君は怪談レジェンドから案内状を継承されたことはあるか?/大槻ケンヂ・医者にオカルトを止められた男(11)

文=大槻ケンヂ 挿絵=チビル松村

    予告編でお腹いっぱい、むしろ内臓破裂の衝撃ホラー映画の思い出。令和では別角度から、映画がらみの怪奇現象がオーケンを襲う。

    昭和の町角を支配したオカルト映画

     子供の頃にオカルト映画ブームというのがあった。だから僕らは毎日怖かった。町のいたるところで恐怖映画の主題曲が流れ、おぞましいデザインの映画ポスターが電信柱に貼りつけられていたからだ。それらを避けながら学校へと歩いていく様子はまるで、ダルマさんがころんだでもしているかのようだった。下手に怖い曲を耳にしたり怖いポスターを目にしてしまった日には「エクソシスト」のリンダ・ブレア―のように首が180度も回転してしまうのではないかと呪いを恐れた。

     74年に日本公開されたオカルト映画「エクソシスト」は、それまでの怪奇映画とは一線を画したニューウェイブホラーと言えた。斬新なポイントを挙げたならキリが無い。特に使用されている音楽が旧来のハマーホラーなどとは全く違った。ポリリズムを多様した無機的な、でもどこか切なさを感じさせる曲だった。マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」というアルバムからのものだった。
     77年公開の「サスペリア」もまた、ゴブリンの演奏による無機的なポリリズムの哀しげな曲だ。「エクソシスト」と「サスペリア」によって“70年代オカルト映画サウンド”の方向性が示された。80年代になっても“80年代スラッシャーサウンド”として「ハロウィン」等に継承されていった。

     オカルト映画ブームの“耳”が無機的音楽だとすれば“目”はポスターだった。
     まぁどれもこれもおぞましい絵柄なんだが、昭和のヤバ過ぎるところは、それらがフツーに町のいたるところに貼ってあったことだ。我が家の近所のパープルセンターというスーパーの二階に映画館があった。普段はポルノ映画の3本立てをやっているのに夏になると怪談映画をかける。これが「生首情痴事件」とか「怪談バラバラ幽霊」といった古い大蔵映画で、ポスターの安っぽさが逆にリアルでこわかった。しかも、すぐ隣には先週まで上映のポルノ「犯す」「犯して」「犯されて」3本立てポスターが貼ってあるのである。そんなもん見ちゃって子供が将来どうなると思う? …こうなっちゃうんだ。

    CMが怖すぎて本編を観なくなる問題

     また重要なのは当時のテレビ予告編だった。コンプラ無き昭和の恐怖映画テレビCMはそれ自体こそが恐怖だった。

     恐怖映画ではなかったけど、人がライオンに喰われるシーンをCMにした「グレートハンティング」(‘75)、人の腕が引きちぎられる場面がCMの「カランバ」(‘83)等には「マジか!?」とテレビの前で震え上がったものだ。両作とも後にやらせとわかり、マジじゃなかったわけだが、「カランバ!!」「カランバァ!!」と叫んで同級生の腕をやおら引っ張って泣かせてしまったカランバ昼休みが懐かしい。
     他にも、明るい調子で家を出ようとした子供が空飛ぶ十字剣によって家族の前でいきなり殺される「空飛ぶ十字剣」(’77)のCMも強烈だったが、破傷風にかかった少女が自らの舌をふんぎゅ~ビジャ~ッ!!と噛みちぎってガクガクけいれんするシーンを使用した野村芳太郎監督「震える舌」のテレビCMがどんなホラー映画の本編を観るよりもおそろしかった。このCMについては世代の多くの人が「やばかった!」「恐ろしかった」と同意してくれる。
     そして彼らと僕に共通しているのは「今でも観たことがないよ『震える舌』ということだ。
    「だってCMが怖過ぎたんだもん。怖いから観ないし、今後も観る気はない」
     そんなトラウマなのだ。

     思うに、究極の恐怖映画は「怖過ぎて観られない」作品なのではないだろうか。「あの映画怖かったよね」「やばかったよ」なんて言い合ったって観ることができた映画は所詮大したこたないのだ。それよりも観ることができない程怖い、あるいは途中で観ることができない程怖い。あるいは途中で観ることをあきらめてしまうほど怖いレベルに達してこそが真の恐怖映画なのだと言えよう。

    宛て先はレジェンド

     そもそも恐怖映画でなく難病克服映画である「震える舌」しかもそのCMが最恐映画というのは明らかに間違ったセレクトである。
     何か純然たる恐怖映画の中からトップ・オブ・ホラームービーを選ぶことはできないか?

     令和に入ってからなら一本ある。
     アリ・アスター監督の「ヘレディタリー/継承」には、映画というジャンルを越えたリアルの恐怖を僕は身を持って体験したのだ。

    「ヘレディタリー」は、娘を失った母の苦悩を描いた映画らしい…らしい…と曖昧な理由は、僕がこの映画を観ることを途中で放棄したからだ。
     この映画の中の娘はいつも頬をポン、と鳴らしているちょっとアレな少女だ。登場するなり「この後この映画でいいことは何も起きない」と存在感だけで観客に不穏を伝える。そうして実際、いいことは何も起こらず、序盤で娘は〇〇〇しまう。この〇〇が、感に障るというか、ムシズが走るというか、よほど監督のイヤ~な演出が上手いのだろう。僕は耐えられない気持ちになって、そこでDVDをストップしてしまった。
     これは恐怖映画の好きな僕には珍しいことで『ヘンだなぁ、こんなこと』とその時は思ったものだ。

     実は以前、この映画の試写状を映画会社から送ってもらっていた。でもなんとなく気がのらなくて行かなかったのだ。試写状のデザインは娘と母が縦に並んでいる絵面で、映画の不安な感をとてもうまく表現していた。

     だけど『ヘンだなぁ』
     何か、『俺は行くべきではない』
     何故かそう感じて、僕は試写会に行かなかったのだ。

     あの『ヘンだなぁ』という感じはなんだったのだろう?
     DVDを止めたので時間が空いた。それでなんとなく僕は行かなかった試写状を探してみた。わりとすぐに見つかった。
     母と娘の不穏な2ショット。
    「完璧な悪夢」「緻密に張り巡らされた恐怖の罠。“フィナーレ”まで瞬きさえ許されない」とコピーが踊っている。
     何の気なしにめくってみるとそこには映画宣伝会社からの宛て名が書いてあった。

     僕は「ん? ああっ」と声を挙げてしまった。
    「東京都〇〇区〇―〇―〇 オーケン企画」と僕の事務所の住所があった。そして個人名が直後に記されてあった。

     しかし、ヘンだなぁヘンだな、それは『大槻ケンヂ様』宛てにはなっていなかったのだ。こうあった。

    「稲川淳二様」

     ヘンだなヘンだな弊社のタレントに怪談レジェンドの稲川淳二さんはもちろんいない。縁もゆかりも無いのだ。なんなんだこの本当にあった怖い話は。やだな「ヘレディタリー」。一体何を僕は稲川淳二さんに継承されるのだ?

    ※追記※ ちなみにアリ・アスター監督の「ミッドサマー」も怖い映画だ。僕はあんまりおっかないんで録画したのを10分ずつ観ていたら、後30分くらいでエンディングのところでなぜか、不意に自動的に削除されてしまった…特定作家の作品に触れる時にだけ妙なバグが生じるというプチ奇現象ってありますよね? これもう少しオカルト界で語られてもいいと思う。そして、いつか稲川さんに「ヘレディタリー」のブルーレイを購入してお渡ししたいと考えています。

    大槻ケンヂ

    1966年生まれ。ロックミュージシャン、筋肉少女帯、特撮、オケミスなどで活動。超常現象ビリーバーの沼からエンタメ派に這い上がり、UFOを愛した過去を抱く。
    筋肉少女帯最新アルバム『君だけが憶えている映画』特撮ライブBlu-ray「TOKUSATSUリベンジャーズ」発売中。

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