神話に描かれた「最初の皇居」遺跡! 鹿児島県 南さつま市の山中巨石群「宮ノ山遺跡」の謎
居住に適さない急峻な山肌に並ぶ巨石群はいつ誰が建造したのか? 薩摩に残る「古代日本神話」の現場を調査する。
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薩摩の奇祭「メンドン」。その正体は伊勢の神の化身とされるが、本当にそうなのか。浮かび上がる意外な説とは……?
それにしても、やはり気になるのが、メンドン=伊勢神の化身としている点である。
いうまでもなく、伊勢神とは一般的にアマテラス(天照大神)を指す。彼女の性格を最も象徴するのが天岩戸神話だろう。『古事記』『日本書紀』(以下「記紀」)では、天岩戸に引き籠ったアマテラスは、八百万の神が催す賑やかな祭りに誘われ、外へ導き出される。ここからも、伊勢神が“賑やかなこと”=祭りを好むというのは理解できる。また、集落を見守るかのように聳えていた開聞岳も、一応アマテラスと関係がある。
開聞岳は、かつて「枚聞(ひらきき)岳」と呼ばれたが、この山を御神体とする麓の枚聞神社(薩摩国一宮)は、主祭神にオオヒルメノムチ(大日孁貴神)、すなわちアマテラスを祀っているのだ。社伝によれば、創建は神代とされ、南薩地方一帯の総氏神や航海安全の神として、古くから人々の崇敬を集めてきたという。
「メンドン祭り」において、利永神社で神事を執り行ったのも、実は枚聞神社の神職らしい。江戸時代には、祭神に「大宮姫」が祀られていたそうだ。彼女にまつわる伝説が、『三国名勝図会』では「開聞縁起云」として、次のように記されている。
その昔、開聞岳の麓の窟「岩屋どん」で神仙が修行していたところ、大きな鹿が来て法水を舐めた。すると、鹿はたちまち懐妊し、口から美しい女の子を出産。彼女は瑞照姫と名付けられ、後に天智天皇の后になり、大宮姫と改名した。そして大宮姫は、玉頼姫(玉依姫=古代の巫女)ともいい、“アマテラスの化身”であったという――。
こうしたことから、開聞岳は近年パワースポットとして見做され、「アマテラスの存在を感じられる」という声もあるようだ。ただし、枚聞神社の祭神については諸説あり、元々は、竜宮伝説と関わる海神(わたつみ)が祀られていたとも。いずれにせよ、「メンドン祭り」における伊勢神がアマテラスだけとは、筆者には思えなかった。
なぜなら、“賑やかなこと”はともかく、“荒々しいこと”を好むとする伊勢神の性格と、アマテラスのイメージが結び付かないからだ。記紀での彼女は、荒々しいスサノオの狼藉によって怒り、天岩戸に引き籠った経緯もある。では一体、メンドンの本体に当たる伊勢神とは何者なのか?
まず最初に思い浮かぶのが、トヨウケ(豊受大神)である。そもそも伊勢神宮は、内宮にアマテラス、外宮にトヨウケが祀られている。トヨウケは、アマテラスの食事を司る女神。羽衣を隠されて、天に帰れなくなった天女としても知られる。神名の「ウケ」は食物を意味し、利永神社の祭神たるウケモチとも同一視されている。外宮の社伝によると、雄略天皇の夢枕に現れたアマテラスが、「自分1人では食事が安らかに出来ない」との理由から、丹波国の御饌の神であったトヨウケを指名。このため、内宮の近くにトヨウケを祀るようになったという。
これらを踏まえると、枚聞神社は「内宮」、利永神社は「外宮」と捉えることも出来る。両神社は約4キロ離れて鎮座しているので、伊勢神宮の内宮・外宮とほぼ同じくらいの距離だ。また、民俗学者・中山太郎は、著書『さんばい考』(大和書房)の中で、トヨウケは「散飯鬼(さばき)」と説いている。
散飯鬼とは、通称・鬼役と呼ばれる毒見役のこと。そしてこの鬼は、古代インドの鬼神アーラヴァカ・ヤクシャ(夜叉)、すなわち鬼子母神であるという。トヨウケに鬼の要素があるならば、「伊勢神が“荒々しいこと”を好む」というのも分からなくはない。しかし、どうもことはそう単純ではなさそうなのだ。
実はアマテラスとトヨウケの他にも、伊勢神といえる存在がいる。それはなんと、あの「アラハバキ」である。アラハバキといえば、遮光器土偶のイメージで有名ながら、記紀に登場しない謎の神だ。
「荒覇吐」「荒吐」「荒脛巾」「阿良波々岐」などと表記され、大概は客人神として、東北・関東地方を中心に全国各地で祀られている。縄文神、足(脛巾)の神、蝦夷の神、アーラヴァカ・ヤクシャ――その正体については諸説あり、中でも民俗学者・吉野裕子氏が唱えた蛇神説は、アラハバキが伊勢神宮と縁深いことを示すものだ。
同説では、アラハバキの「ハバキ」とは「蛇木(ははき)」、あるいは「竜木(ははき)」を意味し、蛇に見立てられた樹木が古来、祭祀の場の中枢にあったと見ている。また、アマテラスが祀られる前から、アラハバキは内宮の地主神であったものの、後にその地位を譲り、さらには荒神へと変遷したのだという。
なお、荒神は数種類に大別され、前述した屋内に祀られる三宝荒神の他、屋外の樹木などで祀られる地荒神がある。後者は、出雲などの中国地方に多く見られる習俗で、主に御神木に巨大な藁蛇を巻き付けて奉納するものだ。地域ごとに祀られ方は違えど、それぞれの荒神は同根と考えられ、神道における「荒魂(あらみたま)」をベースに、様々な要素が混ざって成立したともいわれる。
荒魂とは、神の荒々しい側面のことで、温和な側面の「和魂(にぎみたま)」と表裏一体とされる。その語感から、和魂=“賑やかなこと”、荒魂=“荒々しいこと”とも解釈出来そうだ。荒魂は、伊勢神宮の域内でも、正宮の次に格の高い別宮(わけみや)に祀られている。外宮の別宮・多賀宮(たかのみや)は、トヨウケの荒魂。そして、内宮の別宮・荒祭宮(あらまつりのみや)は、アマテラスの荒魂が祭神である。
アマテラスの荒魂は、別名「セオリツヒメ(瀬織津姫)」。こちらもまた、記紀に登場しない謎の女神だ。神道の祝詞「大祓詞(おおはらえのことば)」では、イザナギ(伊弉諾尊)の禊によって生まれた水神とされ、龍神の化身ともいわれている。龍神=蛇神と見做されるが……実は彼女は、アラハバキとも同一視されているのだ。かつては、「アラハバキ姫」と呼ばれていたという伝承もある。つまり、ここまでをまとめると、以下のように解釈可能なのだ。
・賑やかなことが好き=和魂=アマテラス、トヨウケ
・荒々しいことが好き=荒魂=セオリツヒメ=アラハバキ=荒神
ところで、荒神と結び付く龍蛇信仰からは、冒頭で触れた池王大明神も思い出される。この池田湖の小さな社には、殺された龍神と一緒にその母親も祀られており、元々は樹木が御神体であったという。アラハバキとの関連性は不明だが、少なくとも、まさに蛇木であり“母木”でもあった訳だ。
開聞岳のアマテラス、利永神社のトヨウケ、池田湖のアラハバキ(セオリツヒメ)――こう捉えた場合、「神代の昔は“竜宮界”だった」と伝わるこの地に、不思議な三角形が浮かび上がる。これは、まるでレイラインのようであり、三宝荒神的な三位一体を感じさせるものだ。
各聖地が直線や幾何学的な配置で並ぶレイラインは、東洋で「龍脈」とも呼ばれ、大地の気が流れるルートとされている。例えば、伊勢神宮の外宮と内宮、二見浦の夫婦岩を地図上で結ぶと、二等辺三角形が現れる。そしてその頂角は、真っ直ぐ富士山の方を指す。すなわち三角形は、富士山に対する地鎮とも、鬼門の結界とも考えられるという。
前述したように、開聞岳は別名「薩摩富士」。現在も活火山であり、約1200年前の平安時代には、富士山と同時期に大噴火した記録が残されている。これは“開聞神の祟り”と恐れられ、元々開聞岳の南麓にあった枚聞神社は、北麓の現在地へ遷座を余儀なくされたそうだ。また、この開聞岳周辺は、噴火で出来たカルデラ湖の池田湖を始め、市内全域が火山帯に属している。
従って、いつかの時代に、伊勢と同様の信仰により聖地を配することで、土地を守る意図があったのかもしれない。再び破局的な大噴火が起こり、アマテラスが姿を隠したかの如く、世界が闇に包まれないように……。
実際、天岩戸神話のモチーフは、「冬至」や「皆既日食」の他、「火山噴火」とする説がある。約7300年前の縄文時代、鹿児島沖の海底火山「鬼界カルデラ」が起こしたとされる、未曾有の超巨大噴火のことだ。これにより、南九州の縄文文化は壊滅。長期に渡り火山灰が空を覆い、太陽光が遮断されたという。
研究者によると、同規模の噴火は現代でも、いつ発生しても不思議ではないそうだ。伊勢神の化身たるメンドンは、そうした神の怒りに似た、“天変地異”を体現しているようにも思える。荒々しく賑やかに、人々に無病息災をもたらすと同時に、自然災害の警鐘を鳴らす存在なのではないだろうか。
開聞岳に沈む美しい夕日を見届けると、筆者は顔にヘグロをつけたまま、山川利永地区を後にしたのであった――。
【参考資料】
『鹿児島ふるさとの神社 祭りと伝統行事』(高向嘉昭)
影市マオ
B級冒険オカルトサイト「超魔界帝国の逆襲」管理人。別名・大魔王。超常現象や心霊・珍スポット、奇祭などを現場リサーチしている。
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