「ベントラ」呪文と砂漠のコンタクティ/昭和こどもオカルト回顧録

文=初見健一

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    昭和の時代、少年少女がどっぷり浸かった怪しげなあれこれを、“懐かしがり屋”ライターの初見健一が回想。 今回は、UFOを呼ぶときの定番フレーズ「ベントラ」をふりだしに、宇宙とのコンタクト文化を振り返る。

    ジョージ・ヴァン・タッセルの不思議な生涯

     1970年代に小学生時代を過ごした同世代の読者であれば、「ベントラ」という言葉に強烈な郷愁を感じる人が多いと思う。子ども時代の日々がよみがえって、なんだか気恥ずかしくなってしまう人もいるかも知れない。

    「ベントラ」は「UFO召喚」のための「呪文」である。「宇宙船」を意味する「宇宙語」だそうで、この言葉を「地球外生命体」から授かったのはジョージ・ヴァン・タッセルとされている。
     ジョージ・ヴァン・タッセルは、1950年代、米国カリフォルニア州のモハベ砂漠にアシュタール・ムーブメントの拠点を創立したアメリカの代表的コンタクティだ。アメリカの「UFO運動」史においては最重要コンタクティのひとりとされているが、なぜか日本ではあまり語られることがないようで、日本語の資料も少ない。非常に不可思議な経歴の持ち主なので、ちょっと前置きが長くなるが、まずはこの「ベントラ」呪文の考案者(?)について触れておきたい。

     ヴァン・タッセルは当初、自動車整備士や航空エンジニアとして(ハワード・ヒューズとの交流から飛行機に興味を持ったらしい)普通に社会生活を送っていたようだが、やがて砂漠に魅了され、そこに生活拠点を置くことになる。彼に砂漠のすばらしさを教えたと思われるのが、フランツ・クリッツァーというドイツ移民。炭鉱の関係者だったらしいが、なぜか砂漠の魅力に取りつかれて、モハベ砂漠にある有名な巨石「ジャイアントロック」の下に穴を掘り(無断でダイナマイトを使った掘削を行ったともいわれている)、そこに住居を作って住み着いた。ときおりここに遊びに来ていたのがヴァン・タッセル。どういう経緯があったのかは不明だが、ヴァン・タッセルも砂漠の暮らしに憧れるようになったらしい。

     時は第二次世界大戦下、米当局は「砂漠に住んでいる怪しい外国人」としてクリッツァーをマークするようになる。要するにスパイ容疑をかけられたわけだ。疑惑のきっかけは彼の名が敵国であるドイツ風だったから、という単純なものだったとされるが、彼が建てた巨大な通信用アンテナ(短波ラジオを聴くためのものだったとされる)なども当局を刺激していたようだ。ある日、FBIが彼の家にやってきて連行しようとしたが、彼は拒否。押し問答をしているときにフランツの家にあったダイナマイトが突然爆破し、彼は爆死してしまう。これについては自殺説、FBIが投げ込んだ催涙弾(煙幕弾?)によって引火したとする事故説、そしてFBIの謀殺説などがささやかれている。

     フランツ亡きあと、「ジャイアントロック」の根城に引っ越してきたのがヴァン・タッセルだった。これが1947年のこと。砂漠で空港やカフェを経営しはじめたが、もともとスピリチュアルなことに関心があった人物のようで、瞑想集会のようなものも開催していたらしい。そしてあるときの瞑想のセッション中に、彼は地球外生命体(というか異次元生命体?)である「アシュタール」なる存在からメッセージを受信する。UFOを目撃することも増え、さらには実際にUFOに搭乗したとも証言している。
     こうした体験によって瞑想集会はいわゆるチャネリングセミナーのようなものに変化していき、やがて大規模な「UFO運動」「UFO宗教」のグループが形成されていった。端的にいえば「カルト化」だが、この動きはアメリカにおける最初の本格的な「UFO運動」として大きな波を起こすことになった。

    カリフォルニア州、モハベ砂漠にある世界最大の巨石「ジャイアントロック」。クリッツァーはこの地下に穴を掘り、自分の住居をつくった。もともとはネイティブアメリカンの聖地であり、この岩は地球のシンボルとして強大なエネルギーを発しているとされる。この岩が真っ二つに割れるとき、世界に大きな禍が起こるという説もあった。2000年に実際に割れている。

    砂漠に魅せられた男たち

     この時代のアメリカにおける「UFO運動」「UFO宗教」は後の「フラワームーブメント」「ヒッピーカルチャー」を先取りしたようなものが主流で、基本的には「愛と平和」を説くというパターンが多い。
     ヴァン・タッセルも同様で、「アシュタール」から送られた予言的・黙示録的なメッセージに基づいて、やや終末思想に傾いた社会変革の必要性を唱えるようになる。要は「即座に核実験を中止せよ」「自然環境を守れ」「人類は愛し合って共存せよ」といった類のリベラルな内容だ。彼の運動はどんどん巨大化していき、彼自身も「預言者」としてスーパースター化していく。世界を救う「砂漠の救世主」「砂漠のキリスト」のような存在になっていったわけだ。

     米ソ連戦時、アメリカが最もニューロティックな疑心暗鬼に取りつかれていた時代に、こんな男を放っておくわけはない。「左派的」な言動で人々を洗脳する東側の工作員では?……ということになり、彼のグループにも当局の手が入ることになる。ところが、クリッツァーのときのような悲劇は起こらず、彼は素直に取り調べに応じ、あっさりと放免されたらしい。どうも「誇大妄想的な精神疾患を持つ無害な男」と目されたようだ。

     一説によると、ヴァン・タッセルは「アシュタール」から教えられたテクノロジーを使って、タイムマシンや「若返り装置(?)」を開発していたといわれている。これらの研究について彼自身はいっさい他言していないので、いったい彼がなにをやっていたのかを正確に把握している人はいなかったようだ。彼が作った「インテグラトロン」という不思議なドームが、今も砂漠に残されている。完成前に彼は病死し、なぜか資料も消失して、ドーム内の装置なども何者かに持ち去られたとされており、結局、このドームがどんな施設だったのかは誰にもわからない。
     識者によると「ニコラ・テスラのテクノロジーを反映したもの」とのことなので、フリーエネルギー(大気中の電気?)を利用して何かをしようとしていたのかも知れない。「無料のエネルギー」を実用化した人間はすべて抹殺される、という神話(?)がアメリカにはあるが、そうした意味で彼の病死に疑問を持つ人もいる。

     ともかく、僕ら世代が子どものころに遊び半分でもてあそんだ「ベントラ」という呪文は、こうした数奇な運命をたどった人物が「アシュタール」なる存在から授かったわけだ。
     その荒唐無稽な体験の真偽は僕に判断できないが、UFOがどうのという以前に、クリッツァーやヴァン・タッセルがまず「砂漠に惹かれた」という部分に妙な共感を覚えてしまう。それまでの自分の人生を捨てるほどの強烈さで砂漠に魅了されてしまった男たちの逸話は、どこか感動的でロマンチックで、本質的にオカルティックでもあると思う。砂漠から離れられなくなってしまった「アラビアのロレンス」や、現世を捨てて砂漠に消えた詩人ランボーのように、「砂漠に呼ばれてしまう人」は意外と多いのかも知れない。
     また、もともと「ジャイアントロック」近辺はネイティブアメリカンにとっての聖地だった。アメリカ各所にある先住民の聖地・禁忌の地は、なぜか決まってUFO目撃情報の多発地帯になっているのはよく知られた話。こうしたことも、アメリカにおける初期のUFOブームが持っていた宗教的な広がりを感じさせる。特にエリア51が話題になって以降、UFOの話題は国家や軍が絡んだ陰謀のストーリーがメインストリームになってしまったが、ユングなどのようにUFOを「魂」にかかわるものとして、そこに「神的ななにか」を見る人が多かった時代をしのばせる。

    ヴァン・タッセルがつくった謎の施設「インテグラトロン」。いろいろな説があるが、用途はまったく不明。現在ではちょっとした観光地になっているらしい。構造上、内部では音が非常に独特の響き方をするので、「サウンドバス(音浴)」と呼ばれるイベントや演奏会などが行われている。(写真=Wikipedia

    「ベントラ」と日本の子どもたち

     砂漠の真ん中で生まれた「ベントラ」を日本に広めたのは、かのCBA(宇宙友好協会)だといわれている。60年代初頭、「リンゴ送れ、C」事件など、終末論を主張して大騒動を巻き起こしたUFO研究団体の先駆けだ。同団体は50~60年代にラジオやテレビで「UFO召喚実験」を披露したが、その際に用いられたのが「ベントラ」。子どもたちの間でも一気に大流行した。ちなみに、1959年にラジオ放送された彼らの「空飛ぶ円盤観測会」には、三島由紀夫なども参加していたらしい。

     僕ら世代が「ベントラ」を知ったのは、最初の流行から十数年も後、70年代なかばごろだったと思う。当時はヴァン・タッセルやCBAのことなど知る由もなく、まさか「ベントラ」にそんな歴史があるとは思ってもいなかった。当時のオカルト児童書にはよく「UFOの呼び方」を解説するページがあり、そうしたものから僕ら世代にも広まったのだ。あくまでも「旬のネタ」として大ブームになり、僕らは昼休みになると毎日のように屋上に集まり、手をつないで円陣をつくって「ベントラ、ベントラ、スペースピープル……」と繰り返す「UFO召喚ごっこ」に夢中になった。

     おもしろいのは、地域や学校によって「呪文」にバリエーションがあったこと。「スペースピープル」ではなく、「スペースマン」という言い方も普及していたらしい。また「宇宙の兄弟のみなさん」と呼びかけたり、「こちら東京都〇〇区、〇〇小学校屋上です」などと位置情報を細かく伝えなければダメ、とされたりするケースも多かったそうだ。
     僕らの学校の昼休みは確か40分。ブームの間は、これをまるまる「ベントラ」に費やしていた。よくもまぁ飽きずにやれたものだと思うが、今考えてもちょっと不思議なのは、「ベントラ」をひたすら続けていると、けっこうな確率で空に「変なもの」が見えたことだ。ただの飛行機や雲だったのかも知れないし、「ベントラ」儀式は集団催眠状態や酸欠による知覚異常を招くともとも言われているが、ともかく「うわっ! 来た!」と盛りあがる瞬間が何度もあった。だからこそ、飽きっぽい僕らもあんなに夢中になれたのだろう。

     それでもブームは3カ月ほどであっさり終了。確かその2、3年後、連載開始当初の『うる星やつら』に「ベントラ」が一種の「懐かしギャグ」として描かれていた。それを読みながら「そういや僕らも夢中でやってたなぁ……」と、なんだか妙に気恥ずかしくなったのを覚えている。その時点で、「ベントラ」はすでに遠い思い出になってしまっていた。

    『世界のUFO』(中岡俊哉・著/1975年/二見書房)。御大・中岡俊哉による最新UFO情報総覧。富山県の小学生たちによる「ベントラ召喚」を紹介している。「ベントラ」は単に「呪文」とされているだけで歴史的経緯などの記述はないが、こうした本から「ベントラごっこ」が全国の子どもたちに波及した。

    (2021年2月24日記事を再編集)

    初見健一

    昭和レトロ系ライター。東京都渋谷区生まれ。主著は『まだある。』『ぼくらの昭和オカルト大百科』『昭和こども図書館』『昭和こどもゴールデン映画劇場』(大空出版)、『昭和ちびっこ怪奇画報』『未来画報』(青幻舎)など。

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