予知夢を見分け、背後霊と交流する方法がある! 実践「夢見入門」/不二龍彦
われわれが夜ごとに見る夢の大半は、記憶の整理にともなうものか、身体の状況を反映するものだ。しかし、ごくまれに霊的な意味を持った「霊夢」または「予知夢」を見ることがある。それらは、個人を守護する背後霊が
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人々の病を癒いやし、愛されたその少年が30年前にロシアのウクライナ侵攻と中国の台頭を見透していた!! 三上編集長がMUTubeで解説。
目次
かの16世紀フランスの大予言者ノストラダムス、あるいは一部で「史上最高の予言者」の呼び声も高いブルガリアのババ・ヴァンガ。彼らを筆頭として、世に「予言者」として知られる人物は数多く存在する。なかには驚異的な的中率を誇るとして、崇拝されている予言者もいる。
読者諸兄姉は、そんな「予言者」とはいったいどのような存在であると考えておられるだろうか。筆者の見るところ、ひと口に「予言者」といっても、そこには実にさまざまなタイプがある。
たとえばノストラダムスの場合、その予言は主として占星術と『聖書』、その他の歴史文献や自然観察に基づくものであったと考えられている。ノストラダムスはいわば、「学識型」の予言者であるといえるだろう。
これに対してババ・ヴァンガは視覚障害もあって終生文字の読み書きができず、当然学識もなかった。彼女の場合、もっぱら常人には見えない「不思議な生き物」の助けによって、予知夢の形で未来を啓示されていたという。つまり、一種の「霊媒型」である。 本稿でご紹介するロシア(旧ソ連)の予言者スラヴァ少年の場合、学識型でも霊媒型でもない。何と呼称するかは難しいのだが、あえていうなら「預言者型」だろうか。
つまり彼は単なる「予言者」ではなく、『聖書』に登場するような「神の言葉を預る人」、すなわち「預言者」に近い存在であった。その根底にあったのは、ロシア正教会の神に対する強烈な信仰である。その信仰心のほどは、文字通り『旧約聖書』時代の「預言者」たちを彷彿とさせるほどであった。
ヴャチェスラフ・セルゲイエヴィチ・クラシェニンニコフ、愛称「スラヴァ」は、1982年3月22日、当時のソ連・ケメロヴォ州の小さな街ユルガに生まれ、タイガの街でロシア正教会の洗礼を受けた。ちなみに本名の「ヴャチェスラフ」とは「神の栄光」の意味である。
父親であるセルゲイ・V・クラシェニンニコフは軍人であり、母親のヴァレンティナ・アファナシエヴナ・クラシェニンニコフは専業主婦だった。
スラヴァには兄と姉がおり、兄のコンスタンティンは成人して父と同じ軍人となったが、姉は生まれつき病弱で、病院への入退院を繰り返し、幼くして夭逝する。
スラヴァとこの姉との関係がどのようなものであったのかは不明だが、多感な幼児期のスラヴァの心に、近親者の死が何の影響も与えなかったとは考えられない。
父親が軍人であったことから、クラシェニンニコフ家は頻繁に転居を繰り返していた。スラヴァが1歳のころには、一家揃って東ドイツに移住したこともある。このドイツで、あるときスラヴァは木から落ちて頭部を強打、辛かろうじて一命を取り留めるという体験をする。
先のババ・ヴァンガもまた、12歳のときに竜巻に巻きこまれ、失明するという体験を経ている。梯子から落ちて超能力が発現したオランダの超能力者ピーター・フルコスしかり、このような大ケガや苛酷な体験が何らかの能力を目覚めさせるきっかけとなる事例はままあるようだ。
それはともかく、スラヴァが5歳のころ、一家はウラル山脈東嶺、チェリャビンスク地方の街チェバルクリに移った。以後、この街を舞台に、スラヴァは「預言者」としての才能を開花させていくこととなる。
スラヴァは幼稚園には入らず、直接地元の第4小学校に入学した。すでに姉はなく、兄のコンスタンティンは軍に入隊しており、父は300キロほど離れたシャドリンスクで軍務に就いていた。すなわちスラヴァはチェバルクリの母の家で、実質的に母とふたり暮らしだったということになる。この間の母親との関係性が、後のスラヴァの予言に深い影響を及ぼしたであろうことは、想像に難くない。
実際、今に遺されたスラヴァの予言は、すべてこの母親の記憶に基づいて記録されたものなのだ。
「私は神の賜物を得ています。それを困っている人のために無料で使わねばなりません。それこそが天からのメッセージなのです」
何歳のころかは不明だが、スラヴァは母親に対して、このように自らの決意を表明した。
その言葉に従うかのように、スラヴァは街で病人の治療を始めた。
ロシアの田舎町に、どんな病気もたちどころに治してしまう聖人のような子供がいる!
噂が噂を呼び、連日、病に苦しむ人人がスラヴァの前に長蛇の列を成した。だが彼らのなかに、スラヴァと会っても病状が好転せずに失望したという者はだれひとりとしていなかったという。そしてスラヴァは、この治療行為に一銭のカネも受け取らなかった。
こんな話もある。あるとき、スラヴァのコートのポケットに、いつの間にか皺しわくちゃの10ドル札がねじこまれていた。患者のひとりが謝礼としてそうしたのだ。だがスラヴァはこれを拒否し、わざわざその患者を捜しだして返却した。スラヴァにとって、病気を癒すことは神に命じられた使命に他ならなかったのである。
そもそも病の治癒は、聖人の奇跡の基本でありながら、ある意味では未来予言以上に高度なものであるともいえる。何しろ、治癒は目の前ですぐに結果が出る。あのイエス・キリストも、病人の治療によって名を上げたのだ。そしてスラヴァもまた、この治療行為によってロシアで最も注目を集める子供のひとりとなったのだった。
母親であるヴァレンティナの回想によれば、スラヴァは多くの点で異常な子供だった。チェリャビンスク教区の聖職者は彼について、次のように声明を発している──。
「彼は敬虔な正教徒の家庭の出身であり、容貌はまるで天使のよう、きわめて心優しく、従順で、知的で、敬虔で誠実、さらには幼いころから特別な能力を持っていました。
未来を予言し、さまざまな病気を診断し、治癒させることができたのです。これらの能力は地元であるチェバルクリやミアスの住人たち、また他の訪問者たちが認めています。
家族の証言によれば、彼は二度ほど至聖三者聖セルギイ大修道院に連れていかれました。そこで彼は長時間にわたって司祭たちと語り合い、その結果、治癒の能力は神与のものと認められました」
学者やジャーナリスト、あるいは軍人など、多くの者が彼の起こす奇跡を解明しようと彼のもとを訪れた。なかでもとある数学者は、スラヴァと直接会って驚愕した。面談中、突如としてスラヴァが、きわめて難解な方程式を口述しはじめたのだ。そして奇妙なことに、スラヴァ自身、その方程式が何であり、どこから湧いてきたものかを知らなかった。
その後、専門家たちがこの方程式を解析したところ、それが地球表面の構成要素を計算するものであることが判明したという。
他人の病気なら何でも診断し、治癒させることができたスラヴァ。だが、その能力を自分自身に対して使うことはできなかった。1993年3月17日、11歳の誕生日を迎える5日前に、彼は白血病で世を去ることになる。だがその半年も前から、彼はこの日に自分が死ぬことを予言していた。
一方で彼は、近代医療をも拒絶した。医師の勧める自らへの輸血を頑として認めず、こう述べたのである。
「他人の血を自分のなかに入れることは、その人の罪をも入れることになります。それに、輸血された血液は患者の血と混じることはありません。それは死んだ血なのですから」
彼は自らが血液病棟で死の床にあったときですら、訪ねてきた人々を癒しつづけた。彼と同じ病院に入院していた患者は全員、彼のもとを訪ねたともいわれている。だがそんな彼も、最後の3日間は意識を取り戻すことすらできなかった。
とはいうものの、スラヴァの母親であるヴァレンティナの証言によれば、彼の病は単純な白血病ではなかったらしい。彼女はいう──。
「息子がなぜ、ああも幼くして亡くなったのか、今もわかりません。医者にもあの酷い病気を診断することはできませんでした。ある医師はいいました。
『まるでだれかが、あるいは何かが、彼の血を吸い取っているかのようだ。彼の病気がどのようなものか、まったくわからないのだ』」
そしてスラヴァは、各地の修道院や信者たちから贈られたイコンに飾られた、チェバルクリの墓所に埋葬された。
だが、話はこれで終わりではない。スラヴァの死後、生前にもまして、彼の遺徳を称えようとする信仰の渦が巻き起こったのだ。連日、大勢の巡礼が彼の墓に押しかけた。
ここで、彼の名声をますます高める奇跡が次々に起こる。
まず、彼の墓でしばしば発生した謎の発光現象である。この光には光源がまったくなく、さらにそれを浴びた者は病が治癒するというのだ。
また、彼の墓の周囲の土にも治癒効果があるという。人々はその土を掘り返して持ち帰ると、水を加えて泥状のものを作り、軟膏代わりに患部に塗布したのである。これが万病に効くと評判になり、土を掘り返す者が続出したため、スラヴァの両親は定期的に墓に新しい土を補充に行かねばならないほどであった。そして驚くべきことに、新たに補充された土もまた同様の効果を発揮したのである。
生前のスラヴァが愛用していた椅子もまた、奇跡的な治癒効果を発揮した。母親のヴァレンティナはいう。
「終末期医療の子供の親が私の家に毎日のようにやってきます。当の子供は弱っていて連れてこれませんので、代わりに哀れな子供の写真を持ってくるのです。そして何とかその子の苦痛が和らぎますようにと、すがる思いでそれをスラヴァの椅子に置きます。
するとその後、その子の病状は回復するのです。まさに奇跡です」
死後にまでこれほど数多の奇跡を起こされては、一般信徒はいうまでもなく、ロシア正教の聖職者のなかにも彼を聖人と見なす者が現れてもおかしくはない。だが一方で、理由は不明だがロシア正教会当局はスラヴァの聖人化を危惧し、彼の生涯と言葉を慎重に検討したうえで、彼が列聖される可能性をきっぱり否定したのだ。
(文=並木伸一郎)
続きは本誌(電子版)で。
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