最終警告!! 2025年7月日本壊滅の大災難予言!!/MUTube&特集紹介  2025年7月号 

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    さまざまな証言をもとに積み上げられた、2025年終末予言の可能性と真実を三上編集長がMUTubeで解説。

    フレディ・マーキュリーとの会話

     今から約34年前の1991年11月28日、筆者は不思議な夢を見た。
     場所はヨーロッパのカフェのような明るい店内で、周囲に人がたくさんいるテーブル席だった。
     白いタンクトップに口髭を生やしたイギリスのロックバンド・クイーンのボーカリスト、フレディ・マーキュリー(享年45)が、テーブルに肘を乗せ、右手にタバコを揺らしながら、いきなり筆者の目の前に現れたのだ。
     クイーンが大好きな筆者は、その状況に驚き興奮しながらも、つたない英語で必死に会話を試みた。
     なにを話したのかよく覚えていないのだが、やがて彼は腕時計に目をやると、「そろそろ行かなきゃ、じゃあね」といい、席を立った。
     その瞬間、布団で目を覚ました筆者は、「夢だったのか……それにしても妙にリアルな夢だったなあ……」と、不思議な気分のまま起きあがり、居間のテレビをつけた。
     するとたった今まで、夢のなかで会話をしていたフレディの顔が、テレビ画面いっぱいに映しだされ、今朝、彼が亡くなったと報じていたのである!
     1999年に出版された、たつき諒氏の『私が見た未来』にも、クイーンのフレディ・マーキュリーが亡くなったと報じるテレビ番組を見る夢が紹介されている。たつき氏がその夢を見てから11年後、夢は現実となった。しかも彼女が夢を見た日とまったく同じ日付に──。
     冒頭でご紹介した筆者が見た夢は、たつき氏が見た予知夢とは性質が異なるかもしれない。だが、のちに筆者はフレディの付き人であったピーター・フリーストーン氏(当時70歳)から、興味深い話を聞くことになる。
     ピーター氏は映画『ボヘミアン・ラプソティ』にも口髭を蓄えたフレディの恋人兼付き人として描かれている。そのピーター氏に筆者が見た夢のことを話すと、彼は驚いた様子でこういったのだ。
    「フレディが亡くなった朝、あなたと似た夢を見た人が複数いるのを知っています。その多くは親しい友人たちですから、お別れの挨拶をされたのかもしれません。でも彼と面識のないあなたが、なぜ夢を見たのかはわかりません」
     たしかに筆者はステージ上のフレディしか知らない。しかも夢を見た当時、仕事は多忙を極めており、クイーンの曲さえ何年も聴いていなかった。
     フレディ・マーキュリーと個人的なつながりもないうえに、彼のことをまったく考えてもいなかった当時の自分が、なぜあのような夢を見たのだろう。
     その謎を解くには、夢のメカニズムについて知る必要がある。

    夢のメカニズムと予知夢の謎

     人は眠っているとき、「レム睡眠」と呼ばれる眠りが浅い状態(眼球が激しく動いている、という意味の専門用語)で夢を見るといわれる。
     レム睡眠と対照的に、深い眠りに陥っている状態は「ノンレム睡眠」と呼ばれ、それぞれの状態が約90 分程度で交互に繰り返されているという。
     夢には記憶の断片や日々の不安、トラウマになっている出来事などが、思考の残像のように現れる。われわれが見る夢には、日常の心理状態が大きく影響しているのだ。
     しかし、夢のなかにはそれだけでは分析しきれないものが存在する。
    それが正夢や予知夢である。
     心理学の世界では、「認知バイアス」と呼ばれる自己の思い込みや期待、さらには不安が、見た夢を自分の都合のいいように解釈してしまうのが、正夢や予知夢といわれるものの正体だと説く。
     その定義からすると、筆者が見た不思議な夢は、ある種の「正夢」の類いに分類されるのかもしれない。
     だが、たつき氏の場合はどうだろうか?
     彼女はじつは、「1976年11月28日にフレディ・マーキュリーが亡くなった」とテレビで報じられる夢を見てから10年後の1986年11月28日に、またしてもフレディの姿だけがクイーンのメンバーから消えているという意味の夢を見てしまう。
     注目すべきは、彼女が夢を見た日付はとも、フレディが亡くなった日そのものだったということである!
     それはもはや、認知バイアスという言葉で片づけられる範囲をはるかに超えているのではないだろうか──?
     たつき氏は、目が覚さめても忘れられない印象的な夢を1976年ごろからメモのかたちで残すようになった。
     理由は、夢が未来の自分になにか関係があるかもしれないという気がしたからだという。
    「夢の記録」と題してノートに記録するようになったのは、1985年から2004年までで、枕元に置いたノートに毎日見た夢を詳細に記録しつづけていた。実際のノートは、普段で見るな

    にげない夢や、記憶や不安を象徴するような夢が大部分を占めていたそうだ。だが、彼女の場合特殊なのは、通常の夢とはあきらかに異なる鮮明な光景が、その日付とともに夢のなかに現れるという点だ。
     1999年に出版された『私が見た未来』の表紙には、「大災害は2011年3月」と書かれていた。それが東日本大震災を予知していたとネット上で騒がれ、出版から12年以上を経て大きく注目されるようになった。
     そして2021年10月、『私が見た未来 完全版』(飛鳥新社刊)が発表された。そこには「本当の大災難は2025年7月5日にやってくる」という、新たな予知夢が書き加えられていたのである。

    (文=サカノ ヤスタカ)

    続きは本誌(電子版)で。

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    webムー編集部

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