石こうに包まれた死体の怪談と事件 村上ロック「石こう詰め」/吉田悠軌・怪談連鎖
怪をつむぎ、ひもとき、結びつけていく「怪談連鎖」。歌舞伎町で夜ごと怪談を語り続ける怪の伝道者から、「匂い」にまつわる不可解な話が披露される。
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ホラー小説家にして屈指の妖怪研究家・黒史郎が、“忘れ去られた妖怪”を史料から発掘! 今回は、襲い来る「海の鼠」にまつわる奇譚の数々を補遺々々します。
宮本常一の著書『周防大島を中心としたる海の生活誌』には、【海鼠】というものが見られます。ナマコではありません。読みは「うみねずみ」。
これはなんでしょうか。
資料によると、山口県大島郡日良居村(現・周防大島町)の浮島(うかしま)には、「化け物」の伝承がありました。どんな姿をしているのか、どんな恐ろしいことをするのか、詳しいことは書かれていませんが、人々にとってよほど害のあるものだったのか、この化け物のために島を焼き払ったとあります。
その後、祟りを恐れて作られたのが磐尾神社なのだそうです。
「一説には蛇が多かった」ともあるので、化け物とは蛇だったのかもしれません。
問題は、この化け物騒動の後です。
浮島に再び、危機がやってくるのです。
――海鼠の襲来です。
今回のテーマは”海の鼠”です。
『周防大島を中心としたる海の生活誌』には、このような話があります。
ある晩、ひとりの漁師が海面に鰯の群れの動きを見つけ、すぐに網を置きました。しかし、引き揚げてみるとそれは鰯ではなく海鼠の群れで、たちまち網は食い破られてしまい、鼠たちは島中に逃げてしまいます。
島に上陸した海鼠たちによって島内の作物は食い尽くされるところでしたが、石祠のコージンサマによって封じ込めることができ、なんとか全滅を免れました。
――島を襲った、海を渡る海鼠。これは化け物の類なのでしょうか。
山口県の浮島の公式ウェブサイトを見ますと、浮島には【大蛇】と【大ねずみ】の伝説があることがわかりました。島に移住した人々は、こうした化け物どもを退けながら島を開拓していったのです。
大ねずみを退治するときに建てられたのが江ノ浦明神(磐尾神社)で、ねずみの墓もいくつか残存しているそうです。
また同サイトには、磐尾神社は「島の悪霊を退散させるため」に建てられたとも書かれており、安永年間に流行した悪疫を退散させたという樽見観音なども紹介されています。
島を襲った鼠たちは悪霊という扱いだったのでしょうか。
そこで、『防長風土注進案』に海鼠の記録がないかを捜してみました。
これは1842年に萩藩が編纂した地誌で、各町村の田畑の面積、船の数、家畜の頭数といった統計数値などが載っており、社寺の縁起も見られます。その中に島を襲った大蛇と大鼠の伝説もありました。
樽見の森村というところに、長さ2丈あまりの【黒蚖蛇】という蛇が現れました。「蚖」はマムシやイモリを指す語。6メートル以上ある黒い毒蛇が現れたのです。
この蛇、頭に角が生えており、どのような形なのかはわかりませんが耳鼻もすべて備わっているとあります。わざわざ書くくらいですから、蛇らしい耳鼻ではないのでしょう。そんな恐ろしい姿をもつ化け物ですが、宝王大明神の祠官が大明神に祈念し、札守を蛇の前に立て置くと、すぐに退散したそうです。
それから10日余り過ぎて。
今度は一尺ほどの【大鼠】が何千万匹も現れ、作物や野山の草木を食い荒らしました。しかしこれも宝王大明神より三宝荒神を勧請し、岩尾大明神として奉ることで災いは収まったそうです。
これは、『周防大島を中心としたる海の生活誌』にあった、島を焼かねばならぬほどの化け物と、その後にやってきた海鼠のことを語っているのでしょうか。
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また、浮島の北側、頭島(かしらじま)でも鼠が作物を荒らし、祈祷で鎮めたといういい伝えがあります。
文政のころ、金色の目をもつ大鼠の群れが島に現れました。それは海中をも渡り、作物、貝、海藻に至るまで食い荒らす貪欲なものどもです。寺院から御祈祷に来てもらいましたが鼠被害は収まらず、他村から社人を呼んで2夜3日御祈祷をしてもらうと、ようやく鎮まったといいます。祈祷料は銀3枚だったとか。
海中を移動する鼠――海鼠という名で書かれていませんが、これがまさにそうでしょう。
大島の鼠被害については、柳田國男も著書『海上の道』の中で触れています。
それによると、水鼠、カワネズミというものがあり、泳いで魚を食す鼠がいるというのです。これは停泊中の船まで泳いでやってきて、船内で繁殖するそうです。
また、柳田がシベリアから帰ってきた人から聞いた話として、尻尾をツンと立て、毛を広げて水に浮き、群れを成して川を渡る鼠のことについても書いています。
なにより、この資料には海鼠についての記述があります。
陸の鼠が海に入って海鼠になるといい、北海道の奥尻では海鼠がアワビを食べてしまうという被害があったとあります。
島根県の高島にも同様のケースがあります。夜に船を出すと沖の海面が光っているので、ハマチの大群だろうと引きあげるとすべて鼠で、その大きさはイタチほどもあり、足には水掻きがあったそうです。
延宝7年、津軽地方の某浦でも同様のことが起きています。山の上から海上を見渡すと鰯が群れているように見えたので、船を出して網で引きあげてみますと、下腹が白く、頭と背が赤い鼠が無数に網にかかっていたといいます。
『南島雑話』では海鼠(ウンネジン)の姿が描かれています。それによると、これは少し小さいが、毛の色は他の鼠と同じだといいます。また、凶歳(不作・飢饉の年)には鼠が海から上がってきて、五穀、木皮、草根をすべて食い尽くすともあります。
『和漢三才図会』には海鼠ではなく水鼠の項があります。ここでは伊予の黒島の例をあげています。
『本草綱目』には、鼠に似て小さく、菱(ひし)・芡(おにはす)・魚・海老を食べ、小魚・小蟹の化けたものだとあるそうです。
もっとも有名な鼠騒ぎは、愛媛県宇和島市の例でしょう。
この地域では幾度も鼠が大量発生しています。
古い例ですと、『古今著聞集』巻二十にある、伊予の黒島で起きた海の鼠被害です。
安貞のころ、ある漁師は海面がおびただしく光るのを目撃します。魚群だと思って網をひくとそれはすべて鼠で、浜に引き上げられた鼠は散り散りに逃げ、以来、島には鼠が増え、作物を食い荒らされる被害に遭ってしまいます。
これまで挙げた例とほとんど同じです。きっと、鼠が食べるものを求めて海を渡り、島で繁殖して作物を食い荒らすということは各地で起きていたのでしょう。
海を渡る鼠は架空の生き物ではなく、実在していたということです。
宇和島市では1949年にも大規模な鼠災害が起きています。
作家・吉村昭が「海の鼠」という短編小説で、島の人々とドブネズミの熾烈な戦いを書いており、1973年に行った講演でも鼠被害の生々しい状況を語っています。そこで海鼠の神秘的な一面が垣間見えるのです。
ドブネズミは確かに泳ぐが、実験では平均で80メートル、最長でも240メートルほどの距離しか泳げず、20キロも泳いで半島部へ渡るなどありえないと当時の動物学者は一笑に付したそうなのです。しかし、漁師たちは波に乗って移動する鼠を目撃しています。また、急激に鼠の数が減っても餓死体がなく、つまり、どこかへ移動しているはずなのです。
この島には古くから「鼠の海渡り」という言葉があるといいます。
<参考資料>
田村善次郎編『宮本常一著作集38 周防大島を中心としたる海の生活誌』
山口県文書館『防長風土注進案 1 大島宰判 上』
寺島良安編 島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳訳注『和漢三才図会 6』(東洋文庫)
柳田國男『海上の道』
名越左源太『南島雑話 2』
吉村昭「海の鼠」(『海の鼠』所収)
「人間を支配するもの『海の鼠』をめぐって」講演者・吉村昭1973年6月14日 紀伊国屋ホール
山口県公式ウェブサイト https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/
2020年6月17日記事を再録
黒史郎
作家、怪異蒐集家。1974年、神奈川県生まれ。2007年「夜は一緒に散歩 しよ」で第1回「幽」怪談文学賞長編部門大賞を受賞してデビュー。実話怪談、怪奇文学などの著書多数。
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