神武天皇の描かれ方もご一新! 「国史」の影響で変化した英雄像/江戸・明治神話絵巻

文・資料=鹿角崇彦

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    初代天皇をいかに描くか? 明治維新により、その姿は国家的な目的への合致を自然と迫られることになったのだが……。

    明治前後で変化が顕著な初代天皇

     膨大な日本神話の神々のうちでも、神話が「国史」となった明治以後にとりわけ重視されたのが、初代天皇とされる神武天皇だ。

     徳川将軍にかえて天皇を国家の中心に据え直した明治新政府にとって、神武天皇は天皇統治の正統性を担保する要ともいえる存在だった。それは大日本帝国憲法の第一章第一条「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」にも端的に表されている。

     そんなわけで、神武天皇を描いた図版は明治以降爆発的に増加している。とくに神武天皇が宿敵ナガスネヒコを倒し橿原での即位を決定づけた瞬間、神武東征のクライマックスシーンともいえる弓先に金鵄をとめた構図は、神武天皇図のフォーマットとして現在まで継承されている(それだけ「映える」構図でもあるのだ)。

     しかし、神武天皇も他の例にもれず、フォーマットが固定するまでにはさまざまなバリエーションがあったのである。

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    楊斎延一『神武天皇東征之図』(明治期、アムステルダム国立美術館 蔵)。弓に金の鵄がとまるナガスネヒコ征伐の構図は幕末ごろからさかんに描かれるようになる。

     確認できる神武天皇の最古級の絵は、江戸前期、17世紀後半に描かれた浄瑠璃の挿絵で、そこには大鎧風の甲冑を身にまとう若武者然とした神武天皇(いわれびこ)の姿がみられる。

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    『日本大王/岡清兵衛作 天下一丹波少掾平正信正本』(東京大学総合図書館蔵)。右側の鎌倉武者のようにもみえるのが神武天皇(いわれのみこと)。

     下の図は出雲大社に集まった神々を描いた「大社結縁図」。じつはそれぞれの神が人気役者の顔になっているという似顔絵なのだが、ここでの神武天皇は右手に鏡、左手に玉、腰には刀と「三種の神器」を携えた公家風装束であらわされている。天皇であることを示すのに三種の神器をつかうギミックは興味深く、玉が勾玉ではなく仏教的な宝珠になっている点にも時代性が感じられておもしろい。

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    『大社結縁図』(国文学研究資料館蔵)。図右下の衣冠束帯姿が神武天皇。

     下図は「和漢忠孝八十人一首」という変わり百人一首の冒頭に描かれた神武天皇。ヒゲだらけの戦国武将のような面立ちだが、その衣装は江戸時代まで天皇が重要儀式の際に用いた袞衣こんえになっており、前図同様アイテムによって天皇であることが示される仕掛けになっている。

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    『和漢忠孝八十人一首』(国文学研究資料館蔵)。戦国武将のようにもみえるが装束は天皇専用の袞衣。

     なかには下の神像図のように、現在の神武天皇のイメージとはあまりにかけ離れた図版も流通していたのである。

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    大和国多社(現在の奈良県多神社か)で頒布されていた神武天皇神像の摺物。現在イメージされる神武天皇とはあまりに異なる(画像=信州デジタルコモンズより)。

    多様な想像力と表現が神話をより豊かにする

     そして明治中期、画期的な神武天皇像が生み出される。それは、神武天皇の顔を明治天皇の顔に描くというものだ。

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    神武天皇の掛け軸(筆者蔵)。服装も髪型も「神話風」だが、顔だけが明治天皇。「明治天皇顔の神武天皇」は戦前にはパターン化し、数多くつくられていた。

     このメソッドの発明者は、帝室技芸員をもつとめた明治を代表する彫刻家、竹内久一。明治23年、神武天皇の木像を制作することになった竹内はその顔の造形に悩み抜き、ある日天啓のようにひらめいたのが「今の陛下のお顔を借りよう」とのアイディアだったのだという。

     初代と当代の天皇を直接結びつけるというあまりにうまいアイディアはその後他の作家たちから多用されることになり、どうみても明治天皇顔の神武天皇が数多く世に溢れることになった。

     それこそが、大日本帝国が求めた神武天皇像の完成形であったのかもしれない。

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    書家としても著名な洋画家中村不折が描いた神武天皇。埴輪をおもわせる甲冑をまとった神武天皇の顔は完全に明治天皇だ。

     さまざまな神々、神話の図版を絵巻のように縦覧してきたが、その描かれ方はどれも永遠不変ではなく、それぞれに紆余曲折、変遷があったことがおわかりいただけただろうか。

     今ではヤタガラスの足が3本でなければ訝しがられるように、現在は神話にも「正解」が求められがち。しかし神話は本来豊かな想像力の世界であり、多様な解釈とさまざまな造形が許されてこそ真の魅力を発揮するものだ。
     そうした自由さ、ダイバーシティのなかにおいて、神々はより光り輝くといえるではないだろうか。

    (画像キャプションに所蔵表記のないものは国立国会図書館デジタルコレクションより)

    鹿角崇彦

    古文献リサーチ系ライター。天皇陵からローカルな皇族伝説、天皇が登場するマンガ作品まで天皇にまつわることを全方位的に探求する「ミサンザイ」代表。

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