伊勢神宮を全国に拡大せよ! 人造山と黄金神殿を皇居の脇に…!?/大日本帝国「聖地拡大」計画

文=鹿角崇彦

    伊勢神宮を東京の皇居側に遷座させるプランがあった!? 全ての府県に伊勢神宮の分社を置く計画が立てられていた? 明治から昭和10年代にかけて生まれては消えていた「幻」の聖地プランは、私たちにどんなメッセージを残しているのか。

    幻の「伊勢神宮 黄金神殿遷座案」

     年間700万人以上が参拝する、日本屈指の聖地・伊勢神宮。その歴史は2000年以上ともされる最古の神社のひとつで、2026年8月には愛子さまが次の神宮式年遷宮にむけた行事「お木曳き」に参加されたというニュースも記憶に新しいところだ。
     伊勢神宮は皇祖神天照大神を祀る内宮と、食物などを司る御饌津神(みけつかみ)豊受大神を祀る外宮ほか120以上の社からなり、20年に一度すべての社殿や神宝をつくりかえる式年遷宮がおこなわれることはあまりにも有名。だが明治時代、そんな神宮のあり方を大変貌させたかもしれない、ある構想が練られていたことをご存じだろうか。

     それは幕府崩壊からもまだ間もない、明治6年のこと。薩摩閥の官僚である三島通庸(みしまみちつね)が、伊勢神宮に関するこんな構想を西郷隆盛に提案し、賛同を得ていたというのだ。

    「国民から一人一円ずつ寄付を募って3500万円を集める。その資金で皇居の側に山を築き、山上に黄金造りの神殿を建てて、その中に伊勢神宮を遷座する」

     なんと東京の皇居の脇に人造の山と黄金神殿をつくり、そこに伊勢神宮を遷座させようというのだ。黄金の神宮は国教布教の本山になるとともに、完成した暁には東京湾に入港した外国の船もまず山上に輝く大神殿を拝むことになる……というのが計画の意図だったというのだが、西郷は大いに賛成したものの大隈重信の反対にあい、結局この途轍もないプランは阻止されてしまったという。

     現代人の感覚からすると伊勢神宮をそんなキッチュに扱っていいのか? と思ってしまうが、ためしにこの案が実現していた世界線を想像してみてほしい。いまの皇居前広場あたりに高さ20メートルほどの山が築かれ、その頂上に日光東照宮、あるいは秀吉の茶室さえ彷彿とさせるような黄金の伊勢神宮があったとしたら……。この時点ですでに「伊勢神宮」でもないのだが、この世界では皇居周辺の景色も、なによりその後の神宮崇敬の方向性もまったく違ったものになっていたことだろう。

    もしも皇居側に巨大な人造山と黄金神殿があったら……見慣れたこの景色はどうなっていたのか(筆者撮影)。

    全国に伊勢神宮を! 驚きの「府県神宮」計画

     同じ明治6年、三島とは別のルートからも、やはり伊勢神宮のあり方を激変させる可能性をもつ奇抜な案が提言されていた。これも薩摩出身の官僚らによって練られた「府県神宮」案だ。

     明治4年の廃藩置県で全国に300あまりつくられた県は、その後慌ただしい変遷を経て明治6年には東京、大阪、京都の三府と72の県にまで統合されていたのだが、府県神宮案では、この75すべての府県に伊勢神宮の分社をつくろうというのだ。

     布告案によれば、この計画では全国の府県庁近辺の大社内に皇大神宮を鎮座させ、神武天皇などを配祀したうえで名前も「◯◯大神宮」と改めさせる。たとえば、東京府では芝大神宮を「東京大神宮」に改称、京都府は八坂神社を「京都大神宮」に、大坂府は天満天神を「大坂大神宮」に、奈良県ならば春日大社を「奈良大神宮」に……という具合だ。

    府県の大社を大神宮にする「府県神宮」プラン。大神宮化候補の神社名がずらりと列記されている(国立公文書館蔵書)。

     文書に挙げられた「大神宮」化候補神社を眺めると、それらは歴史も祭神もてんでばらばらで、本当に「府県庁近辺の大社」という以外のルールがみえない。ある意味豪快なその基準にも驚くが、もしもこれが実現していたら今の神社界の景色はどうなっていただろう?

     簡単にイフを想像するならば、のちに明治政府が実現した「伊勢神宮を頂点とした神社の一元管理」というシステムは難しくなっていたのではないだろうか。なにしろ全国に神宮の公式な分社があるのだから“唯一無二”というステータスは少なからず揺らいだろうし、さらに想像すればそれぞれの府県内での神社の格式争いはたいへんなことになっていただろう。「なぜあっちが府県神宮に選ばれてウチじゃないんだ」と思う神社もでてきたろうし、逆に府県神宮にえらばれたことで旧来の神社間の関係性に大きなゆがみが生じてしまうところもあったはずだ。なによりもその後さらに府県廃合があったとき、統合された側の府県の神宮分社をどうするのかという大きな問題も発生したに違いない。想像すればするほど、ものすごいことを考えたものだなと思わずにいられない。

     700年続いた武家政権が終焉し、ありとあらゆる社会が「ご一新」から再出発した明治の時代。そこでは新たなものが誕生する一方で、計画倒れに終わった施設や一見荒唐無稽すぎるプランなど、「幻」とでも呼ぶべき多くのものが生まれては消えていった。

     上記のふたつの「幻の神宮」プランをみただけでも、もしもそれらが幻に終わらなかったら、その先にはずいぶん違った歴史を歩んだ日本の姿があっただろうことは想像に難くない。この記事では、主に神社など「聖地」に関するプランを中心に、ありえたかもしれない別の世界線、いわば「幻の大日本帝国」の姿を想像してみたい。

     イフの歴史、もうひとつの日本への旅に、しばしお付き合いいただきたい。

    幻の宗教官庁と、失われた幻の「皇室の仏堂」

     黄金の神宮案は幻となったが、明治の初期わずか数年間、皇居のすぐ隣には「幻の聖地」ともいえる神社関連施設が存在していた。政教一致を掲げる明治の新政権下で祭祀を司った官庁、神祇官だ。

     神祇官はその名の通り神祇に関する諸々を担当する官庁で、そのルーツは律令時代までさかのぼる。明治維新により復活した神祇官は一時は太政官よりも格上の最高官庁とされたのだが、設置からたった2年で神祇省へと降格。さらに2年後の明治4年には廃止され短命の機関として終わってしまう。

     その官舎が置かれたのは、現在の皇居外苑坂下門前あたりだった。その姿を描いた図には神殿や神楽所といった祭祀関連の建物がみられるのだが、いまその場を訪ねても、わずかな名残りさえ感じることはできない。

    神祇官は現在の皇居坂下門前あたりにあった(筆者撮影)。
    神祇官の図。神殿をはじめ祭祀関連の施設が並んでいた(国立公文書館蔵)

     東京に神祇官がつくられていた同じ頃、京都にも「幻の宗教施設」が生まれていた。東京奠都と神仏分離政策の混乱が生み出したまさに「幻」というべき施設、恭明宮(きょうめいぐう)だ。

     明治2年、明治天皇は京都御所から江戸城へと居をうつす東京行幸を実施。太政官などの中央政府も江戸あらため東京へと移動することになり、これをもって東京が事実上の首都となる奠都(てんと)が実現した。

     しかし奠都にあたっては公式な宣言などが出されたわけでもなく、いわばドタバタのなかでの既成事実化のようなもの。そしてこれはとりわけ京都にさまざまな混乱をもたらした。なかでも宮中では大きな問題となったのが、京都御所で祀られていた仏具や歴代天皇の位牌の扱いだった。

     京都御所には「お黒戸」と呼ばれる仏間があり、そこには歴代天皇の位牌や天皇の念持仏などが安置されていた。東京行幸ではこれらの位牌や仏像はお黒戸に置いたままにされたのだが、その後の明治政府の神仏分離政策もあって江戸城改め東京城(皇城)にもってくるわけにもいかなくなってしまった。

     というわけで、置き去りにされた仏像仏具を祀るためのお黒戸にかわる施設が必要になり、つくられたのが恭明宮だったというわけである。この新たな「皇室の仏堂」は京都東山の方広寺境内に置かれ、それまで御所にあった仏具一式が移されて、かつて孝明天皇に仕えていた女官たちによって守られていくことになった。

    方広寺境内に「恭明宮」の文字がみえる貴重な当時の地図(国立国会図書館デジタルコレクション)。

     ところが、ドタバタのなかで生まれた施設の宿命か、恭明宮は設置からわずか3年後の明治6年にあっけなく廃止されることになってしまう。奉安されていた仏具類はあらためて皇室ゆかりの泉涌寺に移されることになり、恭明宮は解体。その建物の材木も学校や官舎施設に転用されることになり、跡形もなく失われてしまった。

     恭明宮がなくなった方広寺の敷地には、その後豊臣秀吉を祀る豊国神社が、そしてさらに帝国京都博物館、現在の京都国立博物館が建てられた。現在、恭明宮の存在を伝えるほぼ唯一の遺構は、豊国神社が書院として用いているかつての女官居室の一部のみ。ごく短期間しか存在していなかったため、その存在が記された地図もごくわずかしか残されていない、時代のはざまに生まれたうたかたのようなまさに「幻の施設」が恭明宮だったのである。

     明治初期の大日本帝国は、いわばそれまでの全てが溶けて再組織化されるサナギの時代。そのメタモルフォーゼ次第で全く異なる日本がいくらでも誕生しえる、多様な可能性をもっていたのだ。

    (つづく)

    恭明宮のあった方広寺の敷地はその後分割され、豊国神社や京都国立博物館が建てられた(筆者撮影)。

    鹿角崇彦

    古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。

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