白川郷は「蛇神の郷」だった! 水神への畏怖と大蛇伝説が重なる裏聖地の神秘

文・写真=高橋御山人

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    世界遺産・白川郷には多くの大蛇伝説がある。水とともに生きてきた山村の蛇神信仰を追う。

    白川郷の大蛇伝説

     岐阜県白川村の白川郷といえば、世界遺産に登録されている合掌造りで名高い。今や日本を代表する観光地として、外国人観光客も多数訪れ、近年は『ひぐらしのなく頃に』や『最愛』などの作品の「聖地」としても知られる。

    かつては交通の便が悪く、豪雪地帯でもあった白川郷には独自の文化が育まれて来た。

     しかし、富山県、石川県境の山間部に位置し、かつては交通の便も悪く、大変な豪雪地帯でもあり、それだけに独自の文化が育まれて来た。合掌造りもその一つであるが、江戸時代に盛んであった火薬の原料となる焔硝の製造や、大地震により一夜にして埋没した帰雲城とその埋蔵金の伝説などは、全国的に見ても特異である。

     だが、実は大蛇に対する畏敬の念が強い地だということは、ほとんど知られていない。
     それを示すものは、まず、白川郷に伝わる豊富な大蛇伝説だ。例えば、次のような伝説がある。

    ーー合掌集落のある白川郷の中心地・荻町近くの山の中に、野田池という池があり、その昔、大蛇が住んでいた。大蛇は、人に化ける力を得て武士に化け、通りかかった老翁に、化けられるようになったと威張って話す。知恵の回る老翁は、恐怖しながらも、大蛇の好物は米の粉で、麦の粉を食べると体が溶けることを聞き出す。そこでまず米の粉を贈り、気を良くした大蛇は、お礼に美女に化けて舞う。その後に、上手く麦の粉を食べさせ、苦しんだ大蛇は仕返しをするが、先に嫌いなものはお金だと嘘をついてあったので、大判小判を得ることが出来た。大蛇は治療の為に海へ去り、池は水が減って行ったという。

     こんな話もある。

    ーー荻町近くの山中に、大ダナ池という池があった。秋になると、ある老翁が、この池の中まで熊手で根気よく清掃し、池の周りに生えるスゲを刈り、お供えをして、持ち帰ったスゲでムシロを作っていた。その為、老爺の家には蛇が寄り付かなかったという。その老爺が亡くなると、誰も池を掃除しなくなったが、ある時、老爺の隣の家の者が、スゲを刈って持ち帰った。すると、次の日から原因不明の病となり、亡くなってしまう。葬儀の後、臥せっていた場所の床板を外すと、蛇の鱗が大量に落ちていた。これは夜中に池の主がやって来て、苦しめて殺したのだと言われ、以降、その池のスゲを刈る者はいなくなったという。

     これらの話は、白川郷の住人であった西野機繁氏が著した『白川郷の伝説と民話』所収のものだが、蛇が「悪役」であったり、祟りをなす存在として語られている。しかし、よく見れば、大ダナ池の伝説では、池に奉仕して祭祀をすれば、蛇は恩恵をもたらす存在となっている。そして、もっとはっきり、神の如き存在として語られる伝説もある。

    ーー昔々、ある日の夕暮れ、荻町の西の山の中にある、大窪池近くの一軒家に、ケガをした美しい女性が訪ねて来た。そこで家主が手厚く看病すると、次の朝は大変元気になっていた。そして彼女は、自分は大窪池に住む大蛇だと正体を明かした上で、白川郷は旅人の宿場となり、大窪池に生えるスゲは開運の御守りになる、とお礼に告げた。

     この伝説に基づいて、今も白川郷では、開運の御守りとして「スゲ蛇」が作られ、土産物屋で売られている(置いてある店は少なく、また常にあるとも限らないが)。
     この大窪沼という沼は、現在はミズバショウの名所として知られるが、かつては雨乞いの儀式が行われていたそうだ。つまりは、大窪池の主は、白川郷の繁栄を言霊の力で予祝(豊作など未来に期待する結果を前もって祝う呪術、儀式)し、御守りを授け、人々の願いに応え雨を降らす神と考えられて来たのであり、その正体は蛇だとされて来た。また、最初に紹介した野田池の伝説でも分かる通り、白川郷周辺に住む蛇の神は、時に人の姿を取り、言葉を話す存在と思われて来たのだ。

    スゲ蛇。大窪池の大蛇が女性となって現れ、白川郷の繁栄を予言し、池のスゲが開運の御守りとなると告げた伝説に基づいている。
    大窪沼とも呼ばれる、白川郷の大窪池ではかつて雨乞いの儀式が行われていた。池の大蛇が人として現れ、恩恵をもたらしたという伝説もある。

    水田開発と蛇神信仰の町

     蛇は古今東西、水神として崇拝されることが非常に多く、一方では魔性の存在として畏怖されることも非常に多かった。一神教の普及していない地域では、神とはそうした存在であることが多い。記紀神話でも明らかなように、古代の日本の神々もそうであった。そして白川郷は、特にそうした蛇への信仰、畏怖が顕著な土地と言えるだろう。蛇が悪役あるいは祟りをなす存在とされる話でも、その背景に畏怖があることは間違いない。

     白川郷の総鎮守である白川八幡神社では、大きな蛇の抜け殻が大切に保管され、またそこで奉納される獅子舞にも、獅子が蛇を獲る演目がある。そのようなところにも白川郷における蛇への畏怖が見て取れる。

    白川郷の総鎮守・白川八幡神社で保管されている蛇の抜け殻。1m88cm程の長さのものが、3本あるとのこと(現在は非公開)。
    白川八幡神社のどぶろく祭で奉納される獅子舞。「まむし取り」という演目では、獅子が災いの象徴とされるまむしと対峙して、最後には食べる。

    「川」の付く地名を持ち、北陸有数の大河・庄川が南北に貫く白川郷という土地にあっては、水神たる蛇を強く畏怖するのも当然ではあるが、周囲の山間の沼に蛇の伝説が多いのは、恩恵と災害の両方をもたらす水源に対する畏敬の念があるのだろう。また、そうした沼の中には国土地理院の地図にも載っていないものもあるといい、その数の多さが窺われる。

     そもそも荻町自体、いにしえには沼地、湿地であったところを開発したといわれる。
     今も町内に水田が多く、水路に大きな魚が泳いでいたりするが、沼や湿地を埋めたり水田に作り替えていくことは、水神の聖域に対する一種の侵犯であり、その侵犯に対して神に許しを乞う気持ちが、畏敬の念をより一層強くしたと思われる。現代、それも都会でも、池や井戸を埋める際は、神職に依頼し神事を行う場合が非常に多い(筆者も神社奉職時に何度か行った)。いにしえの水が多い山間とあっては尚更である。

     そして、こうした白川郷の蛇に対する畏怖、畏敬の念は、現代においても、カギカッコでくくられるような、いにしえの話、あるいは観念的な話ではないのである。

    荻町の集落内には沼地の名残として水田や水路、池が多数ある。水路には土地の「主」を思わせる魚も悠々と泳いでいた。

     白川八幡神社の裏の山奥に、やはり大蛇伝説のある池があって、戦前までは雨乞いの祈祷が行なわれていたのだが、林道の開発でほとんど消失し、わずかに跡が残るだけという。

     十数年前、ある村人が、その林道をクルマで走行していると、そのクルマのタイヤの太さ程もある巨大な大蛇が現れ、恐れをなして逃げ帰ったというのだ。
     クルマを小さく見積もって軽トラックだとしても、タイヤの直径は50cm程にはなり、日本国内にそれほど巨大な蛇がいるとはにわかには信じ難い。本州最大の蛇・アオダイショウの直径は5cm程だ。だが海外には鹿やワニ、ハイエナ、さらには人間を丸呑みする大蛇もいる。この蛇も、あるいは動物を呑み込んで、一時的に巨大化していたのかもしれない。

     いずれにしても、蛇への畏怖がバックボーンとして存在する話には間違いない。
     今も白川郷は蛇への畏敬の念が強い「蛇神の郷」なのだ。

    合掌造りの内部を公開している神田家の池のほとりには、龍神様の祠が鎮座している。白蛇を祀っているともいう。この祠は神田家を建てた際、元々そこに建っていたものを移したとのことで、荻町が沼や湿地であった時代の「地主神」への信仰を伝えるものであろう。

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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