川奈まり子怪談「四谷で消えた女」/吉田悠軌・怪談連鎖

文/監修・解説=吉田悠軌 原話=川奈まり子 挿絵=Ken kurahashi

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    今回は、まさにこの連載にふさわしい怪異が連鎖する場所、連鎖する事件にまつわる一題。

    なぜかたどりつけない真夜中の「於岩稲荷」

    「この話をしてくださった方は、よく怪談イベントを主催されている、Sさんという人なんですけどね」
     川奈まり子さんが怪談を語りだす。

    「ちょうどデヴィッド・ボウイが亡くなったときというから2016年1月ですね。Sさん、新宿の戸山公園の近くで怪談会を催したんですよ。そこに参加したのがSさんの親友N男さんと、その同級生の女性A子さん」
     A子は若いころからオーストラリアに移住し、久しぶりの帰国だったという。日本にはもう身寄りがひとりもいないため、同級生のN男に連絡をした。
    「現代の日本らしい、ちょっと変わった遊びってないかな?」
    ――と。
     そこで連れてこられたのが件の怪談会というわけだ。イベントはつつがなく終わり、A子も満足げだった。それどころか会のなかで軽く触れられた怪談のひとつにいたく興味を示し、「その現場まで歩いていきたい」といい出したのである。
     1986年に衝撃の自殺を遂げたアイドル、岡田有希子についての話だった。確かに会場から彼女の飛び降り現場までは同じ新宿区内だが、いい大人ならタクシーを使う距離だ。
    「別にいいわよ。3時間もずっと座ってたから、歩いていきたいの」
     A子はSさんとN男ふたりをお供に、徒歩でまっすぐ南を目指した。
     四谷4丁目交差点に着いたときには、もう午後9時を過ぎていたそうだ。岡田有希子が墜落したというポイントには現在、花壇が設置されている。見ようによれば棺桶のかたちをしているそれは、初夏には献花のような紫陽花が咲きほこる。しかしこのときは真冬の夜なので、草木の茂りもたいへん淋しい。
    「彼女、どうしてここで自殺したんでしょう」
     と呟くA子にSさんは、
    「中年男性の俳優と噂がありましたね。彼との失恋が原因では、と」
     A子は花壇を見下ろしながら、ほうとため息をついた。
    「一途な女性だったんですね」
     しばらくの間、3人の周りを沈黙が包む。そんなしんみりした空気を打ち消すように、N男が大声で次のような提案をぶってきた。
    「ここから於岩稲荷までは近いよな。ついでにいってみようか!」
     すぐ東の四谷3丁目交差点から外苑東通りへ右折。ローソン四谷左門町店を入っていけば、於岩稲荷田宮神社や陽雲寺の並ぶ路地へとぶつかる。単純な道のりで迷うはずもないが、念のためスマホの地図を見ながら歩いていたにもかかわらず。なぜかローソンが見つからない。
     外苑東通りを行きつ戻りつしてみても、目印となるローソンが出てこないのだ。
    「おかしいなあ」「これは化かされてるんじゃないか?」
     怪談マニアのSさんである。こういうときはタバコを喫うか、きた道を最初まで引き返したほうがいいいと判断。甲州街道の四谷三丁目駅まで戻り、もう一度全員で「せーの」と振り返ってから道を進む。
     するとあれだけ捜したローソンが、まるで忽然と現れたかのように、視線のすぐ先に見つかったのだという。
     奇妙だとは思いつつ、道がわかったのだから入るしかない。しかし、ようやくお目当ての路地に到着したところ、田宮神社も陽雲寺も入り口が封鎖されているではないか。両施設とも、通常時は夕方あたりで閉門してしまうのだ。
    「仕方ないなあ、外から見るだけで帰るか」などとSさん、N男が話していると。
    「ちょっと待って! こっちの於岩稲荷は、まだ開いてるわよ」
     先をゆくA子が声をかけてきた。陽雲寺の並びの数軒隣、田宮神社のずっと斜向かい。そこに立つA子のもとに集まれば、確かに「於岩稲荷」の額がかかった鳥居が一基。さらに奥の拝殿では、ぼんぼりロウソクのようなぼやけた灯りがいくつか揺らめいていた。
    「あれ……ここってもう一軒、お岩さんの神社があったんだっけ?」
     不審に思いつつも鳥居をくぐる。すると境内に足を踏み入れたとたん、冬の夜の空気がさらに冷たくなった気がした。外の街灯が遮られたのかと思うほど、周りもやけに薄暗い。
     嫌な予感を覚えたSさんは3人でお参りをすませると、早々にそこを後にしたのだった。「ああよかった。せっかく日本に来た甲斐があったわあ」
     A子は上機嫌なようでなによりだった。時間を確かめればもう11時過ぎ。いつのまに2時間もたったのかと驚いたが、ともかく解散の流れとなった。男性ふたりは地下鉄に乗り、A子は「自分のホテルに戻る」とタクシーに乗り込んだのである。
    「ただ……その翌日から、ちょっと異様な事態になってしまったそうなんですね」

    四谷探訪の翌日、女性は消えてしまった

     一呼吸おいてから、川奈さんが話を続ける。
     翌日、Sさんが遅い朝食をとっていたときである。蕎麦をすすっていた口内から、いきなり大量の血が溢れてきた。ガラスでも入ったかと吐き出しても、ただ血まみれの肉片が器の中にこぼれるだけ。確認すると、口の中の粘膜があらかた剥がれ落ちていたのである。
     たった一夜でこんな症状が出ることがありうるのだろうか。とにかく医者からは極度の口内炎と診断された末、完治するまで3週間かかった。その間、満足に食事をとれなかったSさんは体重が7キロも落ちたという。
     一方そのころ、N男はどうしていたか。彼自身は特に異変に見舞われなかったものの、また別の緊急事態に対処していた。
     A子が行方不明になったのだ
     あの四谷探訪の翌日から、電話もメールも繋がらなくなった。海外SIMだからだろうかとA子のSNSを確認してみると、
    なぜか一日にしてアカウントごと全削除されていたのである。心配のあまりA子の宿泊先ホテルに電話し、「親が死んだので大至急で連絡を取りたい」といった方便でコンタクトを試みた。するとホテルから次のような回答が返ってきたのだ。
    「恐れいりますが、A子様は前々日にチェックアウトされております」
     それは怪談会の日の朝のこと。つまり四谷3丁目からタクシーに乗った際の「ホテルに戻る」という彼女の言動は、真っ赤な嘘だったのだ。後日、オーストラリアのA子宛に送った手紙も、〝MOVED(転居先不明)〟の判が押されてきた。
    「考えてみればおかしいんですよ。どうして1月後半という変な時期に帰国したのか。怪談会でちょっとだけ出た岡田有希子の話題に、なぜあそこまで食いついたのか」
     川奈さんやSさんは、こんなふうにも推測している。
    「傷心旅行だったんじゃないかな……と。A子さんはオーストラリアで恋愛関係の大きな挫折があって、それでふらりと、身寄りもいない日本に戻ってきたのではないか」
     そういえば、お岩もまた男に裏切られた末、非業の死を遂げた女だ。岡田有希子とお岩。このふたりの女のリンクが繋がったとすれば、A子の消息もまたひどく不安に思えてしまうのだが……。とにかく現在に至るも、彼女の行方は杳として知れない。
     また後日譚として。川奈さんがSさんから当該の話を取材したのは今年のこと。その取材直後、Sさんは交通事故にあってしまった。自転車に乗っている最中、車をよけようとして転倒、顔からアスファルト道路に突っ込んだのだ。特に左眼については眼輪筋や神経が損傷するほどの大ケガだった。
     Sさんは事故直後、川奈さん宛てに自身の画像を送ってきた。そこには左眼をひどく腫らした、お岩のような顔が写っていたのだという。

    信じたがる心が生みだす哀しき女幽霊

     どうして今まで、お岩と岡田有希子とをリンクさせてこなかったのだろうか。
     この怪談を聞いたとき、まず自分で自分が不思議になってしまったほどだ。両者ともその悲劇が日本中を巻き込む伝説となった女性である。彼女らに最も縁深い土地は、歩いて10分足らずの近さに隣接している。そしてこのふたりは日本の「芸能・怪談」双方に大きな影響をもたらした存在である。
     四世鶴屋南北の創作であるにせよ、『東海道四谷怪談』が日本の怪談の代名詞であることは間違いない。また特筆すべきは歌舞伎のみならずどのジャンルであろうと「四谷怪談を扱えばお岩の祟りが及ぶ」という言説が今なお根強いことだ。小池壮彦『四谷怪談 祟りの正体』を参照するまでもなく、お岩の祟りとは現代日本人に今なお残る強い信仰なのだ。
     たとえ実在したお岩についての史実が不明でも、どれだけ創作要素が入っていようと、それは問題ではない。われわれは「芸能」を通じて、お岩という「怪談」を恐れ、その祟りの実在をかなりの度合で信じている。

     岡田有希子の自殺が「芸能」=日本アイドル史の転換点となったことは常識だが、実は「怪談」の面においても重要事であった。彼女の死体写真を撮ったカメラマンが変死したとか、全国で若者の後追い自殺が相次いだといった事象ではない。もっとも注目すべきは、岡田の死の2か月後、6月18日放送『夜のヒットスタジオ』にて、「ジプシークイーン」を唄う中森明菜の映像に「ユッコの霊が写った」とされた騒動である。
     番組中に「柱に人影が写った」「雛壇の奥に血まみれの顔が」なる証言が相次いだといった噂は有名だ。当時のメディアはこれを「テレビ幽霊」と称し、現代特有の怪談として扱った。だがこの「テレビ幽霊」なる名称は不正確だし、おそらく視聴者もテレビ放送中に騒いだわけではない。「ユッコの幽霊」騒ぎが社会現象化した原因はテレビではなく、当時普及しはじめた家庭用ビデオデッキにある。つまり「ビデオ幽霊」と称すべきなのだ。
     問題の映像を確認すると、確かに照明の点滅や舞台装置の具合で「細長いシルエット」「赤色の段」が写っているのはわかる。しかし正直、それらは映像としてまったく不自然ではなく、番組放送中にそれらを「幽霊」と認識した人は数少なかったはずだ。
     これを「幽霊映像」と見るには ①ビデオテープを持ち寄った仲間内での鑑賞、②どのポイントを見るべきかの事前情報、③巻き戻しや一時停止による再確認、④テープの擦れにより映像が不鮮明になっていること、の四要素が不可欠である。これは一般家庭に広くビデオが普及しはじめたタイミングだからこそ成し得た状況だ。
     つまり岡田有希子の幽霊騒動こそが、後の『ほんとにあった! 呪いのビデオ』などに連なる「心霊映像文化」の嚆矢だったと私は考察している。
     ただ、お岩は祟るべきであり、岡田有希子は霊として現れるべきだ、という「芸能・怪談」が大衆に支持されなければ始まらない。お岩のキャラクターはほぼ創作と知っているのに、映像に写ったのはユッコどころか人影にすら見えないのに、われわれは哀しき女幽霊の実在を「信じたがってしまう」。まさにその心性こそが、彼女らの怪談を生む最大要因なのである。
     もしA子さんがなんらかの事情で、ふたりの怨霊の実在を強く願ったのだとしたら。あの冬の夜の四谷に、彼女たちは確かに顕現したはずなのだ。

    お岩の亡魂を描いた浮世絵([当三升四谷聞書]部分、東京都立図書館デジタルアーカイブ)。
    (上下)田宮神社を取材中の川奈まり子、吉田悠軌両氏。田宮家にもゆかりのある四谷左門町には、田宮神社、陽運寺のふたつの「於岩稲荷」があるが、Sさんたちがお参りした3つめの「於岩稲荷」はどこにも見当たらなかった。

    川奈まり子(かわなまりこ)
    作家。自身の体験談のほか、取材と資料・実地調査を組み合わせたルポルタージュ怪談が人気を博している。近著に『眠れなくなる怪談沼 実話四谷怪談』(講談社)など。YouTube「【川奈怪談】作家・川奈まり子公式チャンネル」。

    (「月刊ムー」2023年7月号より)

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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