「すずめの戸締まり」呪術的考察(1)土地神と人間の切ない交感はいかに描かれたか?
新海誠監督の最高傑作の呼び声も高い新作「すずめの戸締まり」。本作の基本テーマとして描かれるのは"土地鎮め(地鎮)"だ。 では、土地鎮めのプロフェッショナルは、本作をどう観るのか? 各地で地鎮を実践する
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フランス占領下で生まれ、社会主義政権下でも活動が認められているベトナムの大衆宗教・カオダイ教。その始まりは降霊術だった。
ベトナムのホーチミン市から車で北へ2時間、カンボジア国境に接するタイニン市がある。そのタイニン市に観光スポットとしても知られるカオダイ教の本山ともいうべき教会がある。
30年前、タイニン市に出張で来た際、私ははじめてこの教会を訪れた。
カトリック教会のような二つの鐘楼に、中国建築のような屋根をいただく奇妙な形状に加え、柱や壁は極彩色に彩られた龍やハスの花で装飾されている。入口では性別によって左右別々の入口から入室する。広間があり、その床は平らかと思いきや、奥に向かってわずかに傾斜があり、ゆるやかな階段状になっている。全身白いアオザイをまとって跪拝する信者がいる。さらに進むと広間の奥には巨大な球体に描かれた目玉が、こちらをにらんでいる。
ガイド役をかってでた会社の現地スタッフはこういった。
「カオダイ教はかつて立法府や行政機関、軍隊まで持っていた、まるで独立国のような宗教団体だったんですよ」
その時はその言葉をあまり深く考えはしなかった。ただカオダイ教寺院の極彩色の建築物をみてテーマパークみたいだな、そんな印象をもっただけだった。
それから10数年後、まさか自分がカオダイ教の信徒であるベトナム人女性と結婚するとは夢にも思っていなかった。そしてカオダイ教の歴史をひもとくと、その歴史が日本と深くかかわりをもっていたことを驚きをもって迎えることになる。
カオダイ教は今から約100年前に生まれた比較的新しい宗教だ。
1920年代のベトナムでは降霊術が流行っていた。アメリカで19世紀半ばに流行したテーブルターニングと呼ばれる降霊術だ。数年後にはフランスにも伝わり、大河小説「レ・ミゼラブル」を著したビクトル・ユゴーも盛んにこの降霊術を行ったと伝えられている。
人々がテーブルの周囲に座り、テーブルの上に手のひらをのせ、互いの親指と小指を重ね合わせて祈るとそこへ霊が降りてきて予言や神託を得る。テーブルの足が「コツン」と1回鳴ればa、2回鳴らせばă、3回鳴ればâなどと決められており、その文字を書き取って霊の言葉を解釈する。ある時はベトナム語で、霊によってはフランス語を語ることもあったという。
余談だが、日本のコックリさんもこのテーブルターニングから発生した降霊術の一種だ。放課後の教室に、鳥居と「はい」「いいえ」と書いた紙の上に置いた硬貨に何人かの指を添えたあと、「コックリさん、コックリさん」とよびかけるあれだ。質問すると、その問いに対してひとりでに「はい」か「いいえ」に動くのをどきどきしながら見つめていたことを思い出す。
この降霊術を盛んに行って神の啓示を受けたグループがあった。当時のフランス植民地政府の官僚だったファム・コン・タックのグループだ。
彼らは、同じく中国道教で盛んに行われた自動書記・扶乩(ふけい/フーチー)の一種、「フォーロアン」によって神の啓示を受けたというレー・ヴァン・チュンと出会い、チュンを教祖とした教団を発足。1926年には植民地政府に対して通称カオダイ教、正式名「大道三期普度」という宗教団体を登録する。
以後教団は拡大を続け1940年代には信徒200万人を数えるまでにいたった。
その教義、世界観によれば、天帝はまずモーゼと釈迦を救世主として遣わし、二度目にはキリストと老子を降臨させて、三度目にはついにカオダイを「世を救うもの」としてもたらした、と教える。
俗に儒仏道の三教に加え、キリスト教やイスラム教を混合した宗教だと説明されるが、原初の最高神に「天帝」を掲げる世界観は、ベトナムの民間信仰である聖母道や華僑の信仰する道教からの影響が表れている。ただそこに降霊術やキリスト教といった新しい西欧的な宗教や信仰を取り込んでいることにカオダイ教の特徴があるのだ。
教団はまた現在のタイニン市のある場所の森林をフランス人の所有者から買い求め、信者に開墾させ、新しい宗教都市を建設した。独立国家を目指したのか、立法府や行政府、果ては軍隊をも所有する教団へと発展する。
教祖チュンが内部分裂で教団を去ったあと、その後カオダイ本山を拠点とする主流タイニン派の教祖としてファン・コン・タックが君臨する。タックは一時フランスによってマダガスカル島に流刑にあっていたが、1947年には流刑を解かれてベトナム国に戻り、ジュネーブ協定後米国の後押しで成立したゴー・ディン・ジエム政権下では政権と一定の緊張感を保ちつつも教団としての発展を遂げる。タイニン派以外の反主流派の中には南ベトナム解放戦線に参加するものもあった。
1976年の南北統一後は解散を命じられたが1990年代に社会主義政権の管理下の下、教団としての「宗教活動」の再開が認められて現在に至っている。
2019年のベトナム国勢調査によれば信徒数は56万人と報告されている。タイニン市の一部では信徒は住民の9割を超えるとのことだ。
私の妻の実家はタイニン省にあり、本山まで車で5分程度だ。教団が信徒を使って開拓した土地だ。義父の父親、つまりは私の妻の祖父による困難な開墾の努力があってこその土地なのだ。
私がベトナム人の妻と結婚したのは18年前。付き合ってからほどなく、彼女がタイニンの出身でカオダイ教徒だと知った。カトリック教と同様、カオダイ教も同じ信徒でなければ結婚が許されないのではなかろうか、そうであればカオダイ教徒になることも辞さない覚悟で彼女の父親との面会に臨んだ。
義父は一言「君の宗教はなんだね」というので、答えに窮した。私自身は正月に神社にお参りしても神道を信仰している訳でもない、そういえば祖母の葬儀は仏式だったし、墓は真言宗の寺にあるのを思い出し、思わず「仏教です」と答えた。
義父はやはり「仏教か? それならよし」と特に改宗は求められなかったので拍子抜けした。日本人としては珍しいカオダイ教徒になる機会を逸してしまったようだ。
結婚式はカオダイ教式に家の祭壇の前で挙げた。父親が祝詞をカオダイ教の祝詞をあげてくれた。
戒律と言っても義父母が守るのは月のうち決められた旧暦の日にアンチャイと言って肉食を断つことぐらいだ。アンチャイは月に10日ある。精進料理を食べる習慣が長いためか、肉魚がなくとも植物由来のビーガン料理がこの地域には発達している。豆腐餻に似たチャオ、塩ピーナツや揚げ春巻き、揚げワンタンも具材にイモや豆腐などを用いたビーガン料理があり、意外と美味しい。また、大豆から作られた発酵食品にマムダオがある。納豆とは異なる製法だが、なぜか納豆臭がある。
義父母は厳格に肉魚を絶つ日をきちんと守っているが、妻やその兄弟姉妹はまったく戒律を守らない。
本山では毎日4回の跪拝を行うが、我が家には拝壇もなければ、妻は拝むこともしていない。より敬虔な信徒は戒律をきちんと守るのだろうが、妻は真面目とはいいがたい信徒だ。
カオダイ教の教理について学ぼうと書籍を義実家に探したがそれもない。ネットで自ら調べなければ、カオダイ教の教理も歴史もわからない。
そんな不真面目な信仰の家なのだが、祭壇はある。そこに掲げられているのはご本尊たる「天眼」が太陽と月のあいだに浮かび、歴代の救世主が居並ぶ祭壇画だ。
天眼の下の1番目の列には左から老子、仏陀、孔子が並び、次の列には観音菩薩、中央に唐の詩人李白、三国志の関羽が神格化した関帝、次にキリスト、最後になぜか呂尚、つまり釣りをして任官を待った太公望が描かれている。これにしても妻に「これらの人物が誰であるか」を問うてもわからなかったので、私が調べあげたものだ。
ともあれ、儒仏道、特に中国の歴史的、伝説的な人物が数多く祀られているところを見ると中国の民間信仰の影響を色濃く受けていることがわかる。
まずはカオダイ教についての基本的なことと、真面目とはいいがたい我が家の信仰生活をご紹介した。
続く後編では、意外な歴史を紹介する。教祖タックが流刑されているなか、残された信徒たちは軍隊を組織し、日本軍と共にベトナムの人民を救い、独立を果たそうと奮闘していたのだ。日本の公式戦史には記載が認められない、いわば「大東亜戦争秘史」である。
新妻東一
ベトナム在住でメディアコーディネート、ライター、通訳・翻訳などに従事。ベトナムと日本の近現代史、特に仏領インドシナ、仏印進駐時代の美術・文化交流史、鉄道史に通じる。配偶者はベトナム人。
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