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昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。 今回は「口裂け女」を振り返ると……そこに、「おじさん」の顔もヒョッコリしてしまった!
1979年、僕が小学校6年生のころのある日、音楽室で授業の開始を待っていると、クラスの女子たちが大騒ぎしながら駆け込んできた。
「聞いた? R小の女の子がH神社で“変な女”に襲われたんだって!」
彼女たちの話によれば……
数日前の夕暮れ、隣のR小学校の女子が塾帰りに近道をしようとH神社の境内を歩いていると、鳥居のそばに立っていた「変な女」に話しかけられたという。ロングヘアーにベージュのロングコート、顔の下半分は白いマスクで隠されている。女は「私、きれい?」とたずねたそうだ。スラリと背が高く、目鼻立ちも美しい人だったので、女の子はとまどいながらも「はい」と答えた。女が「これでも?」と言いながらマスクをとると、そこには耳まで裂けた口があった。女の子は悲鳴をあげたが、その口は鋭い鎌で切り裂かれた……。
このときが「口裂け女」の噂を耳にした最初だった。
これを皮切りに、僕らは「もう飽きたよ!」というくらいに、あちこちで何度も同じストーリーを聞かされることになる。
諸説あるが、噂は78年暮れに岐阜県で発祥したとされている。翌年には僕ら東京の子たちにも知れ渡り、瞬く間に全国に波及。集団登下校を実施して警戒する学校が増え、各地で通報騒ぎ、果ては「口裂け女」のコスプレでうろつく「なりすまし口裂け女」の逮捕劇などが起こり(包丁を携帯していたので「銃刀法違反」だったらしい)、列島は一時的に混乱状態に陥った。
噂の根源や発祥要因、流布の経路などについては、これまでにさまざまな考察がなされ、さまざまな説がある。社会問題として顕在化するまでは、噂はあくまで子どもたちの口コミという閉じたネットワークのなかだけで増殖してきた。今となっては、そのプロセスのすべてを明らかにすることはできないだろう。
ここでは社会学的、あるいは民俗学的考察といった俯瞰的視点はなく、あの当時、騒動の渦中にいたアホなチビッ子のひとりとして、できるだけあのころの「実感」を思い出しつつ、僕なりに「口裂け女」を回顧してみたい。
先述したような状況で「口裂け女」の噂を初めて聞いたときの僕自身の実感としては、正直「くだらねぇ~」だった。周囲の子の多くもそういう半笑いの反応だったと思う。ほどなくして「べっこう飴」や「ポマード」がどうの、「100メートルを1秒で走る」とかいった追加情報が増えていったが、こうなるともう真顔では聞いていられない。「口裂け女」は、あくまでも小学校低学年程度の子どもたちの感覚によって生みだされ、その世代のなかでリレーされていくことで恐怖を熟成していったのだと思う。
では、すでに6年生になっていた僕らはまったく恐怖を感じなかったかというと、そういうわけでもなかった。
このデキの悪い噂には、なにかしら「元凶」があるんじゃないか? 実際に僕らの町に「変な女」がうろついて、そいつが子どもたちに動機不明の暴力をふるっている。そのこと自体は本当なんじゃないか? ……そんな不気味さがあったのだ。
そして、その「変な女」の口のあたりが、怪我なのか病気なのか、通常とは少し「違っている」ということも本当なのかも知れない……。この噂には、リアルで陰惨な犯罪と、ストーリー化された怪談との境界が曖昧になってしまうような、不吉な感触があるような気がした。
「境界」といえば、渋谷区恵比寿で暮らす僕らの間で最初に噂が広まったときは、隣接する広尾に出たらしいと語られた。犠牲者になったのは隣の学区のR小学校の子。後にやはり隣接する目黒に出たとされ、このときも別の学区の「隣の学校の子」が犠牲者になったとされた。
常に「隣町」に出現し、「隣の学校の子」が襲われるのだ。このパターンは多くの地域で踏襲されていたらしい。「口裂け女」はいつも隣町との「境界」あたりに現れ、隣接する学区の子を襲う。彼女はいつも「すぐそこ」の「境界」から、僕らを見ているのである。
超常現象的な話なのか、現実的な無差別傷害事件なのかがよくわからないという部分。そして、僕らの活動圏内の外周付近を舞台に、みんながよく知っている具体的な地名や施設名が次々に出てくるというあたりに、「口裂け女」の噂の不気味さと新しさがあったと思う。
いや、「新しい」というのとは違うのだろう。「口裂け女」との共通点がよく指摘される戦前の「赤マント」騒動(赤マント姿で主に女の子を襲う「怪人」の噂)も、ほぼ同じような形で当時の子ども文化に影を落としている。ただ、僕ら世代がそうした類の噂に出会うのは、そのときがまさに初めてだったのだ。この時点では、「そうした類の噂」を総称する名称は、少なくとも日本にはまだなかった。
「口裂け女」の噂の流布に大きく貢献したものとしてよく語られるのが、「塾通い」の急速な普及だ。当時は子どもたちを塾に通わせる親が急増しており、「乱塾時代」などと称され問題視されていた(子どもを塾に通わせられない貧しい家庭の母親が「口裂け女」の噂を考案した、という説もある)。学校ごとに分断されていた子どもたちが塾で他校の生徒と繋がることで、情報のネットワークは一気に拡大する。「口裂け女」騒動は、ちょうどこの時期に勃発している。
まさにその当時「塾通い」していた子どものひとりとして、この「塾が噂を媒介した」という説には実感をともなう説得力があると思う。
これで思い出すのは、「口裂け女」騒動の直前に全国的な大ブームとなった「スーパーカー消しゴム」の流行だ。このブームもいっさいのメディアを介在せず、子どもたちの口コミだけで全国的に波及した。子どもたちが勝手に考案したさまざまな遊び方、ゲームに勝つ「秘策」としてのあれこれの改造方法を、日本中の子どもたちが驚くほどの短期間で共有したのだ。塾を媒介にした口コミのネットワークがあってこそだったのだろう。
もうひとつ、説得力を実感できるのが、この時期にマスク姿の女性が急増したという説である。今では広く認知される花粉症は、70年代なかごろになるまでは一般的にはまったく知られていなかった。記憶があいまいで申し訳ないか、あるプロ野球選手が毎年同じ時期に鼻水・くしゃみが止まらなくなってスランプに陥るといったことがあって、球界でもながらく「謎の症状」とされていた。しかし、各種の精密検査をしたところ、スギ花粉アレルギーを原因とする「花粉症」というものだとわかった、ということが70年代中頃に話題になったはずだ。これで一気に「花粉症」という病名が知れ渡り、同じ症状を持つ人が全国に無数に存在することが判明した。とたんに、街にマスク姿の人々が増えたのである。ちょっとこのあたり、現在のコロナ禍の光景とも重なるかも知れない。
これはあくまでボンヤリとした慣習の話だが、「花粉症」が認知されるまで、当時の日本では「マスクで人前に出る」ということに、若干のうしろめたさみたいなものがあったと思う。礼儀に反する、失礼……という感覚を抱く人が多かったはずだ。「人前ではサングラスを取れ」という慣習にも近いかもしれない。「マスク姿」というものが、当時のドラマなどで描かれる銀行強盗などの犯罪者(マスクか目出し帽を装着)や、あるいは60年代に盛んだった学生運動の激しいデモに参加する若者たちのイメージに直結していた、ということもあったような気もする(機動隊と戦う全共闘の闘士たちの典型的イメージは、ヘルメット・サングラス・マスク姿)。どこか「反社会的」という印象だったのだ。特に若い女性の場合、化粧が乱れるということもあってか、マスクをつけて往来を歩くことは希だったと思う。
ところが、「花粉症」認知以来、マスク姿の女性が増えていった。これは当時の子どもたちにはかなり異様な光景に見えたはずだ。
あの女の人はマスクしている→何かを隠している→あのマスクの下には何か普通ではないものがあるのでは?……という荒唐無稽な連想は、子どもの感覚ではかなりリアルなものだったのではないだろうか?
「口裂け女」のブームの背景には、こうした当時の子どもたちの世相に対するちょっとした違和感もあったのだと思う。
「口裂け女」の逸話には、古典的怪談でありながらも、どんでん返しのオチがつくコミカルな寸劇のような感触もある。「こんな顔かい?」がオチとなる落語の「のっぺらぼう」のようで、まるで古臭い落とし噺。初めて聞いたとき、僕はそのあたりに一種の既視感を覚えた。「こういう話、確かちょっと前にも流行ったよなぁ……」という感覚があったのだ。
このことは今ではあまり語られないようだが、当時、噂を聞いて同じものを連想した子どもは多かったはずだ。
それは、「口裂け女」発祥の前年、やはり全国を席巻した「ナンチャッテおじさん」である。公共の場でアホな奇行を演じて周囲の人をギョッとさせ、「な~んちゃって!」と叫んで逃走するトリックスター的名物おじさん。目撃情報がメディアに多数寄せられて「時の人」となったが、ラジオの深夜放送が仕掛けた根も葉もないデマだったことが後に判明した。
存在しない「変なおじさん」が演じる喜劇と、存在しない「変な女」が演じる惨劇……。
コメディをホラーに反転させただけで、現象的にも、口コミを介して目撃談が連鎖・増殖する流通経路も、逸話の落とし噺的構成もそっくりだ。僕には「口裂け女」が、直前にブーム化した「ナンチャッテおじさん」のフォーマットを再利用し、喜劇を惨劇に改変・変奏した「リメイク作品」に思えてならない。
そもそも「口裂け女」自体が、やはりラジオの深夜放送の捏造投稿から生まれ、リスナーを介して拡散したという説もある。たとえそうではなかったとしても、「ナンチャッテおじさん」と「口裂け女」は、間違いなく通底しているものがあると思う。
楳図かずおはよく「ギャグとホラーは紙一重」と言っていた。同じ事象も、離れたところから眺めると喜劇、近づくと惨劇になる、という発想だ。追いかけっこをロングショットで描くとコメディ、逃げる側の主観ショットで描けばホラー。まるで手品のようだ。街に出没する「奇人・怪人」も、ちょっと見方を変えただけで笑いの対象にもれば、恐怖の対象にもなってしまう……。
まさに「ナンチャッテおじさん」と「口裂け女」は、一枚のコインの表と裏だったような気がする。こうした一種「悪貨」のように流通してしまう怪しげなコインは、10年ほど後、日本でも「都市伝説」と呼ばれるようになっていった。
(2020年12月10日記事を再編集)
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