蛇神トウビョウ探訪記 古代出雲の龍蛇様を継ぐ憑き物/高橋御山人

文=高橋御山人

    独特な形状と生態から、忌避されつつも神聖視され「神」と崇められさえした、蛇。そんな蛇神の一種であるトウビョウは、ある地域では恐怖の対象とされたが、本来はまったく異なる性質のものだった可能性がみえてきた。

    中国四国地方に伝わる「憑き物」

     トウビョウという憑き物が、中国四国地方に伝わっている。地域により伝わる内容に差はあるが、まとめると、おおむね以下のようになる。
     大きくても20センチ程度の小さな蛇で、体の色は黒く、首に金色の輪がある。一匹二匹の場合もあるが、数十〜数百匹の群れということも多い。トウビョウをもつ家では、甕(かめ)や瓶、壺などで飼っていて、酒や食物を供える。
     そして、持ち主が憎いと思う相手に取り憑いて苦しめる。この苦しみから逃れるには、持ち主と和解するか、何らかの祈禱を受けねばならない。そのためトウビョウをもつ家は周囲に恐れられたり、嫌われたりすることも多かった。

    化物づくし絵巻「とうびょう」
    伝承ではトウビョウは20センチ程度の小さな蛇で、首に金色の輪があるとされている。図は『化物づくし絵巻』(「とうびょう」部分/江戸時代)。湯本豪一記念日本妖怪博物館(三次もののけミュージアム)蔵。

     四国の犬神とよく似た存在で、分布地域も一部重複している。ただし、トウビョウは持ち主の完全な制御下にないことが多い。持ち主が通りすがりの人を羨むだけでも、相手を苦しめることがある。しかもこれは先祖伝来のもので、手放そうと思ってもできない。殺せば祟ることも、殺しても死なないこともある。
     このように暗いイメージが伴うトウビョウだが、比較的ポジティブに語られる土地もある。そこでは、どこがトウビョウをもつ家かがオープンに語られ、持つことも恥ではない。
     あるいは、そもそも憑き物ではない土地もある。その場合祟り神であることも多いが、とにかく畏敬の念を持たれ、祠に祀られたりしている。さらには家の守護神だったり、持ち主に富をもたらすとされることも少なくない。このように深く事例を見ていくと、「災いをもたらす憑き物」とは異なる側面が見えてくる。

    トウビョウを祀る祠を発見か

     トウビョウが祀られる祠というのはどんなものか。それを捜すのはなかなか難しいが、筆者が参拝した事例を紹介する。
     広島県尾道市、瀬戸内海に浮かぶ因島(いんのしま)。そこに大江城という中世の山城がある。その名は城主である宮地氏が、古代出雲にルーツをもち、土器製作を生業とした土師(はじ)氏の末裔・大江氏の流れを汲むことによる。その大江城の麓近くの斜面の森の中に「大江投錨(とうびょう)」という祠がある。村上水軍が活躍した土地にふさわしく船に関わる文字が当てられているが、トウビョウの祠である。

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    広島県尾道市、因島(いんのしま)にある大江城の大江投錨。森のなかの非常にわかりにくい場所に、ひっそりと鎮座している。

     昭和初期に出版された『妖獣霊異誌』(原題『動物界霊異誌』)には、島根県大田市の祠についての記載がある。
     明治30年ごろ、当地の南八幡宮境内裏手にある石の祠の修理を地元の石工が請け負った。石工がその祠の扉を開けたところ、首に輪の模様のある、15センチ程度の黒い小蛇が数百匹飛び出してきた。石工は驚いて必死に逃げ、宮司の家に行き、二度と祠には戻らないと仕事を断った。
     しかし宮司は平然と笑って、注意するのを忘れていて悪かったが、怖がることはない、と石工を連れて祠へいく。そこで祝詞を奏上し御幣を立てると、散らばっていた蛇がすべて御幣に集まって大人しくなった。そうして石工の修理が滞りなく終わると、宮司の祈禱により蛇は再び従順に祠に帰っていき、扉が閉められた。この数百匹のトウビョウは幕末に封じ込められたもので、定期的に食物が供えられていたという。

     この、祀るどころか生きたトウビョウの棲家ともいえる祠を筆者は実際に訪ねた。100年以上前の話であり、当地にはすでに伝わっておらず、境内には石の祠も見当たらなかった。
     しかし『妖獣霊威誌』は同じ島根県出身の岡田建文が書いたもので、本件の描写は極めて細かい。南八幡宮に関する記述も現状と一致する点が多い。また、岡田建文は日本民俗学の祖・柳田國男と親交が深く、本書も柳田國男が設立した郷土研究社から出版されている。そうしたことからいいかげんな内容とは思われず、筆者は改めて丹念に境内を調査した。
     すると、記述と一致する境内の裏手に、崩れて半ば落ち葉に埋もれた石の祠を発見した。祠は100年以上経過していても不思議ではない、そこそこ古いものだ。また境内には、扉が付くほど大きな石の祠は他にまったく見られない。これこそが『妖獣霊異誌』にあるトウビョウの祠に違いない。

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    島根県大田市の南八幡宮。『妖獣霊異誌』は、当社の境内裏手にトウビョウを封じた祠があったと伝えている。
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    南八幡宮境内裏手の崩れた石の祠。筆者はこれこそが『妖獣霊異誌』に記載されたトウビョウの祠だと推測する。

    神聖視される蛇体の神々と出雲の女神

     南八幡宮のトウビョウに関する話は笑い話の要素すらあり、明るい雰囲気だ。また制御不能と伝えられることの多いトウビョウだが、ここでは完全に制御されている。その一方で制御に当たってはしっかりと神事が行われ、畏敬の念と呪術的要素が多分に伝わってくる。こうした事例からすると、トウビョウは呪術的要素が濃いながらも、本来もっとポジティブな存在だったのではないかと推察される。

     そもそも日本では、蛇は神聖な存在として古くから崇められてきた。白蛇が金運の神と崇められ、抜け殻が御守りになるなど、現代でも民衆レベルで篤い信仰がある。『古事記』や『日本書紀』にも、蛇の姿の神々が登場する。三輪山の大物主神が有名だが、それも含め古代に蛇体とされた神々は、出雲系で顕著だ。
    『古事記』には、第11代垂仁天皇の皇子、本牟智和気命(ほむちわけのみこと)と出雲の蛇にまつわる話がある。本牟智和気命は成長しても言葉を発することができず、それが出雲の神の祟りとわかった。そこで出雲に参詣すると、ついに言葉を発することができ、肥長比売(ひながひめ)という女性と結ばれる。しかしその正体が蛇であることを知り、皇子は逃げだすが、肥長比売は海原を照らして追いかけてきたという。

     この肥長比売の描写は、旧暦10月、出雲に八百万の神々が集う「神在月」を告げる「龍蛇神(りゅうじゃしん)」を彷彿とさせる。それは海流に乗ってくるセグロウミヘビだが、その姿は黒い背中で腹は金色、黒い部分にも金の模様がある。それが夜の暗い海を、光りながら浜に寄ってくる。光りながら海を渡る蛇、まさに肥長比売だ。そして、セグロウミヘビの黒地に金という配色は、トウビョウと同じなのである。

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    「大社龍蛇」と記された掛け軸の絵。三宝に載せられた「龍蛇(りゅうじゃ)」は、トウビョウとも深い関わりが……。詳細は本文にて(画像=国立国会図書館デジタルコレクション)。

     本牟智和気命の神話は、『尾張国風土記』逸文では、出雲の阿麻乃弥加都比女(あまのみかつひめ)を祀る話となっている。そしてこの女神は、『出雲国風土記』に載る、天𤭖津日女命(あめのみかつひめのみこと)や天御梶日女命(あめのみかじひめのみこと)と同神とされる。天𤭖津日女命は神社の祭神としては「天甕津姫命」などと表記するが、文字通りミカとは甕である。これもトウビョウが甕に飼われているという話と重なってくる。
     天御梶日女命のほうは、蛇体とされる阿遅須枳高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)の夫である。この神は、本牟智和気命のように泣いてばかりいて、親が手を焼いたという神話がある。この神を祭神とする出雲市の都我利(つがり)神社はその剣を祀るといい、境内の石や木に「オロチの注連縄」を飾る。都我利神社の鎮座する土地は、天津日女命の本拠地でもある。

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    出雲市(旧平田市)の伊努神社の案内には、祭神である「天甕津姫命(あまのみかつひめのみこと)」の名前が明記されている。

    八岐大蛇伝説にみえる蛇と鉄の密接な関係

     ここでオロチが出てきたが、出雲で蛇といえば八岐大蛇(やまたのおろち)だ。『出雲国風土記』には登場しない八岐大蛇だが、出雲の神々は蛇体であり、祖神と思しき存在が討伐される話を載せないのは当然だろう。一方で地元には八岐大蛇に関する伝承地は多数ある。そのほとんどは斐伊(ひい)川の流域だ。正体が蛇であったという肥長比売の「肥」も、古事記に「肥河」と書かれる斐伊川を意味する。蛇を水神とするのは非常に広く普及した観念だ。八岐大蛇は斐伊川の象徴だとよく指摘される。

     そして同時に、尻尾から剣を出すなど八岐大蛇は製鉄の象徴ともされる。斐伊川上流はたたら製鉄が行われてきた場所として名高く、砂鉄が川底に堆積して黒く見えることもある。岐阜県と滋賀県の境に聳える伊吹山の神は、八岐大蛇であり、そこで生まれた子が酒呑童子だという伝承もある。伊吹山の麓の美濃国一宮・南宮(なんぐう)大社は鍛冶の神であり、周辺は古代より製鉄で知られた場所だ。酒呑童子もまた「鉄の御所」に住んでいたとされ、鉄との関係が深い。

     また『古事記』に「八頭八尾」と書かれる八岐大蛇は、蛇の群れにも見える。クロガネと呼ばれる鉄の象徴である蛇の群れ。黒い蛇の群れであるトウビョウとつながってくる。素戔嗚尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇に飲ませた酒は、「八甕(やはら)の酒」とも書かれる。甕も酒もトウビョウに通ずる。さらに、八岐大蛇が首を突っ込んで酒を飲む話もあり、トウビョウが甕や瓶から出入りするかのようだ。

     蛇と鉄との関係を示すのは、八岐大蛇だけではない。古代には蛇行剣という蛇が身をくねらせた形の剣がある。『播磨国風土記』には、鍛冶が打ち直そうとしたところ、「蛇のように伸び縮みした」と書かれる、祟りをもたらす剣が登場する。
     地域も時代も離れるが、宮城県岩沼市には、平安時代の伝説的な刀匠・三条宗近が、見事刀を打てたことを感謝し、鉄の蛇を奉納した金蛇水(かなへびすい)神社が建つ。
     蛇は金気を嫌うという話もあるが、これは陰陽道に由来するもので、その伝来以後も蛇と鉄との関係は続いている。
     先述の阿遅須枳高日子根命の「須枳(すき)」は「鉏(すき)」とも書き、鋤や鍬、刃物を意味する。その刃は金偏が示す通り、鉄である。蛇体で知られる出雲の阿遅須枳高日子根命もまた、鉄と深くかかわる神なのだ。
     そして本牟智和気命も阿遅須枳高日子根命も、親が手に負えないほど泣く。これは神憑りのトランス状態を示すものとも考えられる。トウビョウは憑き物である。トランス状態と通じている。

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    8つの大甕にそれぞれの頭を突っ込んで酒を飲む八岐大蛇(やまたのおろち)。このあと酔いつぶれた大蛇はスサノオに全ての頭を斬り落とされ退治されてしまう。トウビョウと同様、八岐大蛇も甕とは浅からぬ関係がみてとれるのだ(画像=国立国会図書館デジタルコレクション)。
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    石見(いわみ)神楽に登場する八岐大蛇。8匹の龍が身をくねらせてからみあう様は、トウビョウのそれを彷彿とさせる。

    金属精錬に関わる巫女一族がいた?

     トウビョウとは、蛇を祖神とし、製鉄で名高い古代出雲の、神憑りとなる巫女の信仰に端を発するのではないか。
     トウビョウが飼われている甕とは、製鉄炉を示しているのかもしれない。炉は甕や壺のように閉鎖された形状である。「甑炉(こしきろ)」という、米を蒸す道具・甑に似た炉が古代から存在する。甑は古墳時代には甕とセットで使われていた。出雲国二宮・佐太(さだ)神社では、先の「龍蛇神」を「甑立て」と呼ばれる形に整えて奉納する。それは甑(こしき)を逆さに伏せた形だ。
     そうした甑や甕のような閉じた炉の中で鉄が溶かされ、生まれ変わる様は、甕のなかの黒い蛇が脱皮して生まれ変わる様とも取れる。

     また鉱脈を捜すには、巫女の託宣も必要だっただろう。出雲のたたら製鉄に携わる人々は金屋子神(かなやごのかみ)という女神を祀る。金屋子神は託宣を下す神であり、村下(むらげ)という技術者とオナリという巫女を伴って降臨したという。琉球の巫女に関わる古語にもオナリという言葉があり、その古さが窺われる。

     トウビョウという名前について考えてみると、古代の「戸畔(とべ)」という言葉にいきあたる。日本書紀には、名草(なぐさ)戸畔、丹敷(にしき)戸畔、新城(にいき)戸畔といった神武天皇に逆らって討たれた人物の名前が記されている。これらは卑弥呼のようなシャーマンたる女性首長であったとされる。
     さらには、伊斯理度売命(いしこりどめのみこと)という女神も存在する。『日本書紀』では「石凝戸辺」とも書く。この女神は、天の岩戸隠れの際、三種の神器のひとつである八咫鏡を作り、作鏡連(かがみつくりのむらじ)の祖神とされる。鏡は金属を鋳造して造るものであり、金属加工の神として岡山県津山市の美作国一宮・中山神社等に祀られている。

     古代には「トベ」と呼ばれた高位の巫女が金属精錬に関わっていたものと思われる。このトベが訛ってトウビョウになったのではないか。
     カガミという言葉は「ヤマカガシ」に名を残す、蛇の古名「カガチ」に由来するという説もある。鏡餅も蛇がとぐろを巻いた姿や、蛇の目を表現したものともいわれる。鏡と蛇の関係は極めて深い。

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    トウビョウのルーツは、金属にまつわる技術や知識をもった巫女の一族だったのかもしれない。かつて「トベ」と呼ばれたシャーマンの巫女が、トウビョウという音に痕跡を残している可能性も考えられる(画像=歌合の絵図に描かれた巫女。国立国会図書館デジタルコレクションより)。

     また先述のように、八岐大蛇は「八尾」だったと『古事記』は書く。トベとヤオをつなげれば、トベヤオ、トウビョウと極めて近い発音となる。人名の例からいえば、ヤオトベとなるべきだが、トベという言葉は、のちに戸辺とか土部といった姓にもなっている。それを思えばトベヤオという人名もあり得るだろう。トベ姓のヤオという、蛇神に仕える巫女かもしれない。

    トウビョウに隠された古代神の記憶

     そうした古代出雲にルーツをもつ金属に関わる巫女たちが、鉱脈や加工に適した地を求め、中国四国地方へ広がっていった。彼女やその一族は、初めは生活を向上させる金属に関わる人々として各地で尊崇を受けた。しかし金属精錬に関わる人々は、農民たちとは生活様式が大きく異なり、異様に思われることが多かった。先の酒呑童子のように、鬼のルーツが産鉄民とされるのと同様である。
     そうしてその一族は零落し、恐れられながらも蔑まれることが多くなったのではないか。シャーマンとしての性質は、憑き物伝承に残しつつ。
     また、鉄=カネとの関係は、黄金との関係へと変化し、富をもたらす伝承となったのではないか。「真金(まがね)」は鉄または黄金を示す古語だ。出雲の「龍蛇神」と同じ金色の模様も、それにつながったと思われる。ただし、トウビョウの分布は出雲よりも隣国の石見(いわみ)や吉備(きび)のほうが多い。これは出雲が古代より今に至るまで、蛇神信仰の本拠地のため、あまり零落しなかったからだろう。

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    出雲国二宮、佐太(さだ)神社に奉納される「龍蛇神」の模型。とぐろを巻いた「甑(こしき)立て」と呼ばれる形に整えられる。

     トウビョウの分布の多い吉備には、類似の「道通(どうつう)様」の信仰がある。道通様は非常に強力な神で今も熱心に信仰されているが、いわゆる「拝み屋」や呪詛にも非常に関係が深い。2匹の白蛇が金の宝珠に巻きついた姿で、その像が岡山市の道通宮や岡山県笠岡市の道通神社に、多数奉納されている。吉備といえば古代から製鉄で名高い地だ。桃太郎が退治した鬼のルーツといわれる温羅(うら)も、極めて鉄と関係が深い。

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    岡山市の道通宮に多数奉納されている「道通(どうつう)様」の像。宝珠に巻きつく2匹の白蛇の像だ。
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    岡山県笠岡市の道通神社に祀られる道通様の石像。当社には、今でも夜中に「拝み屋」が祈願に来るという。

     そうした土地で、今もシャーマニックなトウビョウに類似した信仰があることは、その古いルーツを物語っている。香川県にはトウビョウを出雲大社教の法力で封じたという話もある。これも古い記憶のなせる業ではな
    いか。
     トウビョウは、今も呪術と金属精錬の記憶を秘めながら、栄光ある古代の蛇神として復権する日を待っている。

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    宮城県岩沼市の金蛇水神社に奉納されている白蛇の像。「道通様」と同じく、こちらも宝珠に巻きつく2匹の白蛇の像である。なかには1匹だけの蛇像もある。

    2022年追記ーートウビョウの祠が復活した!

     取材から約1年半経った、2022年の3月。筆者は再び島根県大田市の南八幡宮に参拝した。ムー掲載の「神前報告」と「御礼参り」のために。
     拝殿に参拝し、崩れて半ば土に埋もれたトウビョウの祠のある、社殿の裏へ回る。そこで見たものはなんと!台座の上に再建され、祭神や由緒も掲示された、立派なトウビョウ祠の姿であった。

    復興したトウビョウの祠。

     宮司に改めて話をうかがったところ、ムー掲載をきっかけに、再建の話が持ち上がり、氏子の方々の積極的な協力もあって、再建に至ったという。
     記事を読んで参拝する方もおられ、社務所では、当記事掲載のムーや、鎮座の記録の残る「妖獣霊威誌」も、案内用に準備したということであった。筆者冥利に尽きる話であり、感謝に堪えない。

    ここでの「書物を読んだ方」とは本稿筆者である。

     また、トウビョウ祠再建の頃から、南八幡宮には喜ばしい出来事が続き、その霊験のあらたかさを知るところとなった。
     読者の皆様方にも、機会があれば是非ご参拝頂きたい。南八幡宮及びその関係者の皆様方と、参拝者の皆様方の、ご隆昌をお祈りする。
     ここに、トウビョウは復権した。
     他の土地も続くのではないか。令和の時代は、トウビョウの時代である!

    高橋御山人

    在野の神話伝説研究家。日本の「邪神」考察と伝承地探訪サイト「邪神大神宮」大宮司。

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