灯籠が招いた軍人の霊……西浦和也「お化け灯籠」考察/怪談連鎖
怪談は、引き寄せあい、連鎖するーー。怪談師の珠玉の一話を、オカルト探偵・吉田悠軌が紐解く新連載。第一回の語り部は、実話怪談のレジェンドだ。
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怪をつむぎ、ひもとき、結びつけていく「怪談連鎖」。歌舞伎町で夜ごと怪談を語り続ける怪の伝道者から、「匂い」にまつわる不可解な話が披露される。
「ぜひとも吉田さんに調べてもらいたい怪談があるんですが……」
村上ロックさんが怪談を語りだす。
新宿・歌舞伎町「怪談Barスリラーナイト」は、怪談のエキスパートたちによるライブ語りが聞ける店として有名だ。演者の筆頭であるロックさんは、店にくる客たちからもいろいろな怪談を取材しているという。今回紹介してくれたのは、そのなかのひとつ。
「8年か9年前に来店された、30 代の女性のお客様でしたね。子どもの頃の体験談だそうですが」
女性の名を仮に英子としておこう。彼女が小学3年生の時、とある2階建ての一軒家に引っ越した。不動産関係で働く母親が見つけてきたもので、築年数は古いものの家賃が非常に手ごろ。なにより母の職場に近い点が気に入った。
「もうここしかない! ここにしましょう!」
母の強い希望で引っ越した英子一家だったが、引っ越し後すぐ、当の母の挙動がおかしくなってしまう。まず母は、暇さえあれば一階の廊下に立ちつくし、突き当りの壁をじいっと見つめるようになった。
「お母さん、どうしたの? そっちになにかあるの?」と質問しても「いや、この家、なんだか変なのよね……」と曖昧な返答のみ。
そんなある日の夕暮れどき。英子が小学校から帰ってくると、やはり母親が廊下の突き当りを凝視している。
……またやってるよ。気持ち悪いなあ……
などと思いつつ近づくと、その日の母はいつもと違っていた。視線をゆっくり上にのぼらせ、右手をピンと突き上げて。
「あ、ここだ。この上、なんかあるわよ」
天井の一部を指さすと、母は運んできた椅子の座面にあがり、天井板をあちこち叩きだした。「ほら、やっぱりここだけ音が違う」と、そのまま両手で持ち上げたところ、乾いた音をたてて板が上に外れた。
「お母さん、そこって1階と2階のあいだなのに、屋根裏部屋みたいになってるの?」
英子は、開いた隙間に頭を突っ込んでいる母にそう質問した。
「いやそんなに広くない。一畳くらいしか……あっ」
母はその用途不明の奇妙なスペースで、あるものを見つけた。天井板とともに埃が積もっている、木で編んだ籠。楕円形のかたちで、両端に取っ手のついたバスケットである。
「ああ、これよこれ、これだったのねえ」
見つけるべくして見つけたというような、母の呟き。
英子が下から見ていると、母は両手を天井の隙間へ差し入れて、そのままバスケットの取っ手を摑んだのであろう、その瞬間。
椅子の上の母の体が、ビクン、と硬直した。一拍置いて、すさまじい悲鳴が天井裏から轟く。
「なに!? お母さんどうしたの!?」
英子が驚いていると、母は震える足を、ゆっくり椅子からおろした。両手にはバスケットが摑まれている。しかしその中身はからっぽで、特に付着物なども見当たらない。
「……これなに? この籠がどうかしたの?」
すると母は青ざめた唇を震わせながら。
「今、このバスケットを摑んだ瞬間にね」
頭のなかに、ある映像がはっきり浮かんできた。
楕円形の籠のなかに、ぴったり収まるような楕円形の塊。それが外から布でくるまれた状態で入っている。
そんな幻視と同時に、初めて嗅ぐような匂いを感じた。
例えようのない臭気だが、とにかく「嫌な匂い」だった、と。
しかし英子がいくら顔を近づけても、やはりバスケットのなかはなにもなく、べつだん匂いも感じられない。強いていえば、編み込みの表面をよくよく凝視すると、わずかながら白い粉が付着しているようだ。ただそれも塵や埃かもしれないし、疑問視するほどのものではない。
1階と2階の間に隠されていたという点以外には、なんの変哲もない、ただの市販品のバスケットである。ところが母はこの一件以来、家に対する疑念を加速させてしまった。
「この家、やっぱりなにか秘密があるのよ」
翌日から、近所の一軒一軒に聞き込みを始める母。自分たちが越してくる前、あの家にどんな怪しい人物が住んでいたのだろうか。しかし近隣住民は口を揃えてそれを否定した。
「いや、どこにでもいるサラリーマンの旦那と、主婦の奥さんでしたよ。ほとんど近所づき合いはなかったけど、なんのトラブルもなく」
ただ……と、これまた皆が指摘するところでは、「あちらのご夫婦、夜逃げしたのかもしれません」。ある日を境に、夫の姿をぷっつり見かけなくなった。単身赴任でもしたのかと思っているうち、今度は妻の方も突然姿を消してしまったのだ。
「もしかしたらあのふたり、大きな借金でも作って逃げちゃったのかな? ……なんて噂はありましたけどねえ」
とはいえ母はこの調査結果にも満足しなかった。
「借金で夜逃げなんてレベルじゃない。この家にはもっと酷いことがあったはず。嫌な予感だけど、なにかの事件に関係している」
娘の目からしても、母のテンションは異常だった。「嫌な予感」に対する確信は日ごとにエスカレートし、ついに母は最寄りの警察署へと駆け込んでしまった。もちろん、例のバスケットを犯罪事件にまつわる証拠品として提出するために。
「いやあ、そうですか……この籠が、天井裏からねえ」
母によれば、担当警察官の反応は実に手応えのないものだったらしい。まあ当然だろうと英子も父も苦笑いしていたのだが。
翌日、今度は警察の方が母を呼びだしてきた。英子が後に聞いたところでは、署で待っていたのは昨日の担当者とは異なる刑事だった。
「奥さんすいませんけど、ちょっと調査にご協力ください」
と、理科の実験に使うようなガラスのシャーレを幾つも目の前に並べだす。
「それぞれ、特定の匂いのサンプルが入ってます。それを端から嗅いでもらえますか?」そして母があの籠に感じたという匂いがあれば、それを教えてほしいという。いわれるがまま、母は各サンプルの匂いを次々に嗅いでいく。すると数回目で、あの特徴ある匂いが鼻をついたのである。
「これです!」
「奥さん、その匂いで間違いないですか?」
「そうです、この匂いです!」
「そうですか、奥さん。落ち着いて聞いてくださいね」
そうして刑事がゆっくりと口にしたのは。
「それ、腐乱死体の匂いです。より正確にいうと……」
石こうに包まれた死体が、時間経過したもの。そんな匂いのサンプルなのだという。
それを聞いた時、また母の脳内に幻影が浮かんだ。腹が膨らんだ、妊婦のような女性のシルエット。そして次に、生まれたばかりの新生児の映像。しかしその赤子は目をつむり呼吸すらしていない。
病死か、不慮の事故死か、殺したのか、それはわからない。だがとにかく女性は自らの赤子の腐りゆく死体を、石こうで包んだのだろう。
わざわざ奇妙なサンプルを用意していたのだから、警察の推測も、母の予感と一致していたようだ。ただこれ以降、英子ら家族は警察とコンタクトをとらず、その不吉な家からも早々に引っ越してしまった。だから捜査が進展したかどうかはまったくわからない。とはいえ母親はこの後もずっと、英子に次のような予感を漏らしていたという。
「あの家、あれだけじゃないよ。まだ探せばあの家のどこかに、いなくなった旦那さんの遺体も隠されてるはずだから……」
*
「……東京都内の、とある一軒家の話だそうです。僕もしつこく聞いたんですが、『都内』以上の住所は教えてもらえませんでした」
怪談を語り終えたロックさんがひと息ついて。
「で、この体験談を聞いてから数年後。すっかり忘れていた頃に、あるニュースを見てビックリしまして」
2017年、大阪府寝屋川市の女性が自首を行なった。20年前、自分の赤子4人の遺体を、バケツにコンクリート詰めにしていたというのだ。捜査により乳児4人の遺体が発見され、女性は遺体遺棄の罪で懲役3年執行猶予4年の判決が言い渡された。
「これ、あの怪談とそっくりじゃないか! と。はたして両者が関係あるのかどうか、吉田さんに調査してもらおうかな、と……」
件の女性が赤ん坊を遺棄したのは1992~97年にかけてだから、英子の体験談と時期的に合致する。しかし石こう・コンクリートや東京・大阪という要素は食い違う。他にも似たようなケースがないか調べてみたところ――痛ましいことだが――自分の赤子を石こう詰めにしたという事件は、日本で複数例、発生していたのだ。
まず1972年、石こう詰めにした新生児を1年9か月所持していた女性(広島出身)が逮捕される。父親である男に騙され逃げられた末、東京の品川区上大崎のアパートにて窒息死させたのだという。
1993年、大阪の簡易旅館を転々としていた20代夫婦が3年半持ち歩いていたスポーツバッグから、石こう詰めの乳児遺体が発見される。乳児は浴槽での溺死で事件性は不明だが、夫婦はこの5年前にも2歳の長男を絞殺して床下に埋めていた。
2002年、山口県宇部市にて、孤独死した女性の一軒家の仏壇裏から、白骨化した3体の乳児遺体が発見。それぞれコンクリート詰めと石こう詰めにされ、木やプラスチックの箱に入れられており、死後10年以上が経過していた。
3件とも乳児遺体からは強い異臭・悪臭が発せられ、それが事件発覚の端緒にもなっている。宇部市の事例では10年超の白骨遺体からも匂ったのだから、コンクリート・石こう詰めはむしろ臭気を籠らせてしまい逆効果なのだろう。この点が上記の怪談と似通っているものの、いずれも時期・場所が一致するケースは皆無で、実際の関連性はないだろう。
しかし彼らは、なぜ死んだ/殺した我が子を石こうの塊で覆ったのだろうか。それは単に社会から隠したい、遺体を目にしたくないという「隠蔽」のためだけなのだろうか。
72年東京事例の女性は、石こうの子に向かって毎晩「秀規(ひでき)ちゃん」と呼びかけ歌を唄ってあげたり、その悪臭も慈しんでいた。石こう詰めは証拠隠滅のためでも墓代わりでもなく、彼女にとってそれこそが我が子のあるべき姿であり、「白い秀規」と呼んでいたという。また大阪事例では、スポーツバッグの前にロウソクを立てた夫婦ふたりが手を合わせている姿が、簡易旅館の人々に目撃されている。善悪をいったん脇に置けば、ここには我が子の「死」と「弔い」を拒否し、変わらぬ姿の赤子とともにいようとの感情が窺える。
後に事件化したかどうかは不明だが、英子の体験談もこれに類するものだろう。警察が「石こう詰めされた腐乱死体の匂いのサンプル」を用意していたのも事実のはずだ。72年東京の事件は大きく報道されていたし、体験時期は93年大阪の事件の前後だったろうから。またバスケットは家に隠蔽されていたが、そこに石こう詰めの遺体はなかった。先住者の女性は、我が子の遺体を手にして引っ越したのだろう。死児を死んだ瞬間のままで固定し、肌身離さず帯同したい。その方策として表れたのが「石こう詰め」である。とはいえそんな願いも空しく、子どもの体は石こうのなかでどんどん腐敗していくのだが。
強烈な異臭を発する白い塊を持って、女性はまだ、どこかをさまよっているのだろうか。
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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