石こうに包まれた死体の怪談と事件 村上ロック「石こう詰め」/吉田悠軌・怪談連鎖
怪をつむぎ、ひもとき、結びつけていく「怪談連鎖」。歌舞伎町で夜ごと怪談を語り続ける怪の伝道者から、「匂い」にまつわる不可解な話が披露される。
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怪談師の珠玉の一話を、オカルト探偵が考察する「怪談連鎖」。今月は、夢と現実、異界と現世の境界をさまようような奇妙な思い出にまつわる怪を追う。
「僕は横浜の瀬谷という街で生まれ育ったんですが、この前、そこに帰省したときのことです」
伊山亮吉さんが怪談を語りだす。
「同級生の女友だちから連絡がありまして。彼女の妹、サトノちゃんという20歳の子が伊山のYouTubeをよく見ている、よかったら家に遊びにきてくれないか、と」
久しぶりに瀬谷に戻った伊山さん。旧友たちと歓談しているうち、やはり話題は怪談へと移り、サトノちゃんが自身の体験を語りはじめた。
「私、小学校4年生まで友だちと遊ぶことを親に禁止されてたんです」
彼女は幼いとき、頭に傷跡が残るようなけがを負った。いじめを受け、だれかに物を投げつけられたらしい。「らしい」というのは自分の記憶になく、両親にそう説明されただけだからだ。
「とにかく、そこから親が過保護になって『もう友だちと遊んじゃいけません!』といわれて。でも、そんなの無理じゃないですか」
3年生のころ、彼女は対抗策をたてた。自宅や友人宅で交流できないのなら、学校からの帰り道しかない。エーコという同じクラスで通学路も同じ女子が、この「帰り道の友だち」となった。
「あの中央公園の脇の雑木林、そこでいつもふたりで遊んでたんですよ」
ある日のこと。
林のなかで追いかけっこをしていた途中、ふたりは奇妙なものを発見する。林の斜面の上に、ぽっかりと穴が開いていたのだ。
「なんだろ、これ?」
入り口は大人ひとり分ほどの大きさで、彼女たちなら無理なく進入できる。その先には下へと続く階段もあった。ボロボロに朽ちているが、人工的に掘られたもののようだ。
「いいじゃん! 入ろうよ!」
エーコに急かされ、階段を下りていく。その先には天井高が2メートル以上、大きめのリビングほどの空間が広がっていた。そんな地下室の中央に、ふたりは目を奪われる。
お菓子の家が建っていたのだ。
『ヘンゼルとグレーテル』さながら、洋菓子だけで造られた小さな平屋。地下室には照明などなかったが、なぜかその家は明るく輝いて見えたのだという。
「食べよう!」
呆気にとられるサトノちゃんの横で、エーコは壁の菓子をはがして食べはじめた。大丈夫かな……と逡巡したものの、夢中で頬張るエーコの様子にはなんら異変が見られない。
こちらも恐る恐るクッキーを一枚剝がしてみれば、やけにカラフルな色合いで「アメリカのお菓子みたい」だった。サクリと半分齧ると、予想外の甘味とコクが口いっぱいに広がる。その美味しさに感動したが、同時にやはり『ヘンゼルとグレーテル』が頭をよぎる。自分も一口食べたものの、これはなにかの罠ではないだろうか?
「もう帰らない?」と告げても、エーコはいっそうバカバカと菓子を貪るばかり。
どうしよう……と階段を振り返ったところで、目の前がいきなり白い靄に覆われた。みるみるうちに視界が白一色に包まれたと思いきや、靄がまたすうっと晴れていく。
次に目に映ったのは、自宅の玄関ドアだった。いつのまにか自宅のすぐ前に立っていたのだ。
私なんで帰ってるの?
もしかして夢でも見た?
一瞬そう思ったが、ふと視線を落とすと、右手には食べかけのクッキーが握られたまま。
なにこれ……私、あの穴からワープとかさせられちゃったの……?
とはいえ自分はわが家に飛ばされたからまだいい。
……あの子は無事に帰れたかな……あの……あれ?
そこでサトノちゃんは、あの子の顔も名前も、すっかり忘れてしまっていることに気がついた。先ほどまで一緒にいた「帰り道の友だち」がどこに住むだれだったか、なぜかどうしても思いだせない。
サトノちゃんは玄関前から踵を返し、近所の同級生たちの家々を巡った。
「私が毎日一緒に帰っていた、うちのクラスの女の子、だれだっけ?」
この奇妙な質問に、全員が首を傾げてこう答えた。
「だれ……って、あなた、いつもひとりで帰ってるじゃない」
ひどく混乱したサトノちゃんだったが、「友人禁止」のルールがあるため、両親にも姉にも相談できない。また翌日、学校に行くとあの子の席がなくなっていた。教室の机は一席欠けた様子もなく整然と並んでおり、名簿にあの子の名前はない。クラスメイトも担任教師も、もうひとり女子生徒がいた記憶などいっさい持っていなかった。
「だから私、あそこで友だちをひとり失っちゃったんですよ」
なぜか服装だけは今でもはっきり覚えている。あの日あの子はピンクのスカートに、当時流行っていたエンジェルブルーの猿のキャラクターのTシャツを着ていた。しかし顔と名前だけでなく、毎日どうやって遊んでいたかの思い出も、時を経るにつれどんどん薄れていく。いまだ残っているのは、小学3年の一時期、毎日一緒に帰っていたという記憶だけ。
ただし雑木林の穴と階段下の空間は、確かに実在していた。お菓子の家は消え去っていたが、穴自体がしばらく放置されていた様子を、サトノちゃんはその後も確認している。もっともその穴も周辺の宅地開発によって潰され、塞がれてしまったらしいのだが。
だから今では、「A子」と呼ぶしかないあの子がいた手がかりは、もはやなにひとつ現存していない。
「あのへんでは他にも似たような体験談があってですね」
伊山さんが話を続ける。
同じころ、サトノちゃんはクラスの女子のひとりから奇妙な体験談を聞いた。その女子がだれだったか覚えていないので、仮にB子と呼んでおこう。B子は犬を飼っており、よく近所の林を散歩させていたそうだ。
ある日、B子はそこで見覚えのない「オシャレな洋館」が佇んでいるのを発見した。こんな建物あったかなとジロジロ眺めていると玄関が開き、家主だろうおじさんが「そんなに見るなら入りなよ」と誘ってきた。
家の内装も見とれるほど綺麗だったが、一点気になるところがあった。床に無造作に置かれた汚い段ボール箱だ。なぜこんな不釣り合いなものがと不思議がるB子におじさんがひと言、「そんなに気になるなら見てごらん」。
なかを覗くと、そこには小さなキリンが入っていた。首の長いキリンが数十匹も、箱のなかで動き回っていたのだ。驚くB子に「もう帰りなさい」とおじさんが告げる。その後、家族や友人に事の顚末を話したのだが、だれもB子の目撃談を信じない。仕方なくもう一度確認しにいったが、雑木林の洋館はきれいさっぱり消えていたのだという。
「そんな話を続けざまにサトノちゃんから取材したけど、その後すぐ仕事があったので詳細は聞けないままで……。後日、LINEで彼女に連絡したんですよ」
気になるのはお菓子の家があった穴と、小さいキリンがいた洋館が同じ雑木林に位置していたのかどうか、だ。しかし質問への答えは意外なものだった。
「『何の話ですか?』って、サトノちゃんがいうんです。『私そんな話してないよ』と。慌ててその場にいた友人たちにも連絡したんですが、全員その話を聞いた覚えがないそうで……」
そういえば、サトノちゃんが級友との交際を禁じられた理由である、彼女の頭のけが。そのけがをいつどうやって負ったか、彼女自身が覚えていないのはなぜだろう。両親はいじめのせいだというが、すべてがボンヤリして曖昧だ。
もしかして、これらすべての事象は繋がっているのではないか。そう伊山さんは感じている。頭のけが、お菓子の家、洋館と小さなキリン、A子の存在と思い出、それらを人に話したという記憶……。一連の事象はすべてリンクしており、すぐに消え去ってしまう性質を持っているのではないか。だとすると考えられる可能性がひとつ。
「小さなキリンを見たB子って……実はA子なんじゃないですか?」
特殊な生活環境に置かれた思春期前の少女たちだけが触れる異界というのは、確かにある。『ピクニック at ハンギング・ロック』めいた今回の話もまた、少女の不安定な内面と現実とが淡く滲んで溶け合った異界探訪譚に思える。
だが私はまた別の手触りも感じた。薄くなめらかな少女の内面のヴェールとは異なる、もっとゴロリとした岩塊を触るような現実味を。それはやはり、異界の入り口である「雑木林の穴」だろう。全体が曖昧な幻想にたゆたう中、この穴だけは実在感を伴う異物として転がっている。
その正体を探るため、伊山さんの案内にて現地を訪れる。車で瀬谷の街に入ると、3キロもの不自然な直線道路と、折から満開の桜並木に出迎えられた。
「ここは『海軍道路』という名前の軍用道だから、ずっと真っすぐなんです。桜も昔はもっとたくさん植わってたんですよ」
桜並木の向こうには広大な空き地が広がっている。もとは旧日本海軍の倉庫施設、戦後は米軍に接収され、2015年の返還時まで軍用通信施設だった土地だ。桜の時期に合わせて道路沿いの空き地(海軍広場)は一般開放されていたが、さらに奥は返還後の今も立ち入り禁止。日本海軍時代の毒ガス弾倉庫の煙突といった軍事遺構が残されているようだが、今回の取材では確認できなかった。
問題の「穴」があった瀬谷中央公園は、この元軍用地から海軍道路をまたいだ反対側に位置している。
結論からいえば、斜面の林をいくら捜しても、穴の痕跡すら発見できなかった。とはいえ私は、この立地そのものに得心がいった。話を聞いた当初、私はその「穴」は残置された防空壕ではないかと予想した。ただそれにしては階段や地下室など、設備が整い過ぎているとの違和感もあった。
もしその穴が旧海軍の軍事遺構だったなら、辻褄が合うのではないだろうか? 実際、このすぐ近くには、地下の毒ガス倉庫の換気用煙突が遺されているのだから。
私が「穴」に感じたゴロリとした現実味とは、瀬谷という街に遺る、戦時中からつい数年前まで続いていた軍用地としての歴史だったのだ。それは少女の不安定な内面とは真逆といえる、骨太で硬質な「外部」だ。淡い幻想譚には不釣り合いな、軍事遺構という厳然たる外部。しかしその内と外とのアンバランスさこそが、この怪談を優れたものにしていることもまた間違いない。
(「月刊ムー」2023年6月号記事を再編集)
吉田悠軌
怪談・オカルト研究家。1980年、東京都生まれ。怪談サークル「とうもろこしの会」の会長をつとめ、 オカルトや怪談の現場および資料研究をライフワークとする。
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