の仕草について、宇堅ビーチの横穴について、若いヤースーさんはいっさい見当すらついていなかった。しかし彼は、場所の記憶をありありと「視た」。たとえ霊感が個人的主観の一種であったとしても、情報も発想もない当時の彼が、それらを「視た」のは事実だ。そしてその「答え合わせ」をしてくれたのが、彼の祖母だった点も重要だ。この「答え合わせ」が100パーセントの科学的事実かどうかはさほど問題ではない。世代を通じた語りが紡がれていくことこそが重要だ。それはまた「怪談」の担う重要な役割でもある。

     似たようなエピソードとして、モデル・田丸麻紀の実体験談を見つけた。沖縄を舞台とした彼女の主演映画『アコークロー』(’07年)撮影時のことだ。
    「監督も撮影スタッフもほぼ全員沖縄の方だったおかげで、観光客が絶対入れないような場所で撮影することができたんですね。その中のひとつで、やけに撮影スタッフが少ないシーンがあって『どうして今日は少ないの?』って訊いたら……」
     そこが喜屋武岬だったという。
    「霊感が強い人は取り憑かれてしまうから絶対行ってはいけないらしくて、撮影前に地元の霊能力者の方にキャスト陣の写真を見せたら、何人かは『行ってはいけない』と強く忠告されたそうです……」(※2)

     おそらく地元のユタの忠告だったのだろうが、これを単なる「脅し」ととるべきではない。おじーとおばーから語られた怪談を、若者たちが受け入れる。そして隠された歴史や記憶が継承されていくのだ。

    ※1 打越正行『沖縄「チビチリガマ荒らし事件」とは何だったのか?』(※2「 EX大衆2」2007年7月号より。 講談社WEBサイト『現代ビジネス』)より。
    ※2「 EX大衆2」2007年7月号より。

    ヤースー(やーすー)
    沖縄県出身。ユタである祖母の能力を継ぎ、「視える人」として幼少期からさまざまな怪異を経験。趣味は心霊写真集めと沖縄そば食べ歩き。YouTube「トクモリザウルス」。

    (月刊「ムー」2023年9月号より)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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