灯籠が招いた軍人の霊……西浦和也「お化け灯籠」考察/怪談連鎖

文/監修・解説=吉田悠軌 原話=西浦和也 挿絵=Ken kurahashi

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    怪談は、引き寄せあい、連鎖するーー。怪談師の珠玉の一話を、オカルト探偵・吉田悠軌が紐解く新連載。第一回の語り部は、実話怪談のレジェンドだ。

    異様な風貌の「お化け灯籠」

    「溝の口に『お化け灯籠』というものがあるんですけどね。そのそばにあるマンションで次のような話を聞きまして……」

     西浦和也(にしうらわ)さんが怪談を語りだす。

     溝の口駅から南東に下った「川崎市青少年の家」敷地内に、「お化け灯籠」と呼ばれる大きな灯籠がある。
     それは巨大さのみならず、一見して異様な風貌をしている。灯籠の上部分=宝珠・笠・火袋・中台までが見えるのだが、その下の竿・基礎・基壇はどこにもない。つまり灯籠の「足」にあたる部分が切り離されている、もしくは地面に埋められているのだ。

     そしてここからは西浦和也さんが取材した、A子さんという女性の体験談となるのだが。

        *

     お化け灯籠からほど近い宮崎台の丘陵の上に、一軒のマンションが建っている。
     A子さんは中学生の頃、そのマンションにて母親とふたり暮らしをしていた。
     そしてたびたび、室内に現れる謎の人影に悩まされていたのだという。
     母は近所の大きな病院に看護師として勤めていた。そのため夜勤の宿直で一晩じゅう家を留守にすることも多かった。
     人影は、きまって母がいない夜に現れる。

     引っ越して間もない頃の真夜中、A子さんが布団のなかで目を覚ました。すると室内から、なにものかの息づかいが聞こえてくる。
     ……お母さん? 違う。いったい誰が?

     おそるおそる布団から顔を出してみる。寝室の引き戸が開いているため、玄関までが一直線に見通せる。
     玄関ドアの前に、見知らぬ人影が立っている。暗がりのなかでも、「制服姿の男」だとA子さんには感じられた。

     普通のキャップよりもオフィシャルな制帽をかぶり、襟の立った上着とパンツが同じ色で統一されていたからだ。

     男は荒い息をたてながら、こちらをじいっと見つめている。

    「……誰?」

     そう声をかけたとたん、その人影は歪んで消えていったのだという。

     そんな現象が、幾度も幾度も続いた。母親が当直で留守にしている夜は、必ず「制服姿の男」が部屋のどこかに立ちつくす。深夜、呼吸音とともに、自分をじっと見つめてくる。
     しかも出現を重ねるごとに、男はこちらへ少しずつ近づいてくるのだ。
     最初は玄関先に立っていたはずだが、次第にダイニングキッチンの方へ、そしてA子さんのいる寝室へ。
     距離が縮まるにつれ、男の「制服」がより鮮明に見えてきた。服は上下とも緑がかったカーキ色で、帽子にはバッジが付けられている。明らかに軍人、それも昔の日本兵の恰好だ。

     そして男は、A子さんのすぐそばへ辿り着く頃になると、彼女に向かってこう叫ぶようになったのである。

     ――でていけ! ――ここからでていけ!

     さすがに限界を感じたA子さんは、母親に引っ越しを懇願し、マンションから退去してしまったそうだ。

    「そのマンション、現在のお化け灯籠のすぐ近くにあるというのはお伝えしましたが……」

    それは旧日本陸軍にまつわる遺物だった

     西浦和也さんが調べてみたところ、どうもお化け灯籠は、昔は少しズレた地点=A子さんのマンションの敷地内に設置されていた。それが戦後どこかのタイミングで現在地へと移動させられたのではないか。古い航空写真を照らし合わせてみると、そう推測できるのだという。

    「お化け灯籠は、もともとはマンションが建てられる前の敷地にあった。それをマンション建設に伴って、今の場所にどかしたんじゃないかな……と」

     しかし、それがなぜ幽霊の出る原因となったのか?

     西浦和也さんは、A子さんの体験談とお化け灯籠とは密接な関係があるのではないかと考えているのだ。

     お化け灯籠は、旧日本陸軍にまつわる軍事遺物だ。

    「川崎市青少年の家」周辺一帯は、戦時中の1942年から終戦まで、陸軍歩兵第一〇一連隊(通称・東部六二部隊)の軍用地「陸軍溝ノ口演習場」だった。その敷地は広大で、現在の川崎市宮前区の三割強に及ぶほどだったという。彼らはそこで召集兵たちの訓練を行い、数万人の兵士を国外へと送り込んだ。そしてもちろん、その多くは外地で戦死していった。

     演習地の建設以前に歩兵第一〇一連隊が駐屯していたのは、赤坂一ツ木にあった近衛歩兵第三連隊の兵舎。現在でいえば赤坂サカスの辺りとなる。その兵舎に置かれていた巨大灯籠が、溝の口の軍用地への引っ越しに伴って移転された。「川崎市青少年の家」は戦時中には歩兵第一〇一連隊の将校集会所であり、その建物付近へ安置されたようだ。

     しかしそれだけ聞いても、なぜこの灯籠に足がなくなり、お化けの名が冠されたかの理由はわからない。お化け灯籠の由来について調査した資料を参照してみると、その謂れは複数あるそうだ。

     まず①あの灯籠は近衛歩兵第三連隊の兵舎(赤坂)にあり、夜な夜な赤坂・六本木周辺に出没していた。だから溝の口に移転する際、もう動かないよう足の部分を切った(埋めた)……との説。

     次に②赤坂から移転し、将校集会所の庭に据えた後、この灯籠が夜な夜な動きだすとの噂がたったので、下半分を土で埋めた……という説だ。

     動きだした土地が赤坂か溝の口かの違いはあるにせよ、灯籠が勝手に歩く怪現象が「お化け」名称の説明となっている。

     この怪談については、灯籠のあった場所が近衛歩兵第三連隊の兵舎だったことも重要なキーポイントだろう。1936年に起きた二・二六事件。あの未曾有のクーデター騒ぎに参加した約1500人の軍人たちの多くは、歩兵第一連隊・第三連隊そして近衛歩兵第三連隊によって編成されていたからである。

     そして当地に駐屯していた歩兵第一〇一連隊は、満州に派遣されていた歩兵第一連隊の留守居隊を基幹として改編された部隊だ。そんな彼らが、赤坂の近衛歩兵第三連隊兵舎にあった灯籠を持ってきた。その灯籠がいつしか「お化け」扱いされ、足を切られるか埋められるかしてしまった。なぜそのような怪談が発生したかについて、二・二六事件の影を見るのは、それほど不自然なことではないだろう。

     これらの事実を知れば、西浦和也さんの考えについて理解できるはずだ。

     お化け灯籠は、二・二六事件で亡くなった軍人たちの墓として扱われていたのではないか。さらに時代が進めば、溝ノ口演習場から旅立っていった多くの戦死者たちの墓としても扱われていたのではないか。西浦和也さんは、そう推測している。

     まだ仲間の墓が安置されている場所と思ったからこそ、その上に居座る住人に対し、あの軍服の男は必死に叫んでいたのだろう。

     ――でていけ! ――ここからでていけ! ……と。

    灯籠から足がなくなったわけ

     宮崎台はその名のとおり、坂や階段ばかりの急峻な台地となっている。駅から10分ほど歩いただけで、息が切れて汗びたりとなってしまうほどだ。この周辺一帯はかつて、見渡す限り溝ノ口演習場の敷地となっていたのである。

     おそらく体験者A子さんが通っていた宮崎中学校、母親が働いていただろう虎の門病院分院を横目に通り過ぎる。それらもまた、かつて歩兵一〇一連隊(東部六二部隊)の本部や兵舎が置かれていた場所だった。

    歩兵一〇一連隊跡地に立つ地元の中学校。

     将校集会所だった川崎市青少年の家に辿りつく。建物の裏側へ回ると、樹々に囲まれるお化け灯籠の姿が見えた。灯籠にしては随分ずんぐりとした図体で、高さも1メートルはある。足部分があれば私の背丈を超えるかもしれず、確かにそんな巨大オブジェが夜中の街を徘徊していたら度肝を抜かれるだろう。

     しかしこの足は切られたのか、今も土中に埋められているのか。また徘徊していたのは赤坂なのか溝の口移転後なのか。この「謎」については地元民の多くも興味を抱いていたようだ。青少年の家にてお化け灯籠の資料ファイルを閲覧させてもらうと、川崎市の教育委員会や歴史教育者協議会などによる、様々な説が考察されていた。そのなかには、移転前に切られた足部分は赤坂・六本木のどこかに埋められているとの噂が紹介されていたり、灯籠が夜な夜な歩き回った「理由」について触れている文章もあった。

    連隊の将校集会所だった場所には現在、市の青少年の家が建っていて、なかにはお化け灯籠の案内看板も。

     後者の「理由」を書いているのは、川崎の民話に詳しい萩坂昇氏。萩坂氏によれば、灯籠はそもそも一〇一連隊の部隊長が郷里の石屋につくらせたもの。溝ノ口演習場から戦地に出征していく兵士たちは、この灯籠前に集合して見送られたらしい。しかし戦局が悪化し、出征兵たちが南方の激戦地に送り込まれるようになると、灯籠が真夜中に歩きだすようになってしまった。そして遠い海の向こうの兵たちに向かって、こう呼びかけるのだ。

    「帰ってこー、帰ってこー」

     この噂を聞きつけた部隊長は、灯籠が動かないよう、その下部に土を盛って固めてしまったのだという。

     萩坂氏はまた、戦後に灯籠の位置が変わったことにも触れており、この点について西浦和也さんの見解と一致しているのも興味深い(萩坂昇「おばけどうろう」『学校の怪談13』、「かわさきの民話」)。

    顔をのぞかせる二・二六事件の亡霊

     お化け灯籠の由来はたいてい二・二六事件と結びつけられるが、この萩原説については、太平洋戦争の召集兵たちの悲劇へと怪談の核がシフトしているといえるだろう。

     またこれは私・吉田の私見となるが。

     お化け灯籠がもともとあったと思しき近衛歩兵第三連隊の兵舎では、「上半身だけの幽霊」が出没したとの噂が流れたこともあった。しかもその幽霊とは二・二六事件の主要メンバーとして処刑された中橋基明(なかはしもとあき)中尉なのである。

    「処刑後間もなく中隊内に幽霊騒ぎが起こった。(中略)目撃者の話によると夜中寝しずまった頃銃架のあたりを上半身の姿でさまよっているとのことであった。そのため全員は恐怖に包まれ不寝番につく者がいなくなった」(『二・二六事件と郷土兵』)

     あるいは一〇一連隊の将校のなかに、この中橋中尉の変わり果てた姿と、下半身のないお化け灯籠の姿とを結びつけたものはいなかったのだろうか。

     いずれにせよお化け灯籠とは、旧日本軍の兵士たちの悲哀を伝える軍事遺物なのだ。灯籠にまつわる謎めいた逸話や、西浦和也さんの収集した体験談など、その怪談は遠くなった戦争の記憶を呼び戻す鍵にもなる。

     そして青少年の家へと合宿にくる子どもたちは現在でも、お化け灯籠を肝試しの場として使ったり、「夜更かししているとお化け灯籠が歩き出すぞ」と脅されたりしているそうだ。私が訪れた時も、子どもたちが手作りしただろうハロウィンのカボチャが2個、まるで供え物のように置かれていた。

    現存するお化け灯籠。調査時はハロウィンシーズンとあって、カボチャが置かれていた。

    吉田悠軌

    怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。

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