おそろしい化け猫から養蚕の守り神、猫地蔵……全国「猫又・猫神」スポット5選

文=本田不二雄

    伝説の魔怪や幻想の妖怪も、実は出身地があり、ゆかりの場所もある。今回は「猫」ミステリーの場所を厳選紹介!

    養蚕業を守った!丸森町の猫神

    宮城県伊具郡丸森町の各所

     宮城県の丸森町は、「猫神様」の聖地という。
     ここでいう猫神様とは、「猫神」の文字や、猫のシルエットが線刻や浮彫りで刻まれた石碑、およびネコの石像をいう。丸森町によれば、2017年時点で見つかっている猫神様は、石碑74基、石像7基にもおよんでいる。この数の多さは県別で見ると明らかで、確認されている猫の石碑は、岩手県13基、福島県8基、長野県11基に対し、宮城県が113基。うち7割ほどが丸森町に集中している計算だ。

     なぜ宮城か、なぜ丸森町なのか。
     理由は、丸森町がとりわけ養蚕(蚕糸業)が盛んだった地域だったからだと考えられている。つまり、ネコは生糸を生む「お蚕さま」をネズミの食害から守ってくれる大切な存在であり、だからこそ、生業の守護者として石碑に祀られ、拝まれたのだという。
     猫神碑の年代も、古くは文化7年(1810)から、以後幕末、明治、大正、昭和初期と、養蚕業が盛んだった時期と重なっている。

     ともあれ、『丸森町の猫碑めぐり』(丸森町文化財友の会)を見ると、それらの端々に、人々のネコに対する並々ならぬ愛が感じられる。今の人間の目からも、その姿は何とも愛らしく映るのだ。
     そして近年、丸森町ではガイドツアー「猫神さま小道さんぽ」を企画し、「猫神祭」を開催するなど、町ぐるみで猫神推しを展開。まずはウェブで「まるもりの猫神さま」を検索。現地では丸森町観光案内所で情報を収集しよう。

    細内観音堂の猫神様(丸森町田町北、写真=荒俣)。

    猫地蔵と猫面地蔵

    東京都新宿区西落合1丁目1123(自性院)

     東京・西落合の自性院は、愛猫家の聖地である。年に一度2月3日の節分会に地蔵堂に奉安された秘仏の「猫地蔵尊」と「猫面地蔵尊」が開帳され、多くの愛猫家でにぎわう。
     うち前者は、かつて無数の人の手に触れられた結果、ほとんど容姿をとどめていないが(口許あたりにやや名残をとどめる)、室町後期の江戸城主・太田道灌との由緒が伝わっている。

     豊嶋氏と対決した江古田原の戦いのおり、日が暮れて道に迷った道灌の前に黒猫が一匹あらわれ、当院へと導いた。結果ここで危難を逃れ、その後の大勝利をつながった奇縁から、道灌はその猫を大切に養い、のち石像を奉納したという。

     一方、明和9年(1772)の銘がある「猫面地蔵」の由緒はこうだ。
     かつて小石川の豪商の息女・守女という孝女がいて、その没後、守女の菩提を弔い、その徳を称えるため、生前可愛がっていた猫面の地蔵が刻まれ奉納された。当時は流行神的な人気を集めたともいう。
     境内には「三味線になった」猫の供養のために花柳界の女性らが建てた猫塚もあり、自性院が江戸
    時代から猫好きの者たちの聖地だったことを物語っている。

     取材のさい、厨子から出して綿帽子と前掛けを外して撮影させていただいた。確かに、鼻のあたりやヒゲはまったきネコのそれだが、後頭部は女性の髪のようにも見える。そして右手に念珠、左手に宝珠をもつお姿は、まさに唯一無二の猫面地蔵菩薩である。

    猫面地蔵菩薩。唯一無二の尊容である。

    赤坂の「猫神」 美喜井稲荷

    東京都港区赤坂4丁目9ー19

     赤坂の名舗「とらや」の真裏、ビル手前の中2階の極狭地にその小社がある。階段を上るとすぐ目の間にネコの像が鎮座しており、背後の神額には「美喜井稲荷諸大眷神」の文字。
     何とも謎めいているが、由緒書には「美喜井稲荷の御守護神は京都の比叡山から御降りになりました霊の高い神様です。この神様にお願いする方は蛸を召上らぬこと。この神様を信仰される方は何事も心配ありません」とある。

     創祀者によれば、戦前、この地にあったお宅に「美喜井」なるネコがいて、不思議の力をあらわした。ある高僧に比叡山由来の猫神といわれ、本格的にお祀りしたのだという。以前の案内板には「三年信仰される方は必ず開運します」と記されていたらしい。

    美喜井稲荷の猫神像。

    7つの尾をもつ猫大明神 秀林寺の猫塚

    佐賀県杵島郡白石町福田1644

    「鍋島の化け猫騒動」といえば、かつての大名・龍造寺家の怨念が化け猫となって佐賀藩主・鍋島家に次々と不幸をもたらすというお話で、歌舞伎の演目で広く知られている。
     しかし、話には続きがあった。
     化け猫を退治した家臣の千布家では男子に恵まれず、代々の当主は他家からの婿養子だった。それを不審に思った7代目の当主は、化け猫が7代にわたって千布家を祟ったためだとして、七尾の猫の絵を菩提寺の秀林寺に納め、鄭重に弔ったという。現在の猫塚は、化け猫の死体を埋めた猫塚を明治になって秀林寺に移し、再建されたものといい、くだんの絵図が石に刻まれ、猫大明神として祀られている。

     今も猫缶を供えてお参りにくる人が絶えない。

    秀林寺、猫大明神の石祠。

    化け猫騒動ゆかりの地 猫寺生善院

    熊本県球磨郡水上村大字岩野3542

     熊本県の最奥の村にその寺はある。阿吽一対の「狛猫」が出迎える生善院。猫寺としてつとに有名だ。その境内に建っているのは、国の重要文化財の観音堂。内も外も黒漆で塗られ、秘仏の千手観音を奉安したそのお堂は、ある女性とその愛猫の菩提を弔うために造られたといわれる。

     きっかけは、戦国時代、現在の熊本県南部・球磨地方を治める相良家への偽りの告げ口だった。ある地頭とその弟が謀反を企てていると。結果、踏み込んだ地侍によって地頭の弟で僧侶の盛誉が惨殺され、寺には火が放たれた。
     その非業の死をだれよりも悲嘆したのが、盛誉の母・玖月だった。愛猫の玉垂とともに神社に籠って呪詛の断食行に入り、愛猫に自分の血を飲ませながらこう告げたという。
    「もし魂があるならば、こののちはわれとともに亡霊となって相良家末代まで祟り、怨念を晴らそう」
     そしてともに川に身を投げたという――。

     こうして、相良家とのちの人吉藩を揺るがす化け猫騒動が発生する。
     後年、人吉藩主は、寺の跡地に生善院および観音堂を建立し、玖月善女と盛誉上人の菩提を弔う霊場と定めた。
     その観音堂の須弥壇をよく見ると、一匹だけ動物が描かれている。安らかに眠るような猫の像である。
     そして現在、境内には「愛猫玉垂の墓」が猫面の古い石像と猫足の石灯籠とともに残されているほか、「ねがい猫」の石像が建てられ、人々の願いごとを受け付けている。

    生善院境内の「愛猫玉垂の墓」。

    その他の「猫又・猫神」スポット

    田代島の猫神社 宮城県石巻市田代浜
    青梅の阿於芽猫祖神 東京都青梅市住江町12(住吉神社)
    立川の猫返し神社 東京都立川市砂川町4ー1ー1(阿豆佐味天神社)
    松代の黒猫大明神 長野県長野市松代町264ー2
    栃尾の猫又権現 新潟県長岡市森上1062
    王子神社とお松大権現 徳島県徳島市八万町(王子神社)/ 同阿南市加茂町(お松大権現)

    「ムー」2023年11月号別冊付録から抜粋
    https://www.amazon.co.jp/dp/B0BYNFDY22/

    本田不二雄

    ノンフィクションライター、神仏探偵あるいは神木探偵の異名でも知られる。神社や仏像など、日本の神仏世界の魅力を伝える書籍・雑誌の編集制作に携わる。

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